2013年

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お爺ちゃんセッション(27)...2013年7月13日

 今回はお爺ちゃんセッションから、話題を4つほど紹介したいと思います。

蒸留水について

 当HPの掲示板で、蒸留水は老廃物だけでなく、必須ミネラルであるカルシウムやマグネシウムを身体から排出してしまうというカナダ人の科学者の説が紹介されました。それゆえ不整脈や骨粗鬆症の危険性があるということでした。
 まず私は、蒸留水が老廃物だけでなく、身体に必要とされるミネラル分まで対外に排出されるのは事実か聞いてみました。
 するとやはりそれは事実だそうです。
 考えてみれば、これは当たり前で、蒸留水に人間の身体に良い悪いといった認識があるはずもなく、とにかくミネラルを含め多くの成分を溶かし出してしまうということだと思います。
 それに対するお爺ちゃんの説明ですが、蒸留水を飲んだことによる急激な変化の中で、そういった身体の不調が出ることはありうることだが、それはある種の好転反応だといいます。私が気になったのは、蒸留水を飲んで排出される必須ミネラルであるカルシウムやマグネシウムを、何らかの形で身体に補給する必要があるのではないかということでした。
 これに対するお爺ちゃんの説明は、ちょっと意外なもので、日本人の普通の食生活をしている限り、そんな必要もないということでした(蒸留水を飲んでいても、普通の食事の中で、必須ミネラルは十分に補給されるという意味です)。
 つまり蒸留水が必須ミネラルを含め老廃物を身体の外に出すのは事実だが、それによって不整脈や骨粗鬆症になる危険性はないというもので、これはカナダ人の科学者の説を真っ向から否定するものでした。
 さらにカナダ人の科学者は、蒸留水は空気中の二酸化炭素を取り込んで水を酸性にしてしまい、それを飲んだ人間の身体を酸性に傾けさせるとも言っていました。これについても聞いてみると、蒸留水が二酸化炭素を取り込んで酸性化するのは事実だが、人間の身体に影響を与えるものではないといいます。
 また蒸留水による浄化は一生続けるものではなく、浄化する期間が終わったら止めるべきか聞いてみました。
 すると、止める必要はなく、一生続けるのは良いことだという答えでした。

 結局のところ、お爺ちゃんの説明は、カナダ人の科学者の言っている蒸留水の必須ミネラルの排出や酸性化は事実だが、それによって身体に悪影響を与えるものではないというものでした。
 もちろんこれはお爺ちゃんの見解です。これを読まれている訪問者の方々は、どちらが正しいかはご自身で判断していただければと思います。

 さらに蒸留水を飲んで1ヶ月ほどで、私の体重が1kg減った件も聞いてみました。
 するとやはり蒸留水の効果だそうです。蒸留水によって腎臓の機能がアップしたからだといいます。千さんは、腎臓の機能アップで、むくみが取れてきたのではと言っていました。現在は蒸留水を飲んで2ヶ月ほどですが、僅かづつではありますが、さらに体重は減ってきています。



松果体の成長

 私は頭痛というのは、二日酔い以外は経験しない体質のようです。
 ところが先日、頭痛がしないはずの私が、ひどい頭痛に襲われました。立っていられないほどで、仕方なく横になって頭痛が治まるのを待つはめになりました。2〜3時間経ってだいぶ治まったのですが、ちょうどその日の夕方にお爺ちゃんセッションがあったので、頭痛の理由を聞いてみました。
 すると、スピリチュアルな変容が私の内部から始まっていて、身体がそれに合わせて反応しているという答えでした。そして頭痛は、これからも起きるとのことです。

 その時は、ふ〜ん、そんなものかというところでしたが、先日ATIH(注1)公認ティーチャーである海部仁美(あまべひとみ)さんのWSに出て、なるほどと思うことがありました。海部さんによると、身体が地につかずふわふわした感覚になると同時に頭痛がするのは、松果体が成長している証なんだそうです。それこそ今の私の症状そのもので、あ〜っ、なるほどねえ、と思ったのです。

 家に帰ってきて、ぱっと閃いて、その松果体と蒸留水が結びつきました。
 以前、(誰から聞いた説明か忘れたのですが)、現代人は松果体の周りをカルシウムの堅い殻が覆っていて、それが松果体の成長を妨げていると聞いたことがあったのです。
 カルシウムは身体に必要な必須ミネラルですが、松果体の成長を妨げているというのは困った事態です。
 その時、今私が蒸留水に出会ったのは意味があったのではないかと思ったのです。
 つまり私は松果体の成長期を迎えていて、蒸留水を飲むことによって、松果体を順調に成長させるタイミングに来たということです。このことをお爺ちゃんに尋ねましたら、まさしくその通りだという答えでした。

 当HPで蒸留水を紹介してから、多くの方々から蒸留水精製器を買いましたというメールをいただきました。
 おそらく蒸留水精製器を買った方々というのは、ご本人は健康の為と思われていると思いますが、私と同じく松果体が成長期に入った方々なんだと思います。

 お爺ちゃんに今後も頭痛が続くか聞いてみると、頭痛は3ヶ月周期で起こるといいます。そしてそれは2年間続くそうです。ということは、私はあと2年間は、松果体が成長し続けるということなのでしょう。

(注1)
 ATIHというのは、神秘家ドランヴァロ・メルキゼデクさんが提唱する3次元の地球から4次元の地球に行く方法を伝授するWSの名前です。



逃した魚は大きい・・・

 私はコイン収集のド素人なのですが、投資もかねて最近コイン収集を始めました。
 先日、馴染みになったコイン商に行って、コインを物色していると、店員さんが「実は良いものが入りまして・・・」と前置きして、奥から以下のコインを出してきたのです。
 1661年発行のドイツの大型金貨です。





 写真は残念ながら白黒ですが、見事な金色をした6ダカット金貨(注2)です。手に取るとずっしり重く、しかも都市景観のデザインも素晴らしく、一目で気に入りました。
 店員さんも、これほどのものは年に数回しか入荷しないと絶賛していました。

 私は直感で、これは良いと思ったのですが、一つだけ買うのに躊躇する点がありました。
 値段が135万円もしたのです。
 ファンドを解約したので出せない金額ではありません。しかし私の中で「1枚の金貨に135万円も出すのかぁ〜」という葛藤が渦巻ました。
 貧乏人が手を出す金額ではないのではないか、いや、これは本当にお宝かもしれない・・・。
 ますます葛藤が渦巻ました。そして貧乏人の私が出した結論は、もう少し様子をみよう、でした。

 お爺ちゃんセッションで、私はこの金貨のことを聞いて、あわてるはめになりました。
 この金貨はすぐに人気が出て、早い時期に3倍になるという答えだったのです。セッションが終わった直後に、あせった私がコイン商に電話したのは言うまでもありません。その時の会話です。

 私:「この前見せてもらったドイツの6ダカット金貨ですが、まだありますか?」
 店員:「本山さんに紹介した直後に売れてしまいましたよ。本当にその直後でした」

 ガーン!
 135万円の3倍というと、405万円。ですから405万円から135万円を引いた270万円を儲けそこなったのです。
 まさしく濡れ手に粟のお金が、目の前まで来ていたのに・・・。

 私はコイン商で金貨を見せてもらう日の朝に見た夢を思い出しました。
 普段夢に出てこない亡くなった母が出て来て、私に封筒に入った(古い聖徳太子の)1万円札の分厚い札束をくれたのです。
 その札束ですが、そういえばちょうど135万円ぐらいの量の札束でした。
 私は次のお爺ちゃんセッションで、この夢について聞いてみました。やはり母は、私にこの金貨を買うように促すために夢に出てきたそうです。
 私は、「うわー、しまった・・・」と思いましたが、もう後の祭りです。

 逃した魚は大きい、と世間ではよく言います。
 思えば私はこんなことばっかりやってきたなと思います。相場を張れば、高値で掴んで底値で手放すというのは、得意中の得意です。
 私は、あちら(霊的)の世界から人一倍チャンスを与えられて、そして人一倍そのチャンスを逃してきたのかもしれません。

(注2)
 ダカットというのは当時のドイツの貨幣の単位です。



妖精たち

 梅雨の時期のセッションで妖精たちの希望を聞いたら、紫陽花(アジサイ)を見たいと言っていました。千さんは、妖精ちゃんは外に出たがっていると言います。
 そこで鎌倉あたりに紫陽花(アジサイ)を見に行こうかと考えていたのですが、色々と用が入ってしまい行く暇がありませんでした。
 それで妖精たちに申し訳ないと思っていますと言ったら、千さんが桃のような甘い香りのする果物を部屋に置くと、妖精ちゃんは喜ぶよとアドバイスをくれました。早速スーパーに行って桃を探したのですが、その日はあいにく桃は売っていませんでした。
 でも小さめのパイナップルがあり、匂いをかいでみると甘くけっこう強い香りがします。それでその日はパイナップルを買い、後日桃が売っていたので桃も追加しました。梅雨の高温多湿の時期で、冷蔵庫の外に置いているので痛むのは早いですが、それでも部屋中にパイナップルの甘い香りが漂っていました。
 千さんに聞いたら、妖精たちは果物の甘い香りを喜んでくれたといいます。

 さらに私が最近、重曹を飲むようになったことを妖精たちはどう思っているか聞いたら、「いろんな事に対応できるようになった」と言っているといいます。これは重曹を飲むことによって、私の身体が環境の変化(猛暑)や病気に対して対応力がついてきたという意味だそうです。そして、とても喜んでいるといいます。
 一つ重曹の効力で気づいたことがあったので報告しますと、アルコールが好きな人にはとても有効です。
 アルコールは弱酸性なので、アルコールを大量に飲むと身体が酸性に傾きます。私は晩酌でビールやワインを飲んだ後、寝る前に小さじ一杯の重曹をフルーツジュースに溶かして飲む習慣をつけました。これをやると、よほどアルコールを大量に飲まない限りは二日酔いしなくなります。アルコールをたしなむ方には、ぜひお勧めしたい方法です。

 最近の妖精たちの様子を聞くと、ぶら下がって遊ぶのがブームだそうです。
 そしてカミナリで喜んだといいます。ちょうどセッションの前日に家の近くでカミナリが鳴っていました。私はカミナリが落ちて電気製品が壊れるんじゃないかと心配だったのですが、妖精たちは無邪気なものです。
 今回も妖精たちに希望はないかと聞いたのですが、「今年は果実酒をつけましょう」という提案を受けました。
 我が家の妖精たちは果物が発酵した香りが好きとのことで、私が果実酒をつけて、その香りを一緒に楽しみたいそうです。
 果実酒と言えば梅酒を思い出しますが、もう時期は過ぎました。何がいいか千さんにアドバイスを求めると、ハッサクのような柑橘系なんかどうかと言います。でも妖精の方からプラムがいいという提案があったようで、今年はプラム酒に挑戦してみようと思います。


ジム・ロジャーズ節...2013年7月7日

 私の好きな投資家に、ジム・ロジャースという人がいます。
 投資をされない方はご存じでないかもしれませんが、昔ジョージ・ソロスと組んで伝説のクウォンタム・ファンドをやっていたと聞けば記憶にある方もおられるかもしれません。
 ジム・ロジャース氏はアメリカ人ですが、アメリカの将来に見切りをつけ、これからはアジアの時代だということで、現在シンガポールに住んでいます。ずっと以前から中国の台頭を予告していて、一人娘にはわざわざ中国語しか話せないメイドを付けるほどでした(ロジャース氏は、これで娘は英語より先に中国語を憶えることになるとご満悦でした)。

 そのジム・ロジャース氏の本が久々に出たので読んでみたのですが、相変わらず氏の話に魅了されてしまいます。
 今回は、『冒険投資家ジム・ロジャーズのストリート・スマート』(ソフトバンク クリエイティブ)から、ジム・ロジャース節ともいうべき論評をいくつか紹介したいと思います。

 まず最初に紹介するのは、米国のFRB(連邦準備制度理事会)の前の議長であったアラン・グリーンスパン氏に対する、ジム・ロジャース氏の酷評です。世界的投資家として相場に精通している人間から見たら、FRB議長の行動は、酷評するしかないほどひどいものにうつっていたようです。

 ・・・<『冒険投資家ジム・ロジャーズのストリート・スマート』、p146〜p148から抜粋開始>・・・

 グリーンスパンが任期中に、とりわけ1998年と1999年に市場に自律修正機能を許ていれば、ITバブルは回避できていたと思う。ウォール街の会社は、言わば森林火災も同然の過程を経て再生していただろう。ところが彼はバブルがはじけるとまたしても紙幣を印刷した。そして、住宅バブルと消費バブルを引き起こしたのである。どれだけ紙幣を発行すれば気が済むのか。自らの愚かさには目をつぶり、グリーンスパンは金融政策の失敗に「知性」というベールをかぶせようとした。

 ・・・(中略)・・・

 外に出てお金を使おう、頭金なしの変動金利住宅ローンで家を1軒、あわよくば2、3軒買おう、とグリーンスパンはーーたとえ買い手が無職だったとしてもーー相手構わず勧めた。住宅価格は絶対に下がらないという馬鹿げた前提のもと金利を低くして住宅の取得ブームを煽(あお)っていた。銀行は不良融資で天文学的な数字の手数料をかき集めていた。だが結局は有価証券としてリパッケージし売っていただけ、グリーンスパンの奨励でリスクを転嫁していただけであった。大学を出たばかりで市場経験皆無の、格付け機関に勤める26歳の若造が、毎週くず同然のデリバティブにトリプルAを片っぱしからつけていた。そういう馬鹿げた事態が起きている一方で、私や私の同類は「おやおや王様は裸だな」と言っていたのである。
 私はすでに2003年から住宅バブルが起きると警告していたが(『冒険投資家ジム・ロジャーズ世界バイク紀行』参照)、異常な熱狂のさなかでは懐疑的意見に信頼を寄せる人などほとんどいないというのがお決まりのパターンだ。懐疑論者は馬鹿にされるか無視されるかのどちらかだった。私はただバブルを予測しただけではなかった。ロ先だけではなく行動で証明した。シティバンク(1株50ドル)とファニー・メイ(1株60ドル)の空売りが間違っていないなら、これらの株価はどこまで下がるのか、と私は不信の目で質問された。
 「1株5ドルで買い戻しますよ」と私はマスコミやアナリストたちに言い続けた。
 もちろん、どちらも最終的には1ドル未満にまで下落した。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 次にジム・ロジャース氏の、現FRB議長であるベン・バーナンキ氏に対する酷評を紹介します。
 バーナンキ氏は、「ヘリコプターベン」というあだ名が示すように、ドルの輪転機を回すためにFRB議長の椅子に座らされたという指摘があります。ヘリコプターベンというのは、ドル紙幣を大量に刷ってヘリコプターで空から地上に撒くという意味です(もちろんこれは比喩で、本当に空からお札を撒くわけではありません)。
 そしてバーナンキ氏は、(ドルを大量に刷るという)量的緩和を3回もやって、その役目を見事に全うして現在に至っています。

 ・・・<『冒険投資家ジム・ロジャーズのストリート・スマート』、p151〜p163から抜粋開始>・・・

 FRB議長は、金融政策について年2回議会に報告しなくてはならないほか、その他多くの問題について証言するため議会に呼び出されることが多い。そういったさまざまな機会のうちの1つでバーナンキが証言しているところを見たことがある。そのとき私はホテルの部屋かどこかでテレビをつけていた。ドル安についてコメントを求められたバーナンキは、そんなことは海外旅行するアメリカ人以外にとってはどうでもいいことだ、と答えていた。私は手を休めてテレビ画面に映ったその男を注視した。虚言を吐いているのか、それとも本当に何もわかっていないのかを見きわめるために。こんな言い草はちょっとどうかと思う。普通のアメリカ人にとっては、太陽が東から昇るのかどうかなんて、その人が東方を見ていない限りどうでもいいこと、とでも言うようなものではないか。

 ・・・(中略)・・・

 ドル安はアメリカ人の買うものすべて、することすべてにあまねく影響を与えるし、ほかの国の経済活動もほとんどの場合が煽(あお)りを受けることになる。そんなことは誰でも知っている経済の基本だ。ドル安は取るに足りない出来事、と議会の前に証言したバーナンキは虚言を吐いているようには見えなかった。宣誓して無理やりしゃべらされていると思わざるを得なかった。そして私は、こちらが思っていたほどバーナンキは賢い人間ではないと理解するに至ったのだ。
 バーナンキが長年の間にしてきた表明や予測の数々を思い返してみると、正しいことをほとんどしゃべっていないことにすぐ気づく。彼は経済や金融についてほとんど何もわかっていないし、市場がどう自動修正するのかも知らない。通貨について理解していることと言えば、その印刷方法くらいのものだ。今の危機的状況は流動性の問題ではなく、債務支払能力の問題であることもまだ理解できていない。流動性なんかそこいらじゅうにあるのである。この危機か起こった理由の1つは、アメリカやョーロツパの中央銀行が10〜15年間、市場の流動性を高めすぎたからだ。要するに低金利で融資をしすぎたのである。そのせいで住宅バブルと消費バブルが起こり、バブルがはじけて信用危機の問題が残った。返済能力を超える債務を背負った国民、組織、政府は、借りたお金を返せなくなった。銀行はそんなくずみたいな紙切れを、すべてサブプライムローンの証券化商品に変えていたのである。債務支払能力がちゃんとある人たちはローンを組めないわけではない。問題は流動性ではなく、支払不能者の数があまりにも多いということなのだ。
 バーナンキはそれをわかっていないようである。1930年代の大恐慌では確かに流動性が問題だった。政府の誤った政策によって資金が枯渇し始め、銀行が流動性不足に陥ってシステム全体が崩壊したからだ。流動性と債務支払能力の区別ができないバーナンキは、現在の危機を1930年代の恐慌の再来と考えている。彼が生涯かけて待ち望んできたときが到来したのである。バーナンキは学者としての全キャリアを紙幣発行の研究に捧げてきた人物だ。ハンマーを持った男は見るものすべてが釘に見えるように、バーナンキに輪転機を与えれば全速力で回し続けることだろう。しかし多額の借金問題を解決するのに、さらに借金しているようでは解決にならない。紙幣を発行すれば国が富むというのであれば、ジンバブエは今頃世界一裕福な国になっているはずだ。

 ・・・(中略)・・・

 2008年より前の連邦政府の帳簿には、主に国債のかたちで8000億ドル記載されていた。その後、金額はほぼ4倍に増えたが、賃借対照表に記載されているものの大半はくず同然だ。誰かがその穴理めをしなくてはならなぃ。アメリカの納税者以外に誰がいると言うのだ?バーナンキは不良債権を買い続けると言う。そうすることで、中央銀行は確実に終焉へと向かう。すぐにでも状況が悪化すれば、連邦準備銀行は破綻前に廃止されるかもしれない。アメリカにはこれまで3つの中央銀行が存在したが、最初の2つは消滅した。現在の3つ目も間違いなく消え去ることだろう。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 文中にジンバブエが出てきましたが、ジンバブエはお札を刷り過ぎて世界最悪のハイパーインフレを起こした国です。
 2000年からの10年間で、物価が2億3100万%も高騰しました。2億3100万%のインフレと言っても、もはや想像もできませんが、間違いなく言えることは、お札が紙切れとなったことです。
 テレビのニュース報道や番組で、ジンバブエではゴミ捨て場にお札が捨てられている映像を観た方もおられると思います。そのお札は、現地で貧しい暮らしを強いられている子供ですら見向きもしません。ジム・ロジャース氏は、アメリカがジンバブエと同じ政策を取っていることを痛烈に批判しているわけです。
 とはいえ日本人の私としては、今のアベノミクスが黒田日銀を使って異次元緩和と言っているのは、ジンバブエと同じ政策を取っているわけで、ジム・ロジャース氏がアベノミクスをどのように見ているか聞いてみたいところです。

 次に紹介するのは、2011年に全米で活発化した富裕層に対する抗議デモ「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)」に対するジム・ロジャース氏の論評です。

 ・・・<『冒険投資家ジム・ロジャーズのストリート・スマート』、p241〜p244から抜粋開始>・・・

 1894年、アメリカは建国以来最悪の不況に見舞われて2年目に入っていた。この年の3月、オハイオ州マッシロンの裕福な実業家ジェイコブ・S・コクシーは、経済危機に手を打たない政府に抗議し、大がかりな公共事業による雇用創出を議会に訴えるため、人びとを率いてワシントンまでデモ行進をした。当時は1893年の恐慌によってもたらされた4年間の不況のクライマックスとも言うべき時期で、アメリカの労働人口のなんと5分の1が失業中だった。この不況中に倒産した事業は約1万5000、その中には500以上の銀行、ユニオン・パシフィック、ノーサン・パシフィック、アッチンソン・トピカ・サンタフェといったアメリカの主要鉄道会社も含まれていた。
 その春、アメリカ各地の失業者は数千人単位のグループを結成し、ワシントンを目指してデモ行進に出た。コクシーが率いていた「コクシーズ・アーミー(Coxey's Army)」もその1つで、首都にたどり着いたのは彼のグループだけであった。5月1日、ワシントンに着くやいなや、コクシーを含む500名のデモ隊は警察の攻?を受け、警棒で叩かれて国会議事堂の芝生から追い払われた。コクシーは国会議事堂で演説をぶつつもりでいたが、デモ隊は散り散りになり、コクシーとその部下たちは逮捕された。コクシーは、政府が彼に問うことのできた唯一の罪、議事堂の芝生への不法侵入により20日間拘留された。
 38年後の1932年、今度はピッツバーグのローマカトリック司祭ジェームズ・レンショー・コックスがペンシルヴェニアの失業者2万5000人を率いーーこちらは「コツクスズ・アーミー(Cox's Army)」として知られているーーワシントンまでデモ行進した。同じように公共事業によって雇用を創出すべく議会にかけ合うためで、当時、首都ワシントンDCで起こったデモとしては過去最大規模のものとなった。コックスはその年、失業者党(Jobless Party)初の大統領候補として大統領選に出馬したが、選挙の2ヵ月前に手を引き、フランクリン・D・ルーズベルトの支持に回ったのだった。
 逮捕の8日後、連邦議会議事録に記録されたジェイコブ・コクシーの1894年の演説には、ある上院議員の主張が名を伏せて引用されている。「25年間、金持ちはどんどん金持ちになり、貧乏人はどんどん貧乏になっていった。生存競争は激化する一方で、今世紀の終わりには中流階級はなくなっているだろう」
 どこかで聞いたおぼえはないだろうか? 「ウォール街を占拠せよ(Occupy Wall Street)」という最近のムーブメントが唱えたスローガンの出所もまた同じなのである。時代は変われど、こういった抗議は絶えることがない。
 ところで私はこの手の抗議運動の理屈には反対の立場を取っている。国民の1%が国家の富の大半を握っている、というのが彼らの主張だが、アメリカ国民の50%は連邦所得税をまったく支払っていない、というのがそれに対する私の回答だ。税金を払っている50%の人間を攻?しても問題解決にはならないのではないだろうか。少なくとも一部の人間は働き、貯蓄し、投資し、税金を払い、雇用を創出している。
 「家を持たない人間に他人の家を破壊させてはいけない」と言ったのはエイブラハム・リンカーンだ。「そのかわり彼に勤勉に労働させ、自分で家を建てさせるのだ。そして彼の家が暴力から守られるようにしてやるのである」
 大金持ちをけなす活動家には単純明快な数字をお教えしよう。最近ある証券会社がまとめた資料によると、大金持ちが作ったアメリカの株式会社42社が全世界で雇っている人間の数は総勢400万人以上にのぼるそうである。
 1960年代半ば、イギリスのハロルド・ウィルソン内閣は半導体産業の強化策を講じていた。これからはコンピューターや半導体の時代だーーそんなムードが世の中に満ちていたときである。しかし、ハロルド内閣はその計画を打ち切った。ある大臣の説明によれば、「半導体産業を推進すれば裕福になる人たちが出てくるが、大金持ちを生むのが我々の政策ではない」ということであった。当然ながら10年後、イギリス経済は破綻した。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 私がジム・ロジャース氏を好きなのは、私の気づかない視点を色々と教えてくれるからです。
 一般庶民の感覚からすれば、ジム・ロジャース氏は大金持ちだから、こういうコメントになるというところかもしれません。貧富の格差が拡大することは、社会を不安定化させる大きな要素であることは間違いありません。
 しかし賛否両論あると思いますが、物事にには常に両面があると認識するのは大事だと思います。報道によって世論は、常に偏った方向にに誘導されているように見えるからです。

 最後に紹介するのは、ジム・ロジャース氏の中国に対する論評です。
 私たちの感性からすれば、中国は共産党の一党独裁体制で、自由が大き制限されている国というイメージがあります。報道は検閲されて庶民には真実が知らされていないと多くの日本人は捉えていると思います。そんな日本人の感性からすれば、次のジム・ロジャース氏の論評は「へぇ〜」というところだろうと思います。

 ・・・<『冒険投資家ジム・ロジャーズのストリート・スマート』、p245〜p247から抜粋開始>・・・

 そこで思い出すのが中国である。アメリカの政治家が、中国共産党が独裁政権をしいていると非難しているのはご存じのとおりだ。ではその独裁政権とはいったいどれなのか? 独裁者とは誰なのか? その人間の名を挙げられるだろうか? 中国政府は5年ごとに変わるしくみになっており、1人の人間が2期より長くトップにつくことはない。そんなものは独裁政権とは言わない。
 中国の最高指導者になるには、厳しい徹底的なプロセスを経なくてはならない。その審査たるや実に綿密である。努力を重ね、下っ端から一段ずつ階段を上るように昇進していき、その間常に周りの審査にさらされなくてはならない。それを30〜40年続けてトップに上りつめるのだ。中国共産党には何百万という党員がいる。トップである総書記は彼らの総意のもと、全体会議で選出されるのである。総書記の候補者たる者は、それに先立つ数年間の準備期間中に自らの力量を示しておかなくてはならない。ある意味ではアメリカより優れたシステムなのだ。アメリカでは、金があってテレビ映りの良い者がそれなりのスーツと髪型でキメていれば大統領になれるのだから。
 国家主席でもある胡錦濤総書記は2012年に総書記を退任、2013年には国家主席の地位からも退くことになっている。また胡錦濤と権力を二分していた温家宝首相も同じく退任する。これら三役はいずれも説明責任と言う重責を担う役職だ。中国についてちゃんと勉強していれば、独裁制だの何だのとわけのわからないコメントをすることもないはずである。毛沢東の死後、中国には独裁者などいなかった。ロシアのウラジーミル・プーチンは独裁者である。プーチンは今日の中国のいかなる政治家よりも権力をふるっている。中国のようなシステムの中ではプーチンのような権力は手に入らない。中国の政治制度がベストだと言うつもりはないが、国内できちんと機能していることは確かである。その証拠に中国は現在繁栄しているのだから。
 30年前初めて中国を訪れたとき、ラジオ局やテレビ局や新聞はそれぞれ1つしかなかった。人びとの装いも1種類だけだった。だが今の中国には多数の放送局があり、何百万という人びとがインターネットにアクセスしている。街角では毎週のようにデモが起きている(中国政府によると2010年には11万件のデモがあったらしい)。大衆は自分たちにとって当然の権利と考えるものを要求し、不正地主や腐敗した官僚制に抗議している。そして抗議者たちは新聞や雑誌を発行している。21世紀の今では、もう何も隠しだてする必要などないのだ。民衆の怒りを受けた政府は腐敗官僚を投獄し、場合によっては死刑に処している。2011年12月には広東省のうかん村で村民による大規模な抗議運動が発生し、村の幹部が更迭に追い込まれた。その後有権者による直接選挙が実施され、運動のリーダーが新村長に就任している。民衆は自らのやり方で勝利を勝ち取ったのである。中国は大きく変化している。オランダなどの開かれた国々にはまだ及ばないものの、国家が開かれつつあることは間違いない。一連のプロセスに欠点があることは否めないが、それは私たちアメリカの政治制度にしても同じだ。中国に比べればアメリカの政治制度ははるかに緩く、リーダーたちの能力にそれが表れている。クリントン、ブッシュ、オバマ……もうこれ以上悪くなりようがないのではないだろうか?

 ・・・<抜粋終了>・・・


 私にとっては、ジム・ロジャース氏の論評は賛成、不賛成は別として、刺激に満ちたものです。


医療サギ...2013年7月1日

 当HPは、これまで現代医療の問題点をいろいろと指摘してきました。
 それゆえ私は、現代医療の暗部に対しては、ある程度慣れっこになっていたのですが、『これが「人殺し医療サギ」の実態だ!』(ベンジャミン・フルフォード、船瀬俊介著、ヒカルランド)を読んで、絶句する文章があったので紹介したいと思います。
 それは、病院にはお年寄りを殺す毒殺マニュアルがあるという話です。
 特別養護老人ホームと病院がタッグを組んで、お年寄りが老人ホームに入るときに理事長が預金通帳と判子を預かってしまいます。
 病院では、その預金通帳の残高に応じて、まだお金を取れるなら延命させるけれども、下(しも)の世話が大変になってコストがかかるようになると、毒殺マニュアルによって殺してしまい、次のお年寄りを入れるというのです。
 通帳の残高が200数十万円になるとその時期で、亡くなったら葬儀社とお坊さんが来てお葬式をあげさせ、その請求代が200万円で、きれいに預金通帳が空になる仕組みだといいます。
 驚くべきことに警察に訴えても、警察は民事不介入と理屈をつけ、動かないというのです。
 明らかな殺人事件なのに、警察が動かないという事実に、本当に驚かされてしまいます。


 ・・・<『これが「人殺し医療サギ」の実態だ!』、p26〜p31から抜粋開始>・・・

船瀬 お年寄りの毒殺マニュアルが病院に出回っている。
 羊や牛を殺すのと同じように殺す裏マニュアルがあることを僕は突き止めた。
 できるだけばれないように殺す。
 お年寄りを多く引き受ける病院では、下(しも)の世話が大変になってコストがかかるようになると殺して、次の人を入れる。

ベンジャミン カネがどれだけ取れるか計算して、まだ取れるなら延命させるけれども、もう取れなくなると姥捨て山の現代版です。

船瀬 そのとおり。埼玉のK病院に入っていたH・S子さんという84歳のおばあちゃんの場合、特別養護老人ホームと病院がタックを組んで、老人ホームに入るときに理事長が預金通帳と判子を取る。
 恐ろしいでしょう。
 おばあちゃんが返してくれと言うと、「このおばあさんは認知症で取られ妄想だ」と。
 新聞も読んでいるし年賀状も書いている、頭のいいおばあちゃんなんだ。向精神薬を拒否すると、おかゆの中に入れる。不眠症になってだんだんおかしくなってくる。すると、認知症だということで、さらに薬漬けにする。
 「そろそろ殺すか」という段になると、肺炎ということで提携病院に送り込む。
 咳(せき)もしてなければ熱もないし、酸素飽和度を調べると99%で、パーフェクトで異常なし。
 それでも肺炎だとうそをついて入院させる。
 恐ろしいのは、診断する前にすでに1週間の投薬リストがちゃんとある。そうして、26種類の薬を飲まされる。
 結局、このおばあちゃんは17時間後に白目をむいて死んでしまった。

ベンジャミン その話はどこから聞かれたんですか。

船瀬 相談を受けたんです。
 医療被害を防ぐには、まず第1に医薬品添付文書を絶対に手に入れなければいけない。
 その後、弁護士に頼んで証拠保全手続きを取る。
 Hさんの娘さんはそれをやった。膨大な資料を手に入れて、支援者がネットで徹底的に調べたら、これは殺意があるということがわかった。
 内科医の内海聡(さとる)先生に意見書を書いてもらったんですけれども、「これは確実に殺人ですよ」と言われた。
 殺人には1アタック、2アタック、3アタックとステップがあって、必ず死ぬ仕掛けがある。最初のアタックは高速点滴です。高齢者は最低で1日1.3リットル、マキシマムで1.6リットル、平均で1日1.5リットル以上点滴すると命に関わる。体の中に過剰な水分が入ると、肺に水がたまって肺水腫を起こす。
 要するに、体の中で溺れて死んでしまう。Hさんは、半日で5.7リットルぐらい点滴されているんです。

ベンジャミン 警察は動かないんですか。

船瀬 遺族は警察に連絡したけれども、民事不介入だとつっぱねられた。
 それで遺体を焼却するのを待ってくれ、解剖してくれと頼んだけれども、病院側は証拠隠滅のために焼いてしまった。
 ベストセラーになった『大往生したけりや医療とかかわるな』という本を書いた中村仁一先生に取材したときに、「香典治療」というのがあるとおっしゃっていた。
 お年寄りが危なくなると、それっとばかりに薬をバンバン入れて、点滴をガンガンやる。
 死ぬとわかったら、稼ぎどきだ。ここぞとばかり薬を入れるわけです。稼ぎどきではなくて殺しどきだ。
 Hさんの場合、もっと恐ろしいことがわかった。
 処方された26種類の薬は、全部併用禁忌(きんき)の薬だった。
 一緒に取るときわめて危険という組み合わせの薬ばかりだった。
 これは偶然では起こりえないので、完全に殺意がある。
 これはK病院のような金儲けだけの頭の緩い病院では考えつかない。
 殺意があった。毒殺マニュアルがあったと判定したのは、肺炎と言っていながら酸素飽和度の検査をやっていることですね。
 自分たちの言っていることを否定する検査を一生懸命やっている。
 彼らは意味もわからず、ただ”毒殺マニュアル”に従って投与している。
 死後、預金通帳には200何十万円しか残っていなかった。おカネがなくなったら、即座に殺されるわけです。
 亡くなった後が、またすごい。
 臨終間近になると連絡するのか、亡くなったらすぐに葬儀社と坊主が来て、家族7人だけでひっそりとお葬式を挙げたのに、その請求額が200万円。
 Hさんはクリスチャンなのに、内訳を見たら戒名代とある。
 だから、老人ホームや精神病院、K病院、葬儀社、坊主、と全部連携システムができている。
 そして預金通帳は空っぽ。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 次に紹介するのは、抗がん剤の恐るべき利益率とそのルーツです。
 当HPでは、日本人の死因1位となった癌の3大治療である、切除手術、抗がん剤、X線の危険性を何度も指摘してきました。
 今回は、抗がん剤のルーツが、戦争時に毒ガスとしてつくられたマスタードガスだったという話です。


 ・・・<『これが「人殺し医療サギ」の実態だ!』、p59〜p63から抜粋開始>・・・

船瀬 みんながおかしいと思い始めた。病院に行ったら危ないぞと。
 僕は講演のときに必ず言うのは、ペグイントロンという一番高い抗がん剤は1グラムが3億3170万円する。マイクログラムまで薄めて使っているけれども、それでも1回当たり何十万円もする。

ベンジャミン 利益率何万%というやつでしょう。

船瀬 白血病はがんではないと僕は一生懸命訴えている。
 『がんの盲点一白血病はがんではない』(大沼四廊著 創英社)は正しい。
 ストレス、過労でくたびれた白血病をがんと勘違い。
 さらに、血液は腸管造血されているのに、誤った骨造血説を妄信している。だから、超猛毒、抗がん剤治療も骨髄移植もコッケイのきわみ。
 白血病はとにかく徹底休養すれば治る。それを猛毒の消炎解熱剤や抗がん剤、マイロターグなどで”毒殺”している。
 白血病は、完全な医原病です。しかし、本人も家族も騙されて永遠に気づかない。
 マイロターグという市川団十郎を殺した超猛毒の白血病の治療薬は、1グラムが4800万円です。家が1軒建つ。
 こんなのがゴロゴロある。
 血液製剤だって、1グラム700万円。暴利も暴利、めちゃくちゃ。
 だから、みんな目を覚ませ、検査は受けるな、薬は飲むな、病院に行くな。
 抗がん剤のルーツはマスタードガス、シクロフォスファミドで、広島にある大久野島という毒ガス島で日本軍も1000トン単位で作っていた。
 そこでは6500人の従業員が働いていたんですが、広島大学の研究によると、がんでバタバタ死んでいて、がん死亡率は平均の41倍で、肺がんに限ると50倍。ところが、戦後、医学界はマスタードガス(イペリット)をそのまま抗がん剤に変えている。
 これをやったのはロックフェラーで、治療実験した医者はそれでノーベル賞を受賞した。
 1000トン単位で作った猛毒の戦争廃棄物をグラム単位で売って大儲けするなんて、完全に狂っている。悪魔と死に神だ。
 超猛毒で、原液を打つたら即死します。
 それをみんな行列を作って打ってもらっている。
 急に死んでは困るから、薄めて使っているけれども、それでも死ぬ。
 40倍、50倍の発がん死亡率がある大量殺戮の毒ガスを薄めて、がん患者に打っている。

