慰安婦と戦場の性・ソ連軍の場合 
2013/06/09 Sun. 14:50 [edit]
慰安婦と戦場の性 (新潮選書) (1999/06) 秦 郁彦 商品詳細を見る |
結論から言うとソ連軍は慰安所を設置/管理しなかった(ようである)。しかしソ連軍兵士はドイツ、北朝鮮、満州を侵略した際、現地の女性を多数レイプした。
満州や北朝鮮におけるロシア兵の掠奪、強姦ぶりは、若槻泰雄が「すさまじいの一言に尽きる」と要約し、手当てをした医師の「(被害者の)10名に2,3名は舌を噛んで死んでいるんです」という体験談を紹介している。
東北接収のため満州に派遣された中国(国府軍)の董彦平中将は「(赤軍の)兵士たちは時、所、夜昼かまわず、また日本人、中国人の区別なく婦女を強姦した。このため東北(満州)の各都市では、午後4,5時以降ともなれば、街頭には絶えて人影なく、婦女子は恐怖のあまり、頭髪を切り落として男装し自らの貞操をまもろうとする人も多かった……東北全土、至るところでやりたい放題」と記し、日本帝国主義より程度が悪い、と評した。
ソ連軍から女性提供命令を受け、プロの女性たちが頼まれたり志願したりして、一般子女の身代わりになった話も珍しくない。奉天憲兵隊に勤務していた福永竧曹長は、終戦から4日後の1945年8月19日夜、上官の徳重憲兵少佐から「柳町従軍慰安所に至り、憲兵隊の検索と称して乗り込み、女を自動車に乗せ、大和ホテルのソ連軍使の許に届けよ」と命じられた。同僚の憲兵たちは別の慰安所から朝鮮人、満人の女性も調達した。
女学生の提供を命じられ逃がしたかどで射殺された教官もいた。
終戦から6週間後の45年9月27日、太田(南朝鮮)の朝鮮軍司令部は東京の参謀次長にあてて、次のような要旨を打電した。
“鉄原(京城の北80キロ)から脱出した日本人の報告によると、進駐してきたソ連軍は掠奪ののち9月1日に広島屋(遊廓街)に24人の邦人婦女を閉じこめ、連日レイプで6人が死亡、他は10日頃にウラジオへ連行したらしい。
また吉州でも250人の婦女がレイプされたあと殺されたという。他の都市も同様かと思われる。38度線より北とは連絡不能のゆえ、中央の外交手段で処置されたい。なお南朝鮮も米軍不在の地域は無政府状態で、法人財産が奪われつつある。”
(1945年)10月23日の高松宮日記には「北鮮に侵入せる<ソ>兵は白昼街道にて通行中の婦女を犯す。……元山か清津にて慰安婦の提供を強ひられ人数不足せるを籤引にて決めたり、日本婦人の全部は強姦せらる。強要せられ自殺せるものも少なからず」との記事がある。
満州や朝鮮半島から博多、佐世保などへ引きあげてきた日本女性の不法妊娠者(および性病患者)は、医師たちが厚生省の指示で開設した特別検診所で、ためらわず堕胎した。
医師たちは「ベルリンの全女性の50%(少なくとも10万人)が強姦され、10%が性病にかかった。」との報告書を前に、堕胎を禁じた刑法を守るべきかどうかで議論を重ねる。
指揮命令、すなわち「国家の意志」としてレイプをやっていたわけでは無いだろうが、秦が言うように、ソ連軍は兵士たちによるレイプを黙認していた可能性が強い。もしくは軍上層部がいくら取り締まろうとしても現場の兵士たちが全く命令を聞かなかったのかもしれない。
秦が参考として挙げている文献:
ルース・フリードリヒ『舞台 ベルリン――占領下のドイツ日記』
バーバラ・ヨール、ヘルケ・ザンダー編『一九四五年 ベルリン開放の真実』
森崎和江『売春天国の女たち』
上坪隆『水子の譜』
中村粲『正論』1998年5月号
天児都『九州大学医学部産婦人科学教室同窓会誌』40号
若槻泰雄『戦後引揚げの記録』
董彦平『ソ連軍の満洲進駐』
那須佐紀子『女たちの太平洋戦争』
林郁『大河流れゆく――アムール史想記』
福永竧『一憲兵下士官の悪夢』(非売品)
堀喜身子『サンデー毎日』1952年8月31日号
Chosen Staff Message 893, dated 27 Sep. 1945
『高松宮日記』
萩原遼『北朝鮮に消えた友と私の物語』
category: 歴史/人物
thread: 従軍慰安婦性奴隷制問題 - janre: 政治・経済
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