その日は突然やってきた。
宣伝会議のウェブメディア『アドタイ』に次のコラムの連載を開始したのが発端だ。
広告“枠”買いから、広告“コンテンツ”買いへ。
全体としては好評で、アドタイの中でも人気記事となったので喜んでいたら、
高広伯彦さんがその記事を酷評し、その発言に釣られた方を含めて、長い論争に発展した。

元々『アドタイ』に記事を連載したきっかけは、担当した広告企画「大阪の虎ガラのオバチャンと227分デートしてみた!」とその企画を解説したブログの両方を、佐々木俊尚さんや、堀江貴史さんが紹介してくれたこともあり話題になったからだった。


すでに高広さんとの論争は終わっているが、貴重な体験だったので、今回の事をケーススタディとして、高広さんとのやりとりを公開すると共に、ある日突然、Twitterで論争に巻き込まれた時のガイドラインを作ってみた。会話内容は、高広さんと私のTwitterに全て残っている。
結論から言うと、高広さんは、みんなから必要以上に恐れられ過ぎている。Twitterでの発言は破綻しているが、ちゃんと話せばマメに答えてくれる方だ。怖いのは、正体がわからないからだろう。後述するが、嫌われるような発言を繰り返している「理由」がわかれば、特に恐れる事もない方だと思う。
ただタチが悪いのが、高広さんに釣られて、一緒になってバカにしてもいいのだろうと、集団で罵声を浴びせてくる人達だ。広告業界の方もいて驚いた。例えば次の方に私は会った事がないが、こういった発言を私に繰り返してきた。会話のレベルが低すぎないか。

私は40歳なので、単にバカと言われても傷つきようがなく、なんだか小学校にいるようで、ノスタルジックな気持ちになるくらいだが、もし若い人が同じ目にあえば、本気で傷つくのではないだろうか。もちろん意見を言うのは自由だが、みんなで「ばーか」は意見でもなんでもない。喧嘩は1人でやれ。
さて、高広さんに話を戻すと、冒頭の発言に続けて、記事を支持している人や業界全体まで批判している。

しかし、ネットではプロレスのようなノリで、あえて激しい言葉を使って遊ぶ事もあるので、よくある展開だ。そして、記事の何が「ひどい」のかを聞いてみた。するとこんな感じで対応された。ちなみに私と高広さんは会ったことがなく(※追記:高広さん主催のイベントに過去1度いったものの、人が多くて結局話す機会もなく、お見かけする程度だった)、Twitter上で話すのも初めてだ。

ここまで言うのであれば、それなりの年齢の先輩かと思ってみたら、同じ40代だ。単に質問に答えるのではなく、このように、わざわざ周囲に「この人はバカだ」とアピールしている所がポイントだ。このようにふるまう目的については後で解説する。
■対応ステップその1. 相手がサイコパスか確認しよう。
ここまでの言動を見て、高広さんはサイコパスなのだろうか?と思った。
サイコパスは、極端に論理的でかつ相手の感情がまったくわからず、無慈悲で、相手の言う事を一切聞かない人だ。そもそも対話にならず、最後には訴訟してくるケースが多いので、からまれたら無視するしかない。
そこで高広さんをよく知る人に聞いて見た。すると、
「高広さんはTwitterだけ見るとサイコだけど、実際に会って話すとまともだよ」
という事だった。すると、やはりこの厳しい言い方は、単なる言葉遊びなのだろうか。
そして、サイコパスでは無いということなので、高広さんと対話を続けてみることにした。
■対応ステップその2. 何が言いたいかをヒアリングして特定しよう。
話を詳しく聞くと、コラムに書いた、次の文章が意味不明だという。
そもそも「広告枠」は、ユーザーがコンテンツを楽しむのが“不便”だったから成立していたものだと思います。下のイラストのように、従来はコンテンツを楽しめるメディアが限られていたため、道を塞ぐハードルのように“広告枠”を作れました。

指摘の通り、たしかに文章がわかりにくかったかなと思い、似た意見でより詳しく解説してある、同じ会社の田端信太郎さんの次の記事を高広さんに紹介した。
【田端信太郎氏インタビュー】広告は「枠」の発想から変われるか
この記事で田端さんが言っている「昔はテレビや大新聞などメディアの数が限定されたから広告枠に希少性があった」という部分と、私が言っている「そもそも『広告枠』は、ユーザーがコンテンツを楽しむのが“不便”だったから成立していたものだと思います」事の意味は同じだ、と解説した。するとこう返事があった。

