幼稚園児リンタローの本棚(既読のみ)

around the happy table
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セントラルパークから見上げるビル群
ニューヨーク、

この街は、とにかく地面が汚い。
ごみの日の朝はニオイもきつい。
とてつもなく古いビルがまだ現役で、エレベーターは異音がするし、スイッチの破損率高い。
一方で新しくユニークなデザインなビルも増えてきて、ハイセンスなショーウィンドーも多い。

地下鉄のホームでは、年老いた黒人が立小便をし、地下鉄に乗るや否や太鼓を数分叩き、その後チップを求めて車内を歩きはじめる。
5番街では、若い白人がホームレスだと書いた段ボールを首から下げ、路上に座っている。

横断歩道を渡っている時、左折してきた赤いスポーツカーが眩しかったので、
"Nice Car!"とジェスチャーを送ると、"そうだろ?"とにこやかにジャスチャーを返してくる。

不親切なウェイトレス、親切なホテルの従業員。

酷く貧しい人、豊かな人、フレンドリーな人、そうでない人、色々な人種、色々な人。

特別なことはない。
ただの大都会。

でも、ここはニューヨーク。それがニューヨーク。

三度目の訪問にして、はじめてこの街が好きになった。


★私とニューヨーク
一度目のニューヨークは17歳の頃、留学先の友人(ホストマザーの親友)がウェストサイドストーリーを観にラジオシティに連れて来てくれた。
ミュージカルはとてもよかったけど、「ニューヨーク、こんなものか」とがっかりした記憶がある。

二度目は20歳頃、ホストシスターの結婚式に出席する前にニューヨークへ単身一泊旅行。
そういえばアメリカで電車に乗ったことがなかったという理由で、Amtrakでメリーランドまで移動した。
5番街で買い物した記憶と、心配性過ぎてカフェで声をかけられることにも怯え、リラックスできず一人旅が性に合わないと思った記憶がある。

三度目の今回は31歳。
子供三人と夫、サポートしてくれる両家の両親、復帰間もない私にチャンスをくれる会社、
多くのひとの理解と寛容のお蔭で機会を得ることができた。

家族がいる安心感、もうピチピチじゃないので誰もナンパしないだろうという安心感(笑)、仕事への期待感と責任感、英語力への心配はあるものの恥をかいたもの勝ちだという図々しさ(笑)、昔より心に余裕を持って過ごすことができた。


★仕事について
大きな会議に出るのは二度目。

一度目は23歳頃にサンフランシスコ。200~300人規模。
勇気を振り絞って一度くらい質問したくらいで、何も出来なかったという後悔が会社を離れるまで付きまとった。

二度目の今回は、最大で2000人くらい参加していたみたい。
前回の雪辱を晴らしたいという思いはありつつも、場の流れに身を任せ、少しずつコネクションを作れればいいくらいに思っていた。

でも、場の流れはすごく早かった。
自分の意志に関係なく、参加者の多くが自然とコネクションを持とうとし、それに勇気付けられ私もどんどん話しかけた。

その場だけでなく、話をしてみると参加者の意識の高さと問題解決に取り組むスピードが速いのがすぐわかった。
「機が熟すのを待つ」とか、「上司の指示を待つ」とか、ではなく、
「どう自分が働きかけたら機が来るのか、組織が決断できるのか」という具体的に自分がどう行動できるかを考えている。

ある方との会話で、
私が「そのシステムはいいけど、たぶん日本事務局はまだないと思うよ」と答えると、
彼女は「じゃー、事務局作ればいいじゃない」って言うわけです。

これが普通みたいな(笑)。
思わず笑っちゃった。あははは、そうだね!あははは!って。

でも私の心の中は結構真剣に、「笑っている場合ではない」と焦る気持ちが出てくる。

やる気のある人は歓迎され、表現しない者はいないのと等しく、
能力のある人は大歓迎され、能力のない者は簡単に見切られる。

とてもシンプル。

まだ私には能力が十分備わっていないので(やがては備わるのかしら?)、大きな声では言えないけど、
とても居心地が良かったし、たぶん合っている気がした。

★英語について
もうひと踏ん張りも、もうふた踏ん張りも必要。
この話題になると口数が少なくなる・・・

はい、がんばります。



------and AGAIN-------

VERY VERY SPECIAL THANKS!!!!! to All MY FAMILY!!