ベンジャミン その人の財産に対する毒を飲ませる割合を書いた表が絶対あるんです。こいつは2年生かそう、こいつは半年生かそうと。

船瀬 731部隊の人体実験のデータを全部参考にしているわけです。
 どこまで打ったら死ぬか、どこまでなら死なないか。そのほんの少し下でやっている。
 もっと恐ろしいのはぜんそく薬で、それは有効量の3倍を投与したら死ぬ。こんなのは個人差を考えたら毒薬です。
 白血病治療薬マイロターグは、投与すると90.5%が死ぬ。もう生き地獄です。
 だから、病院に行ってはいけない。
 医者を信用するな。僕は医療のことをとことん調べたけれども、掘れば掘るほど、うそだらけです。
 ロバート・メンデルソンの『医者が患者をだますとき』という本が草思社から出ています。
 メンデルソンは、僕が非常に影響を受けて尊敬しているかたです。アメリカでいまだに最も尊敬されている小児科医です。
 この方は亡くなっているんですけれども、僕は殺されたと思う。なぜなら、彼は「現代医学の神は、唯一1人しかいない、それは死に神である」と、はっきり言っている。
 1973年にイスラエル全土で病院がストライキに入ったら、奇妙な現象が起こった。
 エルサレム埋葬協会データによると、死亡率が半減して、1ヵ月後に再開した途端にもとに戻った。
 ということは、2人に1人は病院で殺されている。
 メンデルソンは「医者は永遠にストライキを続けるべきだ」と言ったんです。
 同じ現象が1976年にコロンビアのボゴタでも起こって、そのときのストは緊急救命医療はやった。
 それでも死亡率が35%減って、1ヵ月半後に再開したら、もとに戻った。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 最後に紹介するのは、抗精神病薬の問題です。
 実は私の知人で、病院で抗精神病薬を処方されているうちに、抗精神病薬を手放せなくなった人がいます。
 私はその人に、非常に辛いとは思うけれども、抗精神病薬を飲まないように勧めました。でも、やはり手放せないといいます。その時私が思ったのは、医者が意図的に薬物依存症の人間を生産しているということでした。


 ・・・<『これが「人殺し医療サギ」の実態だ!』、p205〜p208から抜粋開始>・・・

船瀬 抗精神病薬の問題もあります。
 抗うつ剤のSSRI、パキシルがその代表ですけれども、これについてはイギリスの精神医学者リリー博士が命をかけて告発している。それは、自殺を10倍増やすということです。それだけではなくて暴力衝動とか犯罪衝動も同じレベルで増やす。
 攻撃が自分に向いたら自殺、他人に向くと殺人。
 今、わけのわからない異常な犯罪が増えているし、若い人の自殺の原因を調べると9割が精神病薬を処方されている。
 うつ病でメランコリックになって自殺されたら困るから家族は本当に心配するのに、病院に連れていったら自殺のリスクが10倍になる。
 リリー博士は、それを講演でしゃべっただけで大学をクビになった。

ベンジャミン 今、アメリカの小学生の5人に1人が、じっとしていられないということでリタリンという精神安定剤を飲まされているんです。

船瀬 リタリンは一種の麻薬です。アメリカの子どもたちは薬漬けでかわいそうですね。

ベンジャミン 抗うつ剤はかなりひどいという結果がいろいろ出ているけれども、銃の乱射事件はほとんど薬が絡んでいる。

船瀬 2人の高校生が学校で銃を乱射して多数を殺戮し全米に衝撃を与えたコロンバイン高校の事件で犯人2人が使っていたのもSSRIですし、全日空機の機長を刺し殺した犯人も抗うつ剤を使っていたことは明らかなんです。

ベンジャミン カナダで白鳥を犯した男がいて、裁判では薬のせいにしていた。

船瀬 白鳥がえらい迷惑だ。
 非常に大事なことだから知ってもらいたいのは、アメリカで記録的に売り上げを伸ばしている精神安定剤のジアゼパムの医師向け添付文書の適応症を見ると「不安、疲労、うつ状態、激しい感情の動揺、震え、幻覚、骨格筋のけいれん」と書いてあって、副作用を見ると、「不安、疲労、うつ状態……」と、まったく同じことが書いてあるんです(笑)。
 適応症と副作用が同じ。だから、これを投与してもっと不安になったら、これは副作用なのか、病状が進行したのかわからない。
 ブラックユーモアですよ。これが世界で最も売れている精神安定剤なんです。
 さらにブラックユーモアは、こういうパラドックスをユーザーは誰も知らないということです。

ベンジャミン みんな添付文書を読んでないからね。

船瀬 はっきり言えば、飲めば飲むほど精神症状がひどくなる。それが目的なんだ。それから、依存性があるから中毒になる。
 覚醒剤はよくないと言うけれども、向精神薬はみんな覚醒剤のようなものです。
 精神科医がジャンキーを作っている。僕は白衣の売人と呼んでいる。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 なにより私たちに必要なことは、医療現場で起こっている現実を知ることだと思います。
 そして病気になったら、医者まかせにしないで、自分でも情報を集め勉強することだと思います。


老化について...2013年6月22日

 最近私は、老化に関して間違った認識をしてきたのではないかと考えています。
 人は、(いえ生命なるものはすべて)、年齢を重ねていけば必ず老いるものであると思っていました。それはそれで間違っていないと思うのですが、歳を取ればヨボヨボになるのは当然と考えていたのです。肌の艶はなくなり皺が増え、筋力は衰え萎縮し、身体の柔軟性は失われる。髪は薄くなり、運動能力の低下と伴に思考速度や記憶力も低下する。若々しい瑞々しさは失われ、身体も小さくなり干からびたようになる。
 そうしたことは事実なのですが、必ずそうなるものと決めつけていた気がします。
 科学の分野でも、生命には一定期間生きたなら、生命活動を停止する機能が備わっていると説明されています。
 私たちの身体では、細胞が絶えず生まれ変わっていますが、その回数には限度があると言われています。
 一定回数の分裂をすると細胞が自然に死ぬ「命の導火線」が用意されているといいます。
 その「命の導火線」について説明した文章を『50歳を超えても30代に見える生き方』(南雲吉則著、講談社新書)から抜粋して紹介します。

 ・・・<『50歳を超えても30代に見える生き方』、p33〜p36から抜粋開始>・・・

 寿命は何によって決まるのか

 この「命の導火線」に当たるのが、細胞の染色体の端にある「テロメア」という部分です。大事なポイントなので、もう少し詳しく解説しましょう。
 マイケル・ジャクソンのCDは全世界で何億枚も作られていますが、いくらCDをたくさん作っても、中身が空っぽでは意味がありません。中に入っているマイケルの曲が正確にコピーされていることが大切です。
 これと同様に、細胞分裂も、細胞という器だけをコピーしているのではありません。中の遺伝子という情報をコピーしているのです。
 では遺伝子はどこにあるのでしょう?
 細胞には核という目玉のような形の器官があり、この中に46本の染色体が収まっています。染色体は2本のDNAのより糸でできていて、このDNAの中にさまざまな遺伝情報が書き込んであるのです。
 さて、DNAはより糸だといいました。
 より糸はほつれる可能性があります。そうなるとDNAが絡まり合ったりちぎれたりして、遺伝情報が正しく伝えられなくなります。
 皆さんが着ているパジャマやジャージのウエストにヒモが入つていますね。このヒモが洗っているうちにほつれないように、端っこはどうなっていますか。
 答えは「結んである」。これと同様に、DNAの端にもほつれ防止の結び目がついていて、これが「テロメア」と呼ばれています。テロとはギリシア語で「端」、メアは「部分」、つまり「端っこの部分」という意味です。
 さて、マイケルのCDは最初に作った原盤の情報を正確にコピーして全世界に配布されています。世界中どこで聞いても原盤と同じ内容です。コピーしていくうちに雑音が入ったり音がかすれたりしてはいけないでしょう。
 生殖細胞が何兆個にも分裂するときも、DNAや端っこのテロメアが正確にコピーされ、同じDNAを持った細胞が次々と生まれていきます。途中で隣のおじさんのDNAに置き換わったりしないのです。
 このコピー(複製)をしているのが細胞内の複製酵素。DNAには「DNAポリメラーゼ」、テロメアには「テロメラーゼ」という複製酵素が働きます。
 ただ面白いのは、この二つの複製酵素のうちテロメラーゼは、この世に誕生した途端に働かなくなってしまうこと。つまり、DNAは出生後も複製されますが、テロメアは複製されないので、細胞分裂するたびにどんどんすり減っていきます。コピー機のインクがなくなれば印刷ができなくなるように、テロメアがなくなればそれ以上細胞分裂ができなくなり、細胞は自然死(アポトーシス)を迎えます。
 テロメアが「命の導火線」になっていることがわかるでしょう。テロメアの消滅が無限に続く細胞分裂に歯止めをかけ、それぞれの生物に固有の寿命を決定しているといえるのです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 こうした説明を聞いていれば、人は歳をとれば自然に老いて死んでいくもの、というあきらめの境地にもなろうというものです。
 ただ私の記憶では、テロメアの消滅によって人間の寿命は決められているが、それは120歳であると言っている科学者がいました。もし事故や病気をしなかったと仮定すれば、人間は理論上120歳まで生きられるというのです。
 しかし実際には、人はそれよりずっと早く寿命を迎えます。
 厚生労働省の発表によれば、2011年の日本人の平均寿命は、男性が79.59歳、女性が86.36歳(平均82.59歳)だそうです。
 先進国の中では最も長寿と言われる日本でも、理論上の120歳の3分の2しか生きていないというのが現状です。しかも、平均寿命近くになれば身体が不自由になり、介護施設で後は死を迎えるだけという日本人も多いと聞きます。
 一番良いのは、120歳近くまでピンピンと生きて、120歳ぐらいでコロリと往くという生き方です(ピンピンコロリのことを略してPPKと言うらしいです)。

 誰しも歳をとって死を意識するようになれば、ピンピンコロリを望むと思いますが、現実はそうなってはいません。
 私もそうでしたが、多くの人々は歳をとればヨボヨボになるのは仕方ないし、ある意味当然だというあきらめの境地にあると思います。
 しかし私は、ランドーン博士を知り、こうした認識は間違っているのではないかと考えるようになりました。

 歳をとればヨボヨボになるというのは自然の摂理ではなく、単純に食生活が原因ではないかということです。
 私がそう確信した現象を紹介したいと思います。ランドーン博士の理論により、身体を浄化するために蒸留水を飲むようにしたのですが、その蒸留水を精製する機器を見て、慄然としたことがあります。
 それは蒸留水を精製する過程で摘出された石灰質の塊りを機器の底に発見したときです。
 その写真を紹介します。
 左が10回ほど精製器を使った後に機器の底に溜まった石灰成分です。全体に灰色っぽくなっています。
 右がクエン酸を使って石灰成分を取り除いた後の機器の底です。光輝いていて、全く違うことがわかります。


    
蒸留水を精製した後にでた石灰成分     本来はこんな感じ


 たった10回程度で、これほど違うことに驚きました。
 ちなみに蒸留水を精製する水は水道水ですが、浄水器を通した水です。しかも浄水器はフィルターを交換した直後です。これからわかることは、浄水器を通しても石灰成分は除去できないということです。
 精製器の底に溜まった石灰成分は、一言で言えばコンクリートのようなものです。台所で一般的に使われる食器洗い用のスポンジで必死にこすっても全く落ちません。ちょうど紙やすりのようになってしまい、スポンジがすり減るだけという感じです。精製器の説明書きには、石灰成分を取り除くために、精製器に水を入れ、さらにクエン酸を入れて煮沸する方法が指示されています。やってみたのですが、クエン酸を入れて1時間以上煮沸しても、完全には石灰成分を取り除けませんでした(上の写真ではよくわかりませんが、石灰成分がところどころ残っています)。
 私は肌寒くなってきました。
 こうした水を、人は何十年間もの間、身体に取り入れてきたのです。
 食事や飲料水によって、石灰成分のようなコンクリートをイメージさせるような物質が身体に少しづつ蓄積されているのです。
 そうだとすれば、歳を取れば身体の柔軟性が失われるのは当然という気がします。というか、これで身体が固くならなかったら、そっちの方が奇跡に思えます。当HPの5月16日の記事「ブラウン・ランドーン博士の提唱する老化の原因」の中で、ランドーン博士の父親の病死後の検死で、心臓の内壁3センチのうち1ミリから4ミリほども石灰がこびりついて固まっていたという話を紹介しました。
 老化というものが、身体に溜まった様々な有害な物質が引き起こすとしたら、私は石灰成分はその最右翼のように思えます。


 ランドーン博士によれば、身体を浄化する一番の方法は、蒸留水を飲む(料理にも使う)ことだといいます。
 次にランドーン博士が推薦するのは、新鮮な果物や野菜の水分です。これらも身体に溜まった老廃物を除去してくれるそうです。私はこの話を聞いて、ふと思ったことがありました。それは日本人の平均寿命の男女間の差です。男性が79歳で、女性が86歳です。同じ日本人で同じような食生活をしているのに、7歳も差があります。もちろんこれには色々な原因があるのでしょうが、一つの原因は女性が男性より果物や野菜を好み、多く摂る習慣があるからではないかと思ったのです。

 さて私の蒸留水生活ですが、1ヶ月を迎えました。
 たった1ヶ月なので、それほど大きな変化はないだろうと思っていましたが、少し兆候的なものが現れたので報告します。
 まず皮膚の表面のシミのクロズミが薄くなってきた気がします。それと連動して、(尾籠(びろう)な話ですが)おしっこの色が以前と比べて茶色く濃くなった感があり、身体の老廃物が少しづつ体外に出ている感触があります。鏡に映る私も顔も、なんとなく若返った感があったので、半分冗談のつもりで、千さんに印象を聞いてみたのです。すると千さんが、以前と比べて若返っていますと答えてくれました。まあリップサービス的な部分もあるかもしれませんが、冗談を言わない千さんがそう言うのですから、そんな気配もあるのでしょう。さらに、これは蒸留水が原因かどうかはっきりしないのですが、体重が1kgほど減りました。
 私は、これまで加速してきた私の老化が、ストップしたかもしれないと内心期待しているところです。

 ランドーン博士の記事に、全身が動脈硬化で身動き出来なかったダイヤモンド船長が、80歳から浄化を始めた話がありました。
 80歳からの浄化で、完全に浄化するのに9年掛かったとありました。当然ながら高齢になればなるほど、身体に老廃物が溜まっている割合も多くなるだろうし、新陳代謝機能も若い人より落ちているので、浄化に時間が掛かるのは当然という気がします。私は50代なので、浄化に4〜5年は掛かるだろうと考えていました。そこで千さんのお爺ちゃんセッションで、聞いてみたのです。するとやはり、4〜5年掛かると言われました。
 この4〜5年をどう見るかです。
 長いと見るか、短いと見るかです。知り合いに4〜5年掛かると言うと、「そんなに(長く)掛かるんですか!」、と驚かれました。でも私は、全然気になりません。4〜5年経ったら、20代、30代の若々しい身体が手に入ると思えば、やる気満々です。まあ、人間は希望が大事ということでしょうか。

 ところで掲示板に話題になった重曹の適量についても千さんに聞いてきたので、報告します。
 1日ティースプーン1杯ぐらいが目安とのことです。ティースプーン1杯が何グラムが聞いたところ、3gぐらいという答えでした。1日3回で、一回に1gづつという化学合成された重曹の処方箋と同じだとわかりました。
 でもこれは一生続けるものではなくて、3ヶ月やったら3ヶ月休むというふうに、飲む時期と休む時期を交互に繰り返すとよいという答えでした。
 私は掲示板でeggさんが紹介されていたARM&HAMMAR社の「pure Baking Soda」を購入しました。
 化学合成されたものは本当に不味いと感じたのですが、こちらは(美味しいとは言いませんが)大丈夫です。特にフルーツジュースに混ぜて飲むと、ほとんど気になりません。やはり天然物だからでしょうか。
 また掲示板に内モンゴル産の「シリンゴル重曹」について書かれていたのでお爺ちゃんに聞いてみると、量がとても少ないという答えでした。市場で買えるなら買いたいのですが、難しそうです。

 最後に私のような酒飲みが気にしそうな話題です。
 石灰成分は水道水のみならず、井戸から汲んできたものであれば必ず含まれています。スーパーで売っているミネラルウォーターも例外ではないと思います。だとすれば、私の好きなビールにも当然含まれているはずです。私が住んでいる地域に、サントリーのビール工場があって、この前(3度目の)見学に行ってきました。そこでビールを造る過程を紹介した映画を見たのですが、やはり井戸水を使っていることがわかりました。そこでお爺ちゃんに石灰成分を身体に取り入れないという意味で、ビールを飲まない方がいいのか聞いてみました。
 すると「量による」という答えでした。ビールには水道水よりは石灰成分は含まれていないとのことで、それほど神経質になる必要はないということでしょう。さらにワインは果汁から造られるものなので、石灰成分は含まれていないのではと聞いたところ、その通りだといいます。
 私は、ビール党を止めてワイン党にするか、悩もうかと思っています。


Yさんに現れたUFO...2013年6月15日

 私が主催しているスピリチュアルセミナーですが、今年の2月23日に第2回目を行いました。
 その2回目のセミナーに参加されたYさんにUFOが現れたというお話をしたいと思います。

 スピリチュアルセミナーは東京の西部に位置する立川で行っています。それゆえ岩手県に住まわれているYさんは、セミナーに参加する際には東京の親戚の家に泊まられるそうです。
 2月23日のセミナーに出席され、その後の懇親会にも参加されたYさんが親戚の家に行った夜のことです。
 その親戚さんは「最近東京でUFOを見るときがあるよ」と言われていたそうですが、その夜親戚さんがベランダからYさんに声を掛けてきたそうです。

 「来てるよ!今までにないほどはっきり見える!早く見てみて! きっと○○さんに挨拶してるんだよ(?)」 (注)○○はYさんの名。

 と、呼ばれたそうです。
 Yさんがその4階のベランダから外を見ると、UFOらしき光点が見えたそうです。Yさんが親戚さんになんかのビルや塔の光ではないかと聞くと、日中にはその場所には何にもないという答えです。
 Yさんはその光を次のように表現されています。

 「光は横や縦に移動していました、そして、1個になったり3個になったり光方が大きくなったり小さくなったりしていました」

 そしてあわてて写真を連続で撮られたといいます。
 そのYさんが撮られた写真ですが、私(本山)に20枚送っていただきました。
 下の写真は、そのうちの1枚です。



 夜景の下半分に、うっすらとビルの輪郭が見えます。
 4つの光点が見えますが、下の2つはそのビルの灯りだと思います。



 私は直感で、これはUFOに違いないと思ったので、千さんのセッションで聞いてみることにしたのです。
 そのセッションで、千さんに上の写真を見せながら、これはUFOですかと質問しました。すると写っていたのは、やはりUFOだという答えでした。さらにUFOがYさんの下に現れた理由が興味深いものでした。

 UFOは、Yさんに写真に写されるのを承知で姿を現したそうです。
 UFOの乗組員は、アルクトゥルス星のイスファール地区の住民という答えでした。YさんとそのUFOの乗組員は潜在的な所で繋がっているそうです。
 彼らからYさんにメッセージがあって、それは「動きなさい」「そのタイミングが来た」というものだそうです。仕事に関するものだそうです。

 私はこの答えを聞いて、思わず「あっ!」と声を上げそうになりました。
 というのも、セミナーの後の懇親会でYさんの隣の席に座ったのは私で、その際にYさんが今の仕事を辞めてスピリチュアルな仕事に専念するか考えているという話を聞いていたからです。私は千さんに、UFOの乗組員は、私を通じてYさんにメッセージを伝えるということまで想定して姿を現したのかと聞いたのですが、そうだとのことです。私はあっけにとられてしまいました。こんなことがあるのか・・・、という思いです。
 私はあくまでもメッセージを伝達しただけなのですが、面白い体験をさせてもらいました。


木村秋則さんの友人の話...2013年6月6日

 当HPでは、これまで何度か奇跡のリンゴで知られる木村秋則さんを紹介してきました(その木村さんの体験が映画化されるようです)。
 今回は木村さんの最新刊『ソウルメイト 奇跡を支えた魂の絆』から、木村さんの友人の話を紹介したいと思います。

 まず木村さんが絆という言葉に関して述べている部分を紹介します。

 ・・・<『ソウルメイト 奇跡を支えた魂の絆』、p166〜p167から抜粋開始>・・・

 「絆」という言葉の意味とは

 東日本大震災のあと、「絆」という言葉があちこちで聞かれるようになりました。
 日本がひとつになって被災地の人たちを支援しようという気持ちが、この絆という言葉に集約されたようです。
 被災地のためにみんなで力を合わせようという姿勢には、私も大賛成です。一人ひとりができることをやる。思いを行動にして表す。そうすれば小さな力が集まって、大きな力になるでしょう。
 しかし、絆という言葉の本来の意味は、また別ではないかと私は考えています。
 絆という文字は、糸へんに「半」。糸を半分に分けると書きます。
 細く撚(よ)り合わせた糸を半分に分けることは、なかなかできません。それくらい固く結びついている関係を、絆と呼ぶのではないでしょうか。
 「夫婦の絆」とよく言います。生涯を共にし、死んだあとも一緒の墓に入るくらい特別な結びつきを持つ夫婦には、絆という言葉がしっくりきます。
 何が起きても引き裂かれない強い関係が絆であり、絆で結ばれた存在同士をソウルメイトと呼ぶ。私はそう思うのです。
 全国から被災地に物資やボランティアが集まったのは、「何とかして力になりたい。助けになりたい」という支援の気持ちの表れ。「同じ日本人として、東北の人たちを支えたい」という思いでしょう。それを表現するとしたら、「友愛」という言葉がふさわしいのではないでしょうか。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 友愛ですか、なるほどです。
 ところで木村さんは、ソウルメイトを「何が起きても引き裂かれない強い絆で結ばれた存在同士」と言っていますが、スピリチュアル的に言えば、ソウルメイトには別の表現があります。固く信頼しあうというポジティブな関係だけでなく、ネガティブな関係であっても、ソウルメイトであることもあります。でも今回はそういうスピリチュアルの言葉の意味にこだわる場でないので、止めておきます。
 まず木村さんの義父が戦争中に体験した、人間の絆というものを考えさせられるエピソードを紹介します。

 ・・・<『ソウルメイト 奇跡を支えた魂の絆』、p167〜p168から抜粋開始>・・・

 人間同士の絆の強さに、感動せずにはいられない話を聞いたことがあります。義父が戦争中、南方に出征していたころの戦友とのエピソードです。
 太平洋の戦局が転機を迎えていたころ、義父が所属していた部隊はラバウル、ソロモン諸島のガダルカナルと、過酷な戦況のなかを転戦していたそうです。食料も乏しく、戦友たちは一人また一人と倒れていったといいます。敵の攻撃で亡くなった者もいれば、マラリアなどの病気で命を落とした者もいたそうです。
 そんな状況下で義父が共に戦ってきたある戦友が、マラリアで危篤状態になりまLた。もちろん見捨てることはできません。義父たち4人は戦友を木でつくった担架に乗せ、交代で運んだそうです。弱った戦友の目玉にハエがたかって卵を産みつけるので、貴重な水で洗い流してあげながら、何日も連れて歩いたと言います。
 しかしある日、空からグラマン戦闘機が義父たちを襲いました。仕方なく戦友を木の根元に置いて自分たちも木陰に隠れたそうです。攻撃が終わって戻ってみると戦友はすでに息絶え、ハエがたかっていました。
 ところが、攻撃はそれで終わったわけではありませんでした。すぐにまたグラマンの攻?が始まり、義父はあわてて木のそばに身を隠しました。激しい機銃掃射。雨あられのように銃弾が降り注いだそうです。すると突然、動くはずのない戦友の担架が倒れ、義父に覆い被さってきました。その瞬間、担架に銃弾が当たり、義父の命は助かったのでした。
 義父には、戦友が身代わりになってくれたとしか思えませんでした。
 死んでも人の心は生きるということを自分の身をもって知ったといいます。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 ではここから木村さんの親友のヤマさんの話を紹介したいと思います。
 文中に出てくる「かまどけし」の意味ですが、家や財産を失うことを「かまどをけぁす」と言うとのことで、放蕩して財産を無くした人を指す言葉のようです。
 とはいえ木村さんは放蕩したわけではなく、無農薬でリンゴを育てるという前代未聞のチャレンジをしたわけですが、その為に家族は極貧の生活を強いられるようになります。木村さんの周りの人間は、そうした木村さんをかまどけしと言って非難します。
 次に紹介するのは、リンゴの無農薬栽培に挑戦した木村さんから、友人達が去って行った話です。


 ・・・<『ソウルメイト 奇跡を支えた魂の絆』、p169〜p171から抜粋開始>・・・

 「かまどけし」と呼ばれた日々を支えてくれた2人

 津軽地方には「けやぐ」という言葉があります。意味は親友、無二の友人のこと。私は「けやぐ」というとヤマさん(山崎隆さん)とアキ(太田昭雄さん)の顔が思い浮かびます。2人とも大切なけやぐなので、女房以外のソウルメイトは誰かと聞かれれば、この2人の名前を挙げます。
 2人は、誰ひとり見向きもしなかった時代に、私を支えて励ましてくれました。
 今の私はたくさんの人と楽しくおつき合いさせてもらっていますが、若いころも多くの友人に恵まれていました。家で飲み会を開くと、入りきれないくらぃの人が集まったものです。
 農業を始めてからは堆肥づくりを仲間に教えるようになり、化学肥料を減らして新しい農業に取り組んでいこうという学習グループのような集まりも開くようになりました。
 けれども、無農薬栽培を始めると状況は一変しました。1年、2年とたつうちに次第につき合いが遠のき、3年目には、誰ひとり我が家へ寄りつかなくなったのです。
 考えてみれば、当然のことでした。私は言わばじょっぱり、頑固者です。
 だから、友人が親身になって「無農薬裁培は無理だ」と忠告してくれても、まったく聞く耳を持ちませんでした。
 相手は心配してくれているのに、かたくなな態度で突っぱねるのですから、腹を立てるのも仕方ありません。しかし、酒を酌み交わし楽しい時間を過ごしてきた友人たちからいっせいにそっぽを向かれるのは、言いしれぬ寂しさがありました。
 道ですれ違って挨拶しても、誰もいないかのように無視され、「かまどけし」「ほんつけ(バ力)」など、ここまで人を嘲笑できるのかというほどの言葉も聞こえてきました。
 「あれほど仲が良かったのに、友達って何なのだろう」と、さすがの私も落ちこみました。
 潮が引くように離れていった友達のなかで、唯一残って支えてくれたのが、アキです。そして、リンゴが実るようになったばかりのころに出会い、さまざまな面で後押ししてくれたのがヤマさんです。
 アキもヤマさんも人生のどん底にいた私と損得抜きでつき合い、助けてくれました。
 お礼を言えば、2人とも「なーんも、なんも。わ(オレ)だっきゃ、何もしてねえじゃ」と言うでしょう。私を助けてあげているという意識などみじんもなく、「ただ自分にできることをやって、ちょっと手を貸しただけ」なのだと思います。
 恩着せがましいところがまったくないこの2人の存在なしに、今の私はありません。
 私も、2人にもし何かあれば、すぐに駆けつけて支えるつもりです。
 切っても切れない絆が、2人のけやぐとの間には結ばれています。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 木村さんから多くの友人が去るなかで、2人の人間だけが木村さんを支えます。
 その一人であるヤマさんとの出会いを紹介します。


 ・・・<『ソウルメイト 奇跡を支えた魂の絆』、p171〜p174から抜粋開始>・・・

 ヤマさんとの出会い

 弘前市内にあるレストラン山崎のオーナーシェフ、ヤマさんこと山崎隆さんと初めて会ったのは、1989年。リンゴが実るようになって2年ほどたったころです。
 まだリンゴは小さく、畑には枯れ木も残っていました。それでも、私の心は明るく、新聞でもポツポツ取り上げられるようになっていました。
 ヤマさんは、地元紙・陸奥新報に載った記事を見て、私に興味を持ったそうです。といっても、その記事は私を紹介した記事ではありません。減農薬栽培関連の記事に、私の名前とリンゴのことが2行ほど添えられていただけです。
 当時、弘前でトップクラスのホテルの料理長だったヤマさんは、地元の上質な食材を探していました。それで、無農薬でリンゴをつくっている私に会いたいと思い、わざわざ新聞社に電話をかけ連絡先を聞いて訪ねてきたのでした。個人情報を読者に教えるなど今では考えられませんが、当時はまだのどかな時代でした。
 ヤマさんと私は初対面ですっかり意気投合し、会ったその日に何時間も話し込みました。ほとんど私がしゃべっていたのですが、その間、ヤマさんはずっと正座のまま聞いてくれました。
 ヤマさんは当時、有名ホテルの料理長としてすでに名前が知られた存在です。女房も垢抜けた服を着たヤマさんが、さっそうと我が家を訪れた日のことはよく覚えていると言います。そんなヤマさんがわざわざ訪ねてきて熱心に話を聞いてくれるので、私も嬉々として語ったのでしょう。ヤマさんは「あのときは、木村さんの話を聞いていて鳥肌が立った」と言います。私の目は、「キラキラ光っていた」そうです。当時、リンゴを本格的に販売するまでには至っていませんでした。しかし無農薬裁培に成功したという自信が、私の表情を輝かせていたのだと思います。
 近所で「かまどけし」と呼ばれていた私の評判を、ヤマさんは当時知りません。岩木山で死のうとしたほど苦労したことも、何年もあとになって新聞記事で知ったそうです。
 ただ、貧乏なのは一目でわかったはずです。ヤマさんは、「とにかくこの人を応援しなければ」と思ったそうです。決して同情心からではなく、「こんな人が弘前にいるんだ!」という驚きがあったようです。
 その日からヤマさんは、たびたび私の畑にやってくるようになりました。リンゴや野菜の話だけでなく、UFOの話や幽霊に会った話をしても、ヤマさんはバカにすることなく真面目に聞いてくれました。「この人がうそを言うはずはない」と思ったといいます。ヤマさんはその人の目の奥を見て、人となりを判断するそうなので、私が体験したことをそのままバカ正直に話していることをわかってくれたのでしょう。
 当時からヤマさんは、私の「広報部長」です。会う人ごとに「ねえ、木村さんって知ってる?」と私のことを熱心に宣伝し、レストラン山崎を開店してからは、店の前に私のリンゴ畑の写真を飾ってくれました。また、私たち一家をフランス料理のディナーに招待してくれたり、畑の野菜をレストランで使ってくれたり……。
 無名だった私が不思議な縁でテレビに出て、今のように多くの方に名前を知っていただけるようになったのは、ヤマさんが事あるごとに「広報活動」をしてくれたからです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 そのヤマさんですが、戦国時代、関ヶ原の合戦で西軍を率いた石田三成の重臣である島左近(しまさこん)の転生を持つといいます。
 同時代に木村さんは京都の公家に生まれ、歴史に名を遺した転生だったとのことですが、残念ながら本では人物名は公表されていません。ここでは戦国時代のヤマさんと木村さんの浅からぬ関係が述べられています。


 ・・・<『ソウルメイト 奇跡を支えた魂の絆』、p176〜p179から抜粋開始>・・・

 ヤマさんとの前世からの縁

 津軽弁の「けやぐ」という言葉には、「仲間」という意味もあります。「飲みけやぐ」「遊びけやぐ」というようにいろんなバリエーションで使えるのですが、ヤマさんは私のことを「来世も一緒にいるけやぐ」と紹介するそうです。
 初めて会ったとき「私を支えなければ」と強く思ったのは、時空を超えた縁としか言いようがないと言っていたヤマさん。普段は至って常識人なのですが、そんなところは直感が鋭いのではないかと思います。
 というのも、まったく別の場所で2人の不思議な人物から、私とヤマさんの前世について、ほぼ同じ情報を聞いたからです。
 私は、それまで自分自身は不思議な体験をしていても、前世や生まれ変わりについて、どちらかといえば否定的なほうでした。ヤマさんも直感は鋭いのですが、霊や因縁話にはまったく興味のない人です。
 しかし、時を前後して2人の人から聞いた私たちの前世には、不思議な「偶然の一致」がいくつかありました。「夢話」かもしれませんし、もちろん証明することもできません。しかし、私とヤマさんは生まれる前から不思議な縁で結ばれていたに違いない。私もヤマさんも、今はそう思っています。
 前世について語ってくれたのは、ある日、私の畑を訪れた不思議な女性と、縁あって話を聞きにいくことになったお坊さんの2人です。
 2人の話を総合すると、このようになります。
 時は戦国時代。私は京都の公家に生まれ、ヤマさんは戦国武将の島左近という人物でした。
 島左近は、弘前と縁がある石田三成の家臣で、関ヶ原の戦いで討ち死した後に首が見つかっていないことから、逃げ延びて農民か僧侶になったと伝えられている人物です。勇敢な武将として知られ、別名「鬼左近」と呼ばれています。
 若かりしころの左近は、公家の若君だった私の教育係を務め、さまざまなことを教えたそうです。この話が本当であれば、私は前世でもヤマさんに助けられていたことになります。
 左近は関ヶ原に出兵して敗れ、旅の托鉢僧に身をやつして京都まで戻ってきます。大人になった私は、偶然落ちぶれた左近と再会します。その後、私は再び左近を召し抱え、全国を旅した左近の話を聞いて、見聞を広めたそうです。
 この話を聞いたヤマさんは、もちろんはじめは半信半疑でした。しかし島左近という人物に興味を持ち、調べたところ驚いたそうです。
 ヤマさんは、この話を聞く前年に京都で親族の供養をしようと、あるお寺を尋ねていました。島左近のお墓は、ヤマさんが訪ねた立本寺(りゅうほんじ)というそのお寺にあったのです。
 また、ヤマさんは法華クラブという仏教系のホテルに勤めていたので、自分でお経を読むこともできます。さらに驚いたのは、左近の致命傷になったと思われる右脇腹を、ヤマさん自身も過去にケガしていたことです。30年前、職場でトラブルが起こり、ナイフで剌されてしまったそうなのですが、すぐに病院に行き手当てをして事なきを得たと言います。
 私も見せてもらいましたが、ヤマさんの脇腹にはまだ大きな傷痕がありました。この傷は、私も知らなかったことなので驚きました。
 私の前世かもしれない人物の名前も特定できましたが、調べてみると死亡した時期は2人の話とは違いました。残された文献が真実かどうかは調べようがありませんし、前世で身分が高かったといわれても、今の私からするとあまりにも違いすぎます。
 しかし真偽は、それほど重要なことではないのです。この話を聞いたことで、ヤマさんとは深い縁があったのだ。そう確信できただけで、私は満足です。
 ヤマさんはこの話を聞いて、初めて私の家に来たときに、何時間も正座したまま話を聞いたことを思い出したそうです。あのとき、なぜか足を崩す気になれなかったのは、きっと前世でも同じ格好をして、私の話を聞いていたからだろうと思っているようです。
 ヤマさんと私は卑弥呼の時代から、いつも同じ時代、同じ場所を選んで生まれているともいわれました。「けやぐ」の語源は「契約」だともいわれています。私とヤマさんは、今生も何らかの契約をして生まれてきたのに違いありません。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 戦国時代、豊臣秀吉に見いだされ、天下分け目の関ヶ原の合戦では西軍の総指揮を執った石田三成ですが、当時以下のように言われたそうです。

 「三成に過ぎたるものが二つあり。島の左近と佐和山の城」

 佐和山城は、当時三成が居城とした城です。
 秀吉に取り立てたてられ急激に出世した三成は、直臣の部下も少なく、武勇に劣っていたので天下に名を馳せた島左近はぜひともほしい人材でした。当時左近は三成より20歳も年上だったとのことですが、それでも頭を下げて仕官を頼んだそうです。主従が逆のような気がします。
 左近を士官させるために、三成は秀吉から賜った知行の4割を与えたといいます。主人の半分近いほどの高禄は、当時でも珍しかったそうです。それほど人物を見込まれたということでしょう。

