東工大クロニクルApr.2006

特別寄稿

JR 福知山線脱線事故で民間企業が行った救援活動について

 齊藤 十内 


 昨年4月25日に発生した JR 福知山線脱線事故から早や一年が経ちましたが,死者107名,負傷者500名以上という JR 史上最悪の大惨事となったことは,皆さんの記憶にまだ残っていることと思います。
 私が社長を務める日本スピンドル製造株式会社(以後日本スピンドル)の尼崎本社工場は事故現場の近くに位置し,北通用門は事故現場とは目と鼻の先のところにあります。そうした位置関係から事故発生をいち早く知るとともに,トップとして全社員による救援活動を決断しました。消防・レスキュー隊が順次増員されるまでの約2時間半,当社社員の総力を挙げた救援活動は,後に公の報告,マスコミの報道,被災者自身からの話により,実は多くの生命を救い,多くの被災者の負傷程度を軽減する結果となっていたことを知らされることとなりました。
 特別に災害に対する救助訓練をしていない民間企業が,どのような経緯で救助活動を行うことになったのか,そして,その救助活動は一体どのようなものであったかについてまとめ,日常のなかで,事故あるいは災害に遭遇した場合,咄嗟の判断としてどのように行動すべきか,どのような心構えを持っておくことが望ましいのか,などを考える一助となればとの思いで報告します。

■JR 事故の概要

 2005年4月25日午前9時19分頃に,乗員乗客600人以上を乗せた快速電車が,事故現場の急カーブを限界速度を超すスピードで走行したために脱線して線路脇のマンションに激突。1両目は,激突したマンションの一階と地下にめり込む形で大破。2両目はマンションに沿って巻きつくようにして大破し,1,2両目には多数の乗客が閉じ込められた。3両目は横転は免れたものの大破。4両目は脱線して線路上を横断する形で停止。5両目から7両目は脱線を免れて何とか線路上に残るという惨状であった。

■社長の決断

 事故現場に最も近い工場の作業員が異常音に気づき,通用門の安全担当とともに事故を確認。安全手続きに従って安全責任者も現場に直行し大惨事を確認。少数社員による緊急対応を許可するとともに大規模な救援が必要と判断して,社長である私に事故を報告する。私は直ちに会議を中断して現場に急行。無残に破壊された車両,血を流し蹲る負傷者,びくともせず地面に伏せる負傷者,眼の前の信じ難い惨状を確認し,「工場操業の一時中断。全社員による救援活動」を決断。社内緊急放送により留守番をのぞく全社員を食堂に集め,救援活動を行うよう命令を出すとともに,2次災害に対する注意を喚起,相互の連携を指示した。


9時43分(朝日新聞社提供)

■当社が行なった救援活動の内容

 以下の内容は,事故後しばらく時間を置いたのちに社員から聞き取りを行い,報道情報とも照らし合わせて整理したものです。
9時30分‐10時ごろまでの緊急対応者の活動
 通用門を開放して,自力で歩ける被災者を工場内に誘導。シートを敷いて横になれる場所を確保する。しかし,倒れたままの被災者,蹲ったままの被災者は余りにも多く,その人達の救援には十分手が回らない。一方,大破した1,2両目からの救助活動には,工場から運びこんだ長はしごで足場を確保し,作業長レベルの社員によって救援活動を開始した。駐車場内で押し潰された車から漏れたガソリンに対しては,工場内から消火器を運びこんで火災を未然に防いだ。
10時‐12時ごろまでの全社員による救援活動
◆自主・自律的な役割分担
 救援活動は,大きく4つの役割に分かれて行われた。
(1)大破した車両から被災者を救出するグループ
(2)救出された被災者,自力で脱出した被災者を安全な場所まで誘導・搬送するグループ
(3)被災者の手当てを行うグループ
(4)病院へ被災者を移送するグループ
 各グループには自発的にリーダーが生まれ,状況を的確に判断するとともに,社員は各自,自身の経験・知見・技量を判断して役割を分担した。
(1)大破した1,2両目からの被災者の救出
◆1両目より被災者を救出した社員から聴取

 ……,中をのぞくと若い男性が助けを求めてきた。はしごを準備し地下へ入る。周囲には身動きの無い女性が何人も折り重なっているのが見えた。視線を上げると車両のドアの開口部に救助を待つ5〜6人の被災者を確認できた。比較的軽傷であった若い男性と協力し,被災者を一人ひとり車外に介助しながら救出した……。


2両目より救助活動を行なう当社社員(産経新聞提供)


