台湾で「日本統治」巡る「歴史教科書」論争ー復活する国民党の反日イデオロギー史観
2013/07/23/Tue
台湾における日本統治時代の呼称には、「日拠」(日本占拠)時代と「日治」(日本統治)時代の二つがある。

日本統治時代の台湾。当時の評価を巡り歴史教科書論争が
前者は「日本の占領時代」の意味。清国から日本への台湾割譲を規定した一八九五年の下関条約を無効とし、「台湾は中国(中華民国)の一部」と強調して台湾支配を正当化する国民党の歴史観(政治宣伝)に基づくものだ。
一方後者は下関条約に基づく日本の統治を合法とし、「日拠」なる用語を糾すもの。同条約には何の瑕疵もなかったのだから、「日治」こそ史実に符合する用語と言えるだろう。
一九五一年の台湾省政府公報により、国民の「日治」の使用が禁じられ、「日拠」が強要された。その後九〇年代に李登輝総統時代に入り、学校の歴史教育で「日拠」に象徴される大中国史観の見直し、史実重視の台湾歴史観の確立が進められ、九七年の課程綱領(学習指導要領)により、中学校用の社会科教科書では「日治」が用いられた。高校の歴史教科書も、民進党の陳水扁総統時代の〇六年に施行された課程綱領で「日治」の使用が指導された。

李登輝、陳水扁時代に「日拠」から「日治」へと記述が変わった歴史教科書。国民党のイデオロギー教
育からの脱却を意味したが…
しかし〇八年に国民党の馬英九政権が発足。一二年に再び歴史教育に大中国史観を導入すべく、台湾大学政治学部の張亜中教授を教科書検定委員会へ押し込み、物議を醸した。張亜中氏は歴史の専門家ではないが、現行の歴史教科書を「台湾独立教科書」として激しく非難していた。
その後、張亜中氏は検定委員を辞し、「一部の歴史用語は台湾史と中国史を切り離し、また日本の植民地統治を美化している」として、三つの教科書会社を開設。高校用歴史教科書で「日治」を「日拠」と改めた他、「鄭氏統治時期」を「明鄭時期」(鄭成功一族による台湾統治を明国の統治とする歴史捏造に基いた国民党史観)、「台湾史・中国史」の区分を廃し、両者を「本国史」で統合するなど、李登輝時代以前の教科書の復活を試みた。
そして今年一月、それらは教育部(文科省)の検定を受けたものの、「日拠」は不可として差し戻された。
かくして巻き起こったのが「日治」か「日拠」を巡る論争である。
「日拠」派の主張はさすがに学術性に欠け、実に感情的だ。
たとえば統一派の中国時報(七月二十日)は「日拠」支持の立場から「“日拠”か“日治”かは、敵か友かの問題。最も核心的な政治問題だ!」と強調する。
急進的統一派政党である新党の李勝峰顧問も同紙(二十一日)への寄稿で、「日本人の殖民統治を美化しても、台独の法理基礎を強化することはできない。“日治”は間違いなく歴史歪曲。“侵略”を“進出”と書き換える日本人の歴史観だ。日本の中国侵略、台湾殖民五十年は絶対に“日治”ではない。中華民族の歴史では“日拠”だけがあって“日治”はない」とヒステリックにまくし立てる。
国民党機関紙中央日報(電子版)が二十二日に掲載した文化大学歴史学部の王仲孚教授の談話は、次のように国民党政権による歴史観統制の必要性を説くものだった。
「用語だけにとどまらない。根本的問題は教科書に対する認識だ。歴史の叙述には国家、政党の立場というものがあり、客観的ではあり得ない。現在、正すべきは民衆のアイデンティティだ。青少年の歴史観の改変は国家観の改変を意味する」
「台独は政治的には不可能だが、文化的には成功している。これは日本の皇民化を経験した李登輝によるものだ。中国人意識を失えば中国人ではなくなる。だから文化上の統一が重要なのだ」と
そうした中の十八日、馬英九総統は退役軍人協会主催の「抗日戦争七十六周年記念大会」席上、「私は小さいころから“日拠”と言って来た。しかし“日治”の用語に反対はしない。どちらを使用してはいけないなどと硬直した規定はよくない」との考えを示した。