 そんな島左近が現代に生まれ変わっていて、当時と同じ人物(木村さん)と交流を深めているなんて、なかなかの話だと思います。


 ソウルメイト同士、仲良く寝ようニャァ〜


ランドーン博士の提唱する肥満の原因...2013年5月30日

 先日法事があり、久々に兄と話をする機会がありました。
 そこで兄は、この夏に手術をすると言ったのです。兄はここ数年不整脈に悩まされており、これまでは不整脈の発作を薬で止めていたといいます。薬を使って不整脈を止められるのなら特に手術をする必要はないと思うのですが、医者は心臓に繋がる不整脈の信号を出す神経を焼き切ることにより、薬を使わなくてもすむようになると勧めてきたそうです。
 私はこの話を聞いて、やっぱり日本の現代医療は対症療法にすぎないんだと改めて思いました。
 素人考えと言われるかもしれませんが、不整脈が起きたのなら、不整脈の原因となったものが必ずあるはずで、その原因を特定して取り除くというのが本来の医療だと思うのです。ところが兄が掛かった医者がやったことは、心臓に繋がる神経伝達物質を薬で抑制するか、今度はその神経を焼き切ってしまおうというものです。全くの対症療法で、不整脈の原因を追求するという態度は皆無です。
 私は対症療法がすべて悪いとは言いません。必要な対症療法もたくさんあると思います。
 しかし現代医療の姿勢に、根本的な間違いがあると強く懸念しています。

 熱があれば、解熱剤を処方する。高血圧なら血圧降下剤を処方する。
 これらは対症療法です。熱が出たり、血圧が上がるのは、必ず理由があるはずです。身体に必要があるからこそ、熱を上げたり、血圧を上げたりしていると思うのです。不整脈もそうで、身体のどこかで急激に血液を送らなければならない緊急事態が発生しているのかもしれません。そうした身体の絶妙なメカニズムを無視して、医者が勝手に異常値という数値を設定して、それを超えると薬や手術によって強制的に医者が勝手に決めた正常値と称する数値にしてしまおうというわけです。私はこうした行為が人間の身体に、適切なものとは思えないのです。

 兄は自ら心臓肥大だと言っています。
 兄はその原因は若い頃にスポーツをし過ぎたからだと言っています。でも私は原因は違うのではないかと思っています。
 5月16日の記事「ブラウン・ランドーン博士の提唱する老化の原因」に掲載したランドーン博士の父親のように、心臓に石灰が大量に溜まり、心臓は本来を役目を果たそうと肥大化していったのではないかと睨んでいます。そしてその心臓肥大と、不整脈は繋がりがあるのではないかと思っています。


 話が最初からそれましたが、今回は5月16日の記事に続くランドーン博士の第2談です。
 今回私が興味を持ったのは、肥満の原因と体内にできる癌のような腫瘍の原因をランドーン博士が説明している部分です。
 特に癌の原因には興味があります。船瀬俊介氏が言っていましたが、癌の治療である切除手術、抗がん剤、X線といった方法論は数十年の間全く変わっていないそうです。もちろん手術の方法や、新たな抗がん剤の開発など、技術的なものはどんどん進歩しています。しかしこれまでと違った方法(例えば代替医療)で癌を治すという試みは、少なくとも現代医療のメジャーな舞台では全くないそうです。飛躍的に進んだ分野は、身体に発生した小さな癌を発見する技術で、これによってこれまで癌と宣告されなかった多くの人々に、癌宣告ができるようになったといいます。大量の癌患者を作り出す見事なマーケティングと言えます。

 癌の原因ですが、発がん物質を体内に取り込むというのは間違いなくあります。
 その他に細菌による癌もあるのだろうと思います。そして今回紹介するランドーン博士の説もあるのだろうと思います。

 まず最初は、ランドーン博士が提唱する肥満の原因です。
 今の日本人にとって肥満は非常に関心が高いと思うので、紹介したいと思います。

 ・・・<『蒸留水と肉体の浄化』、p34〜p35から抜粋開始>・・・

 30年の間、私は何度も脂肪そのものは人を太らせるものではないと言い続けてきました。時には、わずかな事実の中に、1ダースの科学的理論よりずっと多くの真実が含まれていることがあります。

1.食事制限のようなダイエットでは永久に、脂肪状態を減らして肥満を解消することが出来ない。

2.牛や豚、鶏に、脂肪食品だけを与えると、痩せること。
 家畜を太らせるためには、ふすまや残飯のような食品、ビールの麦芽のように発酵させる食品が必要であることを農夫はみんな、知っています。

3.エスキモーは太らない
 エスキモーは一年中、脂肪食品を食べていて、鯨の脂身のような脂肪以外ほとんど食べません。鯨の脂は、脂肪の中で最も脂肪分の高いものですが、それでもエスキモーは太りません。また、彼らはあまり運動しません。実際、年10ヶ月という北極の長い冬の間は何の運動も出来ないのです。それなのに、彼らは太りません。
 エスキモーは体を発酵させる食品を食べません。ビール酵母で泡だらけのビールが発酵して作られるように、人体の胃や小腸で発酵するような食品を食べないのです。発酵は太る事の1つの大きな原因です。浄化が肥満を永久に解消するための唯一の方法です。必要なもの、食べたいものは自由に食べることが出来ます。
 異常な肥満とは、常に水太りの状態を意味します。太っているのは、細胞の中に水が溜まっていることです。その水は、汚れた発酵酸の原因となる酸毒を中和するために、血液によってそこに置かれたものです。

 ・・・<抜粋終了>・・・

 このようにランドーン博士は、肥満は水太りの状態だといいます。
 ではなぜ、身体は水太りの状態を作り出さなければならないのかです。


 ・・・<『蒸留水と肉体の浄化』、p36〜p37から抜粋開始>・・・

 命はアルカリ状態が維持されている体にかかっています。身体組織、細胞と液体、器官、血液、ホルモンの分泌、は全て、弱アルカリ状態のときに正常に機能します。アルカリは体を若く、健康に保ちます。
 強弱すべての酸は、人の体を触んで、そして過剰な酸は体の自然な生理学的な過程を邪魔します。酸性過剰は不純です。アシドーシス(管理人注:酸性症のこと)は中毒、致死的な中毒を引き起こします。酸性化によるリュウマチの人のX線写真は、酸が実際に関節の骨を冒していることをはっきりと示しています。アシドーシスによる慢性リューマチはどこにでも現われます。他のアシドーシスによる病気も、手や足、膝、ひじ、肩、腰、太もも、背中、などどこにでも現われます。
 自然はいつも私達を死の毒から守ろうとしています。
 酸性毒が、肝臓、腎臓、内分泌線、神経路、筋肉、関節、など体中に一杯になると、自然は人が死なないようにするためにある3つの方法の内の1つに着手します。すべての組織が酸に満たされると、神経はあなたを死なせないために、

 (a)酸を結晶に変える。酸を硬化させることで細胞の周りに浸らないようにする。

 (b)酸で潰瘍や腫瘍を作ろうとする。

 (c)毒を弱めるために、多量の水で酸を薄める。

 これらは、死なないための緊急手段です。
 自然がどのようにこれらの方法を使うのか、見てみましょう。

 1.自然が酸を凝固させるとき、それらを小さな、長い、固くて白い、針のような、ガラス状のクリスタルに変えます。それが筋肉にある時には、関節が動くたびに、波状の針のように結晶は組織を切ります。もし奥の器官の周りが結晶に取り囲込まれると、それは石になります。

 2.酸が身体の1部分に沢山集積されると、自然は腫瘍、潰瘍、ガンなどを作ります。
 腫瘍は老廃酸を使います。自然は体全体が殺されるより、1ヶ所に腫瘍を作つたほうがまだいい事を知っています。

 3.死にそうな程に毒されて、それが体の腐敗と汚れの状態の原因となっていることに気がつきます。そのため本能は、他の器官から可能な限りの水を絞り取り、この水を血中に注ぎます。このようにして血液は身体の細胞の間を水浸しにします。
 水で薄めて、酸の毒を弱らせないと、細胞が冒されてしまうからです。
 肥満の最大の原因が水太りです。自然は毒で死ぬよりも体を太らせる方を選ぶのです。むくみはいつも肥満とされています。今日のほとんどの肥満は、身体の毒素を薄めるために余分な水分が使われる、水太り以外にありません。
 酸を取り除くという意識があなたには無くても、体の中の知恵は、腺や筋肉組織に命じて水分を搾り取り、それを血液に注いで、そのために血液は沢山の水を細胞の間に入れて、毒を弱めることが出来ます。このようにして、あなたの身体は水浸しになって太ります。太っている人が1万人いたとして、その中で真に太っている人は1人位しかいません。

 ・・・<抜粋終了>・・・

 このようにランドーン博士は、アシドーシス(酸性症)の毒によって死を迎えるのを防ぐために、それを石に変えたり、腫瘍、潰瘍、ガンとして一か所に隔離したり、身体全体を水太りにして酸の毒を和らげようとするといいます。
 つまり、これが原因の肥満はダイエットでは永久に解決できず、体内のアシドーシス(酸性症)の毒を取り除く以外に方法はないというわけです。
 次に紹介するのは、ウサギを使った実験で、ウサギにコレラ菌、腸チフス菌、結核菌を注入して、血液をアルカリにした場合と、そうでない場合の経過です。

 ・・・<『蒸留水と肉体の浄化』、p38〜p39から抜粋開始>・・・

 酸性物質は、細胞の命を支えている塩類を不純な物に変えて供給することで、血液のアルカリ度を弱めます。炭酸ガスは身体の廃物で、身体にとって非常に有毒です。血液が正常なアルカリ状態では、細胞からその容量の20%の炭酸ガスが肺に運ばれて、呼吸により毒を排除します。
 しかし、血中のアルカリ度が酸に傾いた場合では、それは容量の3%の炭酸ガスしか運搬できず、残りの17%が身体組織の中に残され、毒されることになります。正常なアルカリ状態ではどんな病原菌も血中で生き続ける事が出来ません。
 バンフォダ一博士はコレラ菌や腸チフス菌、結核菌を注入されたウサギの実験で知られています。彼は猛毒の菌が与えられたウサギに対して、炭酸ナトリウムを毎日使って、血液のアルカリ度を増やしました。その後、病気は進行しませんでした。他のウサギは同じ病気でした。そのウサギは正常なアルカリ度の血液を保つ事が出来ませんでした。病気は急速に進んで、殆ど致命的な状態でした。ウサギは死にかけていましたが、血液がアルカリになった時、病原菌は殺され、動物は回復しました。
 毒の浸透は、ひどく痩せるか、またはひどい水太りになるかです。

 ・・・(中略)・・・

 身体を浄化して下さい。腎臓病や肝臓病、心臓病や頭脳疲労、細菌感染の元となる致死的な酸から体を解放して下さい。酸が結晶化するとリュウマチになり、水で薄められると肥満になります。身体が浄化されると、細胞は毒水で溺れることはなく、あなたは元気を回復し、健康体になることでしょう。1日8時間眠らなくても済むようになります。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 ここまでランドーン博士の説く肥満の原因や、アシドーシスの危険性について紹介してきました。もしここで記事が終わったら、訪問者の方々に不安を残すだけになってしまいます。
 そこで最後にランドーン博士による、アシドーシス(酸性症)の毒を浄化する方法を紹介したいと思います。

 ・・・<『蒸留水と肉体の浄化』、p40〜p41から抜粋開始>・・・

 慢性的に発酵と不消化を引き起こす酸がある時には、朝晩、あるいは食前食後にベーキングソーダ(重曹)をとってください。ソーダは食品であって、薬ではありません。それはアルカリ食品です。発酵を止め、胃と腸を浄化するために、少量のべ一キングソーダを水と一緒に摂ります。コップ半分の水で溶かして、食事の30分前に飲み、そして同量を食後に飲みます。
 次に、胃と小腸をきれいにします。
 果物は、最も優れたクレンザーです。酸味の果物(クエン酸のある酸っぱい果物)と同等のクレンザーは、どんな薬にも食品にもありません。

 ・・・(中略)・・・

 これらの果物や野菜は、他の物と混ぜずに、単独で一つの食事とします。浄化のためには、澱粉と組み合わせず、単独でクレンザーとして使います。澱粉質の食品と一緒にとることは、水に加えてシチュー材料と石験を一緒に料理するのと同じ事です。種々のフルーツ、オレンジ、グレープフルーツ、等と野菜、トマト等を使います。
 野菜や果物は

 (a)アルカリ塩が含まれて、血中に入ると関節や細胞に留まっている酸を中和する

 (b)ビタミンが豊富

 (c)クレンザーとして使われる場合、理想的なクレンザーである

 酸性の結晶を溶かすために

 1 朝食の1時間前に、オレンジジュースのような果物ジュースを摂る。あるいは寝る前に、または早朝と夜食の2回。オレンジ1個のジュースにコップ半分の蒸留水を加えるとよりよい。

 2 飲み水として蒸留水を使う。蒸留水は、身体組織に害を与えずに使うことの出来る、最も強力な溶剤である。
 蒸留水は身体中の酸性結晶を溶かして、体重の増加を減らすことの出来る、最も素晴らしい水です。体の結晶とアクを浄化して、生まれ変わって下さい。20歳の頃のようにエネルギッシュで、若々しく、すらりとした状態を取り戻してください。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 当HPでは、千さんのお爺ちゃんセッションシリーズの記事で、我が家に住む妖精の話をよく書いています。
 もう何年も前ですが、千さんを介して妖精達と会話していたら、妖精が私に重曹(炭酸水素ナトリウム)を飲むように勧めたことがありました。当時はその意味がわかりませんでしたが、今になって妖精の真意がわかった気がします。当時私の身体は、どっぷりと酸性に傾いていたのでしょう(今もそうかもしれません)。
 当初は重曹を毎日飲んでいましたが、今は止めてしまいました。正直言って、かなり不味いのです。でもまた始めようかと思っています。

 これまで2回、ランドーン博士について紹介してきましたが、訪問者の方々はどこまでランドーン博士の説に信憑性があるのかと思われていることと思います。
 私はランドーン博士の言っていることが、充分に試してみる価値があると思ったので、私の身体を実験台として経過を見ることにしました。
 身体の浄化に一番効果があるのが蒸留水ということなので、私は蒸留水を精製する器具を購入しました(ランドーン協会で扱っている「didimi」という製品です)。これを使って1日おきぐらいに、3.7リットルの蒸留水を精製し、お茶や料理など身体に入る水はすべて蒸留水に替えました。
 もし私の身体に明確な変化が現れるようなことがありましたら、報告したいと思います。


アンティーク・コイン...2013年5月22日

破綻した私の老後の生活設計

 通常のサラリーマンであれば国民年金(基礎年金)にプラスして厚生年金に入っていて、老後はそれなりに安定した生活が見込めます。
 しかし私は自営業者なので、一階部分と言われる国民年金しか入っていません。それゆえ老後の生活のために、年金に相当するものを考える必要がありました。
 そこで私は海外のファンドと呼ばれるものに投資することにしました。
 以前会員になっていた経済評論家の勉強会で勧められたからです。そのファンドの特徴は人間が投資するのではなく、コンピューターによって投資を行うもので、年によってアップダウンはあるものの5年〜10年という長いスパンでみれば、上昇するのは確実だと言われていました。人間が投資するのではなく、機械が行うのですから私はむしろ安全ではないかと考えました。また株のように値段の振幅が激しいものでなく、確実に上昇を見込めるということで、年金として最適だと思えたのです。
 そうした私の思惑は、当初はうまくいきました。
 急激な上昇はありませんでしたが、着実に年に数パーセントの上昇をしていました。またその時は為替も円安に振れ、運用益のみならず為替差益もあり、私は大いに満足していました。
 しかしそうした流れが一気に逆流するときが来ます。2008年秋のリーマンショックです。
 私が投資したファンドは暴落したうえに、為替も猛烈な勢いで円高に振れました。それまでの運用益が運用損となり、それに為替差損が加わり、投資した額の半値になってしまいました。それでも時間が経てば、値段は戻ってくるだろうと期待したのですが、リーマンショック後は、値段は地を這うような動きとなり、全く戻りませんでした。私は2つのファンドに投資したのですが、そのうちの一つが去年(2012年)の夏に満期となり、清算されてきました。結果は半額以下です。生々しいですが実際の損失額を言いますと、213万円の運用損です。
 もう一つのファンドも、投資額の6割程度に目減りして、これまた地を這うような動きです。去年の秋から欧米各国は株高で湧いているのに、なんでこんなに低迷するのかと不思議です(トレンドフォロー型のファンドなのに株高のトレンドに乗れていません)。このファンドを解約したら100〜200万円の損失は確実です。
 こうして私の老後の生活設計は、もろくも崩れてしまいました。


何かないか

 ファンドでの老後の生活設計は破綻しましたが、何もしないわけにはいきません。
 大きな損失を抱えてしまいましたが、私は確実に歳をとるのですから、何か年金代わりとなるものを探さなければなりません。
 ここで多くの人は金(キン)を思い浮かべるかもしれません。私も金(キン)は現物であれば有望だと思いますし、実際に持っています。ただやはり金(キン)にも欠点があって、相場の中で値段が決まる以上、アップダウンするのは避けられません。
 金(キン)は毎年生産されます。
 中国、オーストラリア、アメリカなどが主要な生産国ですが、年間2500トンぐらい生産されます。工業製品や宝飾品として消費される一方、供給が毎年あるので必ず上がるというものでもありません。また金に関して気になることを言う人もいます。今の世界の金(キン)の総量は公式には15万トンと言われていますが、副島隆彦氏は実際は50万トンあるだろうと言っています。ベンジャミン・フルフォード氏はもっと多いと言っています。そしてこれまで市場に流通してこなかった金(キン)が表に出てきて流通しだすと、金は暴落すると言っています。こうした話の真偽を確かめるすべはありませんが、気になるところではあります。

 年金として期待するなら、急激な上昇はなくてよいから、毎年少しづつ確実に上がることが望まれます。
 そしてインフレに強いという絶対的な条件があります。年金として怖いのはなんといってもインフレです。せっかく積み立てたものが、インフレで価値を失ったら悲惨の一語です(その点では、私はアベノミクスが将来、急激なインフレを招く可能性を懸念しています)。

 2008年のリーマンショック以来、私はそうした年金の代わりになるものはないかなあ、と考えてきました。
 でも全然見当たりません。そのうち、そんな上手い話は世の中にないのだろうと考えるようになっていきました。そんなときに出会ったのが、加治将一(かじまさかず)氏の『カネはアンティーク・コインにぶちこめ!』(東洋経済)だったのです。
 ここではアンティーク・コインを実際にやった人々の体験談を、本から3つ取り上げて紹介したいと思います。


コイン・コレクターの体験

 最初は、普通のサラリーマンをしていてコインを趣味で集めていた男性の例です。

 ・・・<『カネはアンティーク・コインにぶちこめ!』、p76〜p79から抜粋開始>・・・

 小学生のころから切手を触っており、コインにも興味はありました。
 きっかけは、ソ連に捕虜として拘留されていた父からロシアの古いコインを貰(もら)ったことです。
 サラリーマンになって、付け足すようにコインをせっせと買いはじめたのです。
 女房からはゴミ扱いされていましたが、月4、5万円の小遣いの範囲内で買っていたので、文句は言わせません。
 年代は15世紀から20世紀のロシア・ コインでしたが、当時は安いこともあって、数多く買えました。
 25年間で、投下資本は1500万円くらいでしょうか、いつの間にか枚数が2000枚近くになっていました。
 そのころ、家族の一人が大病に陥り、急に治療代が必要になって、手持ちの半分をオークションで売りに出したのです。
 目の前でどんどんと値が上がり、結果はなんと、1億8000万円です。 まるで夢のような出来事で、妻と私は手を取り合って泣いたものです。
 みなさんにぜひお伝えしたいことは、僕のような一介の月給取りでも、億万長者になれるということです。
 私の場合は月平均5万円ですから、車の維持費以下です。
 車を25年間持っていてもなにも残りません。ゼロ円です。 しかしコインは1億8000万円の現金をもたらし、まだ家には1000枚近いコインが残っているのです。
 一度、おやりになれば分かると思いますが、一度コインを買いはじめると、無駄遣いをしなくなります。
 居酒屋で一杯やるくらいならコインを買う。車を買うならコインを買う、といった案配です。
 節約に苦痛はありません。趣味人の感覚とはそういうものだと思います。コレクションが増える充実感と達成感は、幸福感に包まれることはあっても、酒が少々飲めないからといって、車が買えないからといって、惨めなことはありません。逆に節約が楽しいのです。
 サラリーマンですから高い金貨には手が出ず、シコシコと安い銀貨と銅貨ばかり狙っていたのですが、これが時期的にかえって良かったのだと思います。
 夢のようなお力ネを手にしたということもさることながら、感激したのは長年のコレクションが、世界のバイヤーにこれだけ評価されたということです。そして家族を救えたことです。
 今は早期退職し、これからは残りのコインを整理しつつ、ロシアのコインについて論文でも書きたいと思っています。

◎自分にとってコインとは?

 歴史に、参加しているという充実感です。
 それとこれからは、ますます厳しい時代になると予見しているので、他のどんな年金よりも高額な、頂点に君臨するがごとき年金として心強く思っています。
 残りの1000枚は、そんなに期待はしておりませんが、4000万〜5000万円にはなります。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 これほど成功した例は珍しいと思います。
 ソ連崩壊後に崩壊したロシア経済ですが、プーチン政権となり原油高の恩恵もあり、ロシア経済は急速に回復します。
 金持ちが増えると、どこの国でも同じですが、コイン収集が活発になります。最近ではロシアや中国のリッチ層が、大量にコイン市場に流れるようになりました。この男性は、そうした流れに乗った成功例と言えます。

 では次に中国人のコイン・コレクターの証言です。

 ・・・<『カネはアンティーク・コインにぶちこめ!』、p118〜p119から抜粋開始>・・・

 私は中国人です。
 リーマン・ショック以降のヨーロッパ経済危機は、我が国を直撃しました。
 輸出が止まり、工場が潰れ、労働争議がいたるところで勃発しております。ですから、身の危険を感じて、夜逃げをする経営者があとを絶ちません。
 賃金が支払えなくなると、決まって起こるのが暴動です。
 チベット、ウイグル、内モンゴルの民族暴動も深刻で、政府は必死で押さえにかかっていますが、そうそう力で押さえきれるものではありません。
 政府内の派閥対立も激しくなっています。
 国は、問題を極端に小さく見せかけておりますが実際は違います。
 今、我が国で起こっていることは波状的なクラッシュです。
 幸いなことに、私は真実の見える政府筋の近くにいますので、2、3年前から危機は感じていました。
 この先、国はどうなるのだろう、「元」を持っていてもどうにもならないのではないか。不安でいっばいだった私は、秘かに政府の高官から古銭を教えられました。
 親類も含めて、自分たちのあらゆる預金や不動産、債券を洗い出し、そのすべてをコインに変えることにしたのです。
 2年前から東京の、とある古銭商から買っています。
 買った古銭はそのまま、東京の貸金庫に預けているので、なにかあった場合、身一つで国から逃げられます。
 私の場合は、信じている古銭商に全部まかせていますが、自分の国のものではなくヨーロッパとアメリカの古銭を中心に買ってもらっています。

◎自分にとってコインとは?

 「元」に変わる通貨、希望の星です。
 もっとたくさん買いたいのですが、古銭商の方が慎重で、ちゃんとしたものを厳選しているらしく、まだ2億〜3億円しか買えていないのが歯がゆい思いです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 最後は、日本人投資家の証言です。

 ・・・<『カネはアンティーク・コインにぶちこめ!』、p158〜p160から抜粋開始>・・・

 性格はめちゃめちゃ慎重です。
 長い間株、債券、外為を手掛けてきましたが、石橋を叩きすぎて壊してしまうくらい慎重だったからこそ、この不況でも火傷は軽くて済んだと思っています。
 私の興味は投資、それだけです。こう言ってはなんですが、コインそのものに興味はありません。儲けるための手段と考えています。
 ですから今からでも、株が儲かるというなら株に鞍替えしてもいっこうに差し支えないくらいですが、はっきり言ってここまでおかしな時代になってしまっては怖い。
 恨みがましいようですが、問題は日本人の気質です。
 典型的な貯蓄型の民族なので、株式投資はなじめません。
 一人あたりの投資金額は、アメリカ人の50分の1にも満たず、日本株の世界では、終始一貫しての頼りは外国の機関投資家なのです。ですから今さら日本人を喚起して、株式投資に向かわせるには限界があり、その点、コインは外国人と共通の商材ですから、日本人を当てにしなくてもいいのです。
 日本の畑は小さい。広大な外国のコイン畑から果実をもぎ取る作戦です。
 コインが外国で値上がれば、インターネットで世界中がその値段になります。
 とりわけギャンブラー気質の高い国家、中国、韓国、ブラジル、インドなど新興国がぐんぐん台頭し、彼らに引きずられた価格がすぐさま顕著に市場に反映されます。
 投資の基本はローリスクかつハイ・リターンですが、これを期待できるのは唯一コインだけで、今のところライバルは見当たりません。
 私が今まで、あらゆる投資を手掛けてきた結果の結論です。

 日本人は、コイン投資についてはだれも知りません。
 少なさと言ったら、周りに砲丸投げや槍投げの趣味の人がいないのと同じくらいです。
 外国では古銭学という学問があり、子供にコインを持たせて経済を学ばせるほどの身近さですから、まったく距離感が違うのです。
 主に東京、ニューヨーク、ジュネーブ、チューリッヒのオークションで買っています。
 最初は目利きがなかったので、信頼のおけるディーラーにくっついて回り、一緒に買ってもらっていましたが、オークションの世界はきわめてオープンで、アメリカン・へリテージという大きなディーラーなどがインターネット上で価格を公表している関係上、今では、ほぼ値段が読めるようになりましたので、これからは6〜7割を自分で買い付けたいと思っております。
 買ったコインは、スイス銀行の貸金庫に預けています。

◎自分にとってコインとは?

 投資の商材です。それ以外にありません。
 簿価ではほぼ8億5000万円ですが、年に平均2〜3割は上がっているので11億円にはなっていると思います。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 私(本山)は当初、コイン集めは子供がするものだという感覚がありました。
 私も小さい頃に切手を集めたことがあり、そうした趣味感覚の延長線上としてコイン集めをイメージしました。それゆえこうした人々の体験談を読んで、非常にびっくりしたのです。私の全く知らない世界でした。ふと、あの神秘家のゲリー・ボーネルさんもコインを収集しているという話を思い出しました。

 私にはファンドに投資するよりは、アンティーク・コインの方が年金代わりとして有望に思えたので、少しづつやってみることにしたのです。でもすぐ壁にぶち当たることになりました。


世の中、そう甘くない

 まず何処の国の、いつの時代のコインを狙うかですが、私は加治氏が指摘するように日本の古銭は全く考えませんでした。
 加治氏によると、コイン・コレクターは全世界で推定300万人ほどいるが、日本のコイン・マーケットは世界に比べて相当に小さいんだそうです。せっかく数百万円や1千万を超える大判小判を持っていても、いざとなったときに売れなければ意味がありません。その点で、日本のコイン・マーケットが小さいのは、致命的だといいます。日本の古銭をやるなら、あくまでも趣味の範囲に留めた方がよさそうです。

 競合する人が増えると困るので具体的な国名や時代は言えませんが、私はある特定の国の、特定の時代に狙いを絞り、少しづつ買ってみることにしました。
 するとあっという間に、壁にぶち当たりました。
 物が無いのです。買いたくても、買えないのです。大手のコイン商の店を何軒も回りました。それでやっと少し買えたぐらいです。
 何度も店に足を運んだので、だいぶ親しくなった店員さんから聞いたところによると、私が狙った国と時代のコインは、そもそもほとんど日本に無いと言われました。集めるなら年に数枚ぐらい入荷があるので、それを狙うか、あるいは海外のオークションしかないといいます。やっぱり、世の中には上手い話はないんだなあと、しみじみと思いました。


結論

 念のために言っておきたいのですが、私はこの記事で訪問者の方々にアンティーク・コインを勧める気は全くありません。むしろ私と同じように、壁にぶち当たるので、やるなら覚悟する必要があると強調したいと思います。
 アンティーク・コインが年々上昇するのは大きな理由があります。それは需要と供給の内の供給がないからです。あるとすれば遺跡が発掘されてコインが大量に出てくるケースですが、あっという間にコレクターに吸収されてしまうそうです。高額のコインは金持ちコレクターで吸収され、それ以外は市場に出ればすぐ売れてしまうそうです。この点が毎年生産される金(キン)との大きな違いです。

 繰り返しますが、私はアンティーク・コインを人に勧めません。いえむしろ人に勧めたくない、という思いです。この記事は、世の中には、妙なものに夢中になる人間がいるものだという感覚で読んでいただければと思います。

 でも私は続けるつもりですが・・・。

 来月(6月)早々に、フランスでオークションが開かれます。
 私はそこに出品されるあるコインを落札すべく、指値を入れました。私としてはぜひとも手に入れたい一品なのですが、コイン商の店員さんは、「この国のこの時代のコインは人気がありますからねえ・・・」と厳しい論調でした。それでかなり高値で入れたつもりですが、指せるかなあ〜。


「アンティーク・コイン」に関するメール



 5月22日の記事「アンティーク・コイン」に関して、訪問者の方(この方は私が主催するスピリチュアル会のメンバーでもありますが)からメールをいただきました。
 家の納戸から日本の古銭が出てきたそうです。
 ご本人の許可が得られましたので、ここで紹介したいと思います。

 ・・・<「アンティーク・コイン」の記事に関する訪問者の方からのメール開始>・・・

本山さん、こんばんわ^^○○です。

今度のホームページの記事を見て参考までに
と思いメールしました


3年前に家の納戸に寛永通宝が2キロ分くらいあるのを
発見したのですがただ珍しいというだけで
その価値がわかりませんでした

日本中にまだたくさんあるとか言われていますから
オークションではキロ単位でまとめ売りする人がいます
私と同じく価値を知らない方が多いのでしょう



寛永通宝といっても昭和初期まで使われていたものから
輸入のものまでさまざまで
厚さや大きさが微妙に違っていたり
穴の形や掘ってる文字も違うものまでありました

オークションでは1枚につき数百円〜数千円で取引されていたり
キロ単位では数万円程度での取引ですが

古銭商の販売サイトでは1枚で数千円や万単位〜ウン十万円のものまでありました
その価格に驚きました
それでも結構売れているようです

世界的に日本ブームが起きてきていますよね
世界で日本の古い家具が喜ばれているとか
古武道も盛んだったりしていますが
その点でも
日本の古銭はこれからもっと値が上がるのでは
と思っています
オークションで見ても
3年前に比べてずいぶん値が上がってきていましたよ

○○

追伸

指値うまくいきますように。。。と祈っています^^。

 ・・・<メール終了>・・・


 家の納戸から古銭がざっくり出てくるなんて、きっと金持ちの家系なのだろうと思って聞いたら、そうではないそうです。
 この方のひいおばあさんが、へそくりで貯めてたものだそうです。その証拠にひもに通して2重箪笥の奥に保管してあったそうです。
 また寛永通宝は、今でいえば50円とか100円硬貨みたいなもので、あの銭形平治が投げていたものらしいとのこと。

 でも家の奥から、アンティーク・コインが出てくるなんて、夢のある話だなと思いました。


(2013年5月25日)


ブラウン・ランドーン博士の提唱する老化の原因...2013年5月16日

 私はこのところ若返りに取り組んでいます。
 30代になった時は、20代より体力が落ちたなと感じたのですが、それは体力が落ちたのであって、老化とは捉えていませんでした。
 30代から40代になったときも同様で、確かに体力の落ち方は30代になった時に感じたものよりずっと大きいものでしたが、それはあくまでも体力の問題でした。なぜなら落ちた体力は、規則正しい生活や健康的な食事や運動によって、回復させることができると感じていたからです。
 でも50代になって感じたのは、単なる体力の低下ではなく、老化という感覚でした。
 健康的な食事や運動によって体力はある程度は回復できるけれども、限界があるという感覚です。私のキャッチフレーズは、うらぶれおじさんですが、そのうらぶれのニュアンスは、貧乏という意味合いが強いものでした。しかし今では、うらぶれではなくて、干からびたという感じの方が合っているかもしれません。干からびおじさんです。老化によって身体から発する生気がなくなっていっているという感覚です。
 もちろん外見も急に老けて、薄くなった頭髪に白髪が増え、皮膚は皺が増えました。おじさんから、おじいさんになってきた感じです。視力も衰え、なんといっても筋力が大きく落ちた感が否めません。それに比例して、身体が固くなっている感覚があります。

 いまや、おじいさん街道まっしぐらの私ですが、昔は年齢よりは若く見られていました。今は、年齢相応に見られるようになりました。
 時々、ふっと「このまま枯れていくのかなあ〜」と心の中でつぶやき、20代、30代の頃の元気のある自分に戻れればなあ、などと考えたりします。
 それで自分で出来る範囲で若返りに取り組もうと考え、時々コソコソと若返りの本を読んだりしてます。
 そんな折に、ある方からブラウン・ランドーン博士のことを教えてもらったのです。私にとってはベストなタイミングでした。

 ブラウン・ランドーン博士の名を知っている人は少ないと思います。
 もちろん私も初めて聞きました。以下は、ブラウンランドーン協会のURLです。

http://www.brownlandone.com/

 ブラウン・ランドーン博士について簡単に紹介します。
 1847年3月6日生まれ。職業は医師ですが、5カ国の国際芸術科学研究所を設立したり、ドイツ帝国の経済財政の分析をして第一次世界大戦を予言したり、あるいはフランスアカデミーの理事長に就任したりと、かなりユニークは活動をしてきた人です。
 そのランドーン博士ですが、子供時代は心臓が悪く、17歳の時には医師から余命3ヶ月を宣言されるほどの状態だったといいます。
 ランドーン博士の父親は心臓病で亡くなったのですが、ランドーン少年も父と同じ心臓病で車椅子の生活だったといいます。もしランドーン少年が何もせず父親と同じ治療を続けていたら、間違いなく父親と同じ運命を辿ったに違いありません。でも若きランドーン少年は、生き残るためには、正しい情報を得ることが必要と考え、父親の検死をする決意をします。そして父親の心臓病の驚くべき原因を知るのです。
 その部分を『蒸留水と肉体の浄化』(ブラウンランドーン協会)から抜粋して紹介します。


 ・・・<『蒸留水と肉体の浄化』、p30〜p31から抜粋開始>・・・

 医師達には、生前の父の奇妙な心臓の動きと、激しい呼吸困難の理由が全くわかりませんでした。彼らには、父の病気の原因が、何1つわかりませんでした。わかったのは、私の心臓の動きが父のものと全く同じだということだけです。
 その春父が亡くなり、そして専門医は全員、私が6月まで生きられないだろうと言いました。私に残された希望は、正しい情報を得ることだと思いました。それは父の心臓に一体何が起こったのかを知る事です。それがわかれば、自分が何をしたら良いのかわかるはずです。まだX線がない時代でしたから、私達は検死を決意しました。
 父の心臓は、内壁3センチのうち1ミリから4ミリほども石灰がこびりついて固まっていました。このミネラル老廃物は心臓の外側ではなく、心筋組織に集まっていて、弁の底には4センチ近く固まっていました。これは、血液が心臓を通りぬける時に心筋細胞に残された石灰です。
 バルブが正常に作動出来なかったために、心臓は長い間、血液の循環を支えようとして、死に物狂いで働き続けていたのです。心臓は広げられて、ほとんど牛の心臓と同じ大きさでした。父の呼吸困難は、この心臓の肥大化が原因でした。
 私はその時17歳でしたが、何年間も父と全く同じ症状だったのです。生まれた時から病弱で、診察した医者から、3ヶ月と生きられないと言われていました。それなのに、私は生きています。
 検死の後、するべきことは、1つだとわかりました。それは堆積された石灰を洗い流す事です。生きるためには、私は心臓を、そして体中を全部浄化しなくてはなりませんでした。2年間、私は心臓が良い状態になるまで、徹底的に有害ミネラルを身体から浄化しました。そして、4年待ちました。
 24歳の時、私の心臓病が不治であると宣告した専門家医に、改めて診察を受けました。再検査では、心臓の異常は全く見つかりませんでした。勿論、医師たちは自分たちが行った検査の結果を信じる事が出来ませんでした。心臓の異常が全く見当たらないのに、医師全員がそれは後になってから、再発するだろうと確信していました。
 それから更に何年も過ぎて、34歳のとき、再び専門医達の診察を受けました。全く心臓の異常は見つかりませんでした。沢山の年月が過ぎました。1925年になって、今日利用できる最も素晴らしい方法を使って、心臓の専門家の診察を受けました。
 心臓の動きが撮影されました。X線透視撮影によって、専門家たちは私の心臓の中を見ました。医師たちは、心臓が完全であることを認め、機能的、組織的に正常だと述べました。60年間、心臓の異常が全く無かったことが医学的にも証明されたのです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 身体から石灰を含め、徹底的に有害ミネラルを除去したランドーン博士は、単に心臓病を克服したというレベルを遙かに超えた生活をおくることになります。1日の睡眠時間は2〜4時間で、起きている時間は精力的に活動して98歳の長寿を全うします。亡くなったランドーン博士の遺体は50歳代の若々しい健康体だったと、当時の新聞に載ったそうです。

