ライター・編集者の今一生さんとのトークイベントを開催しました。同じ領域を扱っている割に、実は初対面だったり。第一印象と違い、豪放でファンキーな要素を持つ素敵な方でした。
「自分のせい」ではない
今一生さんは、社会問題を中心に扱うライター・編集者です。虐待を受けた子どもたちが親に向けた手紙のまとめ「日本一醜い親への手紙」は10万部を超えるベストセラーに。リストカット、オーバードーズを扱った「生きちゃってるし、死なないし」、合法的に家出をするための「完全家出マニュアル」などの作品を世に出されています。
ぼくもまた、社会的課題についてはかなり関心を持って書いている領域なので、価値観を共有した上でお話しすることができました。
対談のなかでは「社会に問題があることに気づく」という言葉が出てきました。非常にシンプルな言葉ですが、この視点は案外、日本人に欠けているものだと思います。
ぼくらはつい「自分のせい」にします。
たとえば「子どもの頃虐待を受けて育った。勉強が苦手で落ちこぼれ、高校を中退し、暴走族に入り、そのままヤクザになり、薬物中毒になって逮捕された人」がいたとします。みなさんは彼・彼女についてどういった感情を持つでしょうか?
多くの人は「それは自分のせいだろう」と考えるでしょう。ひどい人になると「社会に迷惑を欠けたんだから、捕まって当然。一生牢獄にいてほしい」なんて意見ももたれるかもしれません。
また、逮捕された当事者についても、彼・彼女はその過ちを「自分のせい」にすることでしょう。「自分が弱い人間だったから、こんな過ちを犯してしまった」と。
が、それ、本当に「自分のせい」なんでしょうか。ぼくはそうは思いません。この種の問題においては、必ず「仕組み」レベルの問題が関与しています。
たとえば「子どもの頃虐待を受けて育った勉強が苦手で落ちこぼれ、高校を中退し、暴走族に入り、そのままヤクザになり、薬物中毒になって逮捕された人」というのは、以下のような仕組みレベルの問題によって発生していると捉えることができます。
・社会問題としての児童虐待
・「落ちこぼれた人」を救えない画一的な教育
・中退を予防する仕組みがない
・ヤクザ・暴走族のような反社会的集団を放置している社会情勢
・薬物が手に入ってしまう社会の仕組み
そもそも根本的なレベルで、幼少期に虐待されることがなければ、彼・彼女は道を踏み外すことはなかったかもしれません。社会的な落とし穴に掛かりつづけた結果、彼らは犯罪者に転落しているのです。これ、どう考えても、ぼくには「自分のせい」だとは思えません。
「自分のせい」にするのは簡単で、楽な道
自分が、他人が、何かの過ちを犯したときは、仕組みに問題があると考えましょう。職場でミスばかり繰り返し、迷惑を掛けてばかりのあの人は、実は仕組みの被害者かもしれません。
意外かもしれませんが、「自分のせい」にするのは楽なんですよ。だって、考えなくてもいいわけですから。考える力が枯渇している人ほど、自責的になりがちです。
力を振り絞って、仕組みレベルの問題点に気づきましょう。
少なくとも、これは社会的強者の責務だと思います。社会の上位層に位置する人たちは、何事においても「自分のせい」ではなく「仕組みのせい」だと考えるべきです。そうでなければ、社会の断絶は広がる一方でしょう。
関連本は、今一生さんの新刊をご紹介。仕組みレベルの問題解決の事例が大量に収録されている一冊です。ワクワクが詰まった良著です。