「日拠」の復活に支持を表明した馬英九総統。大中国史観を信奉する在台中国人
の権力者としては当然だろう
また同日、教育部の王作台主任秘書も、「指導要領で“日拠”を禁じているわけではない。用語辞典の形で“日拠”と書けばいい」と主張した。
これらの主張が比較的に緩やかなのは、良識ある国民の反撥を警戒しているからだが、いずれにせよ「日拠」の復活を望んだものだ。
これを受け台湾本土派の台湾教師連盟や台湾教授協会のメンバーは二十一日、教育部前で陳情と記者会見を行い、「“日治”を堅持し、正確な台湾史観を守るべき」と訴えた。中央研究院近代史研究所の陳儀深副研究員は「“日治”は台湾史学界のコンセンサスだ」と強調した。

教授協会などが抗議。国民党政権の時代逆行の動きに危機感が抱かれ
ている
「台湾史が本国史であり、中国史は外国史だ」ともアピール。しかし、こうした理性的な訴えも、在台中国人勢力の国民党政権としては受け入れたくないだろう。
なぜなら歴史教育とは権力者が人民を統制するための道具とするのが、中国人の政治文化だからである。
国民党が推進したいのはかつての中国人化教育の復活だ。そしてその中核と位置付けられる一つが「反日」なのである。はたして台湾人の理性は、こうした在台中国人の政治的動きを阻止できるのか。
確かに日本人から見ても、これは誰が「敵」で誰が「友」かの問題である。
【追記】
二十二日になり行政院は、教育部が教科書検定で「日治」と「日拠」の両方を受け容れることを決定したことを尊重すると発表した。そしてそれと共に「中華民国の国家主権と民族の尊厳を守る立場から、行政機関としての責任の基づき、公文書上では“日拠”の用語で統一する。中央及び地方機関に対し、これを遵守するよう通知した」ことも明らかにした。