 もう一つエピソードを紹介したいと思います。
 身体から有害ミネラルを除去するのは、何歳からでも可能だという話です。つまり歳を取りすぎて、もう手遅れということはないということです。


 ・・・<『蒸留水と肉体の浄化』、p29〜p30から抜粋開始>・・・

 それは、サンフランシスコ州の、ゴダード・ダイヤモンド船長が身体の堆積ミネラルを浄化した場合です。全身が動脈硬化で、全く身動き出来なかったダイヤモンド船長の身に起こった事は、周りを吃驚仰天させました。そして、彼は79歳を過ぎてから治療を開始したため、それは更に驚きでした。
 ダイヤモンド船長は1796年に生まれ、1876年には80歳でした。その時まで、彼は動く事が出来なかったのです。足と背骨は固まったままで、介助がなくては椅子から立ち上がる事も、座る事も出来ませんでした。腕は固まり、指も捻れたままで、ナイフやフォークを使うことさえ困難でした。
 この状態では、体の浄化に9年近くもかかりましたが、ダイヤモンド船長はそれを成し遂げました。
 90歳で、体育教室の講師になりました。
 1904年、104歳の時に、世界で最高齢の体育講師となりました。
 108歳で、彼は毎日自転車を乗り回していました。
 ダイヤモンド船長は、80年間堆積されていた、身体の有害ミネラルを浄化したのです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 全身が動脈硬化で、全く身動き出来なかった80歳のダイヤモンド船長が、90歳で体育教室の教師になり、108歳で毎日自転車を乗り回すほどに回復したとは驚くべきことです。傍から見たら、完璧に若返ったという他ありません。

 私は『蒸留水と肉体の浄化』を読んで、老化に対して根本的に間違った認識をしていたことに気づきました。
 それは、老化を防ぐために、○○を摂取するという考え方そのものが間違っているということです。
 例えば、長寿遺伝子を活性化させるレスベラトロールを摂るとか、ごぼう茶を毎日飲むとか、健康に良さそうなマクロビオティックにするといったことです(もちろんこれらが若返りに何らかの効果があることは事実だと思いますが)。これらはすべて、若返りや健康にために、身体に何かを摂取するという考えが前提となっています。
 しかし老化を防ぐ最大の方法は、身体に溜まった石灰や有害ミネラルなどの老廃物を身体の外に排出することだったのです。摂取ではなくて、排出です。それが若返りのキーポイントだと気づきました。

 実際のところ生理学者は、病気、疲労、老化の原因は、毒素と老廃物質の堆積によるものだと結論づけているといいます。
 それを裏付けるような実験があります。フランスの外科医であるアレキシス・カレル医師は、ニワトリから心臓を取り出し、栄養を与え老廃物を洗い流す処置をして30年余り生存させることに成功したといいます。生命活動によって出てくる毒素をきちんと取り除けば、生命は不死に近いものとなることを示しています。

 次に気になるのは、いかなる原因で身体に老廃物が溜まるのか。その老廃物が外に出されなかった場合、いかなる病気が起きてくるのか。そして一番気になるのは、ランドーン博士はいかにして老廃物を浄化したのか、ということです(私は現在実践中です)。
 これに関しては、いずれ機会を見つけて記事を書きたいと思います。


金(キン)大暴落が意味すること...2013年5月8日

 先月(4月)中旬、NY金(キン)はそれまでの1トロイオンス1500ドル半ばから、一気に1323ドルまで下げるという異様な動きをしました。
 たったの2日で200ドルを超える大暴落を演じたのです(下の表の矢印の部分)。






 この金の大暴落は、人為的に引き起こされたものであると解説している人がいます。
 フリーの国際情勢解説者として知られる田中宇(たなか・さかい)氏です。以下のURLはその「通貨戦争としての金の暴落」と題した田中氏の記事です。

http://www.tanakanews.com/130416gold.htm

 田中氏は今回の金の大暴落は米金融界が仕組んだものであり、「債券や株などの市場から、金市場に資金が流出していく事態を未然に防ぎ、金融界の儲けの源泉となっている債券や株の市場を守るため」としています。
 その証拠として、「3月末にはゴールドマンサックス(GS)が、金相場が1オンス1200ドルまで下がるという予測を出していた」といいます。つまりこれは、ゴールドマンサックスを含む米金融界が、これから金相場を暴落させますよという計画を発表したものだというわけです。
 私はこうした田中宇氏の解説に納得するものがあります。
 そして、米金融界が金(キン)相場を暴落させたというのが事実なら、これからの相場の展開がある程度予測できるのではないかと考えました。
 以下は、私が考えた今後の予測です。

@アメリカ及び日本の株式や債券市場の活況はもうしばらく続く。

A金の大暴落は今後も起こりうる。

B今のバブル相場は欧米や日本の中央銀行による官製相場であり、いずれ破裂する


 なぜ私がこうした予測をするかですが、その前に日本の相場について私がどのように見ているかを説明したいと思います。

 5月7日、ゴールデンウィーク明けの日経平均は、前日比486円高の14180円と大幅高となり、4年11月ぶりの水準まで上昇しました。為替も去年の11月の1ドル80円前後の水準から、今や100円を窺う水準まで円安となっています。半年も経たない間に、率にして20%も円安に振れました。
 現在マスコミを通じてこうした円安株高が盛んに報道されていて、人々に景気回復の期待感をあふれさせようとしているようにみえます。円安によって輸出企業の業績は上向きになり、株価の上昇によって景気がどんどん上向きになることは誰しも予想することです。こうして人々にユーフォリア(幸福感)をもたせようと、演出されているかのようです。
 しかし本来の景気回復であるなら、内需や外需が上向いてそれに伴い企業の業績が回復し株価が上昇する流れが先です。企業の業績が上向けば、それが反映されて賃金が上がり、消費が盛り上がります。そうしてさらに企業の業績が上向くという好循環が続いて、初めて景気回復となるはずです。ところが今回は、そうなってはいません。トヨタのような一部の大企業を除いては、企業の業績は回復していないのに、円安と株高だけが独歩高のように進むという形となっています。
 企業業績が回復していないのに、株が上がる理由ですが、構造は極めて単純です。
 大元はFRB(米連邦制度理事会)の大幅なマネーの増発です。リーマンショックのあった2008年9月以降、FRBは$3兆(300兆円)のマネーを刷って市場に流しました(ちなみにユーロでは2010年以来の南欧債(ギリシャ等)の危機を、ECB(ヨーロッパ中央銀行)による3兆ユーロ(390兆円)のマネーの増発で回避しています)。
 FRBは去年9月の量的緩和第3弾(QE3)で、無制限にドルを刷ることを宣言しており、その状態は今も続いています。
 こうしたドルは、世界中のヘッジ・ファンドに大量に流れているといいます。
 吉田繁治氏によると、2012年には世界のヘッジ・ファンドの元本は$2兆に増え、株の買収ファンドの資金量は$3.5兆に増えて、両方で$5.5兆(550兆円)にもなっているといいます。レバレッジをかけた投資では、平均4倍でも2000兆円を超えますが、こうしたマネーが、日本株の買いの主役になっているといいます。
 日本株の売り買いの主体は日本人だと思ってしがいがちですが、事実は全く異なります。日本株の売り買いの6割は、こうした世界のヘッジ・ファンドです。すでに主役は日本ではありません。ヘッジ・ファンドが日本株を買う際に、円安による損失を回避するために必ずリスクヘッジとして円を売ります(当然先物取引だと思われます)。株が上がっても円安になってしまうと、利益が相殺されてしまうからです。それゆえ円安が進むと日本株が上がるという、見事な相関関係が成立します。逆に株が下がると円高になります。それはヘッジファンドが反対売り買いを行い、日本株を売ると同時に、売っていた円を買い戻すからです(これは円と株の裁定取引を行っていると言えます)。
 アベノミクスによって、黒田日銀はこれから未曾有の金融緩和を行うと宣言しました。
 こうした日銀の姿勢が今日の円安株高を生んだと喧伝されていますが、それは本質を捉えていないと私は思います。
 去年の11月から急激に進んだ円安株高の主体は世界のヘッジファンドであり、彼らが日本株をターゲットの一つに選んだというのが真実に近いと思います。アメリカや日本の株高、債券高を演出する動きがあり、アベノミクスも日銀の大幅な金融緩和も、そうした流れの一環にそったものであると私は考えます。
 これが企業の業績が回復していないにもかかわらず株高が進んだ原因だといえます。こうしてみると日米の株高は、各国の中央銀行による典型的な官製相場と言えるものです。

 さて、そうした現状をふまえて、前述した@〜Bについて解説します。

 2008年9月のリーマンショック後に7000ドル近辺まで落ち込んだNYダウですが、このところ史上最高値更新のニュースに湧いています。
 5月7日の時点では、終値で遂に1万5000ドルを突破しました。副島隆彦氏は著書『浮かれバブル景気から衰退させられる日本』(徳間書店)で、NYダウは1万7000ドルまで上げようとしていると書いています。副島氏がどこから1万7000ドルという数字を聞き出したかわかりませんが、こうした水準までNYダウを高騰させる計画があったも不思議ではない気がします。
 一方日経平均ですが、植草一秀氏は著書『金利・為替・株価 大躍動』(ビジネス社)で1万7000円もありうると述べています。植草氏によれば、現在の状況は1995年当時と酷似しているといいます。当時の状況ですが、為替は95年4月の1ドル79円から、98年8月に147円と、大幅に円安が進みました。日経平均ですが、95年7月の1万4千円台から、96年6月に2万2千円台と急騰しました。このように当時は、円安と株高が猛烈な勢いで進みました。去年(2012年)11月から始まった円安株高の進行は、こうした1995年当時の動きを彷彿とさせるものです。
 副島氏や植草氏の予測を紹介しましたが、今回はそれに加えて田中宇(さかい)氏が指摘するように、日米で株価がダイナミックに上昇している状況で、金の大暴落が引き起こされた事実があります。そこに、株式市場や債券市場から資金を金(キン)市場に流失させないという意図を感じざるをえません。だとすれば、こうした円安株高の動きは、もうしばらく続くとみてよさそうに思います。
 そしてもし今後、金(キン)相場が勢いを回復して世界の投資家が再び金(キン)に注目する事態になったら、さらなる金の暴落が仕掛けられると思われます。

 さて、問題は今の円安株高はいつまで続くかということです。
 よく聞かれる話ですが、円安株高は7月の参院選までは続くという人がいます。自民党が参院選で勝利するために景気回復をする必要があるからだというものです。さらには来年春に予定されている消費税の引き上げに関連して説明する人もいます。消費税引き上げは、経済状況を鑑みて決めると法律に明記されています。経済状況を見る時期を安倍首相は、消費税引き上げ時期の半年前と明言しています。とすると今年の秋になるわけですが、そのときに使われる経済指標は4月〜6月の四半期の経済データとなります。ですから6月までは、政府としてなんとしても景気が回復しているかのような数値をはじき出す必要があり、それまでは円安株高を続けるはずだというわけです。
 これに関してですが、私の意見は多少異なります。
 参院選や消費税の引き上げは、日本のローカルな事情です。今起きているのはアメリカ(欧州も含めてですが)と日本の同時株高です。アメリカと日本においてバブルを演出しようとしている米金融界が、アメリカと日本で同時にバブルを崩壊させる計画を練っていることは、容易に想像できます。
 ではそのバブル崩壊の時期ですが、面白いことに副島隆彦氏は、今年の秋ごろと述べています。
 私としては、なぜ今年の秋なのかその根拠をぜひ知りたいと思うのですが、著書『浮かれバブル景気から衰退させられる日本』に明確な理由は載っていません。ただ可能性の一つとして、今年の秋というのはありうる線かなと思います。
 バブル崩壊の明確な時期はわかりませんが、予兆は見てとれるはずです。
 1980年代の日本のバブル期では、株価が崩壊する直前までマスコミが連日株高を連呼し、それまで株に手を出したこともない主婦や若者までもが株を買い始めました。このように株に無縁だった人までマスコミにあおられて株に手を出すタイミングが来たら、その時期が近づいていると考えて間違いなさそうです。

 副島隆彦氏は、これから起きるであろうバブル崩壊は2008年のリーマンショックをはるかに超える金融パニックになるだろうといいます。私もそう思います。そしてそれはドル崩壊の引き金になるかもしれないと予想しています。亡霊のように出ては消える北米共通通貨アメロの噂も気になります。明確なことは言えませんが、バブルの崩壊はそれまでの円安株高と逆の流れである、株の暴落と(一時的な)円の急騰をもたらす可能性があると思っています。
 私の最大の関心は、今のバブルがいつまで続き、そして引き起こされる崩壊(金融パニック)が、いかなる様相を呈するかということです。


N.O.E.Mさんが撮ったUFO写真...2013年4月26日

 当HPの掲示板にN.O.E.Mさんが、UFOかもしれない飛行体の写真を撮られたという投稿がありました。
 しかし当HPの掲示板は写真が掲載できない制限があって、訪問者の方々にご覧いただけません。それで私の方からN.O.E.Mさんにお願いして、いったん私宛に写真を送っていただき、それをHPに掲載することを提案したところ、快く了承していただけました。
 今回は、N.O.E.Mさんが撮られた写真とともに、当日の詳しい経緯を書いていただいたので、それを紹介させていただきたいと思います。

 写真ですがHPのサイトの容量の問題があるので、ここに掲載したものはN.O.E.Mさんから直接送っていただいたサイズではありません。
 私も方で、サイズの縮小や映像の取り出しをしたものだということを、ご了承下さい。

 では、N.O.E.Mさんから送っていただいたメールを紹介します。


 ・・・<N.O.E.Mさんから送っていただいたメールの抜粋開始>・・・

本山さん、こんばんは。

妖精さん達も、こんばんは。

N.O.E.Mでございます。

ご連絡が遅れてしまい申し訳ありません。

では早速、当時の状況から説明をさせて戴きたいと思います。そうさせて戴くことによって何故その飛行物体に「謎の」とか「不審な」といった冠を付けるに至っているのかをご理解して戴けるかと思います。

2012年10月下旬、この日は長距離トレッキングを計画しており黙々と歩いておりました。まだ目的地には到着してはいないのですが、歩き始めて既に約42kmに達しておりました。 生駒山山頂からやや大阪寄りに下った辺りの道を北へ向かって歩いていました。すぐ右上方に山頂があります。 この時点でかなりの疲労感を伴っていたのですが、予定していた到着予定地までまだ数十kmを残しておりましたので脚の筋肉に肉離れなどの事故を起こさないように気を付けながら北へ向かって歩みを進めておりました。 生駒山は大阪と奈良の県境にある標高642mの南北に連なる山地です。

それは時刻にして18時31分頃の出来事でした。 この季節の18時台はもうすっかり暗くなっておりました。夜の山道ですから灯り一つなく真っ暗でした。 ですが時折、西の方角で開けて見える大阪平野の夜景がとても綺麗でした。

そんな時です。北の空に輝きがあることに気が付きました。

まさかこんな場景に出くわすなどとは思ってもいませんでした。咄嗟の出来事でしたので、最初に発見した時の印象的な記憶は二つしかありません。まず初めに(一つ目)遠くの空に強い光が輝いていることに気が付いたことです。最初、何の光なのか判らなかったのですが、動きのあることに気が付きました。 次に(二つ目)その直後、街の灯りか何かで照らされたのかキラリと白かシルバーに光って見えて機体が一瞬、浮き彫りになりましたので、その光源が航空機のライトだと判ったことの主にこの二つです。 

その飛行物体は南に向かって、つまり運よく私の方向へと向かっているようでした。丁度、道が進行方向の北の方角へと真っ直ぐに延びているために北の空が開けて見えていましたのでその動向が見て取れたのでした。

過酷な運動中での疲労感と体力低下時での出来事でしたので注意力を持って観察することが出来ませんでした。私はここは肝心な処だろうと思いますので少々残念なのですが、最初その光に気付いた時は確かにとても強烈に力強く光っていたのですが、そのライトの数が最初から複数だったのか、それとも最初から一つだけであったのかを思い出すことが出来ません。 ですが最初に発見した時、単色ながら煌々と光り輝いていた記憶があります。

処が発見して間もなく、あれよあれよという間にその飛行物体から放たれるライトの光に変化が起こり、気が付くとたった一つの白いライトだけが灯されているのでした。先ほどご説明致しましたが、最初、複数のライトが点灯しているために明るく見えていたものが徐々に消灯してゆき最後に一つのライトのみとなったのか、 それとも最初からライトの数は一つでそれが強烈に輝いていたものが輝度、光量が落ちて一つのライトとして認識するに到ったのかの記憶が曖昧ではっきり致しません。 最初の街灯りらしきものも本当にそうなのかどうかも判然と致しません。確かなことは最初、煌びやかであった状態から小ぢんまりとした一つのライトに変化したということです。

私はこの場景を眼にした時、「あれ? いくら何でもこれは可笑しい!」 と思いました。何故なら通常、航空機の夜間飛行は最低でも3つ以上のライトが常時点灯されているからです。赤色のライトもなければ点滅しているライトも見当たらないのが不可解です。ライトをたった一つしか点灯させないなんて航空法に違反していると思いました。

大・中・小型機もあれば戦闘機もあります。全てのタイプの航空機に当て嵌まっている訳ではないかも知れませんが、例えばこちらのサイトで衝突防止灯や航空灯などの据え位置と役割が簡単に説明されております。
http://rinworld.web.fc2.com/zatugaku/no4.htm

処が、そこから更に進展がありました。最初に発見した飛行物体の位置から私の立ち位置へとやって来るまでの中間地点かやや手前辺りで更にライトの輝度、光量がガクッと格段に落ちてとても薄暗い状態になってしまいました。 私はこの光景を眼にしていよいよ可笑しい、怪しい、不審だと思いました。 よしっ、カメラで撮っておこう、と思い仰角70度辺りに来た時にシャッターを切りました。処がその直後ほぼ真上に差し掛かる辺りで急に左(向かって右)へカーブして山頂に隠れて見えなくなってしまいました。「あれ!?」と思いましたがこの件はこれで幕を閉じてしまいました。

まだ先があり気が抜けませんでしたので再び歩行を開始しました。その直後、確りと眼で追跡していないと見失ってしまいそうなくらい仄暗い薄明りの状態でしたので、これだと大阪からも奈良からも生駒山上を航空機が飛行していることに気が付けないだろうなと思いました。 「巧みだな」 と思いました。

本来、ライトの点灯は航空機同士の衝突を避けるために互いに強力な輝度を持ったライトを点灯させて相手の航空機や周辺に常にその位置を知らせ、また発見させるために夜間飛行にはなくてはならないものの筈です。たった一つのライトをしかも余程注意深く観察しなければ視認できない様な状態で飛行するなんて、どうも釈然としません。 

私はこの説明文のどこも誇張してもいなければ思わせ振りに表現している所もないと気が付ける範囲ではそう思っております。判らない所は判らない。曖昧な所はここが曖昧だと申し上げております。 私にはこの不可解な飛行物体が何であったのか、どこに所属しているものであるのかは全く判りません。

考えられることを挙げてみますと、電気系統が故障した現場に丁度出くわしたのか、それとも地方空港の小型機が独断で消灯飛行をして遊んでいる場面を見ていたのかも知れません。 或いは自衛隊機か米軍機が秘密裡による何らかの工作飛行でも行っていたのかも知れません。こんな所でしょうか。

肝心な音についてなのですが、割と近距離だったのですが残念ながら飛行音には注意を払うには至らず気が付きませんでした。本来なら確実に騒音を体感している距離です。騒音は人から呼び掛けられているようなもので気が付くはずなのですが、音そのものに意識を向けておりませんでしたので記憶にありません。残念です。 もう体力的にへとへとの状態でしたので(笑)




では撮影した写真をご紹介させて戴きたいと思います。 残念ながら映像を明るく編集操作して確認して見たのですが機体やシルエットらしきものは全く確認できませんでした。

この写真に写っている光は、例えば機体全体を発光させている物体が遠くの上空で飛行しているものではなく、差ほど遠くない距離、或いは割と近距離を飛行している飛行物体の機体の一部分から発せられている光を撮影したものです。

(1) こちらはそのオリジナルのサイズの写真です。その時は気が付かなかったのですが、データをパソコンに取り込んで見てみましたら左下の所にも小さな横に長い光が写っておりましたので、このオリジナルサイズの写真だけ添付の画面サイズを大きくして見ました。本山さん、如何でしょうか。ご確認できますでしょうか。 肉眼ではもっとボーッとしていて薄暗く見えていたのですが、コンパクト デジタル カメラが少ない光量の場合はその光を少し集めて強調させる仕様に基からなっているために肉眼で見た時とは違って比較的はっきりと写っているように、この写真ではそのように見えております。
 (管理人注:写真サイズを小さくしてしまうと左下の小さな横に長い光の部分は見えないので、カットしました)





(2) こちらは本光と左下の横長光を確認し易いようにトリミング(切り取り加工処理)したものです。





(3) こちらは(2)を更に加工編集処理して光を強調し確認し易くしたものです。 如何でしょうか。可笑しいとは思いませんか? どうして下の光だけ横に長いのでしょうか? もし手振れなら上の本光も横に伸びている筈です。 手振れして写っている場合は画像内の全ての被写体も同時に同じ長さ分、伸びて写っている筈ではないでしょうか。 全体の中の一部分の被写体だけが手振れして写っているなどということがあるのでしょうか? 不可解です。






(4) こちらは本光をトリミングした拡大画像です。





(5) こちらは(3)の横長の光の部分をトリミングしたもにです。





(6) こちらはおまけです。 上記を撮影した1時間30分後に西から東へ向かって飛行しているジェット機を撮影したものなのですが、周囲の暗い部分がノイズでザラザラしていますがこれは機体が確認できますのでそれが判り易いように明るめに編集したためにこのように見えているものです。 ですがこちらは上記よりももっと高い高度を飛行しています。





(7) こちらもおまけです。こちらは別の日に撮影したものなのですが、機体が確認できますのでそれを強調するために(6)同様の編集処理をしたものです。 (6)もそうですが、勿論、編集処理などしなくとも機体は確認できているのですがメールの添付データの画像は格段に画質が堕ちているのと画面のサイズが小さいために分かり難いのでそのようにさせて戴きました。 こちらも今回遭遇した謎の、または不審な飛行物体が飛行している高さよりも遥かに高い高度を飛行しています。





以上でございます。

本山さんのHPに写真を掲載して戴けるということですが、実は私は余りそれを望んではおりません。

そもそも何故、本山さんのHP内の掲示板に訪問される皆さんにも謎の、または不審な飛行物体の写真をご覧戴こうと思ったのかですが、 それは私にはこの時遭遇した識別不能の飛行物体が一体何であるのか判らないからです。やはり地球製なのか、それとも宇宙由来なのか・・・。 そこで皆さんにもご覧戴いて何かお判りになる方がいらっしゃったら教えて戴けたらといった思いも加味させて戴いているのでございます。 以前にもお話をさせて戴きましたが私は何も感じませんので判りません。 本山さんはこの画像をご覧になられて如何でしょうか。何かお判りにならないでしょうか? 他にこの画像をご覧になられた方の中に直感や波動で判る(判別が付く)という方、 霊視・透視・RVでお判りになるという方がいらっしゃいましたら教えて戴ければと思うのですが。 と、こういった心境の旨から本山さんのHP内の掲示板にこの事を投稿させて戴こうかという思いからでした。 

本山さんのHP内の各項目の記事は一様全てご拝読させて戴いていたのですが、「訪問者の投稿欄」 には余り関心を寄せておりませんでしたので、何度かチェックした程度で後は長期に渡って訪問者の投稿欄を開いて閲覧することはありませんでした。 常に本山さんの記事が更新されているか否かだけを確認するに留まっておりました。 訪問者の投稿欄をよくチェックさせて戴くようになりましたのはここ最近のことになります。 もしかすると結構そんな人は多いのではないでしょうか。

ですから私はもっと情報を得たいという自由意志を持って積極的に訪問者の投稿欄の扉を開いた来訪者の方々に知って戴ければそれで良いかな程度に考えておりますので、表への掲載は余り望んではおりません。

それに、誤認であれば人騒がせになりますから(笑)



写真を掲載なされるか否かは本山さんにお任せ致しますが、じっくりとお考えになられてからでも良いのではないかと思います。

お忙しい中を最後までご拝読下さり、ありがとうございました。


それでは、本山さん、おやすみなさいませ。

妖精さん達も、おやすみなさい。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 N.O.E.Mさんは、UFOだという確証もないこともあり、表(HPの先頭ページ)に掲載されることをあまり望んでおられないということでしたが、再度掲載をお願いして了承していただきました。

 ちなみに千さんのお爺ちゃんセッションで、このN.O.E.Mさんの写真を見てもらい本物のUFOかどうか聞いたところ、本物だという答えでした(ただし左下の横に長い光線は人工物だという答えでした)。
 興味深いことに、UFOはN.O.E.Mさんの前に偶然現れたわけではなく、N.O.E.Mさんに確認できるように現れたといいます。
 このUFOの操縦者(地球外知的生命体)からN.O.E.Mさんにメッセージがあって、それは「4次元的なものに集中してほしい」というものだったといいます。そういうことであれば、当然N.O.E.MさんとUFOの操縦者は、以前から何らかの繋がりがあったと考えられます。それを聞いてみると、古代エジプトの時から関係があったという答えでした。
 N.O.E.Mさんから後日いただいたメールによると、N.O.E.Mさんはこの写真を撮った直後に、「宇宙船ですか!」と呼び掛けてみたそうですが、スーッとカーブして見えなくなってしまったそうです。そして、その時のカーブを描いた曲線がとても滑らかな動きに見えて、N.O.E.Mさんは「凄い!」と思ったそうです。
 こうした動きからも、UFOはN.O.E.Mさんになんらかのメッセージがあったように思えます。

 N.O.E.Mさんも強調しておられますが、この写真がUFOだという確証があるわけではありません。
 千さんのお爺ちゃんセッションのリーディングも、一つの見解でしかありません。それゆえN.O.E.Mさんも私も、UFOだと主張してここに掲載しているわけではありません。訪問者の方々のそれぞれの見解で見ていただければと思います。

 ただ夢のある話だなと思います。


加治将一氏が推理する邪馬台国の場所...2013年4月20日

 日本古代史における最大のミステリーは、女王卑弥呼が君臨した邪馬台国がどこにあったかということで、江戸時代から論争が尽きなかったといいます。
 2009年に奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、3世紀前半としては国内最大の建物跡が見つかりました。これは九州説の候補地の一つ、吉野ケ里遺跡(佐賀県)で出土した建物跡より大規模であり、卑弥呼が住んだ宮殿跡ではないかということで、畿内説を唱える人々を活気づかせました。

 以前当HPに記したことですが、私はアカシック・リーディングで邪馬台国が何処にあったか、アカシャに質問したことがありました。
 答えを待っていた私の目の前に現れた文字は、「大分」と「福岡」の2つでした。後で千さんのお爺ちゃんセッションで質問したら、邪馬台国は、大分県と福岡県の県境にあったといいます。ただし畿内説もあながち間違いではなく、卑弥呼の後半の時代は近畿圏もその勢力圏内にあり、卑弥呼自身も近畿圏に出掛けていくこともあったといいます。それゆえ卑弥呼の痕跡が、九州北部と近畿圏の両方に残ったというのです。
 この答えが真実であったとすれば、邪馬台国が発祥した場所は北九州なのですから、やはり邪馬台国は北九州にあったと答えざるをえないと思います。
 もちろんこれらはスピリチュアルな側面から場所を特定したものですが、私なりに納得していました。
 そんなおり、加治将一氏が『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』から、邪馬台国の場所を推理した著書『舞い降りた天皇(上)(下)』(祥伝社文庫)に出会いました。
 邪馬台国に関する記述は『古事記』『日本書紀』にもなく、唯一あるのは『魏志倭人伝』のみです。
 それゆえ学者も民間の研究家も『魏志倭人伝』をいかに読み解くかというのが鍵となっていました。『舞い降りた天皇(下)』での加治氏の読み解きは私にとって痛快そのもので、今回はそんな加治氏の推理を紹介したいと思います。

 まず『魏志倭人伝』に載っている、邪馬台国までの行程の一部を引用します(これは中国側から見た邪馬台国への行き方の一部です)。

 <はじめて海を渡ること千余里、対馬国…>
 <又海を渡ること千余里……一支国…>
 <又一海を渡ること千余里、末盧国…>

 この行程で、出発は狗邪韓国(くなかんこく)で、これは現在の釜山(ぷさん)にあたります。それから千余里で対馬国(現在の長崎県の対馬)に到達し、そしてさらに千余里で一支国(長崎県の壱岐)に到達するとあります。そしてさらに千余里で末盧国(長崎県の松浦半島)に至るとあります。
 邪馬台国に卑弥呼が君臨していた当時、中国は三国志の時代でした。
 邪馬台国が朝貢していたのは、日本に一番近い(三国志の曹操で知られる)魏(ぎ)の国です。魏の国で一里は400mでした。すると千余里は、少なくとも400kmとなります。それが学者を悩ませていた種でした。400kmの3倍となると1200kmとなり、どう考えても邪馬台国は太平洋の海の上にしか存在しないことになってしまいます。
 加治氏の推理は、一里が400mの『長里』ではなく、77mの『短里』ではないかということです。
 『魏志倭人伝』の作者は陳寿(ちんじゅ)ですが、日本を実際に訪れたのは梯儁(ていしゅん)と張政(ちょうせい)という2人の役人です。『魏志倭人伝』は、かれらの報告書をもとに陳寿が書いたものです。梯儁と張政は、現在のソウル近郊にあった魏の外交窓口であった帯方郡(たいほうぐん)の役人ですが、その帯方郡では『短里』が採用されていた可能性があるといいます。というのも『短里』は中国の遙か昔の殷(いん)の時代しか使われてなかったのですが、その殷が滅亡したとき殷の一族が朝鮮半島に逃れ、新しい国を造ったという史実があったからです。
 実際のところ『短里』を使うと千里は77kmとなり、実測である、

 釜山〜対馬=約50km
 対馬〜壱岐=約40km
 壱岐〜松浦半島=約25km

 に非常に近くなります。
 当時は海上での距離を正確に測る手段がなかったことを考えれば、妥当な線だといえます。でも50km、40km、25kmをすべて、千余里と表現している点に突っ込みを入れたくなる人もいると思います。しかし当時は距離を、1日で移動できる感覚で表現したという背景がありました。つまり船で1日海を航海すると着く距離を、一緒にして千余里と表現したというわけです。ちょうど釜山→対馬→壱岐→松浦半島の行程は、おのおの当時の船で1日の距離だったのです。

 次に加治氏は難問にぶつかります。
 九州に上陸した一行は陸路で邪馬台国に向かうと思われますが、そこで当惑する記述があります。
 『魏志倭人伝』に載っている、邪馬台国までの直前の道です。

 <南の方投馬国に至る。水行二十日>
 <南、邪馬壹国に至る。女王の都する所。水行十日、陸行一月> (管理人注:「邪馬壹(やまい)国」とは邪馬台国のことです)

 投馬国から邪馬壹国まで、水行二十日プラス十日、陸行一月とあるので、計40日も掛かるわけです。
 これが畿内説を主張する学者の根拠の一つとなっています。北九州に上陸してから、行程で40日も掛かるのは北九州内ではありえないからです。この謎を加治氏はなんとか解こうとするのですが、なかなか解けません。
 それで、直接『魏志倭人伝』の作者である陳寿に聞いてみることにしたのです。
 聞くといっても陳寿は1700以上年前の人物ですので、この世にいません。加治氏は、瞑想で陳寿に出てきてもらい質問するのです。
 その部分を抜粋して紹介します。
 陳寿は『魏志倭人伝』を直接示すのではなく、『日本書紀』に載っている大和朝廷がチャイナからの使者をどのようにもてなしたかという記述を示します。つまり当時の習慣にヒントがあるというわけです。
 本は小説形式となっており、加治氏は望月という名で登場します。


 ・・・<『舞い降りた天皇(下)』、p159〜p163から抜粋開始>・・・

 豆大福がなかったので、閃きを呼ぶには瞑想しかなかった。その場で帽子を被り直してから背筋を伸ばし、目を閉じた。
 しばらくすると灰色のスクリーンにチャイナ服姿の陳寿が現われる。夜も白む時刻だが、さかんに机に向かって書き物をしている。ヒントをくれるよう和やかに頼むと、陳寿はにこりと笑った。それから机の上を見回し手を伸ばす。かざした手に持っているのは一冊の本である。
 小さな本だ。分かった。いつも持ち歩いている望月の『日本書紀』である。文庫版だ。現代の文庫が陳寿の手に……。
 陳寿は推古天皇16年記のページを示し「お探しの物はここにあります」と言った。低い、なかなかいい声だった。
 望月は礼を述べて、ゆっくり目を開けた。ポシェツトから本を取り出す。静かにだ。まだ瞑想が解けておらず、急ぐと身体に毒なのだ。ゆっくり、そう、ゆっくりとページを探す。
 目的のページを開いて読みふけった。ひととおり読み終え、息を吐く。
 −−−万事が、そういうことだったのだ……−−
 描かれていたのはチャイナからの使者を、ヤマト朝廷が出迎えた実際の様子だ。
 やって来た使者は、裴世清(はいせいせい)と下部(しもべ)の12人である。
 6月15日、朝廷は派手に飾り立てた30艘もの船で、ご一行を江口(大阪市中之島あたりか)にまで出迎える。飾り船は周囲の庶民に見せびらかしながら優雅に川面を漕いでゆく。行き先は迎賓館だ。ヤマト朝廷は、この日のために数ヵ月前から準備にとりかかっており、用意万端おさおさ抜かりなく、わざわざ難波津の近くに迎賓館を新築しているのである。
 迎賓館では酒宴の席も忙しく中臣(なかとみ)、大河内(おおしこうち)らの高官が恭(うやうや)しく待ち受けている。ご一行は数日をそこで過ごし、それから再び船上の人となる。川の流れに逆らいようやく都に入ったのは8月3日のことである。
 今度の迎えは、飾りをつけた馬75頭というたいそうな行列だ。場所は三輪山麓(ふもと)、海石榴市(つばいち)付近であり、これまたチャイナの使者を歓迎する庶民が大勢集められている。
 儀礼にのっとって額田部連比羅夫(ぬかたべのむらじひらふ)が祝辞を述べ始める。
 それからいよいよ朝廷である。訪問日は8月12日。案内係は阿倍(あべ)と物部(もものべ)という最高布陣である。
 一行は唐から持ってきた贈答品の数々を庭に並べ、互いに長い、誉めちぎりの挨拶を述べ合い、その後、恭しく奥から天皇がお出ましになって儀式は無事終了する。だがそのまま帰れるわけではない。朝廷での宴席は8月16日まで続いている。
 使者は帰路につくが、再び難波津で足止めを食う。大郡(おおこおり)という接待施設でもてなしを受けるのだが、時は9月に入って5日目である。呑めや歌えやの日々が続き、すっかり骨抜きになった頃、ようやく帰還とあいなる。9月11日だ。
 チャイナの使者が都を訪れるということは、こういうことなのである。
 スケジュールを追ってみると、今の大阪、難波津から奈良の三輪山の麓まで、普通ならばせいぜい2、3日だが、なんと1月半を超えているのだ。それから朝廷まではさらに約10日である。
 このことを<水行一月半、陸行十日>と表わしたとしたら、どうだろう。
 望月はこう解読した。
 すなわち使者は、接待なしのノースケジュールの場合はく里>で距離を測れるが、花行列と酒宴が挟まる場合は日数でしか換算できない。だから「申告」はく日>になった。
 おそらくそうだ。違いない。
 投馬国までのく水行二十日>、邪馬壹(やまい)国へのく水行十日、陸行一月>には花行列と酒宴がみっしりと詰まっていたのだ。
 『日本書紀』をポシェツトに仕舞うと、腹の中の疑問を全部吐き出した感じで爽快だった。
 望月は陳寿の気遣いと背後霊に礼を言い、もう一度、深山幽谷の地を眺めた。
 −−−卑弥呼の庭か……−−
 そう呟き、タクシーに戻った。
 邪馬壹国の家は7万戸である。平均家族の頭数を4人としても人口は28万人になる。
 耶馬渓の山間部はそう広くない。無理したら押し込めるだろうが耕作面積が足りない。住めるが食えないのだ。だが心配は無用だ。北方には大平原、中津平野が広がっている。周防灘に面する中津平野なら20万や30万人は楽勝である。
 タクシーに揺られながら魏の使者のことを改めて思った。
 樹木が厚く斜面を覆っている、耶馬渓の奥にある卑弥呼の宮へと使者の一行が進んでゆく。
 使者はようやく、自然の長城に守られ、ひたすら不気味な祈祷に打ち込む卑弥呼の姿をちらりと目撃する。要するにこれがく水行十日、陸行一月>なのである。
 <王になってから姿を見たものは少ない>

 谷間を囲む複雑な山壁に隔離されていたのだろう、記述からは使者でさえじっくりと卑弥呼を拝んだことがないようである。
 望月はタクシーの後部座席で、思わずにやりとした。これまでぎくしゃくしていた部分が、立体的に描けたのだ。うまく運びすぎるほどだが、もう一つ「邪馬壹国」が九州北東部であれば、以前から気になっていた『魏志倭人伝』の重要証言も、ぴったりと当てはまっていた。

 <女王国から、東へ千余里ほど海を渡るとまた国がある。みな倭と同じ人種である>

 近畿説の学者には致命的な一行である。近畿の東に海はないし、陸地を歩いたところでぶち当たるが太平洋だが、海のその向こうに倭人はいない。
 邪馬壹国が今の大分県北部だと話は早い。東に行けば四国があり、その地は航海で一日、すなわち千余里だ。方角距離共に小気味よく一致する。

 ・・・<抜粋終了>・・・

 加治氏は重要な事実に気づきます。
 釜山→対馬→壱岐→松浦半島のルートは、距離を示す「里」が使われているのに、次はく水行十日、陸行一月>という風に、日数しか書いていないのです(ちなみに加治氏は水行とは川をさか上ることだと推理しています)。チャイナから来た役人は、距離を測ろうにも、いたる処で宴席をもうけられて足止めをくうので、日数で表現するしかなかったというわけです。

 加治氏の推理に脱帽です。


医原病...2013年4月15日

 医原病(いげんびょう)と聞いて、「なにそれ?」と思われた方は多いと思います。
 かくいう私も医原病という言葉すら知りませんでした。医原病とは、医療行為が原因で生ずる疾患だといいます。つまり病気を治してもらおうと思って病院に行くわけですが、医者の治療を受けたがために、逆に病気を重くしてしまう、あるいは違う病気をもらってしまうことです。
 これだけなら、人間がやることですから医療も完璧とはいかないわけで、運の悪い人なら起こりそうな気がします。
 しかし医原病が死因の第1位だといったら、どうなるでしょうか。いくら医療の進歩が試行錯誤とはいえ、死因の1位にランクされるとすれば、おだやかな話ではありません。
 今回は医原病を『人殺し医療』(ベンジャミン・フルフォード著、KKベストセラーズ)から紹介したいと思います。
 まずアメリカで医原病が死因の第1位であると発表された調査結果からです。


 ・・・<『人殺し医療』、p14〜p17から抜粋開始>・・・

 * アメリカで最も多い死因は?

