特集ワイド:憲法への熱い思い 口語化に尽力・山本有三、随筆集「竹」を手がかりに探る
毎日新聞 2013年05月20日 東京夕刊
◇「はだかより強いものはない」
「路傍の石」で知られる作家、山本有三(1887〜1974年)は、憲法の口語化に尽力した。また参院議員の1期生として、文化国家建設を訴え続けた。近づく参院選で憲法改正論議が高まっている。有三の思いはどうだろうか? 1冊の随筆集を手がかりに考えた。【鈴木琢磨】
あれは2月のこと、たまにのぞく東京・JR中央線荻窪駅そばの古本屋で小さな本を手に入れた。タイトルは「竹」。終戦直後に発表された憲法にまつわる有三の随筆など7編が収められていた。奥付には1948年の発行とある。100ページ足らずながら、物資不足の時代に手すき和紙を使ったぜいたくな造本に驚いた。
本のタイトルにもなった「竹」は終戦から半年もたたない46年1月5日夜にJOAK(現NHK)で放送された談話である。軍国主義的な気風を高める桜でなく、竹が好き、と語る。<……春の末から夏になると、わか竹がすくすくと伸びてゆきます。こいつは、きまって、おや竹よりも太い。そして、せえも高くなります。子のほうが、親よりも、若いもののほうが、老人よりも、立派なものになってゆくところも、わたくしにはうれしいことの一つです>
そして次が「戦争放棄と日本」。新憲法が46年11月3日に公布され、その翌日の朝日新聞に寄せた一文である。
<……はだかより強いものはないのである。なまじ武力なぞ持っておれば、痛くもない腹をさぐられる。……わたくしは特に若い人たちにお願いしたい。あなた方は、これからの日本をしょって立つ人々である。あなた方が、もし道をあやまったならば、日本はさらに、どんな事にならないとも限らない。たきぎにふしきもをなめても、戦争以前の日本に返したいなぞと考えているものが、もしあなた方のなかにあったら、それは非常なまちがいである>
なぜ憲法公布日にあわせて書いたのか? 戦後、連合国軍総司令部(GHQ)主導で憲法づくりが進み、内閣が草案を片仮名・文語体で発表するや、誰にでも使いこなせる「国民の国語運動」を推進していた有三らが口語体に、と要望する。それに共鳴した内閣法制局の若手官僚が上司にかけあい、有三に口語化を依頼。有三が前文から9条までの草案を書きあげた。現憲法はこれを下敷きにしている。