◆2両目より被災者を救出した社員から聴取
 ……2両目の車両はマンションに激突して「くの字」に折れ曲がり,救助活動は困難を極めた。ドアに挟まれている女性の姿を確認。急いではしごを掛けて足場を確保。ドアをロープでくくりつけ,女性2人を救出。その際,車両の下部に折り重なった6〜7人の被災者を目にする。自力でドアに近づいてきた女性2人と男性1人を救助する。くくりつけたドアをはずした時点で,レスキュー隊員と警察官が応援に合流,車両内よりさらに2人の被災者を救助する。
(2)救出された被災者・自力で脱出した被災者を安全な場所まで誘導・搬送する
 全社員の動員で,それまで放置されたままの状態であった被災者一人ひとりに救援の手が回るようになる。声をかけてあげることで気持ちの落ち着きが見られ,救援する者としてもほっとする。10時を過ぎるころから日差しが強くなってきたため,動けない被災者を優先的に日陰まで搬送する。水と卸売市場から現場に持込まれた氷が被災者から喜ばれる。
(3)被災者の手当てを行う
◆仮設の救護所を設置

 工場建屋内の空きスペースは次々と入ってくる被災者で一杯となったため,工場空き地にテントを建て,仮の救護所として被災者のさらなる収容・応急治療・看護を行える態勢を作った。
◆応急治療・看護の状況
 応急治療は当社看護師が主に担当し,多くの女性社員がその補助と看護に当たった。工場内に常備されている救急セット,飲料水・氷・タオル・ガーゼは全て供出された。


救助活動をする当社社員:4月25日午前10時36分
(共同通信社提供)


(4)病院へ被災者を救急搬送する
◆社用車の使用と工場構内道路の開放
 警察や消防の緊急車両数台は,事故後間もなくから現場に到着していたが,600人を超す死者・重軽傷者を前にしての病院搬送は遅々として進まなかった。一刻も早い病院搬送の重要性は,阪神・淡路大震災の経験から社員は誰もが認識していた。その上,事故から1時間も経つと,付近の道路は集まってくる人と車で大混雑となり,緊急車両も動きにくくなっていた。
 幸い,当社構内には業務で使用するエアーサスペンション付のトラック,1BOX 乗用車,ライトバン,普通乗用車が出動前で,30台以上が使える状態にあったため,社用車を使った被災者の病院搬送を行うこととした。社員の多くが工場付近の病院の場所を知っていたこと。工場構内の道路を開放して,渋滞している道路を迂回出来る状況を作ったことが,迅速な搬送を可能とした。
◆緊急搬送の実態
 今回のような緊急搬送であっても,一般車両が公道を通って搬送するには時間がかかる。20分以内に到着可能な近隣の病院リストを社員に配布する。
 重傷と思われる被災者を乗せた車は,一刻も早く病院へ到着すべく窓を全開し,「救急,救急」と叫びながら走り続けた。また,横になったままの被災者については,精密機械の輸送に使われるエアーサスペンション付トラックの荷台に,寝たままの状態で乗せ,パトカーの先導と救急隊員の同乗を依頼して病院へ搬送した。結果として迅速な行動が多くの命を救い,負傷の程度を軽くしたと後に被災者から直接知らされた。「後30分遅かったら命が無かった。あと30分遅れたら足を切断しなければならなかった」……
11:30‐12:00 救援活動の終了
 1,2両目に閉じ込められている被災者の救出作業は消防レスキュー隊と共同で続けられていたが,民間人としては限界と判断。現場から撤収する。被災者の病院への搬送も終わりに近づき,当社社員による救援活動の終了を命令する。社員は,一人でも多くの人が助かることを願いながら命令にしたがって,職場に戻った。午後からは平常の操業が行われた。

■PTSD への対応

 PTSD(心的外傷後ストレス障害)は,救助活動に携わった人にも発症する場合があるため,看護師から「休養室にお越し下さい…」という呼びかけを全社員に対し行った。大惨事であっただけに,救助活動が一段落した後に気分不良を訴える社員は相当数報告されたが,看護師の定期的なケアーで,日が経つにつれ気分不良を訴える社員が減少し,3ヶ月後には,PTSD の問題は発生しなくなった。

■当社はどうしてこれだけの救援活動が出来たのか

 事故発生直後から約2時間半にわたり救援活動を行った230人の社員は当初,「何か人のためになることをしてあげたい」という程度の思いだったかも知れないが,その思いは実際の救援活動をしていく中で,「何としても人を助けたい」という強い思いに変わっていったと推測しています。こうした一人ひとりの思いの変化の連鎖が想像を超す行動力となり,救援活動としての成果につながったのではないか。そして,次のようなことも,救援活動の成果を上げる大きな要因になったものと考えている。

◆当社の事業特性=もの作り企業の強みが生かせた
 当社はメーカーであり,種々の分野へ製品を供給しているため,社員の持つ技術・技能の領域は広い。救助活動のなかで社員が行った活動は,社員が持つ個々のスキルに裏打ちされたものであり,平素から取組んでいる「技術・技能重視」の方針が生かされたと言える。また,工場内での生産活動に必要な資材・機材,工場外での工事・サービスに使われる機材を数多く保有しているため,今回のような救助活動においては,これらの資機材が様々な場面で有効に活用された。その主な物を以下に挙げる。
 ・梯子,脚立             10本以上
 ・大型工具類(10種)        30組以上
 ・消火器                60本
 ・投光器,懐中電灯        多数
 ・シート,毛布,タオル類      多数
 ・テント,担架             各3組
 ・救急セット(看護室用のもの)  2組
 ・水,氷,タオル,バケツ     多数