面白いのは、私と田端さんの席は近いので、この私の主張は、念のため田端さん本人に確認した上で発言したものだ。それを、第三者の高広さんが、「二人の意見はぜんぜん違うものだ」と言っている。どういう事なんだ。
しかし、次のような質問が来たので、そもそもよく理解していなかったようだ。

さらにこうつぶやいて、堂々と間違った発言をしている。

不思議なのは、田端さんと私の会社が同じなのは知っているはずなのに、私が田端さんに裏付けをとった上で話している事に気づいていない所だ。勝手に変な解釈をしているのは自分であることに、まったく気づいていない。
※ちなみに田端さんは、私の質問に答えただけで、どちらの味方でもなく中立です。
そして高広さんから、facebookで話そうと提案された。
■対応ステップその3. 質問に誠実に答える。
今まで一方的だった高広さんが、こちらに質問をしてきたのは、会話が前進しているので良いことだ。
そこで私は、この質問にきっちりと誠実に答えれば、もっと会話が前進するのではないかと思い、アドタイの2回目のコラムで、高広さんのためだけに、半ページを割いて答えた。
広告とコンテンツを一体化する方法
そもそも「広告枠」は、ユーザーがコンテンツを楽しむのが“不便”だったから成立していたものだと思います。 という箇所がわかりにくいという指摘がありましたので補足します。
という書き出しで、田端さんの記事を解説しながら、私の主張を説明した。そしてfacebookで高広さんに、質問の返答を、コラムに書いたので見てくださいとメッセージを送った。
次がそのやりとりだ。

驚いたのは、高広さんが、ここで嘘をついた事だ。
答えになっているかについて、具体的な反論をできない状態になっている。
さらにtwitterで、次のようにその回答をバカげたものだと紹介された。

高広さんの質問に対する「答え」として書いたとfacebookで伝えているのに、その経緯は隠され、いつのまにか「不便」という言葉の定義の話に論点をすり替えている。先ほどは私に対する嘘だったが、今度は、フォロワーに対して嘘をついてミスリードしている。
不思議なのは、高広さんのようなコンサル要素を含む仕事は、基本、嘘をつかないようにするものだ。論理的である事が求められるので、小さな嘘でも、その嘘をごまかすために論理がどんどん破綻して自爆するからだ。
■対応ステップその4. やりとりを記録し、公開しよう。
ここまで見ると、高広さんは、自分が間違った場合でも、一方的にTwitterで嘘の勝利宣言をして周囲にアピールしている事がわかる。売れてない野菜を、すごく売れていると大声で言い張るスーパーのような見事な戦略である。
ポイントは、こちらに向かって話しているのではなく、基本的には周囲に向かって、大声で自分の都合のよい展開をアピールしている事だ。対話ではなく、街頭演説で相手に対抗するスタイルだ。これなら相手より声が大きければ勝てる。
Twitterは短文しか打てず、周囲からは話の流れが見えにくいので、街頭演説が有効だ。これに対抗するには、こちらは誠実に話したうえで、やりとりを正確に記録し、対話の流れをブログなどで公開することだ。こうすれば、全体としての矛盾が明らかになる。論争する場所を変えるのだ。
■対応ステップその5. 演説家とは対話をあきらめよう。
論争は、どちらかが嘘をついた時点で終りとなる。対話が成立しないからだ。ここまでで、単に嘘の街頭演説をしている事がわかったので、会話を打ち切る事にした。論客だと思っていたのに、嘘つきで演説家という実態にがっかりした。少なくともこの時点では。
しかし、こちらが会話をやめると、
しばらくして、高広さんから次のようなメッセージがあった。

演説だけでなく、対話をする気もあるのかと思い、上のように答えた。
また、先ほど嘘をついたか確認するため、再度、田端さんとの件について質問した。
結果、下のように、完全にスル―された。論点をどうしても変えたいらしい。

しかし、あまり一つの嘘にこだわるのも大人げないので、この話はもうしないことにした。
■対応ステップその6. 相手が対話する気なら受け入れよう
さて、ここからは不便の定義の話だ。


