直観的に違和感を覚える話だったのでご紹介。
手作りをする余裕もない
色々おかしいでしょ、という感じ。
また、食事用の前掛けは保育園から“手作り”を求められることが多いため、“手作りふう”に見える仕立てにしています。
ミシンがなかったり、手縫いをする時間がなかったりする「働く母親」から好評です。
まず第一に、子どもが必要としている何かを手作りする余裕もないのか、という残念な話。なんというか、日本の働き方のおかしさを端的に示しているようにぼくには見えます。
こういうサービス・商品が出てくる背景には、男性側の育児への関与の低さもあるのでしょう。前掛けくらい、パパが休日使って子どもと一緒に作ればいいじゃないですか。記事のテーマが「働くママ」を扱っているというのもありますが、働くママの忙しさの背景には、男性の存在があることを忘れてはいけません。
それをお金で買いますか
マイケル・サンデルではありませんが、すべてをお金で解決しようとすると、かえってデメリットが生じることがあります。
たとえば「仕事が忙しくて子どもと遊ぶ時間がまったく取れない夫婦」が、「ベビーシッター」というサービスを購入し、子どもとの遊びを「外注」するとします。
ぼくは発達について詳しくありませんが、親がサービスに頼り、一切子どもとの遊び時間を設けないとしたら、やはりそれは子どもに対してネガティブな影響を与えるのではないでしょうか。
ぼくはテクノロジーが大好きですが、「時間」や「手間」を買うときには注意が必要だと考えます。特に人間関係が絡むものに関しては、効率化の裏で失われるものがあると見た方がよいでしょう。
厳しくいえば、「手作り風」の商品を買う家族も、その裏では大なり小なり、何か(親子で過ごす時間、手作りしてくれたという子どもの喜び)を失っているはずです。無論、効率化によって得られた余暇を用いて、子どもと時間を過ごすことができれば、それはそれで問題ないでしょう。
しかし、現状を見ると必ずしもそうではなく、むしろ効率化によって得られた余暇が、結局仕事時間に吸収されているように見えます。「手作り風商品を買ったおかげで、時間が確保できた。さぁ、その分仕事をしよう」と。この「せっかく生まれた余暇が、仕事に費やされる」という構造は、至るところで目にすることができます。
諸悪の根源は、日本の異常な働き方にあります。育児にせよ何にせよ、過度なサービスというものは、ある種の異常性を緩和するための薬物のようなものです。過度なサービスと、それを利用する人々を敵視するのは、かえって問題解決を遅らせることにもなるでしょう。悪人はいないのです。
制度面でいえば、「残業時間規制」や「連続労働時間規制」、「在宅勤務の促進」などが、働き方を正常に戻すアプローチになるでしょう。今回の選挙戦ではこの種の議論は盛り上がっていなかったように思えますが、問題提起をしていきたいところです。
関連本はこちら。「これからの〜」よりも注目度の低い作品ですが、個人的にはこちらも好きです。取っ付きやすいので、マイケル・サンデル未読の方はぜひ。