前原駅から進むと街道は薬園台駅を通り過ぎ、住居表示は薬園台と薬円台が混在する。
そもそもは江戸時代の薬草園があったことから、薬園台だが、住居表示実施の時に地名の由来を抹殺した薬円台に簡略化され、それに反対する人々が住むところが住居表示未実施地区の薬園台として残っている。
地名ひとつでも、色々ある。
船橋市立郷土資料館の敷地には、明治天皇駐蹕之処の碑がある。
次は自衛隊の習志野演習場の延々と続くフェンス。
昔は陸軍演習場で、明治天皇駐蹕の元、演習が行われ、篠原国幹少将による指揮に感銘した天皇の発言(「篠原を見習え」→習篠原→習志野原)が元となり、習志野と名づけられたと言われるが、篠から志野への転移はかなり怪しげだ。
習志野の名前が有名になったのは、日露戦争での司馬遼太郎の「坂の上の雲」でも描かれた秋山好古の率いる騎兵隊の活躍だが、その史跡はあまり残っておらず、駐屯地内に秋山の揮毫した軍馬慰霊碑がある程度らしい。
新木戸交差点のガソリンスタンドの角に、その名もおどろおどろしい血流地蔵の道標がある。
一見すると、名前を除いてはどうという事のない道標だが、以前は埋もれていたものを郷土史家の方たちが発掘して日の目を見せたもの。このような活動に敬意を表したい。
この辺は二十六夜塔が多い。比較的目新しいものも多く、いまだに風習が残っていることを窺わせる。
牛魂碑も新しく、街道沿いに昭和50年代まで牛の放牧場があり、その供養と。
大和田宿の長妙寺には八百屋お七の墓がある。お七は今の八千代市で生まれ、母親が遺髪をひそかに運び出して長妙寺の預けていたとか。
中山道沿いの白山の圓乗寺にも墓があり、御成街道の本郷・吉祥寺にも比翼塚がある。
歴史上の有名人なのであちこちに墓があるのは良いのか、悪いのか。
ユーカリが丘の手前には、昔林屋という茶屋があり近くの加賀清水の水で茶を入れて茶屋を商った。
その場所に七代目の市川団十郎が寄贈した常夜灯、道標がある。加賀清水は親水公園となっていた。
初代市川団十郎が成田山に子宝を祈願し無事成就、それ以来団十郎は成田屋の屋号を称したのは人の知るところ。
七代目団十郎は八代目の襲名の後、海老蔵を名乗ったが、天保改革の奢侈禁令に触れ,江戸十里四方追放となった。
昨年マスコミを賑わし今は蟄居している海老蔵は11代目だが、この遺伝子を受け継いでいるようだ。
ユーカリが丘は名前と異なり、中心部は低湿地となっている。
ここはデベロッパーの山万が一手に開発運営している不思議な町で、山万ユーカリが丘線という日本で唯一の純民間による新交通システムも運行されている。
自治体の佐倉市も手出しが出来ない、ひとつの王国だ。
手繰橋を渡ると道は、国道から逸れて臼井台へ上って行く。これも何故わざわざ上るのかと不思議な経路となっている。
印旛沼の洪水が再々起こり、この付近が水没することが多かったのでそれを避けるためだろうか。
妙覚寺で雷電為衛門の碑を見る。
雷電は臼井宿の甘酒茶屋の娘おはんを見初めて結婚し、その縁で碑が建てられている。
雷電は善光寺街道の牧家に生まれ、そこには佐久間象山による顕彰碑が建てられている。雷電の力にあやかろうと碑が欠き取られていたが、こちらのほうはまだ無事のようだ。
甘酒茶屋の跡は自動車会社となっていた。
京成の踏切を越えたところに道標が集められていて、さくら道と刻まれたものと成田道と刻まれたものがある。
説明板には、佐倉道が古くその後成田街道、成田道と変遷したと記されていた。
鹿島川を渡ると、右手が佐倉城址で今は国立民族博物館となっている。2007年8月16日に日本の最高気温が更新されたとき、この博物館を訪れたことを思い出す。
佐倉道はここで終わり、これからは完全に成田街道となる。
海隣寺坂の頂上に見たことのある黒川紀章の佐倉市庁舎があり、見学。(詳細はこちら)
佐倉の総鎮守の麻賀多神社はまだ初詣の人が多い。珍しい名前だが「麻の国で多氏が賀す神の社」ということらしい。
佐倉宿の街道沿いには高札場も復元され、比較的古い建物も残存し、宿場町らしい雰囲気を味わえる。
蘭学通りの終わりに佐倉順天堂記念館があるが、休館日で外から眺めるだけ。順天堂は蘭医佐藤泰然が開いた蘭医塾が始まり。
麻酔を危険として用いずに、無麻酔で手術したそうで、背筋が寒くなる。
酒々井戸宿に入ると、名前の由来の伝説酒々井の井碑などを見て先を急ぐ。
荷車を後押しする押し屋が活躍したという大坂の竹薮を過ぎると、伊篠の松並木となる。
松喰虫の影響でかなり枯死しているが、この街道で初めての松並木らしい松並木。
ここには成田山参拝の碑や供養塔も林立する。
とっぷり日も暮れた中を、ようやく成田山のにぎやかな門前町へ。
成田山新勝寺はライトアップされていて、善男善女がまだまだ大勢参拝していた。
成田街道は本来は、少し先の寺台宿が終着だが新年に免じて許してもらい、交通安全のご利益著しいこの寺に、これからの道筋の安全その他諸々を精一杯祈願して旅を終えた事は言うまでもない。
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平成の大合併でも由緒ある地名が消滅して、歴史から断絶した訳の分からない地名が増えたのは残念なことです。
薬園台と薬円台に関してはこういうHPもあります。→http://blog.livedoor.jp/takahashiakira/archives/12562307.html