このように、Twitterとは一転して、facebookでは丁寧な会話となった。前に知人に聞いた、
「高広さんはTwitterだけ見るとサイコだけど、実際に会って話すとまともだよ」
という意味がよくわかった。
罵倒ではなくて、アドバイスなら素直に取り入れたい。
ただ、高広さんが指摘したのは、私の記事の各論の中の、さらに一部の表現についてだ。
全体の理論への影響は無く、そもそも記事全体の内容については、高広さんもあまり異論がないようだ。
それなのになぜ、Twitterだとこのような表現になるのか疑問に思った。

はじめから、「不便だから〜」の部分は、「情報量が増えて広告が見られにくくなった」と言った方が良い、とアドバイスしてくれれば、こんなに長い話をせずに済んだのだ。つまり、Twitterでの一連の発言は、何かのパフォーマンスだ。では、何のために行ったのか?これについては後で詳しく解説したい。
ところで、私はさっそく高広さんのアドバイスを取り入れて、実際にアドタイの第3回目の記事の冒頭で、次のように高広さんの言葉を借りた。
連載記事2回目までで、情報量が増えて広告が見られにくくなった現在では、コンテンツと広告を一体化して、ユーザーにシェアしてもらう方が自然だという話から、「広告が含まれたコンテンツを作る方法」について紹介しました。
これで、高広さんの指摘した問題は解消されたことになり、事実、それ以降、高広さんからのTwitterでのツッコミは無くなった。
面白いのは、高広さんに同調し、私に対して「意味がわからない」と言い続けていた人は変わらず、高広さんの言葉を取り入れたこの記事についても、次のような発言を続けた。

つまりこの人は、高広さんが何を「意味がわからない」と言っていたか、わかってなかったのだ。
もはや、「何がわからないのかをわかっていない」という、コメディのような状況になっている。
さすがに見かねて、まずは内容をちゃんと読んでねと、この方に次の記事を紹介した。
「わからない」は自慢にならないよ
すると激おこぷんぷん丸になって、冒頭で紹介したつぶやきとなった。

するとまた仲間が集まってきて、集団で罵声を浴びせてきた。
つまり、誰も高広さんの言っている事をわかっていなかったのだ。シュールすぎる展開だ。

どんどん集まってくる。高広さんの仲間なら、高広さんの事をもっと分かってあげて欲しい。

しまいには、そんな集団を見かねた人が助太刀(スケダチ)に来てくれた。

そしてその助っ人と集団が口論を始めた。なんてシュールでノドカな風景なんだろう。日本は平和だ。

さて、いつまでも遊んでいられないので、高広さんの話に戻る。
■対応ステップその7. 相手の目的を知ろう。
ここまでで、高広さんは、Twitterで人のあげ足をとって罵倒するという「パフォーマンス」を行っている事がわかった。ではなぜ、そんな事をするのか?通常なら、人から嫌われる行動は、自分も損なのでやらないはずだ。
そのヒントは、藤子F不二雄の漫画『嫌われ屋』に描かれている。
『嫌われ屋』は自分の正体を隠し、宇宙船に普通のクルーとして乗り込む。他のクルーに罵声を浴びせ、やることなすこと人に嫌がられるような事をするので、彼の悪口を言うことでほかの乗組員が団結していく。
実はそれは上司が雇ったプロの嫌われ役だったのだ。宇宙という危険な場所では、みんながまとまり力を合わせることが何より大切だからで、「嫌われ屋」は人間の、同一の敵がいると団結する習性に目を付けた商売だったのだ。
現実にこんな商売は無いと思うだろうが、実はよくある商売だ。
コンサルタントという商売は、基本、嫌われ屋だ。
硬直した組織やプロジェクトに、コンサルタントは呼ばれやすい。
内部から変革できない場合、外から破壊するしかないからだ。
しかし多くの場合、変革を望まない現場から、激しい抵抗を受けることになる。
めちゃくちゃアウェイな状況でも、相手を言いまかす胆力とスキルを持つ者。
それが嫌われ屋であり、破壊屋とも呼ばれ、用心棒と称されることもある。
嫌われ屋に求められる条件は次のようなものだ。
・いかに空気を読まず、みんなと反対の事が言えるか。
・年齢に関係なく、先輩にも若者にも暴言が吐けるか。
・論理的で筋が通った話ができるか。
・時には怒れるか。(多くは演出)
・嫌われる事に耐えられるか。
そしてこれらは高広さんのTwitterの発言パターンと同じだ。
つまりこれは、嫌われ屋の営業活動だ。
なぜそう思うかというと、私もまた、かつて嫌われ屋だったからだ。
様々な現場に、言いまかすために、憎まれるために派遣されていた。
ある現場で、現状の問題点を私が分析して説明したときの、
現場責任者の憎しみに満ちた目を、今でも忘れることができない。
その後、現場の上役に呼ばれ、「よく言った、次回はさらにもっと厳しく言ってくれ!」
と褒められた。つまり上役に代わって、みんなから嫌われる事が仕事なのだと悟った。
やがて憎まれることに嫌気がさして転職し、言いまかすのをやめて10年ほどになる。
そして今回、高広さんとの論争に巻き込まれて、しょうがないので久しぶりにその方法を使っている。
私が真剣に書いたアドタイの記事の、信用を砕こうといきなり襲ってきたのでやむを得ない。
高広さんのやっていることを例えるなら、用心棒としての腕を見せるために、街中で一般人を殴りつけている状態だ。そこを通りがかった要人から「あいつなら言う事を聞かない現場や部下たちも従うだろう」という声がかかるのを待っている。
さらに、そんな用心棒についていけば、人を殴ってスカッとできる!と悪党どもが、群れをなしての大暴れ。時代劇かよTwitterは。
特に最近では、同じ業界の、1955年生まれの大先輩への暴言は、一線を超えていると思う。

