Joaillerie I LOVE LOUIS VUITTON♪

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いろいろな症状を持った人は少なくない。
かつては診断されにくかった症状にも徐々に「名前」がつき、
それが「病名」となり、精神に関わるものであれば偏見がともなう。
(例えば、鬱、双極性障害、注意欠陥・多動性障害、強迫性障害…等々)

そして、偏見が先行し病名によっては人間性にまでも悪しき判断がなされる。

日本は特にそうだ、と言われる(そうなのかもしれない)。

 
そういう症状を抱えた人達は
決して未知の存在ではなく既に出会っている(いた)ことが多い。
気づかないだけで。
相手がそれを打ち明けないだけで。

 
ふとしたことで相手が打ち明けてくれた時、
やっとその症状が身近に切実に感じられて、
その相手をより一層生々しく感じる機会を得る。

 
そして、自分がそうである場合、
やっとのことで打ち明ける瞬間がある。
苦しみが全てなくなるわけでもないし、解放されるわけでもない。
だけれど、自分のことを再確認する機会を得る。

 
この世の中にはたくさんの「ひとり」「ひとり」…がいるわけで。
たとえ同じ「病名」がついていても、
それは単なる病気の分類であって、
各自の人生が同じではない。
決して「同じ人間ではない」。

そのことに気づかない人はあまりにも多い。
それほどまでに人間は鈍感なものである。
鈍感でいられる社会であるとも言える。

 
病によっては日常生活にも支障があったり、
いつかどこかで決められた社会規範が辛いものであったり。
こうした例を「悪」と決めつければ、「善」は簡単だろう。
「悪」にあてはまらないものを「善」とすればよいだけだから。

どちらかがなければ成り立たない関係(相互補完)というだけのものなのに。



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精神疾患の痛みは外からはわかりにくい。
それを実感することが多い。

たまたま心が通じた友人が、
打ち明けてくれた時。
必死に生きていて、真面目で、
それなのに自分のバランスを欠いて
社会という一定のルールに乗れない。
常にあがいている。

それでも一生懸命で。
過去のことも、将来のことも語ってくれて。
 
「何かをしてあげる」という感覚は一切なく接した。
友人が何を感じて、何を見て、何によって感情を揺さぶられているのか。
その反応から、いろいろと教えられることが多かった。

 
向き合い、時に衝突することで教えられた。
自分にも参照できて、
自分の「病名」がついている、その「部分」に及ぼす影響を
別の観点で考えることもできるほど。

 
一緒にいたいと言われてもそれは無理だったけれど、
いくつかの「生きることそのもの」を見せてくれた。
今でも感謝している。

 
元気でいてくれたら、
そして、幸せであれば、
それだけでいい。

Joaillerie



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