 医原病をご存じだろうか?
 おそらく知っている人は、皆無だろう。当然である。そもそも日本の医療関係者が「医原病」について語ることは、まずありえない。報道は、完全無視。毎週、どこかのチャンネルで必ず放送している医療ドラマが「医原病」を題材で取り上げたことは一度だってない。知りようがないというのが実情だろう。
 では、こう質問を変えよう。
 全米第1位の死因は何か?
 そう問われたら、たいていの人は、すぐさま「がん」を挙げるだろう。あとは心臓疾患、脳梗塞のいずれか。アメリカに限らず先進国では、疫病死や自然死が減って、がん、心臓疾患、脳梗塞が三大死因となる。それが一般的な「常識」であろう。そうして、私たちは騙されてきた。
 なぜなら全米1位の死因は「医原病」だからである。
 最新のデータ(2004年アメリカ)によれば医原病による死者数は、年間78万3、936人。第2位の心臓疾患が69万9、697人、がん(悪性新生物)が55万3、251人で第3位となっている。この調査結果は決していい加減なものではなく、アメリカで30年以上のキャリアを持つニューヨーク州NP0法人「アメリカ栄養研究所」の創立者であるゲーリー・ヌル博士の調査によるものなのだ。
 2000年にも権威あるアメリカ医師会ジャーナルで同様の内容が発表されている。こちらはジョンズ・ホプキンス大学(Johns Hopkins School of Hygiene and Public Health)のバーバラ・スターフィールド医師が医原病による年間死者数を25万人相当と推計。この数値の場合でも全米第3位にランクインする。ジョンズ・ホプキンス大学は、アメリカ医学会の名門中の名門、いわば西洋医学の総本山が「医原病」をアメリカの三大死因と公式に認めているのだ。
 アメリカで第1位、少なくとも第3位の死因ということは、日本を含めた先進諸国でも同様の結果となるはずだ。
 にも拘らず、その「医原病」を、私たちは、意味はおろか、言葉すら聞いたことがなかった。驚くべき事実というか、恐るべき現実、そう嘆きたくなる。
 医原病とは何か。ウィキペディアには、こう記してある。
 「医療行為が原因で生ずる疾患のこと。医源病、医原性疾患も同義」
 病院で治療を受けた結果、それが原因となって病状を悪化させて死亡したという意味となる。院内感染や投薬ミスなどの医療過誤、診断や処置を間違えるなどの医療ミス、医療関係者の技術的落ち度からくる医療事故、他にも薬害、医薬品の副作用、医療器具の不具合なども含まれる。
 まどろっこしい言い方はやめよう。
 アメリカ最大の死因は「医者」なのである。
 全米3位と見積もったスターフィールド医師は、その調査報告の中で「少ない数値が出やすい状況での調査結果だ。別の調査方法を採用していれば数値はもっと高くなっただろう」と認めており、医原病の死者数を78万人と見積もったゲーリー・ヌル博士の数値は、かなり信びょう性が高いのである。
 全米で78万人。凄まじい数字である。ちょっとした大都市が、毎年、一つ、医者によって消滅している計算となる。言い換えれば、500人乗りのジャンボジェット機が毎日、アメリカの何処かで4機、墜落事故を起こしているのと一緒で、「病院」に行くというのは、毎日、墜落するジャンボジェットに乗り込むのと同じリスクという計算になる。
 ある特定のジャンボジェット機が毎日4機、必ず墜落していたら、果たして人々は、そのジャンボジェットに乗るだろうか? まともな人なら別の移動手段を考えるはずだ。
 ところが最初に述べたように、私たちは「医原病」という言葉すら知らなかった。ましてや、それが死因第1位という事実すら知らされていなかった。
 ここに医療問題の抱えている深い「闇」があるのだ。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 私は正直なところ、この記事を読んでショックを受けました。
 いくらなんでもまさか・・・、という思いでした。おそらく当HPの訪問者の多くの方々も私と同じ思いをされたと思います。
 フルフォード氏はこの医原病をテーマとする本の企画段階で、担当編集者すら納得せず苦労したといいます。多くの日本人の常識的な感覚からいって、死因の1位が医者の治療を受けることと聞いたら、驚かないはずがありません。


 ・・・<『人殺し医療』、p17〜p19から抜粋開始>・・・

 *死因にカウントされない医原病

 全米で毎年78万人が医療行為によって亡くなっている。先のスターフィールド医師の調査報告では、医療行為によって死亡するケースだけでなく、それによって不具になったり、障害を被ったりする人数をアメリカで年間200万人以上と推計している。毎年200万人が医原病による重い疾患になっているとすれば、当然、それが原因で寿命を縮めて、別な病気を併発して亡くなるケースも出てこよう。その場合、直接の死因は、別の病気になるために医原病としてはカウントされない。実は、ヌル博士の78万人ですら、かなり甘い見積もりの可能性だってあるのだ。
 ところが、医原病の恐ろしさをいくら説明しても、大半の人は、「まさか?」「さすがに大げさだろう」と、なかなか真剣には聞いてもらえない。
 実際、本書の企画段階でも担当編集氏を納得させるまで、相当、苦労した。
本書の担当編集氏は、何冊もの医学関係の本を担当し、さらに「医療ドラマを観るのが趣味」と、かなりの医学知識を持っている。その彼ですら「医原病」については、「聞いたことはない」といい、全米1位の死因と説明した際、はっきりと「嘘でしょう」と返答してきた。担当編集氏とのやりとりを一部、紹介したい。
 「確かに医療過誤、医療ミス、薬害などで、ある程度の人が障害を被り、病状を悪化させた結果、なかには亡くなる人もいることでしょう。ですが、現代医療で、それ以上の人が病気を治してもらい、科学的な医療の恩恵を受けている。医学は、トライ&エラーの繰り返しで、医原病的な失敗を反省し、改善していくなかで新しい治療方法が生まれ、画期的な新薬ができるんじゃないでしょうか」
 この担当編集氏の弁こそ一般的な常識人の反応だろう。誰もが「まさか医療行為が死に直結している」と考えたくないし、「病院に行くと死期を早めるか、もしくは病状が悪化する」など信じたくもない、そう思うのは理解できなくもない。
 では、こう反論しよう。本当に現代医療が健全ならば、医原病について堂々と死因の一つに挙げ、そのリスクも含めて、世の中に理解を求めていけばいいのだ。
 現実に医療ミス、医療過誤、医療事故は、頻繁に起こっている。薬害エイズ、薬害肝炎といった社会問題となった薬害事件だけでなくとも、薬の副作用で苦しんでいる人など、今や珍しくはない。抗がん剤などの副作用の激しい投薬が原因で体力を奪われて亡くなる人もたくさんいる。医療行為が、それこそ患者の命に関わるのは、ちょっとした手術や医療処置、投薬で患者さんから免責を含めた同意書を取っていることからも、医療関係者が一番、理解しているはずなのだ。
 ならば薬の副作用や手術が原因で亡くなった人に対して、免責に同意して医者や病院に責任を問わない代わりに、死因をきちんと「医原病」としてカウントするのが、医療関係者としての誠意ではないだろうか。
 ところが、やっていることは「医原病」を隠蔽することばかりだ。
 実際、日本では心臓疾患が死因の第2位で年間約18万人(厚生労働省調査2010年)となっている。高齢者が心筋梗塞などの病気で亡くなるケースは確かに少なくない。
 しかし心臓疾患が多い理由は、「原因不明」、もっといえば、医者や病院が原因不明にしておきたいとき、心不全で処理するためなのだ。心不全とは、要するに「心臓が止まりました」。なぜ、心臓が止まったのかには言及しないための「魔法の言葉」なのだ。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 フルフォード氏が、
 「薬の副作用や手術が原因で亡くなった人に対して、免責に同意して医者や病院に責任を問わない代わりに、死因をきちんと「医原病」としてカウントするのが、医療関係者としての誠意ではないだろうか」
 というのは、至極まっとうな意見だと思います。
 しかし私たちは医原病という言葉すら知らされてきませんでした。つまり隠されてきたわけです。隠されてきたというのは、人々に知られてはまずい事実があったということです。
 それらを病気ごとに見ていきたいと思います。
 まずは「がん」です。


 ・・・<『人殺し医療』、p20〜p21から抜粋開始>・・・

 *年間3万人の自殺者の何割かは医原病の可能性

 もう少し隠蔽されてきた「医原病」について言及していこう。
 日本の死因第7位は自殺である。だいたい年間3万人前後が自殺で亡くなっている。自殺大国ニッポンと、テレビや新聞で報じるとき、たいてい「リストラにあった」「仕事がなく金銭苦が原因」など、あたかも不況による自殺、社会不安が原因という扱いで自殺者数を取り上げている。「豊かなはずの日本で、なぜ、自殺者が3万人もいるのでしょう」と眉をひそめるわけだ。
 もちろん、経済的な理由で自殺する人もいるが、実は、自殺者の半数は「健康上の理由」なのである(『警察白書』平成20年度版)。ここからが肝心だ。その健康上の理由で自殺する人の多くは、末期がんなどの抗がん剤治療の苦しさから逃げ出すために自殺に走る人がかなりいる。医療ドラマなどでお馴染みだろうが、抗がん剤の治療は、非常に副作用が強く、患者の負担が大きい。それで完治するなら、まだ副作用に耐える価値もある。ところが抗がん剤は、がんの進行を遅くする効果しかない。つまり、効果のある(副作用の強い)抗がん剤治療は、地獄の苦しみが、より長引くという意味になっていくのだ。どうせ治らない、助からないのなら、いっそ苦しまずに死にたい、体力が残っているうちに自殺に走ってしまうのだ。
 抗がん剤については別の章でも取り上げるが、抗がん剤とは「人を生きたまま部分的に殺す」薬である。簡単にいえば、がんの進行を止めるために患者の生命力を奪うのだ。通常、認可を受けて標準的に使用されている抗がん剤の多くは「効果は2割」といわれている。この2割とは「2割殺し」の意味で、患者の体力、いわば生命力を2割分奪うことでがん自体を2割殺すわけだ。極端な話、がんを5割消滅させる抗がん剤は、その服用者の生命力を5割奪って「半分生きて、半分死んでいる」というシュレーディンガーの猫のような状態にする。がん細胞は、患者のエネルギーで成長している。肉体が「半分死んでいる」人のがんは、結果的に通常の半分まで縮小して半分の速度で進行することになる。
 半分死んでいる状態で、普通、人は生きていけない。結果、がんではなく衰弱して亡くなる(そして抗がん剤は効果があったというデータとなる)。「病気は治った、でも患者は死んだ」という典型的なドクタージョークが、抗がん剤治療なのである。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 次に「うつ病」です。


 ・・・<『人殺し医療』、p22〜p24から抜粋開始>・・・

 それだけではない。「健康上の理由」で自殺するのは末期がん患者だけでなく、うつ病患者も相当数、存在する。うつ病の治療には、その病状に応じて、強い向精神薬を投与する。向精神薬とは、ドラッグ用語で言う「アッパー系」で、精神が高揚してハイテンションになる。うつ病で落ち込んでいる人をクスリで元気にしてやるわけだ。
 重度のうつ状態のとき、自殺する人はほとんどいない。自殺する「元気」すらなくなっている状態が「うつ」なのだ。つまり向精神薬の投与量を見誤って増やしてしまうと患者に「自殺する元気」を与えてしまう。実際、年間7、000人のうつ病患者が自殺しているが、その多くは投薬量(服用量)のミスマッチと考えられている。
 今の最新医薬は飲めばすぐに効く。それだけに、うつに苦しんでいる人は、ついつい薬に頼って飲み過ぎてしまう。それが暴走すると自殺へとつながってしまうわけだ。
 効き過ぎる医薬品は諸刃の剣となりゃすい。自殺させてしまうぐらいならハーブティーなどで精神安定させたほうが、まだマシだろう。とくにコカインの原料となる南米原産の「コカ茶」は、下手な向精神薬より「うつ症状の軽減効果」があると言われている。南米では当たり前のように売られて飲まれている、この素晴らしい代用品は、日本に持ち込めば税関で即逮捕、麻薬取締法で何年も刑務所にぶち込まれてしまう。まったくひどい話だ。現状、コカ茶が無理としても、その代用品としてお薦めなのはラフマ茶だ。以前、書籍編集を手伝ってもらったフリーライターのA氏がうつ病のとき愛飲して非常に効果があったという。彼は病院で処方された安定剤を飲むと体調を崩すために却って病状が悪化、それで薬をすべて止めてラフマ茶を飲んでいたら、すっかり治ったらしい。ラフマ茶は北海道にも自生する薬草の一種で、薬効成分はうつ治療の医薬品にも認可されている。
 いずれにせよ、年間3万人の自殺者のうち、相当数が「医原病」由来と見て、ほぼ間違いないだろう。

 ・・・<抜粋終了>・・・

 次に「肺炎」です。


 ・・・<『人殺し医療』、p24〜p27から抜粋開始>・・・

 *たかが「肺炎」で年間12万人が死亡するその訳は

 医原病と目される死因は、まだ他にもある。
 第4位にランクインする「肺炎」である。肺炎は、年間、だいたい10万人から12万人の間で推移する。厚生労働省がまとめる死因では「肺炎」と一括りにしているが、これじたい、かなり意図的で、医原病隠しと考えていい。
 肺炎に死亡者数が多いのは、肺が炎症を起こして息ができなくなり、呼吸器不全で最後は窒息してしまうからだ。普通、肺炎と聞いて、私たちがイメージするのは、インフルエンザや風邪による肺炎だろう。これは「市中肺炎」といって、まず、この市中肺炎で亡くなることはない。もちろん、老人や乳幼児、他の病気や怪我などで極端に体力がないときには、病状をこじらせて亡くなるケースもある。しかし基本的には稀な話で、病院に行って抗生物質や栄養剤を投与してもらえば、たいていは確実に治る。
 では、どうして肺炎が死因の第4位なのか。
 実は、肺炎死因につながっているのが、いわゆる「院内肺炎」だからである。
 よく院内肺炎では「院内感染」が問題となる。院内感染とは医学用語で使う場合、抗生物質耐性菌、多剤耐性菌に感染する狭い意味となる。
 病院で抗生剤を使っていると、抗生剤に耐性を持つ変異体ウイルスが出てくる。病院内でしか存在しない病原体に感染したから「院内感染」というわけだ。
 院内感染で問題となる耐性菌は、抗生物質が効かない。いったん、病状が悪化すると、回復が難しく亡くなるケースが多い。それで何かと話題となるわけだ。
 だが、耐性菌による院内感染など、実際にはめったに起こらない。だからメディアが大騒ぎするのだ。そんなレアケースで、当然、何万人も死者が出るわけはない。肺炎の問題は、あくまでも「院内肺炎」が大半の死因となっている。
 そもそも「院内肺炎」とは、手術後の「術後性肺炎」、副作用の強い薬剤投与の「薬剤性肺炎」を示す。医療行為によって体力が落ちているとき、何らかのウイルスや菌類に感染、肺まで炎症を起こすと、さっきも言ったように窒息(呼吸器不全)で死亡する。院内肺炎がやっかいなのは、健康体なら熱すら出ない無害のウイルスに感染して病状が悪化することにある。実際、院内感染で問題となる耐性菌にせよ、健康な人なら、まず、感染することはないし、感染しても本人が気づかないうちに体内の免疫システムで処理される。基本的には感染力の弱い無害な菌なのである。
 ところが手術後や薬剤投与でめっきり体力が落ちていると、そんな無害な菌に感染してしまう。この無害な菌が困りもので、インフルエンザといったわかりやすいウイルスなら、すぐにウイルスを特定して、効果的な抗生剤で対処できる。しかし何の菌に感染したのか分からないケースでは、どうしても対応が遅れてしまう。結果、最後の手段として「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」方式で、あらゆる種類の抗生物質を大量投与する。手術で体力が落ち、肺炎でダメージを受けたところに、強い副作用を持った大量の抗生物質や薬剤を何種類も投与されるのだ。アレルギー性のショックだけでなく、異常のなかった臓器までダメージを受けて多臓器不全などでショック死することになる。
 現実問題として、耐性菌による院内感染より、空気中に当たり前に漂っている普通のウイルスや菌、カビなどに感染して亡くなるケースが圧倒的に多い。だからこそ、たかが「肺炎」で11万人などという死者数になるのだ。
 もうお分かりだろう。この院内肺炎は、典型的な医原病なのである。
 確かに薬剤性肺炎、術後性肺炎は、治療が目的である以上、一概に「悪い」と決めつけるわけにはいくまい。もちろん無菌室や殺菌で感染を防ぐ努力をしていることも理解している。もともと他の病気で体力が落ちている老人も多いだろう。それでも院内肺炎になるリスクがある以上、院内肺炎で死亡した場合は「医原病院内肺炎」、そうカウントするのが医療従事者の「誠意」ではないか。肺炎は結果であって、原因ではない。原因は「医療行為で体力を著しく落とす状態」にあるのだから。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 医原病ですが、アメリカで起こっていることは、日本でも起きていると考えるのが自然です。
 フルフォード氏は、日本の医原病による死者数を30万人前後と見ているようです。ちなみに平成20年の日本人の死亡率1位はがんで、34万人です。医原病とだいたい同じくらいの水準のようです。


 ・・・<『人殺し医療』、p27〜p28から抜粋開始>・・・

 繰り返すが、日本の公式の統計資料に「医原病」は、一切、出てこない。
 しかし、死因をざっと精査するだけで、相当数の死因を医原病と認定できるケースは山ほどあるのだ。全米78万人と見積もったゲーリー・ヌル博士の基準で精査すれば日本も40万人から30万人前後が「医原病」となるはずである。
 ところが、日本の医学会、政府は、公式統計の死因を結果でしか出さない。自殺にせよ、肺炎にせよ、心不全にせよ、死因自体は結果にすぎない。結果しか出さないのは原因を知られたくないから、そう穿(うが)った見方をしたくなる。
 なぜ、医者たちは、この事実を隠すのか。医原病など存在していないかのように誤魔化そうとするのか。むしろ、堂々と現代医療の多くは非常に「ハイリスク」と宣言して、そのリスクを低減できる療法へと切り替えていけばいいではないか。
 そこに現代医療の抱える「闇」、人を殺す医療システムの実態が浮かび上がってくる。

 ・・・<抜粋終了>・・・


日本人ガン急増の原因...2013年4月6日

 私はスピリチュアル会を開き、それに参加された方々で希望された方にサークルとして集ってもらうという活動をしています。
 先日、そのサークルに参加された方からメールをもらいました。ご親族で前立腺ガンが発見された方がいて、意見を求められたのです。

 以前は日本人の死因の1位は心疾患でしたが、今はガンが1位となっています。
 ガンが1位となった原因が日本人の食生活に関係していることは容易に想像がつきます。前回は記事「キング・コーン」で、アメリカ(世界)で一番多く生産されている遺伝子組み換えトウモロコシの危険性について報告しました。今回はその続きとして、モンサント社が作った遺伝子組み換えホルモンのエストロゲンを与えられて育ったアメリカ産の牛肉と、それを食べている日本人のガンとの因果関係について報告したいと思います。
 今回も『「モンスター食品」が世界を食いつくす!』(船瀬俊介著、イースト・プレス)から抜粋して紹介します。


 ・・・<『「モンスター食品」が世界を食いつくす!』、p118〜p124から抜粋開始>・・・

 牛肉を食べた赤ちゃんの乳房がふくらむ!

 狂牛病発生の原因は、肉骨粉だけではない。
 研究者たちは「成長ホルモンの投与」「抗生物質の乱用」など、不自然きわまりない畜産システムが狂牛病発生の背景にあると警告する。
 とりわけ、成長ホルモンの問題は危険視されている。
 「狂牛病と成長ホルモンは、コインの裏表です」
 告発するのは、英国の女性ジャーナリスト、J・べレラ氏だ。彼女によると、狂牛病の蔓延は成長ホルモンの乱用で加速されたという。
 ここでも、遺伝子組み換え技術が暗躍している。アメリカでは牛を短期間で肥育させるため、1960年代から6種類もの成長ホルモンが使われてきた。その中でもとりわけ凶悪な「?(ガンマ)BGH」という成長ホルモンは、遺伝子組み換えによって生成されたものなのだ。その正体はエストロゲン、早く言えば“人工女性ホルモン”だ。これは、明らかな発ガン物質である。
 開発したのは、またもやモンサント社だ。この人工遺伝子組み換えホルモンを乳牛に投与すると、牛乳の生産量は飛躍的に増大する。
 ヨーロッパ各国、オーストラリア、ニュージーランドは、この成長ホルモンをこぞって使用禁止とした。
 「牛と人の健康を危険にさらす証拠は、数多く存在する」
 これがその禁止理由だ。じつに正しい見識だろう。
 しかし、モンサント社などビッグ・バイオテックのロビーインク(議会工作)によって、アメリカ、イギリス両政府は認可へと押しきられてしまった。アメリカでは、1993年より、この成長ホルモン乱用が始まっている。
 すると、乳牛に乳房炎が多発してきた。
 そうなると、「抗生物質の大量投与→牛の抵抗力低下→バクテリア増殖→抗生物質のさらなる大量投与」……とクスリ漬けの悪循環におちいる。
 ?BGHを投与された牛は、通常25年の寿命があるのに、わずか5年で死んでしまう。当然、それら薬剤は牛乳や食肉に残留して、最終的には消費者の口に入る。
 もっとも恐ろしいのは、人体のホルモンバランスが崩れる恐れがあるということだ。事実、成長ホルモンを与えた鶏肉を食べた乳幼児の乳房がふくらむ、という異常現象も、マスコミで報じられている。

 有害ホルモンの残留は和牛の600倍!

 成長ホルモン(エストロゲン)の残留濃度を「米国産牛」と「和牛」とで比較した報告がある。北海道大学の半田康医師らの研究だ。通常のスーパーマーケットで30から40のサンプルを購入、それを検査にかけて出た結果が次の衝撃的数値だ。
 なんとアメリカ産牛肉の残留エストロゲンは、和牛に比べ赤身で600倍、脂肪で140倍も高かった!
 そのケタ外れの残留ぶりに驚愕する。
 これまで日本政府は「米国産牛肉の残留エストロゲンは、和牛の3倍程度である。よって、健康には影響しない」と発表し、輸入を許可してきた。しかし、じっさいには600倍も残留していたのだ。
 ここにも、アメリカの圧力に屈した日本政府の卑屈な姿がある。かつて発表された“残留値”はねつ造されていたのだ。
 一方でEUは「人体の健康に悪影響がある」と断定した。この成長ホルモンを使用禁止にしたうえ、さらに、米国産牛肉の輸入も禁止。わが国との意識の違いが、ここからもはっきりと見てとれる。

 アメリカ産牛肉で発ガンが5倍に

 先述のように、この成長ホルモンには強い発ガン性が指摘されている。つい最近も、アメリカ産牛肉に「5倍の発ガン性が確認された」と報道された。
 123ページに、日本人の牛肉消費量とホルモン依存性ガン(子宮ガン)の増加を示したグラフがある(管理人注:下図)。





 牛肉消費量(25%は米国産牛)は、1960年代に比べて5倍にも激増している。それに比例して、子宮ガンは7倍とみごとに比例している。子宮ガン以外にも、乳ガン4倍、卵巣ガン4倍、前立腺ガン10倍……この増加原因は、輸入牛肉であると断言してよい。
 日本人がアメリカに移住すると、乳ガン、卵巣ガンが急増するというデータがある。どちらのガンも、女性ホルモンが引き金となる。一方、タイの乳ガン発生率は日本の3分の2、アメリカの4分の1と少ない。それは牛肉をあまり食べず、おもに魚をタンパク質源として食べるからだと専門家は指摘する。
 エストロゲンが乳ガン発症原因になると確認されたのは、1948年のことだ。医学では、その発ガン性はすでに常識レベル。なのに、それを牛に大量に与えるとは!
 その下の表は、日本人とアメリカ人の卵巣ガン発生率を比較したものだ。
 これを見ると、日本人の発ガンピークは45〜50歳の女性たちだ。それを境に右肩下がりとなっている。
 なぜ、このような不思議な線を描くのか? それは、1970年頃から牛肉輸入が増加したことと関係している。マクドナルドの進出がその象徴だ。家庭でも焼き肉やハンバーグがひんぱんに食べられるようになった。1991年、牛肉輸入自由化がさらに消費を加速させた。
 早く言えば、現在の45〜50歳以下の人は、子どものころから輸入牛肉を食べつづけている。それがアメリカに比肩するガン発生率を生んでいるというわけだ。
 もちろん、これは女性だけの話ではない。
 「焼き肉を週1.5回以上食べると、前立腺ガンのリスクが30%増える」(南カリフォルニア大学)
 「牛肉の残留ホルモンで、1975年以降、米国男性の前立腺ガンが60%、精巣ガンが59%増加した」(イリノイ大学)
 大学の研究でこんな衝撃の結果が出ているのだ。これでも、あなたは焼き肉定食、食べますか?

 ・・・<抜粋終了>・・・


キング・コーン...2013年3月31日

 私が最初にネットでキング・コーンを検索したとき、「キングコングでは?」と出てきて、思わず笑ってしまいました。
 キング・コーンとはその名の通り、トウモロコシのことです。ただし単なる食べ物ではなく、その恐ろしさは怪獣のキングコングの比ではないかもしれません。キングコングは想像上の怪物なので、映画や小説の世界にしか登場しませんが、キング・コーンは食物として私たちの身体に中に入ってきて暴れまわるからです。
 キング・コーンとは、世界で一番多く作られている遺伝子組み換えトウモロコシの品種です。
 人間が直接食べるスイートコーンではなく、主に加工食品の材料となったり家畜(牛など)の飼料となるものです。いまやアメリカ全土の農地は、キング・コーンで埋め尽くされているといいます。
 「You are what you eat.」
 という英語がありますが、人間の身体は食べた物でできているという意味だそうです。
 その意味から言えば、いまやアメリカ人の身体はキング・コーンでできていると言っても過言ではないかもしれません。そして私達日本人にとっても対岸の火事ではなく、キング・コーンを与えられて育ったアメリカ産牛肉を食べることで、間接的に日本人の身体にもキング・コーンが入り込んできています。
 もちろんキング・コーンが安全・安心な食べ物と証明されていれば問題ありません。しかし実態は、極めて危険なもののようです。
 今回は、『「モンスター食品」が世界を食いつくす!』(船瀬俊介著、イースト・プレス)から、遺伝子組み換え食品の代表ともいえるキング・コーンについて紹介したいと思います。
 まず以下の写真をご覧下さい。





 この写真は、遺伝子組み換えトウモロコシを与えたマウスにできたがん腫瘍です。
 世界でもっとも多く販売されている遺伝子組み換え食品のトウモロコシ(キング・コーン)を200匹の2年間マウスに与えた結果、50〜80%ものマウスにこうした腫瘍があらわれたといいます。


 ・・・<『「モンスター食品」が世界を食いつくす!』、p19〜p20から抜粋開始>・・・

 マウスの身体の一部が、異様にふくれている。それも一カ所ではない。ゴルフボール大のふくらみは、数カ所にもわたっている。
 このふくらみは、巨大化した「ガン腫瘍」である。遺伝子組み換え食品を、2年にわたってマウスに与えた結果、このような腫瘍があらわれたのだ。
 このショッキングな報告は、イギリスの老舗大衆紙『デイリー・メール』(2012年9月19日)に掲載された。
 同紙によると、実験を行ったのはフランスのカーン大学の研究チーム。マウスに与えたのは、現在、世界でもっとも多く販売されている遺伝子組み換えトウモロコシだという。
 研究チームは、この実験結果から、遺伝子組み換え食品は「さまざまな腫瘍や、臓器不全を発生させる」と警鐘を鳴らしている。
 イギリスの分子生物学者、ミカエル・アントニオ博士は、この実験結果をこう評価している。「異常な数の腫瘍が早期に発現し、より攻撃的に成長することを示しています」
 とりわけ氏が指摘するのは、メスにあらわれた深刻な健康被害である。200匹のうち、50〜80%ものマウスに、このような腫瘍があらわれたのだという。氏は、「極端にひどい結果に衝撃を受けました」と、その心情を吐露している。
 また、生理学者で、英インペリアル大学教授のムスタファ博士もこう述べる。
 「この実験結果は“驚異”でしかありません」
 「私たちの身体は、みずからが食べたものでできています。この結果は、食べたものが私たちの遺伝子にまで影響していることを証明しています」
 その他、この実験結果は、第三者の科学者たちによって精査され、「実験は適切に行われた」「結果は評価に値する」との結論が、すでに下されている。
 フランス政府はこの報告を受けて、さっそく保健衛生当局に調査を要請した。さらに、各省庁の大臣は共同声明を発表、「調査結果によっては、問題となったトウモロコシの欧州への輸入緊急停止を含め、必要な措置をとるようEU(欧州連合)当局に要請する」と述べた。
 これまでEUでは、遺伝子組み換え作物について「輸入は許可、栽培は禁止」と決められていた。しかし、この実験結果によって、EU圈内での遺伝子組み換えトウモロコシのとり扱い自体が中止される可能性も出てきた。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 このマウスの実験結果は、私たちの生命の安全に直結する重要なものだと言えますが、日本のマスメディアで報道されることはありませんでした。そして驚くべきことに、こうした実験結果にもかかわらず、日本では多くの有識者が遺伝子組み換え作物は安全であると主張しているといいます。評論家の立花隆氏などが、その最右翼だそうです。


 ・・・<『「モンスター食品」が世界を食いつくす!』、p23〜p25から抜粋開始>・・・

 日本の“有識者”たちの大多数も、推進勢力の片棒をかついできた。彼らは、「遺伝子組み換え食品に反対する人は、非科学的で感情的である」と、反対派を見下してさえいる。
 評論家の立花隆氏などは、その最右翼だ。「遺伝子組み換え食品は安全だ。僕は進んで食べる」と公言していることは、よく知られている。
 しかし、この実験結果を見れば一目瞭然である。
 遺伝子組み換え食品は、少しも「安全」ではなかったのだ。
 そもそも、遺伝子組み換えを不安視する人たちは、決して感情的な理由で反対しているのではなぃ。その根拠は次のとおりだ。
 第一に、遺伝子組み換えをする過程で、「未知の毒性物質」が発生する恐れがあるということだ。遺伝子組み換えは、未知の生物をつくり出す。そして未知の生物は、未知の毒物を生成する可能性を秘めている。
 事実、すでに人類は悲劇を体験している。かの有名な「トリプトファン事件」だ。
 この事件は、1988年末から89年6月にかけて、アメリカで起こった。日本の化学工業メーカー・昭和電工が、遺伝子組み換えによって必須アミノ酸「トリプトファン」を生成、ダイエット食品として販売した。すると、この食品を摂取したアメリカ人から体調不良の訴えが続出。症状は血中の好酸球が異常増殖し、筋肉痛や発疹をともなうというものだった。
 結果的に38人が死亡。少なくとも約1500人が健康被害を受ける大慘事となった。
 被害者からの訴訟は2000件にも達し、昭和電工は製造物責任を問われ、2000億円もの賠償金を支払うはめになった。
 原因は、遺伝子組み換えで変異した微生物が、猛毒タンパク質を生成したことである。まさに、未知の生物が、未知の毒物を生成したというわけだ。
 ただ、誤解を恐れずに言えば、この事件は不幸中の幸いともいえる。つまり、生成された毒物が致死性の「猛毒」だったため、急死する被害者があい次ぎ、すぐに毒物を特定することができたからだ。
 しかし、これが急性毒ではなく慢性毒だとしたら? その毒は、ジワジワと人体を冒していくだろう。つまり、因果関係の特定はきわめて困難になる。
 「トリプトファン事件以外にも、すでに遺伝子組み換え食品の見えない毒物は、人類をむしばんでいるのではないか?」
 これが、遺伝子組み換え食品に反対する人々の共通の懸念であった。
 今回のマウスの実験は、2年もの期間をかけて行われた。ところが、2009年に「EU食品安全機関」が行った“安全テスト”は、わずか90日間にすぎなかった。このときは、「従来品種と同等の安全性」と結論づけている。
 つまり反対派の不安がまさに的中する形となったのだ。慢性毒が、目に見えない形で、徐々に身体をむしばむ……。恐怖の現実はグロテスクにふくらんだ腫瘍として、ついにマウスの身体にあらわれたのだ。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 トリプトファン事件にみられるように、遺伝子組み換え食品によって、変異した微生物が未知の毒物を作り出すという危険性があります。
 しかし危険性の因子は単にそれだけではなく、複数考えられるといいます。先の遺伝子組み換えトウモロコシを与えたマウスにがん腫瘍があらわれた件ですが、原因はいくつか考えられます。
 以下それらを箇条書きに並べました。

@遺伝子組み換え食品によって生成された未知の微生物が作る毒物

A遺伝子組み換え食品が生成した害虫を殺す成分

B遺伝子組み換え食品が耐性を持つ除草剤(ラウンドアップ)の毒性

C上記の毒物の毒性の相乗作用


 キング・コーンはモンサント社の商品ですが、Aの遺伝子組み換え食品が生成する害虫を殺す成分は、モンサント社によると、
 「殺虫成分は腸で分解され、体外に排泄されるので、人体には無害です」
 とのことですが、実際は違うようです。


 ・・・<『「モンスター食品」が世界を食いつくす!』、p32〜p35から抜粋開始>・・・

 93%の妊婦から、殺虫毒が検出された!