国民党独裁時代の1951年、「日治」を禁じ「日拠」を用いろとの指
示が下った

7月22日、「日拠」復活。国民党政権は公文書上、個の用語で統一すると発表した
台湾団結連盟の林志嘉秘書長(幹事長)は「“日拠”は“台湾は中国領で、ただ日本に占領されただけだ”との主張の反映で、“日治”は台湾史の事実を述べ、主権国家になるまでの発展状況を反映させたもの。馬英九政権の狙いは台湾の中国化であり、中国による台湾併呑だ。そこで中国と協調して台湾史を中国史の一部とするとともに、日本との関係を断ち切るのだ」と批判している。
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日本統治時代の台湾。当時の評価を巡り歴史教科書論争が
前者は「日本の占領時代」の意味。清国から日本への台湾割譲を規定した一八九五年の下関条約を無効とし、「台湾は中国(中華民国)の一部」と強調して台湾支配を正当化する国民党の歴史観(政治宣伝)に基づくものだ。
一方後者は下関条約に基づく日本の統治を合法とし、「日拠」なる用語を糾すもの。同条約には何の瑕疵もなかったのだから、「日治」こそ史実に符合する用語と言えるだろう。
一九五一年の台湾省政府公報により、国民の「日治」の使用が禁じられ、「日拠」が強要された。その後九〇年代に李登輝総統時代に入り、学校の歴史教育で「日拠」に象徴される大中国史観の見直し、史実重視の台湾歴史観の確立が進められ、九七年の課程綱領(学習指導要領)により、中学校用の社会科教科書では「日治」が用いられた。高校の歴史教科書も、民進党の陳水扁総統時代の〇六年に施行された課程綱領で「日治」の使用が指導された。
李登輝、陳水扁時代に「日拠」から「日治」へと記述が変わった歴史教科書。国民党のイデオロギー教
育からの脱却を意味したが…
しかし〇八年に国民党の馬英九政権が発足。一二年に再び歴史教育に大中国史観を導入すべく、台湾大学政治学部の張亜中教授を教科書検定委員会へ押し込み、物議を醸した。張亜中氏は歴史の専門家ではないが、現行の歴史教科書を「台湾独立教科書」として激しく非難していた。
その後、張亜中氏は検定委員を辞し、「一部の歴史用語は台湾史と中国史を切り離し、また日本の植民地統治を美化している」として、三つの教科書会社を開設。高校用歴史教科書で「日治」を「日拠」と改めた他、「鄭氏統治時期」を「明鄭時期」(鄭成功一族による台湾統治を明国の統治とする歴史捏造に基いた国民党史観)、「台湾史・中国史」の区分を廃し、両者を「本国史」で統合するなど、李登輝時代以前の教科書の復活を試みた。
そして今年一月、それらは教育部(文科省)の検定を受けたものの、「日拠」は不可として差し戻された。
かくして巻き起こったのが「日治」か「日拠」を巡る論争である。
「日拠」派の主張はさすがに学術性に欠け、実に感情的だ。
たとえば統一派の中国時報(七月二十日)は「日拠」支持の立場から「“日拠”か“日治”かは、敵か友かの問題。最も核心的な政治問題だ!」と強調する。
急進的統一派政党である新党の李勝峰顧問も同紙(二十一日)への寄稿で、「日本人の殖民統治を美化しても、台独の法理基礎を強化することはできない。“日治”は間違いなく歴史歪曲。“侵略”を“進出”と書き換える日本人の歴史観だ。日本の中国侵略、台湾殖民五十年は絶対に“日治”ではない。中華民族の歴史では“日拠”だけがあって“日治”はない」とヒステリックにまくし立てる。
国民党機関紙中央日報(電子版)が二十二日に掲載した文化大学歴史学部の王仲孚教授の談話は、次のように国民党政権による歴史観統制の必要性を説くものだった。
「用語だけにとどまらない。根本的問題は教科書に対する認識だ。歴史の叙述には国家、政党の立場というものがあり、客観的ではあり得ない。現在、正すべきは民衆のアイデンティティだ。青少年の歴史観の改変は国家観の改変を意味する」
「台独は政治的には不可能だが、文化的には成功している。これは日本の皇民化を経験した李登輝によるものだ。中国人意識を失えば中国人ではなくなる。だから文化上の統一が重要なのだ」と
そうした中の十八日、馬英九総統は退役軍人協会主催の「抗日戦争七十六周年記念大会」席上、「私は小さいころから“日拠”と言って来た。しかし“日治”の用語に反対はしない。どちらを使用してはいけないなどと硬直した規定はよくない」との考えを示した。
「日拠」の復活に支持を表明した馬英九総統。大中国史観を信奉する在台中国人
の権力者としては当然だろう
また同日、教育部の王作台主任秘書も、「指導要領で“日拠”を禁じているわけではない。用語辞典の形で“日拠”と書けばいい」と主張した。
これらの主張が比較的に緩やかなのは、良識ある国民の反撥を警戒しているからだが、いずれにせよ「日拠」の復活を望んだものだ。
これを受け台湾本土派の台湾教師連盟や台湾教授協会のメンバーは二十一日、教育部前で陳情と記者会見を行い、「“日治”を堅持し、正確な台湾史観を守るべき」と訴えた。中央研究院近代史研究所の陳儀深副研究員は「“日治”は台湾史学界のコンセンサスだ」と強調した。
教授協会などが抗議。国民党政権の時代逆行の動きに危機感が抱かれ
ている
「台湾史が本国史であり、中国史は外国史だ」ともアピール。しかし、こうした理性的な訴えも、在台中国人勢力の国民党政権としては受け入れたくないだろう。
なぜなら歴史教育とは権力者が人民を統制するための道具とするのが、中国人の政治文化だからである。
国民党が推進したいのはかつての中国人化教育の復活だ。そしてその中核と位置付けられる一つが「反日」なのである。はたして台湾人の理性は、こうした在台中国人の政治的動きを阻止できるのか。
確かに日本人から見ても、これは誰が「敵」で誰が「友」かの問題である。
【追記】
二十二日になり行政院は、教育部が教科書検定で「日治」と「日拠」の両方を受け容れることを決定したことを尊重すると発表した。そしてそれと共に「中華民国の国家主権と民族の尊厳を守る立場から、行政機関としての責任の基づき、公文書上では“日拠”の用語で統一する。中央及び地方機関に対し、これを遵守するよう通知した」ことも明らかにした。
国民党独裁時代の1951年、「日治」を禁じ「日拠」を用いろとの指
示が下った
7月22日、「日拠」復活。国民党政権は公文書上、個の用語で統一すると発表した
台湾団結連盟の林志嘉秘書長(幹事長)は「“日拠”は“台湾は中国領で、ただ日本に占領されただけだ”との主張の反映で、“日治”は台湾史の事実を述べ、主権国家になるまでの発展状況を反映させたもの。馬英九政権の狙いは台湾の中国化であり、中国による台湾併呑だ。そこで中国と協調して台湾史を中国史の一部とするとともに、日本との関係を断ち切るのだ」と批判している。
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