余録:たとえば山道を行くと、急に風が吹いて寒気を感じ…
たとえば山道を行くと、急に風が吹いて寒気を感じる。やがて熱が出るが原因は分からない。昔の人は、何か山にひそむこの世ならぬものにとりつかれたと考えたようだ。このような怪異を四国や中国地方では「行き逢い神」と呼んでいた▲行き逢い神のなかには山の神もいれば、風となって山中をさまよう怨霊もあった。ならばこの集落にとりついたのはどのような魔なのだろう。山口県周南市にある集落で住民5人が殺害された事件で、行方をくらましていた63歳の男が殺人と放火の疑いで逮捕された▲山あいに高齢者の家が点在するのどかな風景に、事件のむごたらしさと結びつくものはない。だが男の家にこれ見よがしに張り出された「つけびして 煙り喜ぶ 田舎者」の句の不気味さが見る者の心を凍りつかせた。その主が事件から5日ぶりに山中で見つかった▲事件は21日夜、2軒の火事の焼け跡で3人の他殺体が発見されたのに始まる。翌日には2人がそれぞれの自宅で殺されているのが見つかった。5人はみな鈍器のようなもので殴打されていたのである。逮捕された保見光成(ほみ・こうせい)容疑者は5人殺害を大筋で認めているという▲報道によれば、容疑者はわずか8世帯という集落で孤立し、被害者との間でのトラブルも続いていたそうだ。容疑者にとって小さくのどかな集落はむしろ周囲へ憎悪を沸点を超えるまでに高める圧力釜のようになってしまったのか。事件の核心はなおも闇の中である▲被害者の家を次から次に襲う執拗な殺意は、いったい何とどのように行き逢って生まれたのか。その正体を見極めねば、残された者の心の傷も癒えまい。 続きを読む