 ここで、先ほどのマウスの実験に戻ろう。キング・コーンを食べつづけたマウスに巨大腫瘍が発生した、その原因はどこにあるのだろうか?
 第一に、遺伝子組み換えの過程で、キング・コーンの中に発ガン物質が生成された可能性が考えられる。先ほど紹介した「トリプトファン事件」と同じメカニズムである。
 しかし、考えられる犯人像はそれだけにとどまらない。
 第二に、害虫を殺す有毒成分(Cry1Abタンパク質)が、マウスの身体にも影響しているという可能性がある。
 モンサント社は、これまで次のように主張してきた。
 「殺虫成分は腸で分解され、体外に排泄されるので、人体には無害です」
 ところが、2011年、カナダのシェルブルック大学病院の調査で、キング・コーンの有毒成分が妊娠女性の「93%」から、胎児の「80%」から検出された。妊娠していない女性でも、「69%」の人から有毒成分が検出されている。
 つまり、モンサント社の説明は“真っ赤なウソ”だったのだ。現代のアメリカ人は、ほとんど例外なく、遺伝子組み換えトウモロコシの殺虫毒素に汚染されている。その衝撃の事実が証明されたのだ。

 「ラウンドアップ」のルーツは、ベトナム戦争の枯れ葉剤

 第三には、散布された除草剤「ラウンドアップ」が残留し、発ガンを招いたということも考えられる。除草剤によって汚染された水分を吸収し、キング・コーンは成長しているのだ。当然、コーン自体も有毒除草剤に汚染されている。
 第四には、キング・コーンに発生した「毒物」と、「ラウンドアップ」の毒性が相乗作用した可能性も否定できない。つまり、キング・コーンには“二重の危険性”が秘められているというわけだ。
 じっさい、実験を指揮したセラリーニ教授も、結果を受けて、次のように警鐘を鳴らしている。
 「キング・コーンとラウンドアップが、“内分泌かく乱作用”を引き起こしているかもしれません」
 相乗作用によって未知の内分泌かく乱物質(環境ホルモン)が生成され、異常な腫瘍増殖をもたらしたのではないか、という指摘だ。
 モンサント社が開発した除草剤「ラウンドアップ」の悪名は、はるかベトナム戦争にまでさかのぼる。当時、南ベトナム解放民族戦線(べトコン)のゲリラたちが、アメリカ軍に抵抗するためジャングルに潜んでいた。そのジャングルを枯らしつくすために、爆撃機によって「オレンジ剤」という枯れ葉剤が大量散布された。
 散布された枯れ葉剤の総量、なんと約5000万リットル。そこには、超微量でもきわめて有毒な「ダイオキシン」も含まれていた。
 1970年代以降、ベトナム人の間で、枯れ葉剤にさらされたことによる流産、奇形、皮ふ疾患、ガンなどが多発している。さらに当時、現地にいたアメリカ兵たちにもガンが多発するなど、多くの健康被害が発生している。
 この枯れ葉剤こそ「ラウンドアップ」のルーツである。
 多くの人々に被害を与えた悪魔の枯れ葉剤が、ベトナム戦争後、変貌を重ねてモンサント社の主力商品「ラウンドアップ」としてよみがえったのだ。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 アメリカ人の寿命は先進国中最低ですが、遺伝子組み換え食品を摂る食生活が原因の一つというのは十分に考えられます。
 このように極めて危険な遺伝子組み換え食品ですが、事はアメリカだけの問題ではなく、危険に晒されているという点では日本もまったく同じです。
 現在日本では、政府によって8つの作物(169品種)の遺伝子組み換え作物の流通が承認されているからです。
 知らず知らずのうちに私たちは遺伝子組み換え食品を口にしています。
 以下は、政府によって認可されている遺伝子組み換え作物の表です。p99から抜粋します。


・大豆   ・・・  特定の除草剤で枯れない、特定の成分(オレイン酸など)を多く含む→家畜飼料、豆腐、油揚げ、納豆

・ジャガイモ・・・  害虫に強い、ウイルスに強い

・ナタネ  ・・・  特定の除草剤で枯れない→ナタネ油

・とうもろこし・・  害虫に強い、特定の除草剤で枯れない→家畜飼料、菓子、フレーク

・わた   ・・・  害虫に強い、特定の除草剤で枯れない→綿実油

・てんさい(砂糖大根) ・・・ 特定の除草剤で枯れない→ビートシュガー

・アルファルファ・  特定の除草剤で枯れない→家畜飼料、スプラウト

・パパイア ・・・  ウイルス病に強い


 なぜ政府は、危険極まりない遺伝子組み換え食品を認可したのでしょうか。
 その経緯をみると、鳥肌が立つような実態が浮かび上がります。なんと安全性を確認するための資料は、当のモンサント社から提出されたものだけを使い、さらにそれを意図的に誤訳して認可したというのです。そしてその意図的な誤訳が人々にばれないように、資料は「コピー禁止」「撮影禁止」にしたといいます。


 ・・・<『「モンスター食品」が世界を食いつくす!』、p98〜p102から抜粋開始>・・・

 モンサント社の日本進出の手口も、悪質きわまりない。
 わが国では、すでに8つの作物(169品種)の遺伝子組み換え作物の流通が承認されている。
 それらは厚生省(当時)の食品衛生調査会という諮問機関が“安全性”を確認、そのうえで政府の承認が下された。
 ところが、その“安全性”の根拠となる資料は、どこから出たのか? なんと、モンサント社が提出したものなのである。決定的な論理矛盾だ。自社に不利なデータなど出すはずがない。そんなことは赤子でもわかるではないか。
 その資料は、日本食品衛生協会という組織によって“開示”されている。ところが、なぜか「コピー禁止」「撮影禁止」なのだ。「手書きで写すことのみ認める」とは、じつに異常きわまりない。
 しかし、良識派はあきらめなかった。公衆衛生学博士で健康情報研究センター代表の里見宏氏は、3人の仲間を引き連れて3週間も同協会に通い、資料をすべて書き写した。まさに執念である。
 そこで、遺伝子組み換えトウモロコシについて、重大な発見をした。なんと、天然のトウモロコシに比べて、遺伝子組み換えトウモロコシは「8種類のアミノ酸について有意差があった」と英文資料に記述されていたのだ。
 つまりこれは、天然トウモロコシと遺伝子組み換えトウモロコシは“成分が異なる”という決定的な証拠だ。この発見によって、業界が主張する「成分が同じだから危険性はない」という論法は、根底から崩壊する。
 ところが日本政府は、姑息な不正を行っていた。なんと日本語訳は「有意差はなかった」と記載されていたのだ。これでは原文とは真逆である。
 そう、彼らは、英文資料を翻訳するときに、“悪質な”ねつ造を行ったのだ!

 キング・コーンにはアレルギー増加のリスクも

 もとの英文資料には、さらに重大な記述があった。
 遺伝子組み換えトウモロコシの成分を調べたところ、「ヒスチジンが増加していた」という。
 ヒスチジンとはアミノ酸の一種だ。口から入ると体内の酵素で分解される。そして、“ヒスタミン”というアレルゲン(アレルギーの原因物質)に変化する。鼻炎薬など、アレルギーを抑えるクスリに「抗ヒスタミン剤」と書いてあるのを見たことがあるだろう。非常にアレルギー作用の強い物質だ。
 遺伝子組み換えトウモロコシの成分に、ヒスチジンが増加している。それは、食べた人のアレルギーリスクが増大することを意味する。これは見すごせない問題だ。
 ところが、ここでも厚生省は、日本語訳で「問題ない」と明記している。明らかなねつ造だ。
 そう考えると、データのコピー、撮影を禁止した謎も解ける。こうしたねつ造がバレるのを恐れたからだ。
 1997年、このねつ造事件は公となり、社会問題となった。ところが、食品衛生調査会の寺田雅昭氏は「栄養学的に問題なし」「誤訳についてはモンサントに注意した」と弁明するのみで、問題にすらしようとしなかった。
 このようなずさんな“安全”評価によって、わが国への遺伝子組み換え食品の流通は承認されたのだ。政府は、完全にモンサント社日本進出の手駒に使われたというわけだ。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 最後にキング・コーンに関する映画(DVD)を紹介したいと思います。
 その名もずばり、

 『キング・コーン −−− 世界を作る魔法の一粒』(2007年)

 です。
 これはキング・コーンの危険性を声高に避難した映画ではありません。
 大学を卒業したての若者2人(男性)が、アメリカ史上初めて寿命が親より短くなる危機が迫っていることに気づきます。そしてその原因が食事だと気づいて調査を開始します。
 若者二人は様々な調査をするだけでなく、実際に1エーカーの農地を借りて、自分たちでキング・コーンを作ることに挑戦します。そうした中で、アメリカの病理とも言うべき食のシステムの全体像を浮かび上がらせるのです。
 私は大変興味深く、この映画を観ました。
 ちなみにアマゾンでも買えますが、私はGEOオンラインでレンタル(80円プラス送料)しました。
 キング・コーンに興味を持たれた方々に、ぜひ観ていただきたいと思います。


データで見る現代医療...2013年3月22日

 当HPはこれまで、がん治療やワクチンの問題を何回か取り上げてきました。
 今回は、『医者に殺されない47の心得』(近藤誠著、アスコム)より、現代医療の問題点をデータを示すことにより紹介していきたいと思います。

 これから紹介する記事を読まれた訪問者の中には、もう病院に行きたくないと思われる方もおられるかもしれませんが、それは私の本意ではありません。私は救急医療など、現代医療においても欠かせない分野があると思っています。また民間薬に関しても、対症療法のすべてを否定しているわけではありません。鎮痛系の薬など、必要なものはあると思っています。
 問題は、病気になったら薬を飲んで治せばよいという考え方にあると思っています。
 あるいは医者の言うことをきちんと守れば、病気が治ると信じる態度にあると思っています。医者が病気を治すのではなく、その人の自然治癒力が病気を治します。医者は、その自然治癒力を最大限発揮できるような手助けをすべきだと思うのですが、時として逆のことをしているとしか思えないケースがあります。医療とは無関係な人ですが、元外務省で国際戦略情報研究所を設立した原田武夫(はらだたけお)氏という人が、面白いことを言っていました。原田氏は「病気になったら石油から作った薬を飲んで治すという文化が終わりつつある」と言っていました。私もまったく同感です。

 『医者に殺されない47の心得』の著者である近藤誠医師は、慶応大学の放射線医療の専門家です。それゆえがん治療において、切除手術や抗がん剤について批判的なことを言っても、放射線治療に関しては一言も触れていません。さすがに自分が行っている医療を全否定することはできないのかもしれません。しかし、がん治療に対し「できるだけ放置したほうがよい」と言い切る姿勢には、潔さを感じます。

 まず最初に紹介するのは、医者がストライキをして治療を放棄すると、死亡率が劇的に減るという記事です。


 ・・・<『医者に殺されない47の心得』、p199〜p201から抜粋開始>・・・

 医者がストライキをすると死亡率が減る

 医者になってこのかた、医療に対する僕の見方はずいぶん変わりました。前にも書いたように、医療行為で人を救えるケースがあまりにも少ない。
 風邪、インフルエンザを「治せない」のを手始めに、がん、腎臓病、肝炎も、治らないものは治らない。薬を使うと副作用がひどく、逆に寿命を縮めることも多い。高血圧、糖尿病、リウマチは数値を下げたり痛みを抑えるだけ……。
 特に高齢になるほど、医療行為は体の負担になります。薬はできるだけ飲まないほうがいいし、手術をすると後遺症、合併症で命が縮むことが、とても多くなります。

 冗談のような、本当の話があります。1976年、南米コロンビアで医者が52日間ストをやり、救急医療以外の診療活動がすべてストップしました。
 その奇妙な副作用として新聞が報じたのは「死亡率が35%も下がった」というニュース。「偶然かもしれないが、事実は事実である」と、国営葬儀協会が、キツネにつままれたような気分が伝わるコメントを発表しています。
 同じ年に米ロサンゼルスでも医者のストライキがあり、17の主要病院で、手術の件数がふだんより60%も減りました。すると全体の死亡率は18%低下。ストが終わって診療が再開されると、死亡率はスト前の水準に戻りました。
 イスラエルでも、1973年に医者のストが決行されました。診察する患者の数が1日6万5千人から7千人に激減。
 するとどうなったか。
 エルサレム埋葬協会は「死亡率が半減した」と伝えています。イスラエルでは2000年にも医者のストライキがありました。エルサレム埋葬協会の集計では、ストライキ中の5月の死者は93人。前年同月の153人より39%も減っていました。
 人がいかに、行く必要もないのに医者にかかって、命を縮めているかがわかります。

 入院が長いとボケる

 さらに日本は入院日数が長いのも問題です。
 出産後の入院日数が、欧米では1日か2日なのに、日本では普通、1週間。小指の骨が折れただけで、必要のない抗生物質の点滴が3日も4日も何日も続いて病院にとめおかれた、という話を聞いたことがあります。
 特に、高齢の患者の入院日数が長い。
 高齢者の平均入院日数は、デンマークの場合32日、それに対して日本では高齢入院者の半分近くが、6か月以上入院しています。高齢の患者は、入院するとベッドに寝てばかりいるため筋力が衰え、すぐに頭がボケてしまいます。寝たきりや認知症をつくる大きな原因になっているのです。

 「病気の80%は医者にかかる必要がない。かかったほうがいいのが10%強、かかったために悪い結果になったのが10%弱」という言葉がありますが、まさに至言。
 基本的に少々の痛みや不自由は「ほっときゃ治る」と放置して、どうしても日常生活にさしつかえる症状があったときだけ、病院に行く。本当に手術や入院が必要なのか、あらゆる情報を調べてから踏み切る。
 そう心がけると、人生終盤を有意義に過ごせます。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 なぜ医者がストライキをすると死亡率が劇的に減るのかですが、それを裏付けると思われるデータを紹介します。
 アメリカの医師会が出している雑誌に、医療に満足している層は、満足していない層より、死亡率が26%も高かったというデータが載ったといいます。私が感心したのは、こうした事実を医師会という医療の大本営である組織が世間に公表するというアメリカ社会の凄味です。日本の医師会であれば、絶対に公表しない情報だと思うからです。


 ・・・<『医者に殺されない47の心得』、p31〜p33から抜粋開始>・・・

 医療に満足すると死亡率が26%高い

 最新の興味深いデータがあります。アメリカの医師会が出している有名な雑誌に2012年、「満足の代償」という記事が載って、大きな反響を呼びました。
 医療保険に入っているアメリカ人5万人以上の、医療費と健康の関係を調べるため、5年がかりでリサーチしたら、驚きの結果が出たんです。
 5万人が病院に行った回数は、平均して年に5回ぐらい。1年間に受けた医療サービスに対する患者の「満足度」を、

@話を注意深<聞いてくれるか
A理解しやすい言葉で説明してくれるか
B患者自身が話したことを尊重してくれるか
C十分な時間をかけたか
D医療スタッフから受けたサービスは満足か

 という五つの項目別に評価してもらいました。当然のことながら、親切な病院や医者に恵まれ、ていねいな医療を受けている人ほど、満足度は高くなります。
 このアンケートの結果を4ランクに分けたら、満足度がいちばん高いグループは、いちばん低いグループよりも入院日数が9%多く、医療や薬に使うお金も9%多かった。医療に満足している人は「転ばぬ先の杖タイプ」で、体に何かあると医者に診てもらい、よく薬を飲み、早めに入院。ところが、4〜5年追跡したら、満足度がいちばん高いグループは、いちばん低いグループに比べて死亡率が26%も高かったんです。
 病院や薬にたくさんお金を使い、長く入院するほど寿命が縮むなんて、医師会はできれば報告したくなかったでしょうね。

 信じる者は、救われない

 医者を40年やってきた僕が、いちばん自信をもって言えること。それは「病院によく行く人ほど、薬や治療で命を縮めやすい」ということです。
 医者にかかればかかるほど検査が増えて「異常」が見つかり、あれこれ薬を飲んだり手術をしたりするハメになる。がんが見つかると「手術、抗がん剤、放射線が標準治療」と言われて、いきなり大事な胃や子宮を切り取られたり、死ぬほど苦しい抗がん剤治療をさせられたり。ストレスも大変なもので、体に悪いことばかりです。
 薬のほとんどに病気を治す力はないのに、副作用は大きい。風邪薬や解熱剤でもアナフィラキシーショック(命にかかわるショック症状)が起きるし、肺がん用抗がん剤イレッサなどは承認後3年間で約8万6800人の患者に使われ、588人が死亡。がんよりずっとこわいです。
 またメスでお腹を切って腹膜をべタベ夕さわるとすぐ傷がつき、癒着します。癒着から腸がつまるとひどく痛むし、正常細胞のバリアーが崩れたところには、がん細胞がスッと入りこんで増殖しやすいんです。
 僕自身、医者になりたてのときは、たとえばがんは、手術や抗がん剤で「治る」と信じこんでいました。でも、さまざまな患者さんを観察するうちに、「臓器を切り取ってもがんは治らないし、抗がん剤は苦しむだけなのでは」と気づきました。
 信じる者は救われる、と言いますが、医療については「信じず、合理的に考える」ことがとても大事です。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 日本人は真面目な人が多いので、医者に処方された薬をきちんと飲み、治療を生真面目に受ける人が多いと思います。
 そうした人々にとって、「病院によく行く人ほど、薬や治療で命を縮めやすい」という事実は、受け入れ難いものに違いありません。しかしデータをとれば、それは冷厳な事実として表れてしまうようです。

 次に紹介するのは、最近日本で声高に叫ばれている病気の早期発見、予防、早期治療の問題点です。
 近藤医師は、「予防医学」の予防(よぼう)は、患者を呼ぼうになっていると言っています。それをフィンランドの15年に及ぶ調査から指摘しています。


 ・・・<『医者に殺されない47の心得』、p63〜p65から抜粋開始>・・・

 フィンランドの15年がかりの調査でわかったこと

 病気の早期発見、予防、早期治療……。今、「予防医学」が大はやりです。痛みや苦しみがあって病院に来る人だけ診ていたら、人口減で患者さんが先細り。だから、健康に暮らしている人の中から病気を掘り起こして治療して、業界の繁栄を図ろうとしている。「”患者を呼ぼう”医学」です。
 医者不足が問題になっているのも、意味のない健診やがん検診、人間ドックに人手がとられて、本当に大事な救急医療などに医者が回らないという事情が大きいんです。

 そもそも医者の健康指導は、人々の病気の予防や健康長寿のために役立つのでしょうか。フィンランドでは、15年がかりの詳しい追跡調査が行われました。
 結論を先に言うと「きちんと定期健診を受け、病気や異常が見つかったらライフスタイルを改善し、それでも検査値に問題があったら医者から薬をもらう」という非の打ちどころのない努力は、無意味もしくは危険だとわかりました。
 検査は会社の管理職で、40〜55歳の「見た目は健康だが、心臓病になりやすい因子をもつ」約1200人を、くじ引きで600人ずつに分けました。具体的には、

・コレステロール値が270mg/dL以上
.中性脂肪(トリグリセライド)が150mg/dL以上
・最大血圧が160mmHg以上、200未満
・最小血圧が95mmHg以上、115未満
・タバコ、1日10本を超える
・体重が標準体重の120%以上
・耐糖能検査で、1時間血糖値が162mg/dL以上

 以上のうち、少なくとも一因子を有する人たちです。そして「介入群」の600人には、4か月に一度ずつ5年間、医者が面接して運動量を増やすプログラムを手渡し、喫煙者には禁煙させ、食事内容も細かく指導して、摂取カロリー、飽和脂肪、コレステロール、アルコール、砂糖を減らさせ、不飽和脂肪(主としてマーガリン)、魚、鶏肉、子牛の肉、野菜を増やさせました。高血圧と高脂血症が続いていれば、薬が処方されました。かなり厳格な介入でしたが、75%が医者の指導をしっかり守りました。
 残りの600人は「放置群」で、調査の目的を知らせず、健康調査票への記入だけ。

 5年の試験期間が終わると、あとは全員、自由に任せて10年後、皮肉な結果が出ました。介入群の心臓死(心筋梗塞、心臓突然死)は放置群の倍以上も多く、自殺、事故、総死亡者数とも、すべて医者の指導に従った介入群のほうが多かったんです。ただ、がん死だけは介入群のほうが少なかった。禁煙の効果でしょう。
 この皮肉な結果を分析すると「症状がないのに高血圧や高コレステロールなどを薬で下げると、数値は改善しても、心臓には良くなかった」「検査で病気や異常を指摘され、医者からアドバイスや薬をもらい続けることが精神的ストレスになり、心筋梗塞やうつ病につながった」などの理由が考えられます。
 日本では、このフィンランドの調査のような研究を経ないで、ただ「体に良さそうだから」と定期健診が始まり、ここまで広まりました。医療に対する過度の期待や、医者への手放しの信頼があったんですね。しかし、そろそろ真実を見極めましょう。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 最後に紹介するのは、日本人は世界一の医者好き国民という話題です。
 具合が悪くなったら多くの日本人は、「とりあえず病院に行けば、医者が何とかしてくれる。病気の専門家なんだから、病気の防ぎかたも治しかたも、よく知っているはず……」と思って病院に行くと思います。
 しかし近藤医師は断言します。
 「医者は本当にあなたの病気を防いだり、治したりしてくれているでしょうか。医者の僕が言うのも何ですが、答えはノーです」
 現役の医者が自ら、病気を防いだり治したりできないと言っているのですが、それは多くの日本人の共有する認識となっていません。

 日本人は先進国平均の2倍以上も、病院に行っているといいます。その根底には、医者や薬が病気を治すという幻想とも言うべき強い思い込みがあると思います。一度インフルエンザのワクチンで具合が悪くなり死にかけた人が、翌年も懲りずにまたワクチンを打つという話題から紹介します。


 ・・・<『医者に殺されない47の心得』、p3〜p9から抜粋開始>・・・

 世界一医者が好きな日本人

 ある患者さんが「私は死にかけました。インフルエンザのワクチンを打ったらすぐ体がおかしくなって、病院に運びこまれた。何とか助かって、ここに来られました」。
 僕が「それはワクチンのせいだ。もう二度とやりませんよね」と言うと「はい」。
 ところが翌年になったら同じ人が、「今年も、ワクチン打ちました」。

 こういう落語のような本当の話が、医療の世界にはあふれています。
 逆に言うと「飛んで火に入る夏の虫」のように、医者に自分から近づいて、命を落としたり縮めたりしている人が多すぎるんです。

 日本人は世界一の医者好き国民です。

 年間ひとり平均14回前後、先進国平均の2倍以上も、病院に行っています。
 健診やがん検診も、国からの強い奨励もあるので、せっせと受けています。
 とりあえず病院に行けば、医者が何とかしてくれる。病気の専門家なんだから、病気の防ぎかたも治しかたも、よく知っているはず……。
 あまり深く考えずに、たいていの人がそう信じているから、ワクチンで死にかけてもまた医者にかかっているのでしょう。

 風邪薬も抗がん剤も、病気を治せない

 医者は本当にあなたの病気を防いだり、治したりしてくれているでしょうか。
 医者の僕が言うのも何ですが、答えはノーです。
 風邪、頭痛、高血圧、高コレステロール血症(高脂血症)、不整脈、がん……。
 病気の9割は、医者にかかったからといって治るわけでも、回復が早くなるわけでもありません。
 そして、副作用や後遺症のリスクはとても大きい。
 たとえば、風邪のウイルスに作用して治せる風邪薬は、まだ発見されていません。
 熱を下げる解熱剤やセキ止めなど、不快な症状を一時的に抑える「対症療法薬」も、体はつかの間ラクになっても、回復は遅れます。発熱やセキなどの症状はすべて、体がウイルスを追い出そうと闘つているサイン。薬は体の治癒力を邪魔します。
 インフルエンザをワクチンで防げるとか、リレンザなどの治療薬で治せるという医学的な証拠はなく、せいぜい「効果が期待されている」レベルです。
 一方、風邪薬やインフルエンザワクチンの副作用で亡くなる人は、大勢います。

 高血圧のガイドライン操作で、薬の売り上げが6倍に

 高血圧患者が4千万人、高コレステロール血症3千万人、糖尿病は予備軍を含めて2300万人……と、日本にはすごい数の「病人」がいることになっています。
 これは、薬を売るための策略としか思えません。
 「このぐらいからは治療したほうがいいよ」という高血圧の基準が、たいした根拠もなくどんどん下がっているんです。長い間、最高血圧の基準は160mmHgだったのが、2000年に140に、2008年のメタボ検診ではついに、130にまで引き下げられています。
 50歳を過ぎたら「上が130」というのは一般的な数値ですから、たいてい高血圧患者にされ、降圧剤を飲んで「治療」するハメになる。
 その結果、薬品業界はホクホクです。1988年には降圧剤の売り上げがおよそ2千億円だったのが、2008年には1兆円を超えて、20年間で売り上げが6倍に伸びています。血圧商法、大成功ですね。
 総コレステロール値も、日本人は高いほうが長生きだと10年以上前からわかってるのに、基準値はなかなか上がりません。コレステロール低下薬のスタチン類は年間2600億円の売り上げがあって、関連医療費はその3倍と言われています。
 問題は、血圧やコレステロールを薬で下げると、数値は改善しても早死にするリスクが高くなること。世界中の、数万人規模の追跡調査ではっきりしています。

 日本人のがんの9割は、治療するほど命を縮める

 また日本人のがんの9割は、治療するより放っておいたほうが、元気に長生きできます。かつてニュースキャスターの逸見政孝さんが、悪性度の高いスキルス胃がんであることを世間に初めて公表し、大手術をして3か月ぐらいで亡くなりました。
 僕は20年以上にわたり、「がん放置患者」150人以上を診てきましたが、スキルス胃がんであっても、数か月で亡くなった人はゼロ。普通に暮らしながら、3年から9年も生きた人が何人もいます。
 また抗がん剤は、猛毒です。抗がん剤が効くというのは、「がんのしこりを一時的に小さくする」だけで、がんを治したり、延命に役立ったりするわけではありません。日本人のがんのほとんどを占める、胃がん、乳がんなどかたまりを作る固形がんには、抗がん剤はまったく無意味。つらい副作用と寿命を縮める作用しかありません。
 では、がん検診は? 有効という証拠がひとつもありません。がんをいくら「早期発見・早期治療」しても、1960年代から、がんで死ぬ人の割合は下がっていない。症状がなくて検査で見つかったがんはほぼ、命を奪わない「がんもどき」。本物のがんならすでに転移しているので、切除手術や抗がん剤治療は無意味です。
どちらにせよ、がんはできるだけ放置したほうが、ラクに長生きできます。

 医者はヤクザや強盗よりタチが悪い

 ここでちょっと、身の回りや有名人で、医者にかかって亡くなった人、体が不自由になった人のことを思い浮かべてみてください。

 先ほどの逸見さんのように、テレビなどで活躍していた人気者が「がんが見つかったので治療に専念します」と宣言し、数か月後に亡くなる悲劇は、最近も「またか」というほどしょっちゅう起きていますね。死の前の闘病の苦しみも、ひどい倦怠感や吐き気、髪が抜け落ちる、やせ衰えるなど壮絶です。
 実は放置すれば痛まないがんは、胃がん、食道がん、肝臓がん、子宮がんなど、少なくありません。
 苦しみ抜いて亡くなるのは、不必要な「がんの治療」のせいなのに、医者は新しい患者に「がんはこわいですから、すぐ治療にとりかかりましょう」とささやきます。
 濡れ衣を着せられてがんはさぞくやしいことでしよう。

 がんに限らず、健診でメタボと言われてジョギングを始めたら、心筋梗塞で突然死した、脳ドックで動脈瘤が見つかり、手術を受けたら半身マヒに……。
 医者にかかったために命を縮める人は、本当に多い。

 医者は、ヤクザや強盗よりタチが悪いんです。ヤクザはしろうと衆を殺したり、指を詰めさせたりすることはありません。強盗だって、たいていはお金をとるだけです。
 しかし医者は、患者を脅してお金を払ってもらった上に、しょっちゅう体を不自由にさせたり、死なせたりする。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 近藤医師は医師という立場でありながら、「医者は、ヤクザや強盗よりタチが悪い」と言っています。
 ここまで言い切るのも凄いなと思います。私たち患者の立場として大事なことは、医者に完全に任せるのではなく、できる範囲で自分でも調べて本当に必要な治療なのかどうか検討することだと思います。


デフレ期のエンタテインメント...2013年3月14日

 日本は今、アベノミクスの効果により、円安が進むとともに株価の上昇が続いています。
 このまま好景が回復して、少しでも生活が楽になることを期待している日本人は多いかもしれません。
 今年の春闘では、大手企業各社は定期昇給を維持しつつボーナスの増額を回答していると報道されています。安倍総理の経済界への賃上げ要請が、実を結んだ形となって表れているようです。
 日本はバブル崩壊後の失われた10年とか20年という言い方をして、長い間デフレ不況に喘いできたが、ここにきてやっとトンネルの先に灯りが見えてきたような雰囲気が漂っている感があります。

 しかしこうした認識は、根本的に間違っていると主張する人がいます。
 増田悦佐(ますだえつすけ)という人で、彼は、デフレ=不況というのは、全くの誤りで国民は洗脳されていると主張しています。今回はそんな増田氏の主張を、『デフレ救国論』(徳間書店)から紹介したいと思います。
 まず増田氏の、誰が国民を洗脳しているか、その目的は何かという主張から紹介します。


 ・・・<『デフレ救国論』、p82〜p86から抜粋開始>・・・

 ■とうに理論破綻しているデフレ恐怖論

 デフレ恐怖論を一生懸命に説いている学者、識者たちは、「デフレになると、消費者はモノの価格がもっと安くなると思うから買わなくなる。だからどんどん価格は下がりつづけるし、買われるモノの量はどんどん少なくなる」というような論を展開していますが、これは嘘っぱちです。
 彼らはまるで世の中にたった1人しか消費者が存在していないかのように考えてしまっているからそうなるのです。しかし現実には、消費者は百人百様でさまざまな個性をもち、さまざまな予算をもった個々バラバラな人たちなのです。
 もちろんデフレ環境下で、たとえば自分が買いたいモノの価格が2パーセント下がったら、「来年は3パーセント下がるかもしれない。再来年は5パーセント下がるかもしれない」と思って我慢強く待っている人も必ずいるとは思います。
 その半面、「いままでの価格ではなかなか買えなかったけれども、これがずっと欲しかった。だからいまの価格になったら買えるから即刻買うのだ」という人だって世の中にはいっぱいいるのです
 では、世の中に自分が日常買っているようなモノについて、ストックは十分あるのだからうんと値下がりするまで待っていようという態度で臨める人と、いままで高くてなかなか手が出なかったけれども、安くなったから飛びついて買おうという人たちと、どちらの人数が多いでしょうか。
 後者のほうが多いはずです。
 これは大量生産の成立にもかかわってきます。新製品が登場したときには、本当に物好きといえば物好きな人たちが飛びついてごく少数買う。その商品が世の中にだんだん普及して価格が安くなっていくと、どんどん買われる量が増えていく。そういう形で大量生産が成立していくわけです。
 したがって、「デフレになるとみなモノが安くなるのを待っているから、消費者はどんどんモノを買わなくなり、企業の生産量はますます縮小して、悪無限的に物価は下がり、モノが買われない負のスパイラルがっづく」という学者、評論家たちの考え方は完全に破綻しているのです。

 ■「とにかくデフレ脱却せよ」と洗脳される国民

 先の衆議院選挙においては、ほとんどの政党が「デフレ脱却」「デフレ退治」を政策論争に掲げていました。デフレ恐怖論を説く学者、識者を総動員する大メディアもその後押しをしているように見えます。残念ながら、一般市民の人たちもそうした主張に?洗脳?されている感が強いのです。
 インフレで得をするグループとはいつでも、いくらでも、何度でもお力ネを借りることのできる特権的な連中です。たとえば、国であり、一流企業であり、金融機関であり、大金持ちでありといった社会的影響力の大きい人たちなのです。彼らが自分たちに有利な世の中をつくるために「デフレ脱却」「デフレ退治」を懸命に宣伝、喧伝するわけです。
 それをあたかも庶民も同じようにインフレで得をし、デフレで損をするかのようにすり替えて語っている。当然ながら彼らは、インフレで自分たちだけが得な世の中になるから、みんな一緒にやりましょうと言ってもだれもついてこないから、「デフレ脱却」「デフレ退治」はあなたがた貧乏な庶民の方々にとって素晴らしいことなのですよと宣伝するのです。
 そこでごまかされないだけの基本的な歴史観、経済の仕組みなどについての知識を、あまりおカネに縁のない大衆がきちんと自分で身につけていかないと、簡単に騙されてしまうでしょう。
 とはいえ、ここ10年、20年の間にデフレという言葉に対するマイナスイメージが庶民の心に染みついてしまっています。これは、「あなたがたの生活がよくならないのはデフレのせいだ」とする大メディアによる?刷り込み?の威力でしょう。
 さまざまな生活の場面でよくなっていることは全部無視して、悪くなっているところばかりをピックアップするのが大メディアの常套手段になっています。
 たとえば、いまのケータイ電話は、ふつうのパソコンの機能をほとんどカバーするところまでレベルアップしています。機能で言えば、昔のノートパソコンー台分くらいの働きを、小さくて、ずっと価格も安いスマートフォンがやってのける。これは明らかに「デフレ」です。
 日本の場合、そうした技術的進歩をかなり多くの人が比較的早い時期にまんべんなく享受できる世の中になっているのです。そうしたプラス面は棚に上げて、閉塞感とデフレは一体不可分だというふうにセットにして宣伝してきたのです。

 ■都合の悪いデータはひた隠されている

 問題なのは、デフレ恐怖論を説く学者、識者たちが、デフレとはまったく何の関係もないこと、あるいは円高とは何の関係もないことを、強引にデフレのせいだ、円高のせいだと強調していることです。一番極端な例が、「日本はデフレで円高だから失業率が高くなった」という指摘なのですが、これはどう考えても嘘なのです。
 なぜなら、日本は世界中の主要な先進国でも一番失業率が低いのです。インフレの国のほうがむしろ失業率が高い。でも、メディアに登場する彼らは、日本はデフレだから失業率が高いとしたり顔で説いています。
 加えて、「デフレで円高だから、正規雇用が減り、非正規で非常に低賃金かつ長時間労働に就く人が増えている。とくに若い人たちが多く、彼らはこれから先ずっと働いていても賃金も上がらないし、職の安定も確保できない。この状態から抜け出すためには積極的なインフレ政策を採るしかない」と主張しています。
 これもまた大ウソです。外国の就労事情が実際にどうなっているのかをきちんと見ていないと、こうした嘘にすぐに騙されてしまう。

 じつはインフレ政策を行っている国のほうがはるかにひどい雇用状況に陥っています。
 だいたいインフレ政策を敷いている国においては、15歳から24歳、労働人口のなかでもっとも若い層の20パーセントから30パーセント、ひどい国では50パーセントが失業中というすさまじい様相を呈しています。
 そういう国においては、失業さえしなければ、低賃金だろうが、非正規だろうが、喜んで職に飛びつくような状況になっています。
 日本で非正規雇用が増えていると言われていますが、たとえばアメリカで大学を出たての人たちは45パーセントが正規雇用に就き、55パーセントが失業、あるいは非正規雇用で働いているという具体的なデータが出ています。
 よくインフレ促進派の人たちは、日本はデフレだから雇用が駄目で、アメリカはインフレ政策がうまく機能しているから雇用がもち直しつつあると言っています。けれども、若年層においては、日本よりもアメリカのほうがはるかに失業や非正規雇用の問題が深刻なのです。
 彼らはそうしたデータをひた隠すことによって、強引に自分たちの議論を正当化しようとしているのです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 『デフレ救国論』で増田氏は、様々な表やデータを駆使して世の中一般に広まっているデフレ恐怖論を批判していて興味深いのですが、そういった内容に触れるのは別の機会にしたいと思います。
 今回は、デフレ期の方がエンターテインメントの創造性が発揮されるという話題を紹介したいと思います。
 まずインフレ期において、なぜエンターテインメントの分野で創造性が発揮されないかという点に触れます。