嫌われ屋は用心棒と呼ばれる事もあると言ったけど、
助っ人、助太刀、スケダチも同じ意味だ。
社名からしてもう、正体が丸わかりではないか。
しかしそんなコンサルタントは必要だ。
嫌われる事を引き受けてくれる人なんて中々いない。
ただそれは仕事の中でだけやるべきだと思うけど。
これも何かの因縁なので、
もし今後、高広さんに論争をしかけられた方がいれば、
微力ながらスケダチいたしますので、私のTwitterを呼んでください。
時間がある時しか手伝えませんが。
一方的な味方はできないですが、
今回のように、全体を俯瞰して、やりとりを解説する事はできると思います。
しかし本当に日本はノドカでイイね。しょせんは言葉遊び、気楽にいきましょう!
宣伝会議のウェブメディア『アドタイ』に次のコラムの連載を開始したのが発端だ。
広告“枠”買いから、広告“コンテンツ”買いへ。
全体としては好評で、アドタイの中でも人気記事となったので喜んでいたら、
高広伯彦さんがその記事を酷評し、その発言に釣られた方を含めて、長い論争に発展した。
元々『アドタイ』に記事を連載したきっかけは、担当した広告企画「大阪の虎ガラのオバチャンと227分デートしてみた!」とその企画を解説したブログの両方を、佐々木俊尚さんや、堀江貴史さんが紹介してくれたこともあり話題になったからだった。
すでに高広さんとの論争は終わっているが、貴重な体験だったので、今回の事をケーススタディとして、高広さんとのやりとりを公開すると共に、ある日突然、Twitterで論争に巻き込まれた時のガイドラインを作ってみた。会話内容は、高広さんと私のTwitterに全て残っている。
結論から言うと、高広さんは、みんなから必要以上に恐れられ過ぎている。Twitterでの発言は破綻しているが、ちゃんと話せばマメに答えてくれる方だ。怖いのは、正体がわからないからだろう。後述するが、嫌われるような発言を繰り返している「理由」がわかれば、特に恐れる事もない方だと思う。
ただタチが悪いのが、高広さんに釣られて、一緒になってバカにしてもいいのだろうと、集団で罵声を浴びせてくる人達だ。広告業界の方もいて驚いた。例えば次の方に私は会った事がないが、こういった発言を私に繰り返してきた。会話のレベルが低すぎないか。
私は40歳なので、単にバカと言われても傷つきようがなく、なんだか小学校にいるようで、ノスタルジックな気持ちになるくらいだが、もし若い人が同じ目にあえば、本気で傷つくのではないだろうか。もちろん意見を言うのは自由だが、みんなで「ばーか」は意見でもなんでもない。喧嘩は1人でやれ。
さて、高広さんに話を戻すと、冒頭の発言に続けて、記事を支持している人や業界全体まで批判している。
しかし、ネットではプロレスのようなノリで、あえて激しい言葉を使って遊ぶ事もあるので、よくある展開だ。そして、記事の何が「ひどい」のかを聞いてみた。するとこんな感じで対応された。ちなみに私と高広さんは会ったことがなく(※追記:高広さん主催のイベントに過去1度いったものの、人が多くて結局話す機会もなく、お見かけする程度だった)、Twitter上で話すのも初めてだ。
ここまで言うのであれば、それなりの年齢の先輩かと思ってみたら、同じ40代だ。単に質問に答えるのではなく、このように、わざわざ周囲に「この人はバカだ」とアピールしている所がポイントだ。このようにふるまう目的については後で解説する。
■対応ステップその1. 相手がサイコパスか確認しよう。
ここまでの言動を見て、高広さんはサイコパスなのだろうか?と思った。
サイコパスは、極端に論理的でかつ相手の感情がまったくわからず、無慈悲で、相手の言う事を一切聞かない人だ。そもそも対話にならず、最後には訴訟してくるケースが多いので、からまれたら無視するしかない。
そこで高広さんをよく知る人に聞いて見た。すると、
「高広さんはTwitterだけ見るとサイコだけど、実際に会って話すとまともだよ」
