■「理性」はどこに行った
「完全かつ最終的に解決された」にもかかわらず、韓国最高裁は昨年5月、協定締結によって原告らの請求権が消滅していないとの判断を示した。その理由について「協定はサンフランシスコ条約に基づき、日韓間の債権債務関係を政治的に合意したもので、植民地支配に対する賠償を請求したものではない」と指摘。日本側が「植民地支配の違法性を認めていない」ことを問題視した。
簡単に言えば、韓国司法が「植民地支配は違法」という論理を振りかざして、国家間で解決済みの話を、反故(ほご)にしようとしているだけのことだ。
韓国の裁判所がこうした判断を示すようになったのは一昨年夏のこと。憲法裁判所が元慰安婦の賠償請求に関し、韓国政府が具体的措置を講じてこなかったのは違憲だと判断したことが契機だ。韓国政府に問題があるにもかかわらず、慰安婦問題という“世論”に押され、それが社会のムードと相まって、反日的な司法判断を連発する。日韓関係が冷却化していくのも当然だろう。
それは今回の判断に限ったことではない。
例えば、今年1月には、ソウル高裁が靖国神社の門に放火した中国籍の男を一方的に「政治犯」と認定し、日韓犯罪人引き渡し条約に基づく日本側への身柄引き渡しを拒否した。2月には、韓国の地裁が長崎県対馬市の寺から盗まれ韓国に持ち込まれた仏像の日本への返還を差し止めた。
いずれの判断も、正常な理性が働いているとは到底思えない。
■救いようのないチンピラ
「立法権」を国会が、法律に基づく「行政権」を内閣がそれぞれ持ち、そして法律に基づく「司法権」を裁判所が担う。互いを監視し、権力の行き過ぎを改めるのが三権分立だ。それは民主主義国家の基本だろう。
50年近くも前に合意した協定の存在を今になって否定し、独り善がりな判断を示すのは、権力の行き過ぎと言わずして何と説明するのだろうか。韓国司法が三権分立のひとつの脚として成り立っていないのは明らかだ。
韓国最高裁の判断後、菅義偉官房長官は冷静に、こう批判した。
「日韓間の財産請求権は完全、最終的に解決済みだ」
日本人の感情を逆撫(な)ですることだけを考えているとしか思えない韓国司法のありよう…。“理性”を失った国は、チンピラ同然。救う術もない。