 ・・・<『デフレ救国論』、p223〜p225から抜粋開始>・・・

 ■創造性を必要としないインフレ期

 インフレ環境下のほうがさまざまな芸術が盛り上がっていたようなイメージを持つ人がいるでしょうが、それは錯覚です。
インフレ期には同じモノを量産する、とくに借金にギアリングをかけて量産すればそれで儲かるので、あまり工夫する必要はないのです。工夫より資金調達力で勝負がついてしまうような味気ない世界です。
 つまりインフレ期とは、もうすでに名の通った人たちが巨大な収益を得るためには適した時期ですが、新しいモノを生み出す環境ではありません。インフレ期にはそれこそ小屋を借りるのだって、どんどん箱代が高くなるわけですから、無名のパフォーマーたちなどお呼びではないということになります。
 かたやデフレ期とは、同じことを同じようにつづけていれば、少しずつじり貧になっていきます。同じことを同じようにやっていて、いままでとおりの価格では通用しないのがデフレなのですから、なんらかの新しい工夫をしなければいけません。
 インフレ期には、できるかぎり早めに借金して、規模を拡大すれば勝ちだという世の中なので、じつはあまり創造性を必要としないわけです。それは事業一般をやっていてもそうだし、大衆芸術の世界においてもまったく同じだと思います。大きなプロダクションで与信能力が高ければ、目いっぱい借入を増やして、どんどん世の中にスターをリリースしていける。そういうことが平然と通用するのがインフレの世界なのです。
 あるいは、新作映画の封切り前のあおり宣伝のメインコピーが「どんなに高い製作費をかけたか」に終始する世界なのです。最近の映画は、たとえけっこうおカネのかかった作品でも、「製作費〇〇〇億円」なんてことはあんまりひけらかさなくなりました。これもまた、デフレの功績のひとつだと思います。
 デフレの世界で製作費の拡大競争、と言うより浪費競争をやってもじり貧になるだけだから、何かもっと内容で新しいことをしなければならないということになります。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 では、デフレ期のエンタテインメントを紹介します。


 ・・・<『デフレ救国論』、p216〜p223から抜粋開始>・・・

 ■デフレ時に開花したエンタテインメント産業

 本章では、デフレ時代には何が起きるのか、さらにはデフレを最大限に活用するにはどうすればいいのかについてお話ししたいと思います。
 時代をさかのぼって検証してみると、デフレ環境下では大衆芸術、とくに実際に舞台に上がって歌を唄ったり、踊ったり、演技をして、それらを観客に見せる芸術(パフォーミング・アーツ)がものすごく流行っているのです。これはもう、不思議なくらいに流行ります。
 たとえば1873年から95年にかけてのデフレ期。これは1930年代の大不況前には、大不況の代名詞となっていた長期デフレ時代です。
 この時代はたしかにデフレだったけれど、さまざまな分野で生産活動が伸びつづけていました。生産活動のみならずエンタテインメント産業が次々と開花しています。イギリス・ビクトリア朝後期のミュージックホール演芸が全盛期を迎えたのが、1800年代最後の30年間でした。
 なぜ、これはデフレが導いたものだと言えるのでしょうか。理由はいたってシンプルです。
 それ以前のパフォーミング・アーツとは貴族がいわゆるクラシック音楽家をパトロンとして育てて、優雅にサロンで聞いて楽しむものでした。それに対して大衆は野外やボロボロの小屋掛けの演芸でうさを晴らしていました。
 そして、デフレ時代がやってきたわけです。物価は下がるけれども実質所得は上がる。物価ほどは賃金が下がらずに生活水準が上がったとき、衣食住だけではもの足りなくなった大衆が求めたのが、エンタテインメントとしての大衆演芸だったのです。
 オペレッタ好きの方々には、ミュージックホール演芸が最盛期を迎えて、そこから出発したギルバート&サリヴァンのオペレッタ(台詞と踊りのあるオーケストラ付きの歌劇)の名作は、すべてこの時期のロンドンで初演されたと申し上げれば、イメージをつかんでいただけるでしょう。正直なところ、フランス、ドイツ、イタリアに比べて音楽はあまりパッとしなかったイギリス文明では、このギルバート&サリヴァンはきわ立って重要な文化遺産となっています。
 ギルバート&サリヴァンの名作中の名作とされる『ミカド』は、登場人物のほとんどが珍妙な日本人風の東洋人で、この人たちが大騒ぎをするオペレッタでした。ただ、その中の1曲に、「知識人と称する連中は、外国のことは何もかもすばらしいとほめそやして、自分の国のことは何もかもダメだとけなすことが、自分の優秀さを示すと思っている。こんな連中は全部死刑にしてしまえ」というナンバーがあります。ビクトリア朝後期のイギリスの知識人を皮肉ったのでしょうが、ちゃんと21世紀初頭の日本の知識人批判として通用するところが、おもしろいと思います。
 ギルバート&サリヴァンだけでもオペレッタの秀作が十数編もリリースされ、この時代にイギリスの大衆音楽は素晴らしい発展を遂げたのです。喜歌劇『ペンザンスの海賊たち』は、のちの1970年代にアメリカでミュージカル化されて大ヒットしたので、ご記憶に残っているとおっしゃる方もいるかもしれません。
 アメリカの1930年代のデフレ期は半世紀も前の1870年代から90年代のデフレ期に比べて実質所得が低くなってしまった人が多かったすさまじく悲惨な時代でした。それでも比較的安定的な仕事に就いていた人たちは、仕事で得る賃金は名目では増えていないけれども、深刻なデフレだったため実質賃金はけっこう伸びたのです。
 そこで1930年代に起きたのが、かつてのイギリスを彷彿とさせるエンタテインメント・ブームでした。ブロードウェイ・ミュージカルが大流行しましたし、生の演奏芸術ではないけれども、ハリウッド映画の黄金時代も1930年代でした。
 いまでもブロードウェイ・ミュージカルにしてもハリウッド映画にしても、1930年代の名作は延々と語り継がれていて、まさに伝説的な文化遺産になっています。

 ■新たな活動パターンを生み出したデフレ

 日本においても、今度のデフレになってから、CDやDVDで缶詰になったものを再生するのに飽きたらずに、ライブに出かける人が増えたのではないでしょうか。ライブの入場券にしても、べらぼうな料金を取っていた時代に比べるとけっこう安くなっています。
 もちろんライブパフォーマンスが増えたことについては、アップルが「iPod」を開発し、「iTunes」という楽曲を1曲ずつ買える仕組みを成立させたことと不可分の関係があります。iTunesビジネスが成立すると同時に、それまでレコーディングスタジオで年に何日かレコーディングさえしていれば大富豪になれていたポップアーティストの多くが、大富豪でいつづけるにはスタジオで缶詰ばかりつくっているわけにはいかなくなりました。ライブで大きな箱を求めて世界巡業をしないと、大富豪の生活を維持できない世の中に変わってきたのです。
 そうした技術的な要因、アップルという革新的な企業がiTunesという課金システムをつくり出したことの影響もあり、最近では積極的にライブをするミュージシャンが急増しています。「自分は絶対にライブはしない」と宣言していた山下達郎さえもいまはライブに手を染めているくらいです。
 かのビートルズなどはライブを完全にやめてスタジオミュージシャンになってしまったポップアーティストの先駆けです。仮にビートルズがいまも演奏活動をつづけていたとすれば、時流に敏感に反応するグループでしたから、レコーディングだけしかしないスタジオ・アーティスト集団ではなくて、せっせとライブ活動をするように変わってきたのではないでしょうか。
 技術的な要因もあるけれども、デフレ環境とは、大衆芸術の分野でとりわけ生で見たり聞いたりできるものを流行らせる作用に富んでいると、歴史が教えてくれています。本人の才能にもよりますが、大衆芸術分野においてライブ活動で勝負したい人たちにとっては願ったり叶ったりのいい時代になっているのではないでしょうか。

 ■AKBはデフレの申し子

 「芸術とまで持ち上げるのはちょっとどうか」とおっしゃる方も多いでしょうが、現在人気絶頂にあるAKB48のメンバーたちも、秋葉原のAKB劇場から出てきている劇場出身組、いわばデフレの申し子なのです。
 これまでのいわゆるアイドルと比べて、AKB48は?生?の露出度が高いと思います。最終的にはCDを買わされてしまうのだけれど、生でサービスしないと、ファンはCDを買ってくれません。いい曲もあるけれど、大半は時間つなぎのための凡庸な曲ばかりみたいなCDを、セット販売で何千円と出させて買わせるという商売は、もう劇場での生の露出なしには通用しなくなってきたのです。
 そういう意味で、デフレの世の中とは、大衆文化、大衆の生の演奏芸術を活気づけていると思います。たとえば野田秀樹とか三谷幸喜のような演出家が、いままでの演劇の世界よりもずっと広い層に支持されて、2人が今度初めて顔合わせをすることで話題を呼んでいます。しかも、いわゆる劇場通だけではなく、わりと一般的な芝居好きたちのあいだで盛り上がっているのです。こうした盛り上がり方は、これまでの日本の演劇界では見られなかったものではないでしょうか。
 ああいう生の芝居づくりをする人たちが、たとえば唐十郎みたいなマイノリティ趣味でなく、わりと大衆芸術のメインストリームであれだけもてはやされているわけです。これは、やはりデフレさまさまという側面があるのではないでしょうか。
 昔日本の演劇には、いわゆる新劇があって、その正対極みたいなところに新派や歌舞伎があって、本当に狭いジャンルで仕切られていました。それらはほとんど交流のない閉ざされた世界であったものが、最近ではいろいろとクロスオーバーをしてみたり、異種格闘技みたいなことをやったりしています。
 それが広く受け入れられるのも、デフレの恩恵ではないでしょうか。バブル時代にはとうてい実験的なことには使えないような使用料を取っていた名の通った劇場でも、閑散期にはけっこう安く貸してくれるようになっています。企業ならば新製品を生み出す研究開発費が割安になってきた状態に当たるのかもしれません。
 余談になりますが、AKBのような集団性は、世界的に見てもポップアーティストの業界にけっこう大きなインパクトを与えつつあると考えています。あれだけ大勢になると、4人とか5人とかのグループとはまったく違う力学が働いて、あのコンセプトを輸出もしています。現に、台湾、中国、インドネシアなどではAKBの姉妹グループが活動をスタートさせています。
 AKBのような存在と、日本独自の発達を遂げた漫画やアニメとが、メディアとしてクロスオーバーしてきたときに、何か新しいものが生まれるような気がしてなりません。そのカギは、ピン、つまりひとり立ちの芸を見せることではなく、せいぜい7から8人までの伝統的なグループでもなく、観客にアイドルのほうがまるで自分たちの引率で行動している生徒たちのように思わせてしまう親近感ある大勢の集団性ということでしょう。

 ・・・<抜粋終了>・・・


オスカー・マゴッチ氏が受けた延命提案...2013年3月8日

 当HPのトップページの下の方に、「宇宙の友人達」というページに入る欄があります。
 これらはカナダ人のUFOコンタクティーであるオスカー・マゴッチ氏の著書である『深宇宙探訪記』(星雲社)という3冊シリーズを紹介したものです。
 先日ですが、ある訪問者の方から、そのオスカー・マゴッチ氏の本やビデオを処分するつもりなので、もし私がほしいなら送りますという有難い申し出がありました。私はその時はじめて、マゴッチ氏が日本に来て講演をしたことを知りました。そのビデオを観てみたいと思い、送っていただくことにしました。
 その講演会ビデオで、マゴッチ氏が宇宙連盟のクゥエンティンから、寿命を延ばす提案を受けていたことを知りました。
 今の地球人の平均寿命は、長寿と言われる日本人でもせいぜい80歳程度です。しかし宇宙連盟に属するヒューマノイドの寿命は短命種でも200歳で、長命種だと800歳だといいます。
 まず、こうした宇宙連盟に属する人々の寿命に関する部分を抜粋して紹介したいと思います。


 ・・・<『深宇宙探訪記(下)』、p24〜p25から抜粋開始>・・・

 連盟の半分以上の場所では、人間の平均寿命は地球年の200歳で、半分以下のところのいわゆる『長命』の寿命は800歳だ。子供時代と青春期は地球のと同様で、18歳から21歳で成年に達する。壮年期は35歳から50歳の間だが、長命の場合の壮年期は安定した『最盛期』の状態で500歳まで続き、その後に200年間の中年期が来る。高齢による衰退期は700歳ぐらいを大分越えてから始まる。
 非常に優れた功績のある個人に対して、連盟は寿命を5000歳まで伸ばすことが出来る。延命処置は極秘のクリニックで行われ、(『延命者』と呼ばれる)寿命の延長を受けた者は100年位に一度クリニックに戻って追加処置を受ける必要がある。これは生物学的処置というよりも、本質はサイ粒子にかかわり、オーラを徹底的にいろいろと調整をする。
 また、極めて稀有な場合、代替の効かない不可決の一握りの個人については、ガーディアン評議会が、3万5000年から4万年まで肉体面で第二の延命を与えることがある。(こうした寿命延長者は『最延命者』と呼ばれる。)最初の処置とその後の追加処置はガーディアン達が超次元的に行うが、そのプロセスは不明だ。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 オスカー・マゴッチ氏は、1975年にUFOに乗って深宇宙への旅を行いました。
 その時に宇宙連盟と25年間の契約を結び、彼ら連盟で働く宇宙人の地球への活動に協力します。そしてその功績として、契約が終了した2000年以降に、寿命を延ばす提案を受けたといいます。その寿命ですが、200歳〜800歳への延長の提案だったといいます。
 そのいきさつをマゴッチ氏の講演会ビデオから紹介します。

 1990年の半ば、ある晴れた日の午後、マゴッチ氏が友人を助手席の乗せてアラスカの地を運転していたときのことです。
 助手席の友人は、ランチの後ということもあり、眠り込んでしまいました。その時、マゴッチ氏の運転する車の上空に、巨大なUFOを隠す雲が現れます。そしてマゴッチ氏の運転する車ごと、そのUFOに吸い込まれていきます。
 UFOに吸い込まれた車から降りたマゴッチ氏を出迎えたのが、宇宙人のクゥエンティンです。もちろんマゴッチ氏の友人にはまだ眠ってもらっています。
 そしてクゥエンティンは、マゴッチ氏に、25年間の協力に対する対価として、200歳〜800歳への寿命延長の提案をしてきたのです。
 しかしマゴッチ氏は、この提案に感謝しつつも断ります。その理由ですが、人間として人生を全うしたいからだといいます。
 靴が古くなれば捨てられてしまうように、肉体も古くなれば捨てるものであり、そして別に世界に行くものであるといいます。
 さらにマゴッチ氏は、地球の人生を楽しんでいるといいます。治療で歯を削るあの嫌な思いをしても、それは人生を体験していることだといいます。
 それを聞いてクゥエンティンは、了解したと言い、そしてマゴッチ氏の手を取り、別の次元を案内します。
 4次元、5次元の世界を案内し、マゴッチ氏に望むならばどの太陽系の惑星の4次元、5次元に生まれても構わない。望むならば3次元の世界でも構わないと告げたといいます。

 私はこの話を聞いて、素直に感動しました。
 私であれば、200歳〜800歳への寿命延長の提案を受けたら、飛びついたに違いありません。
 私は50歳を超えてから急速に老けた感があり、若い頃の体力、気力を取り戻したいと強く望むようになりました。私のように、若返りたいと思う人は多いに違いありません。特に女性は肌の張りや艶に敏感ですし、美しさに対する努力を惜しまない人が多いので、なおさらだと思います。
 ですがマゴッチ氏は、寿命延長の提案を断りました。
 その理由が、「人間として人生を全うしたい」とのことですが、これはなかなか言える言葉ではないと思います。
 私はマゴッチ氏の精神的なレベルに、全然達していないことを痛感しました。


 以前、当HPで変容(シフト)したら、寿命が延びるという話を紹介しました。
 7次元のマスターであるキラエルという存在は、『キラエル』(ナチュラルスピリット)という本の中で、変容すると現在50代の人間は、それから130年〜150年寿命が延びると言っています。私はこの話に飛びつきました。さっそく千さんのお爺ちゃんセッションで、変容すると130年〜150年生きられる話は本当ですかと確認したぐらいです。
 スピリチュアルな成長を遂げた人の寿命が長いという話は、よく聞きます。
 『アナスタシア』(ナチュラルスピリット)の中で、主人公の男性がシベリアの川の港で、見知らぬ2人の男の老人から声を掛けられるシーンがあります。2人の老人のうち、若く見えた老人が声を掛けてきたのですが、その老人はシベリアの杉の木片を長い間磨いてきたといいます。それに対する主人公の男性の会話を紹介します。


 ・・・<『アナスタシア』、p32〜p33から抜粋開始>・・・

 「何年くらい、この杉の木片を磨いてこられたのですか?」私は老人にたずねてみた。
 「93年」
 「お年はおいくつで?」
 「119歳」
 私は彼の答えを信じなかった。どう見ても彼は75歳くらいにしか見えなかった。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 この話には顛末があって、翌年に主人公の男性は若い女性であるアナスタシアに出会うのですが、そのアナスタシアはこう言います。

 「去年、あなたとお話したのは、私の祖父と曾祖父よ、ウラジーミル」

 去年、主人公のウラジーミルと会話したのは、アナスタシアのお爺ちゃんである祖父の方で、その歳が119歳でした。ですからもう一人の老人は、その祖父の父親ですから119歳よりずっと上ということです。その曾祖父は普通に歩いて、普通に会話していたということですから、平均寿命が80歳前後の日本人からみれば、かなり寿命が長いように感じます。

 話をオスカー・マゴッチ氏に戻しますが、何年前か正確に憶えていないのですが、そのマゴッチ氏が死去したという話をどこかで聞いた記憶があります。その時、「マゴッチ氏は人間として寿命を全うして・・・」という表現があって、私はその意味がよく呑み込めなかったのですが、今はやっと意味がわかった次第です。


セミナー雑感...2013年3月1日

 私はこのところスピリチュアルなセミナーを主催するようになり、去年の12月に第1回、先月(2月)に第2回目を開催しました。
 ことの発端は、2年ほど前に受けた千さんのお爺ちゃんセッションです。ここでイーフという霊的な存在から私は、

 「神秘的なことの聖なる部分について、伝えていく役割を持たされた」

 と聞かされました。
 伝えていくといっても色々な方法があるので、私はイーフが私に具体的にどのような活動を望んでいるか聞いてみました。
 本を出版することが一つだといいます。そして、もう一つイーフが言ったのは、私のサイトの記事に共感する人々が集まって語り合うということでした。これが私がスピリチュアルなセミナーを主催するに至った大きな理由の一つです。
 人々が集まって語り合うのですから、単純なWS(ワークショップ)ではなく、何か工夫する必要がありました。
 そこで思いついたのが、サークルにすることでした。
 サークルという形であれば、神秘家ゲリー・ボーネルさんが変容の時代を迎えるにあたり、語り合える友達をつくるというのが非常に大事だと言っていることと繋がります。それゆえWSではなく、スピリチュアルな活動を共に行うことで友達となってもらうようサークルという形態にこだわりました。セミナーはそうした活動のきっかけ的なものであり、セミナーだけでなく、スピリチュアルなワークや旅行なども企画していければと思っています。

 ところで聖なる部分を伝える役割を持っていると言われたことに関してですが、私は宇宙の創生やその仕組みに強い関心があります。
 ゲリースクールでもそうした講義があったのですが、私はゲリーさんから教えてもらったこと以上に知りたいことがいっぱいありました。でもスクール仲間は、そうしたことにあまり関心がない様子でした。どうやらこれは、私特有のものだったことに気づかされることになりました。
 2月の第2回のセミナーのテーマはアカシック・リーディングでした。
 そのアカシックとは直接関係ないようですが、私は魂(トライヤード)の本質は観察者(探索者)であるという話をしたくて、神秘家ブルース・モーエンさんが体験した話を紹介しました。
 それは太古の昔に、創造主が自分の周りの大いなる未知を探索するために、自分の一部をつかって(創造主の子供として)魂を創造し、大いなる未知を探索させたという話です。第2回のセミナーに参加されていない方々のために、その元となった文章を紹介したいと思います。
 モーエンさんの体験を、坂本正道さんの本(『SUPER LOVE』ハート出版)から抜粋して紹介します。


 ・・・<『SUPER LOVE』、p132〜p136から抜粋開始>・・・

 意識の歴史について

 私たちの意識は、いつ、どこで、どう始まったのでしょうか。それについてはモーエンの本『Voyage to Curiosity Father』(Hampton Roads Publishing Company, Inc)に詳しく記述されています。
 前章でフォーカス35(5番目の次元)にはI・T(管理人注)という自分の集合体が存在すると書きました。6番目の次元にはさらに大きな自分の集合体であるI・Tクラスターが、7番目の次元にはさらに大きなI・Tスーパー・クラスタ−が存在すると書きました。
 モーエンは7番目の次元(フォーカス49)のさらに上へ、ひとつずつ順に上がっていきました。そしてひとつ上がるごとに、より大きな自分が存在することを見出しました。これを繰り返していって、12番目ぐらいの次元まで到達しました。そしてその意識レベルと交信し、意識の歴史についての情報を得ています。
 ただ、ものすごい強度の無条件の愛を浴びながらの交信は、意識を集中しているのが難しく、また得た情報も言葉にするのはこれまた難しいとのことです。
 ここにはその抜粋を紹介することにしましょう。
 まずこの意識存在は、その意識の中に地球生命系内のすべてを含んでいます。すべての生命体や物質の意識、行動、事象、現象などなど。物質界も非物質界もともにすべて把握しています。素粒子レベルやさらにそれ以下のレベルの事象も把握しています。さらに地球以外の生命系も含んでいます。その意識内にこの宇宙全体をも含んでいます。宇宙内で起こっていることすべてを把握しています。さらには、この宇宙以外の宇宙をも意識内に含んでいます。
 どうしてそういうことができるかと言うと、そういうすべての存在の意識はこの存在の意識の一部だからです。この存在の意識の一部を使っているからです。
 この存在が語る意識の歴史はこうです。

 はるかな昔、時間が存在する前のことです。あるところに、と言っても空間も存在する前のことです。自分自身のことを認識する存在がいました。それは「光の球」とも言えるでしょう。それは「大いなる未知」に囲まれていました。「光の球」は「大いなる未知」に何があるのか、まったくわかりませんでした。何があるのか大変興味を持ちました。
 そこである計画を思いつきました。それは、自分の一部から、それ自身を認識するものたちを作り出して、「大いなる未知」の探索に送り出すというものです。言わば探索用に子供をたくさん作ったようなものです。
 ところが、そうやって最初に送り出した子供たちは、あっという間に分解して散り散りになってしまいました。分解しないように何かを使ってつなぎとめておく必要があるのです。何がそれにいいのかわからなかったので、片端から自分の一部を接着剤として使い、探索に送り出しました。
 ところが、ほとんどは途中で分解するか、しなくても帰ってきませんでした。仕方がないので、この実験を続けていくと、あるとき、ひとつが突然帰ってきたのです。それは「無条件の愛」を接着剤として使っていたのです。そして、それは探索結果を報告し、その探索した部分は既知となりました。
 「光の球」は意識していなかったのですが、送り出した子供たちはみな「光の球」が有している「好奇心」を持っていました。
 この帰ってきた子供は、愛によって固められていたので「大いなる未知」内のすべてを愛を通して見、自分を愛し返すものを探し続けていました。そしてあるとき、はるかなかなたに愛を放つものを感知し、そちらへ向かっていくと「光の球」に戻ったというわけです。そのときに大きな愛とともに受け入れられました。
 このとき以来、送り出される子供たちはすべて「無条件の愛」を接着剤として使い、好奇心を持って「大いなる未知」を探索し「光の球」へ帰還するときに、大いなる愛という報酬を受けることになりました。さらにそれぞれの子供たちは、しっかりと意識の糸で「光の球」に結ばれていて、行方不明にならないようになりました。
 「無条件の愛の源」へ戻り合体したいとぃう欲求が、彼らを「光の球」へ帰還させるのです。そして「好奇心」が彼らをして「大いなる未知」を探索させるのです。
 送り出されたそれぞれの子供たちは「光の球」がやった方法をコピーしました。つまり自分の一部を使って自分たちの子供を作りました。「光の球」から見れば孫になります。それらを「大いなる未知」の探索に送り出しました。孫たちはまたこの方法をまねて子供を作り、ということが何回も繰り返されました。そして「大いなる未知」は隈なく探索されていきました。
 私たち個々の人間の意識は、この一番先にあります。「光の球」つまり「創造主」から見ると、何代先でしょうか。おそらく13とか14代でしょうか。モーエンが交信した相手は「創造主」の子か孫のレベルだと思われます。

 以上がモーエンが語る意識の歴史です。
 モーエンはこの存在とのコンタクトにより、大量の無条件の愛に浸されることで、自分が永遠に変わってしまったということです。非可逆的な変化を遂げたということです。
 ここで少し補足します。
 第二部で「意識の構造」についてお話しました。自分の意識を上に上がっていくと5番目の次元で、すべての自分の集合体があり、さらに上の6番目の次元では、自分の集合体とそれに関連する人たちの集合体の集合体があり、そのさらに上にはさらに大きな集合体があると、そこではお話しました。
 これをさらにどんどん上がっていくと、集合体はどんどん大きくなり、最終的にこの「光の球」つまり「創造主」に行き着くのです。
 逆に創造主から下へ行くほど意識が分割され、その一番先に私たちがいるのです。

 ・・・<抜粋終了>・・・

(管理人注)
 I・TとはI(アイ:自分)とT(There:ゼア)の略で、Iとはこちらの世界にいる自分で、Thereとは向こうの世界の自分をさします。つまりI・Tとは、こちらと向こうの世界を合わせた自分のすべての人生の総体という意味です。


 こうした話は科学的に証明できるものではないので、一般にはおとぎ話のレベルとして捉えられると思います。
 ただ私はこの話に、深い部分で突き動かされるものがありました。全部か一部かわかりませんが、創造の真理を語っているように感じたのです。


 冒頭に取り上げたイーフの話に戻りますが、2年前のセッションのときに私に聖なる部分を伝える役割を任せた存在を聞きました。
 その際に登場したのがイーフで、千さんはイーフがそうした指揮をしていると表現しました。それゆえ私はイーフが私にその役目を任せたものだと思い込んでいました。
 しかしこのところ私は、聖なる部分を伝える役割を任せた存在を聞かなければと思い、千さんに改めて聞いてみたのです。
 すると返ってきた答えに、あっけにとられることになりました。千さんは今度は、「だいそうぞうしゅ」と呼ばれている存在だというのです。私はその意味が呑み込めず、「だいそうぞうしゅ」の「そうぞう」は「創造」という漢字ですかと聞き直しました。するとそうだといいます。いやはや、話が馬鹿でかくなってきました。私はその大創造主と呼ばれる存在と、生まれる前にそうした約束をしてきたのですかと聞いてみました。すると、やはり答えはイエスだといいます。なんだか私の理解を超えた話になってきたようです。そういえばゲリーさんは、魂とは広大無辺な存在で、その全貌を理解することは生きている間には不可能だと言っていたな、という考えが頭の中を巡りました。
 とにかく、私に役目を任せたのが大創造主で、その役目を具体的にガイドするのがイーフということのようです。

 ちなみにその大創造主の名はなんですかと聞いてみました。するとホトリシアと呼ばれているとのことです。
 さらに何次元の存在ですかと聞いてみたら、27次元だといいます。うーん、聞いたことも本でも見たこともない数字です。まあいいかと思って、聖なる部分についてヒントを下さいと言いました。すると、始まりを正しく知ることで、それを伝えるようにといいます。始まりとはもちろん宇宙創成のことで、これを知ることが鍵だといいます。私はそんな情報がアカシック・レコードにあるのかと思ってしまいました。でもゲリーさんは、魂は始まりの瞬間を知るものだと言っています。それは魂の奥深い記憶にある情報なのかもしれません。

 実は私はイーフは私のハイヤーセルフではないかと思っていました。
 イーフはあちらの世界で魂の仕分け人の仕事をしている存在で、その性格はクールでこまやかに分析するのが得意なのですが、それでいて情にもろいという人間臭いところがあるといいます。そういった部分を私も持っていると思ったので聞いたのですが、違うそうです。イーフは私のハイヤーセルフではないけれども、私のハイヤーセルフととても近い存在だそうです。

 蛇足ですが、私たちが住むこの宇宙についてゲリーさんに質問したことがあったので紹介したいと思います。
 この宇宙は永遠に存在するのかというテーマですが、私はゲリーさんに、始まりがあったのなら終わりがあるはずだと考えるべきで、宇宙が創成されたというのなら、終わりがあるのではないかと質問しました。ゲリーさんは、始まりがあるものは終わりがあるという点には、その通りだと言っていました。でもこの宇宙に終わりがあるかという点には、答えてくれませんでした。たぶんゲリーさんにもわからないのだろうと思います。
 私のいい加減な記憶ですが、物理学者スティーブン・ホーキング博士は、この宇宙は拡大しているが、ある時点から収縮に転じる。そして一点に収縮して、それからビッグバンが起こり、また拡大を始めるという宇宙振動説を唱えてきたような気がします(あいまいな記憶です)。
 ちなみにお爺ちゃんセッションで同じ質問をしたら、この宇宙は永遠だと言われました。
 私は今は、この宇宙は永遠ではないかと考えています。ゲリーさんは、創造主は魂を創造したけれども、その魂は永遠不変の存在で、創造主でさえ破壊できないものだと言っていました。宇宙も同じものかもしれません。この宇宙はある時期に創造されたものだけれども、永遠に進化を続ける存在かもしれません。


 大創造主とか27次元とか、ちょっと浮世離れしすぎた話題になってきましたが、なんとなく私が宇宙の創成や仕組みに、強い興味を示す背景がわかった気になりました。ただしあまりにも広大なテーマだし、そもそもこの3次元の物理世界に住む人々が、そんな話題に興味を示すのかという思いが湧いてきました。


メル・ギル氏の臨死体験...2013年2月13日

 今回は、月刊誌『アネモネ』に載っていた、メル・ギル氏の臨死体験を紹介したいと思います。
 メル・ギル氏のプロフィールには、作家・映画監督・心理セラピスト・講演家とあります。一時期、引き寄せの法則『ザ・シークレット』が流行ったことがありましたが、これをさらに発展させた『ザ・メタ・シークレット』という手法を広めている人のようです。

 スピリチュアルな本を読んでいると、臨死体験をしてあちらの世界に行き、過去の自分の行動を追体験するという記述に出会うことがあります。興味深いのは、自分だけでなく、その場にいた相手の気持ちまで体験するということです。
 今回のメル・ギル氏の臨死体験もそうで、12歳のメル・ギル少年と、ホームレスの女性とのやり取りが語られています。それはメル・ギル少年にとっては些細な出来事でしたが、ホームレスの女性にとっては大きな転機になったという話です。

 ・・・<月刊『アネモネ』2103年3月号、p6〜p9から抜粋開始>・・・

 死の淵をさまよう手術中に体外へ抜け出て自分を見ていた

 18歳の時、私は臨死体験をしました。
 それがきっかけとなり、「字宙の法則」を会得したのです。 それは、まさにスピリチュアルな体験でした。
 通常、臨死体験は自分の内面が穏やかになり、魂が体外に抜け出る体験にもなりえますが、その時の私は激痛を感じていました。
 私はジャングルの中で転落事故に遭い、左腕を複雑骨折した結果、全身が「ガス壊疽(えそ)」という重度の感染症にかかってしまいました。 抗生物質がないような戦場などでは、体が腐っていく病気です。
 そうなると、腐った部分の病原菌が血液中に入り、血流に乗って全身を巡り、肝臓や腎臓、心臓さえも機能を停止してしまいます。
 病原菌に侵された私は、左腕を肘の上から切断しなければならなくなりました。その手術を受けている時、あっという間に肉体から抜け出てしまったのです。 そして、手術台に横たわった自分を、もう一 人の自分が眺めていました。
 同時に、両親や医師が何を話しているのか、その病院内のほかの場所でどんな会話が交わされ、何が起きていたのか、すべて把握している状態だったのです。 しばらくすると、医師が私の両親に死亡時刻を宣告しました。
 私は「ここにいるよ!」と叫び、自分がいることを知らせようとしました。 でも、彼らには聞こえません。
 そうするうちに、私は天井を突き抜けて上空に上がって行ったのです。

 白いトンネルの先にいた慈愛あふれる光の存在たち

 気がっくと、目の前に自い光のトンネルが見えてきて、私はそこに吸い込まれるように入って行きました。
 その先にいたのは、崇高な雰囲気を漂わせた慈愛あふれる光の存在でした。彼はゆったりとしたシンプルな青紫色のローブを身にまとっています。 彼からこう言われました。
 「あなたは、まだここに来る時期ではない。 もっとやらなければならない仕事があるから、地上に戻りなさい」。
 しかし私は本来、交渉好きなこともあり、彼にお願いしたのです。
 「もし、帰らなくてはいけないなら、もう少しだけここにいてもいい?」と。
 彼は「では、分かった」と笑顔で答えてくれました。 そして、ほかの光の存在たちに私の面倒を見るように取りはからってくれたのです。
 その世界にいる間、私は数多くの光の存在に出会い、その都度あらゆることを学び、それによって、物事の真実を知ることができました。
 この間、私の感覚では4、5日経ったような気がしていました。 しかし、病院が行った心肺蘇生法で息を吹き返した私は、地上ではたった19分間しか経過していないことを知ったのです。
 退院して自宅に帰ったものの、もうそこが自分の家ではないような気がしました。 そこは自分の心の故郷にはほど遠く、臨死体験で訪れた先が「本当の故郷だ」と感じていたのです。

 ・・・(中略)・・・

 記憶の館で見て体感した封印された過去の結末

 あちらの世界では、ガイドと天使たちが様々な場所へ連れて行ってくれました。
 彼らと一 緒に歩いていたある日、ドーム型のホールが見えてきました。
 「あれは何?」と私が尋ねると、「記憶の館だよ」と答えます。
 「それって何?」と聞くと、「魂がすべての記憶を体験する場所さ」と言います。
 つまり、魂が自らの人生を検証し、「次の人生をどのように生きるのかを決める場所」とのことでした。 それによって、人はより高次の存在になっていくのです。
 しかし、すべての存在が地球に戻って来るわけではなく、ほかの次元や別の次元の地球が存在し、そこでの人生を選ぶ者もいるそうです。
 私は、「記憶の館」に入ってみることにしました。 部屋に入り、座っていると、自分のこれまでの人生がすべて見えてきました。 とても興味深かったのは、「今まで会った人たちから見た私の姿が見えた」ということ。
 7、8歳だった頃の私もいました。 その様子を眺めていたら、意外なことが分かりました。
 当時、私のそばにはひどいいじめっ子がいて、持ち物を奪い取られていました。 それである日、私は階段の上からその子を突き落とし、その場から逃げたのです。
 突き落とされたいじめっ子は、階段からボンボンと勢いよく転げ落ちて行きました。 その時、私は同時にその子の痛みを自分の体で感じていたのです! 彼の頭から温かい血がジワッと流れてくるのも、自分のこととして感じていました。
 転げ落ちた衝撃で、彼の脳が損傷し、それによって記憶障害が生じたことも分かりました。 それによって、彼は本来の使命とは違う道を歩むことになり、大人になって宣教師になったことも……。
 彼の人生のタイムラインはいくつかあり、そのひとつは医者になる運命でした。 でも、私に階段から突き落とされたことによって、それがなくなってしまったのです。
 私が引き起こしたこととはいえ、彼はそういうふうに運命付けられていたようでした。

 12歳の時に出会った無愛想なホームレスの女性

 そのほかにも、記憶の館で見た印象深い出来事があります。 それは、私が12歳の時のことでした。
 学校からの帰り道、とても汚い服を着たホー ムレスのような高齢の女性が道ばたに座っていました。
 そこで、持つていた小銭をかき集めて、彼女の前に置いたのです。 頭の中では、「ああ、良いことをした。 だから僕は天国に行ける」という考えが浮かんでいました。
 でも、彼女は一 言も話そうとせず、こちらを見ようともしません。 それどころかコインを手に持ち、私に投げつけたのです。 私はその小銭を全部拾うと、「なんだよ!」と言って、そこから立ち去りました。
 でも、なぜか私はうしろめたい気持ちになり、ふと、「彼女の前に食べ物を置きたい」という衝動に駆られました。 そこで、チキンライスを売っている店に行き、持ち帰り用を買いました。
 彼女のいた場所に戻った私は、「また投げつけられると困る」と思い、チキンライスをそっと置きました。 彼女は、やはり私を見上げようともしないし、何も言いません。
 でも次の瞬間、それを食べ始めたのです。 私はすごくうれしくなって、「ああ、良かった。これで天国に行ける」と思い、そこから立ち去りました。
    *
 ここまでは、私の側から見た「当時の記憶」です。
 記憶の館で、私はこの時の真実を知ることになりました。 私にコインを投げつけた時の、彼女の心の声が聞こえてきたのです。
 「私は物乞いじゃない。 お金はおまえが持っていればいい」。
 その後、彼女の前から立ち去っていく自分の姿も見えました。 ところがその時、何者かの“光の手”が私の背中に触れたのです。 その光の手は、「食べ物を買いに行きたい」という衝動を覚えた私の背中を押して、チキンライスのお店に連れて行こうとしていました。
 そうやって買ってきた食事を私が差し出した時、黙って食べていた彼女の心の声が聞こえてきました。
 「ありがとう、ありがとう、ありがとう……。もう、何日も何日も食べていなかったの」。
 彼女は2年間、そんなふうにして路上生活をしていました。 記憶の館で、初めてそれが分かったのです。