という事だった。すると、やはりこの厳しい言い方は、単なる言葉遊びなのだろうか。
そして、サイコパスでは無いということなので、高広さんと対話を続けてみることにした。
■対応ステップその2. 何が言いたいかをヒアリングして特定しよう。
話を詳しく聞くと、コラムに書いた、次の文章が意味不明だという。
そもそも「広告枠」は、ユーザーがコンテンツを楽しむのが“不便”だったから成立していたものだと思います。下のイラストのように、従来はコンテンツを楽しめるメディアが限られていたため、道を塞ぐハードルのように“広告枠”を作れました。
指摘の通り、たしかに文章がわかりにくかったかなと思い、似た意見でより詳しく解説してある、同じ会社の田端信太郎さんの次の記事を高広さんに紹介した。
【田端信太郎氏インタビュー】広告は「枠」の発想から変われるか
この記事で田端さんが言っている「昔はテレビや大新聞などメディアの数が限定されたから広告枠に希少性があった」という部分と、私が言っている「そもそも『広告枠』は、ユーザーがコンテンツを楽しむのが“不便”だったから成立していたものだと思います」事の意味は同じだ、と解説した。するとこう返事があった。
面白いのは、私と田端さんの席は近いので、この私の主張は、念のため田端さん本人に確認した上で発言したものだ。それを、第三者の高広さんが、「二人の意見はぜんぜん違うものだ」と言っている。どういう事なんだ。
しかし、次のような質問が来たので、そもそもよく理解していなかったようだ。
さらにこうつぶやいて、堂々と間違った発言をしている。
不思議なのは、田端さんと私の会社が同じなのは知っているはずなのに、私が田端さんに裏付けをとった上で話している事に気づいていない所だ。勝手に変な解釈をしているのは自分であることに、まったく気づいていない。
※ちなみに田端さんは、私の質問に答えただけで、どちらの味方でもなく中立です。
そして高広さんから、facebookで話そうと提案された。
■対応ステップその3. 質問に誠実に答える。
今まで一方的だった高広さんが、こちらに質問をしてきたのは、会話が前進しているので良いことだ。
そこで私は、この質問にきっちりと誠実に答えれば、もっと会話が前進するのではないかと思い、アドタイの2回目のコラムで、高広さんのためだけに、半ページを割いて答えた。
広告とコンテンツを一体化する方法
そもそも「広告枠」は、ユーザーがコンテンツを楽しむのが“不便”だったから成立していたものだと思います。 という箇所がわかりにくいという指摘がありましたので補足します。
という書き出しで、田端さんの記事を解説しながら、私の主張を説明した。そしてfacebookで高広さんに、質問の返答を、コラムに書いたので見てくださいとメッセージを送った。
次がそのやりとりだ。
驚いたのは、高広さんが、ここで嘘をついた事だ。
答えになっているかについて、具体的な反論をできない状態になっている。
さらにtwitterで、次のようにその回答をバカげたものだと紹介された。
高広さんの質問に対する「答え」として書いたとfacebookで伝えているのに、その経緯は隠され、いつのまにか「不便」という言葉の定義の話に論点をすり替えている。先ほどは私に対する嘘だったが、今度は、フォロワーに対して嘘をついてミスリードしている。
不思議なのは、高広さんのようなコンサル要素を含む仕事は、基本、嘘をつかないようにするものだ。論理的である事が求められるので、小さな嘘でも、その嘘をごまかすために論理がどんどん破綻して自爆するからだ。
■対応ステップその4. やりとりを記録し、公開しよう。
ここまで見ると、高広さんは、自分が間違った場合でも、一方的にTwitterで嘘の勝利宣言をして周囲にアピールしている事がわかる。売れてない野菜を、すごく売れていると大声で言い張るスーパーのような見事な戦略である。
