日本人はよく本音と建前を使い分ける人種で、外国人からすると本当の気持ちが分かりにくいと言われますが、それは日本に限らず、アメリカにも同じような事があります。一般に日本人が持つアメリカ人の印象というと、”いつも正直に自分の思っている事をスパスパと言う人種”という風に思われがちですが、彼等も本音と建前をちゃんと使い分けています。特に社交の場では他人に不快感を与えない様に、その場でだけ通用する建前のオンパレードで、時々余りに見え透いたお世辞などを聞かされて辟易することもあります。
この間読んだ心理学者の自己啓発本の中に、興味深い事が書いてありました。私達にはソーシャルな自分とエッセンシャルな自分がいて、常にその二つが意識の中でバトルを繰り広げているというのです。ソーシャルな自分とは社会的に見せる、いわば”建前/仮面”の様なもので、それに対してエッセンシャルの方は自分の”本音/本質”ということでしょうか。その二つが上手くバランスがとれている時は何の問題もないのですが、一方が重くなりすぎると精神的に辛くなり、生活に支障をきたすことにもなると言う事です。
建前ばかりだと、自分の本当の気持ちを押さえ過ぎて不満が溜まってしまい、行き着く先は鬱病か、はたまた爆発して人を傷つけてしまいかねません。だからと言って自分の本音だけで世の中を渡って行こうとすると、しょっちゅう他人とぶつかる事になり、これもまたストレスの多い大変な人生になる事でしょう。結論としてこの心理学者が言うのは、如何にこの二つのバランスを取り、どちらか一方に比重がかかりすぎない様に意識して生活していくのが大切だという事です。
スピ好きの友達によると同じことを、“自分の中に住むワイルドホースを飼いならす”と表現するのだそうです。自分のエッセンシャルな部分=本質は野生の馬のように荒くて扱いにくい代物で、ほっておくと社会生活に支障をきたすのですが、上手く飼いならせば自分のパワーと創造の源にすることが出来るのです。
そういえば、昔ちょっとだけタロットカードに熱中したことがあるのですが、その中の一枚に、美女がライオンを従えているカードがあったのを思い出しました。それも多分この”野生の馬”と同じ意味があるのでしょう。そのカードが出る度に『自分の中にいるライオンを手なずけるとは、一体どんなことなのだろうか?』と実感が薄かったのですが、”ライオン”を自分のエッセンシャルな生身の部分とか本質と捉えると、とても納得できます。