◆常日頃の安全管理活動が下支え
 生産設備,工事現場を持つ当社は災害に無縁ではない。以前は休業災害も発生して,安全管理面で問題があったが,「安全第一」を最優先に,全社で「無災害職場作り」に取り組んでいる。「災害は起きるもの」,「災害を引き起こす要因は人間が作り出す」という考えのもと,危険要因の排除や安全な作業手順の遵守などに取組んできたことが,今回の救助活動においても生かされたものと思っている。また,日ごろの安全管理活動で身に付いた知恵や行動が下支えになり,1‐3両目での危険を伴う救助活動においても,二次災害を未然に防げたものと思う。
◆阪神大震災の経験と日ごろの付き合い
 当社の相当数の社員が阪神大震災を経験している。当時の互助精神は今も心に生き続けて,事故現場に出た社員は「何が必要で,何をなすべきか」を瞬時に判断し行動したものと思われる。迅速な病院搬送の必要性もまた同様で,社用車20台による工場近辺5病院と少し遠方の3病院へ搬送した被災者数は,社員からの聞き取りで91名となっているが,報道機関のその後の調査では,民間による搬送者数は134名で公的機関を抜いていると伝えられており,多分その大部分を当社社員が搬送したのではないかと推測している。
◆当社の企業風土・企業文化
 今回の救助活動は会社として取組んだため,社員同士や同じ職場の同僚という普段からの交流がベースになり,様々な場面で的確な判断・連携が出来たものと思っている。これら底辺にあるのが,「企業風土・企業文化」と言われる無形の財産なのではないかと思う。
 当社の企業理念,行動基準

経 営 理 念
  1. 公正・誠実な企業活動で永続的に成長発展することにより、社会的責任を果たします。
  2. たゆまぬ技術革新と最高のサービスで、お客様から「ずっと付き合いたい」と思われる企業を目指します。
  3. 人を育て、人を活かし、やりがいと豊かさを実感できる企業文化を醸成します。

行 動 基 準
  1. 私たちは、情報を共有し、熱い議論の場を大切にします。
  2. 私たちは、自らの枠を広げ、高い目標を宣言します。
  3. 私たちは、いつもスピードと情熱を持って、挑戦します。
  4. 私たちは、絶えず鍛え・励まし合い、学習する文化を創ります。
  5. 私たちは、達成を共に喜び、信頼を築き、更なる進化を続けます。

■今後の取り組み

 災害発生に備えた取組みの強化は,災害の発生とともに強く叫ばれ,関係機関の地道な努力が続いている。一方,一つとして同じ災害は無く,定型的な備えが常に効果を上げるとは限らない。今回の JR 事故救援活動から学ぶことは,(1)災害は起こるものだと考えること,(2)災害だけでなく危険に対しても関心を持つこと,注意を怠らないこと,(3)人の知恵は無限で臨機応変な対応が可能となること,などである。当社は今回の経験を生かして,従来の「安全・災害防止活動」という課題にとどまらず,「災害発生時の対応,早期救援・早期復旧」や「地域との連携」などの課題についても,社内に限らず,協力企業,地域社会とも連携して,さらなる社会への貢献をしていきたいと考えている。

■終わりに

 何百人規模で救援者を出せるのは当社しかなく,初動活動の重要性も認識していましたから,工場操業を止めて全社員を救援活動に当たらせることに迷いはありませんでした。無論,2次災害の危険性は承知しており,何かあれば自分が責任を取る覚悟はしていました。
 当社の社員は私の想定を遥かに超す行動をしてくれたと高く評価し感謝しています。社長就任時から「危機感を持て」「意識と行動を変革しろ」を言い続けていますが,そういう日常の心の鍛錬が今回の自主的,自律的で迅速な行動の原動力になったとも思っています。そして,人のために役立ちたい,社会のために何か貢献したい,という人間が持つ根源的な思いを当社の社員が持っていることをあらためて認識させられました。
 今回の私の決断と会社を挙げた救援活動は,全国から高い評価をいただくこととなり,昨秋は人命救助で紅綬褒章を受賞し,昨年末には,第53回菊池寛賞を受賞しました。日本人に「勇気と感動を与えた」が選定理由でした。さらに「良き市民」に贈られる「シチズン大賞」にも選ばれました。「関西財界セミナー特別賞」は企業の社会的貢献の代表例としての受賞でした。多くの人命が失われた事故だけに複雑な思いはありますが,いずれも他の民間人も含めた代表ということでお受けした次第です。
 最後に,107名のご冥福とご遺族への深い哀悼を捧げるとともに,負傷された方々の一刻も早いご回復を衷心よりお祈りいたします。

(日本スピンドル製造株式会社 社長,
昭和44年本学理工学部機械工学科 卒業,
昭和46年大学院理工学研究科生産機械工学専攻 修了)



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