ポイントは、こちらに向かって話しているのではなく、基本的には周囲に向かって、大声で自分の都合のよい展開をアピールしている事だ。対話ではなく、街頭演説で相手に対抗するスタイルだ。これなら相手より声が大きければ勝てる。
Twitterは短文しか打てず、周囲からは話の流れが見えにくいので、街頭演説が有効だ。これに対抗するには、こちらは誠実に話したうえで、やりとりを正確に記録し、対話の流れをブログなどで公開することだ。こうすれば、全体としての矛盾が明らかになる。論争する場所を変えるのだ。
■対応ステップその5. 演説家とは対話をあきらめよう。
論争は、どちらかが嘘をついた時点で終りとなる。対話が成立しないからだ。ここまでで、単に嘘の街頭演説をしている事がわかったので、会話を打ち切る事にした。論客だと思っていたのに、嘘つきで演説家という実態にがっかりした。少なくともこの時点では。
しかし、こちらが会話をやめると、
しばらくして、高広さんから次のようなメッセージがあった。
演説だけでなく、対話をする気もあるのかと思い、上のように答えた。
また、先ほど嘘をついたか確認するため、再度、田端さんとの件について質問した。
結果、下のように、完全にスル―された。論点をどうしても変えたいらしい。
しかし、あまり一つの嘘にこだわるのも大人げないので、この話はもうしないことにした。
■対応ステップその6. 相手が対話する気なら受け入れよう
さて、ここからは不便の定義の話だ。
このように、Twitterとは一転して、facebookでは丁寧な会話となった。前に知人に聞いた、
「高広さんはTwitterだけ見るとサイコだけど、実際に会って話すとまともだよ」
という意味がよくわかった。
罵倒ではなくて、アドバイスなら素直に取り入れたい。
ただ、高広さんが指摘したのは、私の記事の各論の中の、さらに一部の表現についてだ。
全体の理論への影響は無く、そもそも記事全体の内容については、高広さんもあまり異論がないようだ。
それなのになぜ、Twitterだとこのような表現になるのか疑問に思った。
はじめから、「不便だから〜」の部分は、「情報量が増えて広告が見られにくくなった」と言った方が良い、とアドバイスしてくれれば、こんなに長い話をせずに済んだのだ。つまり、Twitterでの一連の発言は、何かのパフォーマンスだ。では、何のために行ったのか?これについては後で詳しく解説したい。
ところで、私はさっそく高広さんのアドバイスを取り入れて、実際にアドタイの第3回目の記事の冒頭で、次のように高広さんの言葉を借りた。
連載記事2回目までで、情報量が増えて広告が見られにくくなった現在では、コンテンツと広告を一体化して、ユーザーにシェアしてもらう方が自然だという話から、「広告が含まれたコンテンツを作る方法」について紹介しました。
これで、高広さんの指摘した問題は解消されたことになり、事実、それ以降、高広さんからのTwitterでのツッコミは無くなった。
面白いのは、高広さんに同調し、私に対して「意味がわからない」と言い続けていた人は変わらず、高広さんの言葉を取り入れたこの記事についても、次のような発言を続けた。
つまりこの人は、高広さんが何を「意味がわからない」と言っていたか、わかってなかったのだ。
もはや、「何がわからないのかをわかっていない」という、コメディのような状況になっている。
さすがに見かねて、まずは内容をちゃんと読んでねと、この方に次の記事を紹介した。
「わからない」は自慢にならないよ
すると激おこぷんぷん丸になって、冒頭で紹介したつぶやきとなった。
するとまた仲間が集まってきて、集団で罵声を浴びせてきた。
つまり、誰も高広さんの言っている事をわかっていなかったのだ。シュールすぎる展開だ。
どんどん集まってくる。高広さんの仲間なら、高広さんの事をもっと分かってあげて欲しい。
しまいには、そんな集団を見かねた人が助太刀(スケダチ)に来てくれた。
そしてその助っ人と集団が口論を始めた。なんてシュールでノドカな風景なんだろう。日本は平和だ。
さて、いつまでも遊んでいられないので、高広さんの話に戻る。
■対応ステップその7. 相手の目的を知ろう。
ここまでで、高広さんは、Twitterで人のあげ足をとって罵倒するという「パフォーマンス」を行っている事がわかった。ではなぜ、そんな事をするのか?通常なら、人から嫌われる行動は、自分も損なのでやらないはずだ。
そのヒントは、藤子F不二雄の漫画『嫌われ屋』に描かれている。
『嫌われ屋』は自分の正体を隠し、宇宙船に普通のクルーとして乗り込む。他のクルーに罵声を浴びせ、やることなすこと人に嫌がられるような事をするので、彼の悪口を言うことでほかの乗組員が団結していく。
実はそれは上司が雇ったプロの嫌われ役だったのだ。宇宙という危険な場所では、みんながまとまり力を合わせることが何より大切だからで、「嫌われ屋」は人間の、同一の敵がいると団結する習性に目を付けた商売だったのだ。
現実にこんな商売は無いと思うだろうが、実はよくある商売だ。
コンサルタントという商売は、基本、嫌われ屋だ。
硬直した組織やプロジェクトに、コンサルタントは呼ばれやすい。
内部から変革できない場合、外から破壊するしかないからだ。
しかし多くの場合、変革を望まない現場から、激しい抵抗を受けることになる。
めちゃくちゃアウェイな状況でも、相手を言いまかす胆力とスキルを持つ者。
それが嫌われ屋であり、破壊屋とも呼ばれ、用心棒と称されることもある。
嫌われ屋に求められる条件は次のようなものだ。
・いかに空気を読まず、みんなと反対の事が言えるか。
・年齢に関係なく、先輩にも若者にも暴言が吐けるか。
・論理的で筋が通った話ができるか。
・時には怒れるか。(多くは演出)
・嫌われる事に耐えられるか。
そしてこれらは高広さんのTwitterの発言パターンと同じだ。
つまりこれは、嫌われ屋の営業活動だ。
なぜそう思うかというと、私もまた、かつて嫌われ屋だったからだ。
様々な現場に、言いまかすために、憎まれるために派遣されていた。
ある現場で、現状の問題点を私が分析して説明したときの、
現場責任者の憎しみに満ちた目を、今でも忘れることができない。
その後、現場の上役に呼ばれ、「よく言った、次回はさらにもっと厳しく言ってくれ!」
と褒められた。つまり上役に代わって、みんなから嫌われる事が仕事なのだと悟った。
やがて憎まれることに嫌気がさして転職し、言いまかすのをやめて10年ほどになる。
そして今回、高広さんとの論争に巻き込まれて、しょうがないので久しぶりにその方法を使っている。
私が真剣に書いたアドタイの記事の、信用を砕こうといきなり襲ってきたのでやむを得ない。
高広さんのやっていることを例えるなら、用心棒としての腕を見せるために、街中で一般人を殴りつけている状態だ。そこを通りがかった要人から「あいつなら言う事を聞かない現場や部下たちも従うだろう」という声がかかるのを待っている。
さらに、そんな用心棒についていけば、人を殴ってスカッとできる!と悪党どもが、群れをなしての大暴れ。時代劇かよTwitterは。
特に最近では、同じ業界の、1955年生まれの大先輩への暴言は、一線を超えていると思う。
嫌われ屋は用心棒と呼ばれる事もあると言ったけど、
助っ人、助太刀、スケダチも同じ意味だ。
社名からしてもう、正体が丸わかりではないか。
しかしそんなコンサルタントは必要だ。
嫌われる事を引き受けてくれる人なんて中々いない。
ただそれは仕事の中でだけやるべきだと思うけど。
これも何かの因縁なので、
もし今後、高広さんに論争をしかけられた方がいれば、
微力ながらスケダチいたしますので、私のTwitterを呼んでください。
時間がある時しか手伝えませんが。
一方的な味方はできないですが、
今回のように、全体を俯瞰して、やりとりを解説する事はできると思います。
しかし本当に日本はノドカでイイね。しょせんは言葉遊び、気楽にいきましょう!