 幸せな再会を果たせたのは息子と私が似ていたから

 彼女の息子は、とても意地悪な女性と結婚しました。 息子がそんな人と結婚したのが嫌だった彼女は、自分が一 緒に住むことにも耐えられませんでした。
 ある日、息子の妻から「出て行け!」と言われた彼女は、息子夫婦に対する怒りが抑えられず家を出ました。そして、路上生活を始めたのです。
 息子は必死になって母親を探していました。でも、彼女は見つからないように町の中を歩き回り、ゴミ箱の食べ物をあさって過ごしていたのです。
 そんな彼女と12歳の私が出会いました。 彼女が一瞬私を見た時、自分の息子が幼かった頃と似ていることに気づきました。 路上生活を始めてからの2年間というもの、怒りもあり、息子のことを忘れ去っていましたが、私と出会ったことによって思い出したのです。
 彼女は、もはや息子に対する怒りなどなく、すごく寂しく感じている自分に気づきました。そこでコインを拾って、公衆電話から息子に連絡をしました。 そして、電話に出た息子が彼女を迎えに来て、家に連れ帰ったのです。

 死後も幸せであるためには隣人を愛すること

 私はあの時、ホームレスの女性に、ただ食べ物を与えただけでした。その後、何が起こったかなんて、まったく知りませんでした。
 でも、記憶の館でそれを知ることになったのです。 自分が今まで行った善行の結果がすべて見え、その時の相手の気持ちや感覚を同じように体験しました。
 そうやって、ひとつのことが、もうひとつの出来事に繋がっていく過程は、まるで蜘蛛の巣が広がっていくかのようでした。 自分と関わった相手の悪行さえも……。
 なので、この体験が私の人生を永遠に変えてしまったのです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


ヤスさんとハンク・ウエスルマン夫妻との対談から...2013年2月6日

 私は『ヤスの備忘録』さんのメルマガの会員となっているのですが、そのメルマガにヤスさんとハンク・ウエスルマン夫妻の対談が載っていました。その対談で、ハンク・ウエスルマン夫妻の言葉が大変興味深かったので、ここで紹介したいと思います。
 まずハンク・ウエスルマン氏をご存じでない方の為に、簡単に紹介したいと思います。
 以下は、ハンク・ウエスルマン氏とサンドラ・インガーマン氏の共著である『神霊の世界に覚醒して』(道出版)の紹介文です。

 古人類学者でシャーマニズムの先導者。アフリカにおける人類の起源の調査を著名な人類学者とともに共同研究。『スピリチュアル・ウォーカー』(早川書房)、『ビジョンシーカー』など著書多数。

 一つ付け加えると『神霊の世界に覚醒して』にはドラムを単調に叩くような音楽CDが付録として付いています。
 これは人を変性意識状態に導くもので、私も試してみましたが、かなり効果があるように感じます。この『神霊の世界に覚醒して』をヤスさんが日本語に翻訳したので、その縁で対談が実現したのかもしれません。

 現在ハンク・ウエスルマン夫妻はハワイ在住とのことで、ヤスさんがハワイに行って対談が行われたようです。そして近いうちに対談本が出版されるそうです。

 まず紹介するのは、ウエスルマン夫妻がどのように人間を見ているかという話です。
 ハンク・ウエスルマン博士はシャーマンでもあるということを念頭に置いていただければと思います。


 ・・・<ヤスさんのメルマガ、208回から抜粋開始>・・・

 人間は、我々の想像をはるかに越える神秘に満ちた存在である。人間の精神は、日常的な意識では経験できないさまざまな存在がいる場所へと直接アクセスすることができるし、また、本来の自分自身である「ハイアーセルフ」とも交信が可能だ。まさに人間とは、日常的な自我や意識には還元できない多次元的な存在なのである。

 しかし、こうした人間の神秘性を、一段階高いところにいる教師やグルが、「教え」として弟子に伝授することは基本的に間違っている。「グルの教え」として人間の神秘性を伝えると、かならず弟子の依存心を深めてしまうためだ。そして、結果的にはグルを神として祭るような従属的な行為に道を開いてしまう。そうなってしまうと、人間の神秘的な側面は見えなくなてしまう。あるのは、「神としてのグル」に対する盲目的な従属だけだ。

 人間の深い神秘性に目覚めるためには、個々人がこれを直に体験しなければならないのだ。「神のようなグル」は一切必要ない。これを体験するひとつの方法こそ、古代から伝わるシャーマンの技法なのである。もちろん、これと同じような技法と哲学は日本文化のなかにも当然存在している。

 このような観点から、私達は絶対に「グル」や「先生」にはならない。私達は多くの個人がシャーマンの技法を通じて人間の内面の神秘性を体験できるようにガイドするトレーナーにすぎない。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 文中に「ハイヤーセルフ」という言葉が出てきました。
 ハイヤーセルフとは、一般的には高次の自分と説明されることが多いようです。さらに、これから紹介するハンク・ウエスルマン夫妻の言葉の中に、オーバーソウルという言葉が出てきます。ハイヤーセルフという言葉を聞いたことがある方でも、オーバーソウルは初めてという方もおられるかもしれません。そこで、ここで私が神秘家ゲリー・ボーネルさんから教わったオーバーソウルの意味を簡単に説明したいと思います。
 魂(ゲリーさんはトライヤードと呼んでいます)は通常、グループで3次元世界を探索(観察、経験)します。
 これをソウルグループと呼んでいますが、あるソウルグループが地球の3次元世界(物質界)を探索しようとしたとします。個々の魂は、肉体に転生したとき、地球の波に呑まれて帰り道がわからなくなり、帰ってこれなくなるのを防ぐため、振動数が近い2つの魂が合体します。2つの魂が合体することにより、一つの転生を終え(死を迎え)たとき、あちらの世界に道に迷わずに帰れるといいます。それでも極めてまれですが、魂が帰ってこれずに行方不明になるという事例があるそうです(この行方不明になるという話はゲリーさんに聞いたのではなく、何かの本で読んだものです)。
 魂は多次元構造をしていて、肉体に転生する前には(肉体に近い順から)、エーテル体、アストラル体、コーザル体、メンタル体、セレステアル体といった構成をしています。そして地球に転生する為に2つの魂が合体したとき、新たにその上にキリスト体が造られるといいます。このキリスト体のことを、通常オーバーソウルといいます。2つの魂が合体するわけですが、相手方をツインソウルといいます(どちらかが男性性、女性性となります)。同じソウルグループの仲間をソウルメイトと呼び、強い結びつきを感じますが、このツインソウルの結びつきは強烈だそうです。強い結びきというと、ロマンチックな恋愛関係を思い浮かべてしまいますが、そんなことだけではないようです。ゲリーさんは、葛藤があるうちにツインソウルに出会ってしまうと、殺し合うような極端なことが起きかねないと言っていました。

 ウエスルマン氏はこのオーバーソウルをハイヤーセルフと呼んでいるようです。

 さて対談に戻ります。
 最近日本は、尖閣諸島の領有権をめぐって中国と対立しています。
 ヤスさんは日本にナショナリズムが高まっているといい、これは日本だけでなく世界的な傾向だといいます。ヤスさんは、こうしたナショナリズムの台頭をどう思うかと、ハンク・ウエスルマン夫妻に質問しました。それに対する回答です。


 ・・・<ヤスさんのメルマガ、209回から抜粋開始>・・・

 私たち個々の人間は、明確な理由があって生まれてきているはずです。そのひとつは、個人としての意識を発達させ、一個の個性を持つ人間としてユニークに生きるということにほかなりません。自分固有の魂のユニークさに気づくことこそ、覚醒であり発見なのです。これに気づくためには、個人としての自分の存在を自覚することがまず大切です。

 ところが、ナショナリズムのような集団主義は、個人を集団に埋没させ、個人である意識を完全に奪ってしまいます。これは魂の成長にとって間違いなくマイナスです。もちろんこれは、ナショナリズムだけではありません。個人を埋没させるあらゆる集団主義はマイナスなのです。

 個々の人間は、私たちが自分の自我で理解するような存在ではありません。私たちの内面には、精霊や自然の霊、そして多くの神々しい存在と交信できる別な次元が存在しているのです。自我で把握した「自分自身」だけではないのです。

 その意味では、私たちひとりひとりは本当に神秘に満ちた存在なのです。汲めども尽きない本当の豊かさが私たちのなかにはあります。

 この自分のなかにある神秘性を体験してご覧なさい! それは驚きに満ちた体験のはずです。大変な発見があり、途方もない充実感を感じるはずです。

 このような自分の内面で、もっとも神秘な存在こそ、「神」や「仏」と呼ばれる「オーバーソウル」との出会いです。私たちのひとりひとりの中には、私たちの「不死の自己」、つまり「仏」とか「神」と呼ばれる自分自身が存在しているのです。

 それを一度体験すると、心は幸福感で満たされ、真の意味の充実を味わいます。なぜなら、私自身が「神や仏」なので、なんの心配もないのですよ。自由自在です。本当の自由を体験するのです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 ヤスさんは、夫妻にこうした「個性化の過程」を生きる上でこのような困難を経験したことがあるかどうか聞いてみます。すると、奥さんのジルさんが次のように答えます。

 ・・・<ヤスさんのメルマガ、209回から抜粋開始>・・・

 もちろんです。もうかれこれ20年近く前になるでしょうか。私たち夫婦はハワイではなくカリフォルニアに住んでいました。夫のハンクは2つの大学で教鞭を取り、私は認可された療法士として著名なクリニックに勤務していました。私たち2人とも自分のキャリアと生活には十分に満足していました。

 そのときです。火事があり、自宅が全焼したのです。それは、いま思い起こしても驚くべき出来事でした。自宅と私たちの持ち物一切が20分で全部きれいさっぱりと灰になってしまったのです。

 私たちは茫然自失になりました。いったい何が起こっているのか分かりませんでした。私はすでにそのときにはシャーマンの儀式を心得ていたので、精霊とコンタクトしてなぜ火事にあったのか聞いて見ました。

 すると精霊は、「おまえたちをハワイに引き戻すためにやった」というのです。私たちにとっては大きな驚きでしたが、自分たちのキャリアをすべて捨て、ハワイに移住したのです。

 このように、「個性化の過程」を生きていると、自分の人生を軌道修正し、本来の自分の個性ある生き方を取り戻すことが要求されるのです。もちろんはじめは戸惑いますが、この経験で手に入れられるのは、魂の自由と幸福です。

 ですから、自分が変化することを絶対に恐れてはなりません。変化こそ「個性化の過程」であり、私たちを幸福と自由へといざなう導きの手なのです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 ウエスルマン夫妻は、ナショナリズムを含め、個人を埋没させるあらゆる集団主義はマイナスだと言います。しかし、いまナショナリズムが世界各地で高揚していることにはきちんとした意味があるはずだと言います。

 ・・・<ヤスさんのメルマガ、209回から抜粋開始>・・・

 ところでナショナリズムですが、もしかしたらいま私たちはこれを経験することはとても重要なのかもしれませんよ。

 カフナ(管理人注:ハワイの神官)に最高位の地位にあったマクアですが、2003年の初旬に私は彼と実に興味深い会話をしました。

 私はその当時、ブッシュが大嫌いだったので、2004年の大統領選挙では「まさかブッシュが再選されるわけはない」と私は固く信じていました。

 ところがマクアはまったく反対の見方でした。マクアが言うには、もし2004年にブッシュが再選されなければ、アメリカはテロと戦争の同じサイクルを最初からなんども繰り返していたはずだと言います。カルマのようなサイクルを完全に清算するためには、同じサイクルを一度体験しなければならないのだと言うのです。内面を強く見つめることのできるオバマのような大統領が出現するためには、このサイクルのカルマを終わらせておかなければならなかったのです。

 このような視点から、日本を始めいま世界各地で高揚するナショナリズムを見ると、おもしろいことが分かります。つまり私たちは、「個性化の衝動」に目覚め、自分自身が「神」であることを体験するのが2013年からのサイクルであるなら、この期間に古い意識であるナショナリズムは逆に強化されるはずです。

 ・・・<抜粋終了>・・・

 つまりナショナリズムのサイクルを完全に終わらせるために、いまナショナリズムを経験しておかなければならないということだそうです。
 だとすると、これが人類が経験する最後のナショナリズムとなるということでしょうか。


 ウエスルマン夫妻の「神のようなグル」は一切必要ない、という言葉は私に大変に共感するものがあります。
 例えばゲリー・ボーネルさんがそうです。ゲリーさんは、弟子をいっさい取らないと決めています。
 去年のゲリーボーネルさんのフォローアップセミナーに出席したとき、ある興味深い質問がゲリーさんに向けられました。
 それは、ゲリーさんは、人間は肉体に魂(トライヤード)と身体意識(ダイヤード)が共存したものだと言っているが、どうして他のグルはそうしたことを言ってこなかったのかというものでした。
 それに対するゲリーさんの答えは、「私はグルではないから」でした。
 ゲリーさんによると、これまでグルと言われた存在は、自分の教えに帰依する人たちが必要だったし、人々もグルに帰依したいと望んでいた。魂(トライヤード)が、永遠に不変の存在であり、進化も退化もしないと存在だとわかると、グルに帰依する人がいなくなるからといいます。私たち自身が「神」や「仏」と呼ばれる「オーバーソウル」であるなら、外部に「神」や「仏」を求める必要はなくなってしまうからです。
 私はこうしたゲリーさんの答えに、大いに納得するものがあります。
 なぜなら私たち人類は、変容の時期を迎えていると思うからです。変容するためには、誰かに依存して任せるわけにはいきません。誰かが自分を変容させてくれるわけではないからです。自ら変容を決意し、体験をする必要があります。必要なのは、グルではなく、変容するための案内役(ガイド)でしかありません。その意味からも、ウエスルマン夫妻の「神のようなグル」は一切必要ないという言葉に共感します。


ギリランド氏の2013年予測...2013年1月31日

 今回は、年の初めにふさわしい、その年の予測です。
 スピリチュアル月刊誌『アネモネ』(ビオ・マガジン社)、2013年2月号からジェームズ・ギリランド氏による2013年予測を抜粋して紹介したいと思います。
 ジェームズ・ギリランド氏は、作家、エネルギーヒーラーとのことで、「国際的なTVニュースやインターネット、ウェブ・ラジオ番組でも取り上げられている著名人」なんだそうです。でも私は今回の『アネモネ』で初めて、その名を知りました。
 少しギリランド氏を紹介すると、3度の臨死体験で次元間を移動できるようになり、聖書でエゼキエルとして知られる存在、カゼキエルにサポートされているとのことです。現在はUFOコンタクトのメッカとして有名なアメリカ・ワシントン州南部にあるアダムス山のふもとにあるスピリチュアル・リトリートセンター「ECETI(イーセティ)」の代表を務めるとあります。

 ギリランド氏は、カゼキエル以外にも様々な知的生命体とのコンタオクトがあり、そうした存在から瞑想を通じてメッセージを受け取るそうです。
 今回紹介するのは、5次元のシリウスの猫族「バギート」という存在から受け取ったメッセージだそうです。
 このシリウスの猫族は地球の古代から関わりがあり、古代エジプトでは「セクメト」、古代インドでは人間を守る役割を持つ「ナルシュリーンガー」と呼ばれていたそうです。その容姿は人間の女性と猫が合わさったようだということで、イラストが載っていたので紹介します。



 これから紹介するのは、2013年に起こると伝えられたものだそうです。


 ・・・<『月刊アネモネ』2013年2月号、p9〜p11から抜粋開始>・・・

 太陽フレアによる送電網のダウン

 最初のテーマは、送電網です。
 2013年に入ると、太陽フレアの直撃が続き、コンピュータが次々とダウンする可能性があります。
 そうなると、地球全体の送電網が崩壊することでしょう。
 これは、活発な太陽活動によるものであり、今や、磁極のポールシフトが起こりつつあります。
 送電システムがダメージを受けると、送水や下水のポンプが作動しなくなります。
 銀行のATMも使えなくなるでしょう。
 そして、発電により成り立っているビジネスは機能しなくなります。
 ガソリン・スタンドのポンプでさえ、バックアップシステムがなければ作動しません。
 私たちの必要とする量を充分に満たし、クリーンで効率の良い代替エネルギーがすでにこの地球上に存在しているので、直ちに公表され、導入されなければなりません。

 磁極のポールシフト

 次のテーマは、磁極のポールシフトです。
 これは、わずか数ヵ月以内にも起きる可能性があります。 もしポールシフトが起きれば、地軸が移動し始めてから終わるまでの時間は、およそ6日間に及ぶでしょう。
 人間の意識は磁気を帯びていて、記憶は磁気的なものでできています。
 ポールシフトによる磁気の変化で恐れ、怒り、嫉妬、争い、貪欲、文化的・宗教的に分裂した信念などの濃密で重い意識は、6日間の間に消去されていくことでしょう。
 意識の周波数が著しく低い人は、そのアイデンティティがバラバラになって崩れ去ります。 暴君や、人をコントロールしようとしてきた人は、自らの名前も認識できないくらい、意識を喪失していきます。
 彼らは正気を失い、自分の居場所を失くし、もはや、地球の周波数と合わなくなるため、再び地球に生まれ変わることもありません。

 ロシアの科学者によれば、もし14時間以上、磁気のない状態に置かれたなら、人間の意識は消去されてしまい、元に戻すことは不可能とのことです。

 もし、あなたが高い周波数を保っていれば、何の問題もありません。
 高い周波数は、魂に繋がる心へとアクセスします。
 それは、宇宙の根源への入口となるハートを通して行われるのです。
 周波数が高いというのは知性が高いという意味ではありません。
 というのも、愛、喜び、他者への奉仕の精神のない人はシフトできないからです。
 ポールシフトの期間中は、どこにも逃げ隠れすることはできません。
 地上にも地下にも、暴君のための城や王国は存在しなくなるのです。

 地殻変動

 磁極のポールシフトに引き続き、地殻変動が起きる可能性があります。
 これは、かつて違い昔に地球に隕石がぶつかり、それによって、現在まで地軸が傾いていることに起因します。
 隕石の衝突で本来の傾きからズレた地軸が傾く前の状態に戻ろうとして再び23〜30度ほど移動するでしょう。

 そうなると、北米は南のほうに移動します。
 磁極のポールシフトが起きることによって地球内部でマグマが流動的になり、過熱されて圧力がかかり、地殻変動が引き起こされます。

 この地殻変動により、火山活動が活発になり、地震が頻発します。
 空気中の湿度が高くなり、嵐や強風、洪水が継続して起きるでしょう。
 それによって、海岸線が大きく変化します。
 地軸が動くことで、地球内部のマグマが変動して、赤道あたりの地殻が隆起します。
 そして、赤道から遠く離れたところは陥没します。
 この地殻変動の間に、赤道近辺では41kmにわたって土地が隆起するところもあり、地球上の海全体が様変わりすることでしょう。
 まるで、アトランティスやレムリア、ムー大陸の沈没、あるいは、ノアの洪水の再来と言えます。

 4次元へのシフト

 これまでに述べた変動の前に4次元へのシフトが起きるようです。
 このテーマは、より詳細に解説しましょう。
 4次元へのシフトは、「周渡数の上昇」と解釈すると分かりやすいかも知れません。
 それは、個別に新しい時空、つまり今、よく言われているパラレルワールド( 平行宇宙)に移行することなのです。
 この移行は、その人の持つ周波数と意識レベルによって決まります。
 その人の意識の周波数が、現在の地球での運命とこれから先の運命を決めます。
 3次元の領域を卒業して、4次元に移行することにより、前述のポールシフトや地殻変動を体験しない人もいます。
 肉体の密度が希薄になると、3次元のレベルを超えてしまうからです。
 それは、この物質世界の人々や場所や出来事に対する執着から自由になったということであり、識別力を習得して、宇宙の一なる意識に統合されたということなのです。

 これは、たやすいことではありません。
 中には「自分はすでに宇宙意識と統合している」と錯覚している人もいます。
 しかし、宇宙意識へと統合されていくプロセスは、多くのレベルを経て、ようやくなされるものです。
 その人の潜在意識に隠されていたものが浮上しては癒されていく、というプロセスを踏みます。

 あなたが「宇宙意識へと統合したい」と意図すれば、宇宙から、多くのサポートがやってきます。
 すると、自分の意図したことが素早く実現していき、あなたの意識レベルが明らかになっていきます。

 ネガティブな傾向がある人の場合、周りの人や地球に対して、否定的に対処しているのでネガティブな事態に遭遇することになります。
 作用・反作用の原理や、いわゆるカルマというものが、瞬時に現象化するのです。
 ウソやごまかしは、即座にばれてしまいます。
 そのようなネガティブな人に残された道は、意識を変革して、過去の囚われから解放され、自らを心のレベルではなく、魂の奥底から許し、本来の自分を取り戻すことしかありません。

 そのためには、自らを変革していくための“剣”が必要となりますが、自分が本当は何を望んでいるのかを見極めると同時に、その剣となるものにも、注意を払わねばなりません。
 今の社会では、ある事柄が見かけ通りではなく、人類の思い込みや錯覚のうえで認識されていることが多いからです。

 人類を覚醒に導き、地球を癒すために人知を超えた力が、宇宙から働きかけてくれています。
 しかし、その精妙なエネルギーは暴君や、コントロールしようとする人の荒い波動には働きかけることができません。

 このような中、地球に肉体を持って生きている私たちは、自分の役割をきちんと果たしていく必要があります。
 これから現れようとしている物理的事象を、良い方向に変えていくために、現在、光明を得た聖者、憎侶、ヨガ行者たちが、これまでなかったほど高次元の存在たちとともに祈り、人類の意識改革が進むように取り組んでいます。

 そのようにして人類の意識に光とエネルギーがもたらされると同時に、地球を取り巻くエネルギー・グリッドにも、光とエネルギーが注がれています。

 今こそ、私たちも彼らとともに祈り、取り組むべき時です。
 現在の統治システムでは、この先社会的・経済的・環境的に持続できません。
 現状維持を続けることは自滅的であり、理にかなったことでも、現実的に可能なことでもありません。
 現実から目を背けて生きていく人は、地球が次元を移行するにあたり必要なレッスンを学ばねばならなくなります。
 地球はすでに周波数を上げ、進化することを選択しているので、人類はそのプロセスに適応していくしかないのです。

 このような壮大なシフトの背後に広大な多次元宇宙が控えています。 人類が眠りから覚めて、奴隷のような状態から抜け出し、これから地球が迎える大きなイベントが素晴らしい変容と学びになるようにと高次宇宙の存在たちは願っています。

 彼らは、人類を信じています。
 今後どのように乗り切っていけばよいか、地球とそこに住む人々は分かっている、と。

 頑張ってくださぃ。
 賢い選択をしてください。
 創造者、神なるものを知ってくださぃ。
 グレート・スピリットは宇宙すべての創造されたものに宿っています。 すべての存在を宿す統一されたひとつのフィールドがあるのです。

 今こそ、過去の考え方から自由になり、囚われから解放され、地球と人類にとってベストな未来になるよう行動を起こすべき時です。
 すべての文化的、宗教的な境界線を越えて、自然を大事にして、互いに平和と調和の中で助け合い未来を創造する時がきたのです。

 間もなく、私たちは宇宙の同胞と合流します。 その時、高次元からの宇宙ファミリーや、アトランティスの崩壊時に地底世界へ移行した私たちの祖先である高次存在たちが姿を現すでしょう。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 上記の文で私が特に注目したのは、磁場の変化で「恐れ、怒り、嫉妬、争い、貪欲、文化的・宗教的に分裂した信念などの濃密で重い意識は、6日間の間に消去されていく」という部分です。地球の振動数の上昇により、その環境変化に適応できない、つまり変容できない人々は、もはや地球に住むことはできないという話はよく聞きます。神秘家ドランヴァロ・メルキゼデクさんやゲリー・ボーネルさんも同じことを言っています。それゆえ、今後は地球の人口は急速に減っていくと言っています。
 ただ私はそれが、自然災害や戦争、あるいはパンデミックフルー(伝染病の感染爆発)などが原因だと思っていました。それがシリウスの猫族バギートによれば、地球磁場の急激な変化により、「意識の周波数が著しく低い人は、そのアイデンティティがバラバラになって崩れ去ります。 暴君や、人をコントロールしようとしてきた人は、自らの名前も認識できないくらい、意識を喪失していきます」といいます。つまり、磁場の大変動によって生存できなくなるというのです。実は私は、これまでそうした認識がありませんでした。それゆえ、そんなこともあるのか、という思いです。
 磁場の変化で人の記憶がなくなることは、ドランヴァロ・メルキゼデクさんも言っています。
 以前引用したものですが、再度掲載します。


 ・・・<『StarPeople』2011年夏号、p12から抜粋開始>・・・

 もうすでに始まっていると言われるマグネティックポー ルシフトが物理的なポールシフトを招くと言われ、現在このマグネテイックポールシフトが実際に起きています。 もしこの物理的なポールシフトが起きたら、世界中が今回の日本の大震災のような状況になるでしょう。
 このマグネティックポールシフトが原因で世界中の人々が体に不調をきたしています。 つい最近、私の妻がロシアで仕事をしている時、あるドイツ人に会いました。その人はモスクワで道を歩いている時に、急に動悸がして気分が悪くなり、資血を起こして病院に運ばれました。病院で検査をした結果、医師は、「あなたの体には何も間題はありません。あなたが体験した症状は、マグネティックフイールド(磁気場) が動いたために感じたものです」と言いました。翌日ロシアの新聞でこの事実が記事として取り上げられ、体にこのような症状が出たらマグネティックポールシフトが原因であり、医師にできることはないという注意を促したようです。
 また、私たちはマグネティックポール(磁極) が体を通らずして、記憶を保持することができないと言われており、ロシアはこれについての研究結果をいち早く発表しました。 ミラースペースステーションで行われた実験で、約2〜3週間マグネティックフイールドのない空間にいた研究員はあらゆる記憶をなくし自分の名前もわからなくなり、ドアをどうやって開けるかもわからなくなってしまったそうです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 次に太陽フレアについてですが、NASAは今年(2013年)5月頃にに大規模な太陽フレアが起きる可能性を言っているそうです。
 ドランヴァロさんも、マヤ人が2月18、19日に太陽フレアが起こると言っている話を紹介していますので、それを紹介します。

 ・・・<『StarPeople』2011年夏号、p12から抜粋開始>・・・

 ポールシフトの側面にあるのが、太陽フレアの話です。2011年2月14、15日頃に、過去4年で最大規模のXクラスの太陽フレアが発生しました。今回の震災もこの太陽フレアが原因かもしれないという話もありますが、科学的には解明されていません。 現在2013年頃に起こると言われている巨大な大陽フレアが原因で、電子機器障害が起こって地球は壊滅的な被害を受けるだろうと言われています。なぜならば、前回の巨大なソーラーフレアが起きた時よりも、現代生活のほとんどすべての面を支えている先進テクノロジーは電気やコンピュータに頼っているので、私たち人類が受ける影響が計り知れないからです。その時、コンピュータのハードディスクはすべて消去され、衛星にも大きく影響すると言われ、今からこの問題への注意が重要視されています。 マヤ人の計算では、これは2013年2月18、19日に起こるそうです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 こうした話を聞くと、シリウスの猫族バギートの予測を見るまでもなく、今年大規模な太陽フレアが起きる可能性は高そうです。そして送電網がやられ、電気が来ないでコンピューターが使えないという状況が生まれるかもしれません。
 ただ私は、今年大規模な太陽フレアが起こったとしても、さらにそれを上回る超大型の太陽フレアに襲われる可能性が、その先の未来にあると思っています。この話は以前書いたことがありますが、重要だと思うので再度触れたいと思います。
 ドランヴァロさんは、マヤ人が予言する「時間の終焉」と呼ばれる人類の禊(みそぎ)の時期が来ることを以前から言っていました。
 マヤの預言では、その「時間の終焉」は青い星の兆候が現れ7〜8年かけて行われるといいます。その時期ですが、ドランヴァロさんは2007年10月24日のホームズ彗星の大バーストが、マヤの予言の青い星であると結論づけました。それゆえ、すでにその期間に入っていると考えているわけです。私は先月ドランヴァロさんがプロデュースしたATIHリトリートに参加してきたのですが、そこでファシリテーターの方が、「ドランヴァロは、2015年までは何が起こってもおかしくないと言っています」と言われたのをよく憶えています。
 つまり2007年から始まり、2015年頃に「時間の終焉」が終わるということだと思います。

 私はマヤの予言のように、青い星の兆候が現れ人類の「時間の終焉」が7〜8年かけて行われるという点はそうだと思います。
 しかしまだその時期は始まっていないと考えています。その時期こそ空に青い星の兆候が現れ、人類が超大型の太陽フレアに襲われる時だろうと考えています。
 シリウスの猫族バギートは、磁極のシフトが地軸のシフトを誘発すると言っていますが、おそらく「時間の終焉」の最後のクライマックスが地軸のシフトであろうと考えています。そしてそうした地球環境の劇的な変化に対応する道は、人類の変容(シフト)しかないと考えています。よく巨大津波が来るから標高の高いところに住んだ方がよいという話をする人がいます。しかし磁場の変化が人間の意識を喪失させるのならば、標高の高いところに住んでもなんにもなりません。地下に巨大な避難施設を造っているという話も聞いたりしますが、地軸が傾くような大変動が起きたら、意味があるのかと思います。
 やはり、私たちに残された唯一の道は変容しかないと思うのです。


お爺ちゃんセッション(26)...2013年1月23日

 先週受けてきた千さんのお爺ちゃんセッションの中から、3つほど話題を紹介したいと思います。


『偉人たち』

 神秘家ゲリー・ボーネルさん推薦の興味深い本があります。
 『輪廻/転生をくりかえす偉人たち』(ジョージ・ハント・ウィリアムソン著、徳間書店)という本ですが、ゲリーさんが序文を書いています。著者のジョージ・ハント・ウィリアムソン氏とゲリーさんの魂は、とても近い関係にあったとのことで、ウィリアムソン氏がゲリーさんの夢に出てきて、ゲリーさんに茶目っ気たっぷりに「いつか君は、僕のために書くことになる」と告げたそうです。つまりゲリーさんが序文を書くことを、ウィリアムソン氏が指名したわけです。
 この『偉人たち』は、旧約聖書の時代からイエス・キリストが登場した新約聖書までの、エジプトやイスラエルに起こった歴史的な出来事を綴ったものです。この本の特筆すべき点は、これまで歴史学者や宗教学者が述べてきた多くのことを、事実は違うと指摘して、新たな観点で歴史を書き直していることです。著者のウィリアムソン氏は、こうした情報をアンデスの秘密の学校で学んだと言っています。しかしゲリーさんは、こうした情報を得ることはアカシック以外にはありえないとして、アカシックレコードを読んだものだと言っています。
 私はこの点に興味を持って、この本の情報はどのようにして得られたものか、千さんに尋ねてみました。
 答えは、著者のウィリアムソン氏が肉体を離れて得たものだということでした。
 つまりアンデスの秘密の学校というのは、あくまでも比喩で、そういう学校は存在しないということです。ウィリアムソン氏は、アカシャからの情報も含めて、神秘的な力を使ってこの本を書いたようです。たしかにそうでないと、古代の文献や証拠から歴史を推察するような従来の科学的な方法だけでは得られないような話が満載なのです。例えば古代エジプトのファラオ(王)のような偉人たちの転生が細かく書かれています。またそうした偉人たちが、どのような心境で歴的的な決断をしていったかを、生き生きと描写しています。また聖書などの記述の中の間違っている点に関して、どうして意図的に間違った記述が書かれたかといった話まで載っています。こうしたことは、神秘的な能力を使って情報を得る以外には、ありえないことです。
 この本を読んで印象深いことは、旧約聖書から新約聖書の歴史の裏には、激しい戦いがあったということです(もちろんこの戦いは今も続いているようです)。単純化していうと、光の戦士たちと闇の戦士たちの戦いです。光や闇がどのような存在で、どのような戦いをしてきたかというのは、ここでは触れません。興味がある方は本を買って読んでみてください。2007年初版なので新刊本は買えませんが、古本であれば、今でも手に入ります。
 著者のウィリアムソン氏は、偉人として転生した光の戦士達をグッドリー・カンパニーと呼び、他の星から地球に転生してきたワンダラーだと言っています。そして古代エイジプトのファラオ(王)は、ホレムヘブ(紀元前1322年没。民衆を弾圧した王)以外はすべてこうしたグッドリー・カンパニー(ワンダラー)であったといいます。

 話は変わりますが、私は神秘家ドランヴァロ・メルキゼデクさんがプロジュースしているATIHリトリートに先月参加してきました。このとき、ある女性の方から、私の頭の上に王冠が見えたと言われたのです。さらにその王が古代エジプトで使われたような棺に納められている映像まで見えたというのです。
 この話を聞き、私は千さんのセッションで、私に古代にエジプトでファラオだった転生があるか聞いてみました。するとクフ王の6代前のファラオだった転生があり、この女性が見えた映像がそれだったというのです。名前は発音が難しいが、ザザという発音だそうです。
 この話を聞いていたので、私は『偉人たち』を読んでいて、私もグッドリー・カンパニーの一員だった可能性があると考えました。
 というのも私はイエスを洗礼したヨハネ(12使徒のヨハネではなく)の同僚だったアカルデピスという転生があると以前言われたことがあったからです。アカルデピス君は身体が弱く、それでイエスの母マリアがいろいろ心配してくれたことや、イエスとは個人的な面識はなかったが、イエスの説話を大勢の観衆の中で聞いていたことなどを言われました。ファラオだった転生や、洗礼者ヨハネと同じ仕事をしていたなどの転生があるとするなら、私はグッドリー・カンパニーの一員である可能性がありそうです。
 それで千さんに聞いたら、やはりそうだそうです。
 なるほどそれで、今世でもいろいろと役割を背負ってきてしまったのかと思います。ゲリーさんは地球最後の転生では、やり残して地球を去ることがないように、最後の転生では最後の1個の課題しか残さないと言っていました。私も今世が最後の転生ですが、失敗したらまた地球に帰ってこなくてはならなくなってしまうので、大丈夫かなと思ってしまいます。



変容について

 最近の私の振動数です。単位はすべて(回/秒)です。

 2012年
   9月 ... 19万7千
  10月 ... 18万2千
  11月 ... 17万
  12月 ... 18万2千
 2013年
   1月 ... 18万

 明らかに停滞しています。
 9月の19万7千をピークにいったん落ちて、その後盛り返しますが、その流れは続かずといったところでしょうか。それでも以前は、人類の平均値である8万台だったのですから、よしとすべきでしょうか。
 昨年末に、私はいつごろ変容できますかと聞いたら、4ヶ月後ぐらいと言われて、よっしゃーあ! というところでした。でも今月聞いたら、この状態だと秋ごろだと言われてしまいました。ああ、延びてもーた・・・です。まあ、変容しないと言われるよりは、いいのかもしれません。(早く人間になりたーい、ではなく)早く変容したーい・・・です。

 ATIHリトリートで、後光(ヘイロー)を輝かせるワークがあり、21日間続けるように言われていました。
 前回のお爺ちゃんセッションのときに、21日間続ければ、後光が本当に輝くようになるか聞いたところ、なるという返事でした。それで今回、私の後光が輝いているか聞いたのですが、以前と全然違っているという答えでした。やはり、かなり効果があったようです。
 ATIHリトリートに参加した男性で後光が見えるという人がいます。その男性をHさんとしましょう。
 この前ATIHリトリートに参加した人たちで集まって瞑想会をしたのですが、Hさんは男性陣はみな後光が輝いているが、女性陣は全員輝いていないと、ダメ出しをしました(たぶん女性陣はムッとしたと思います)。私は、オーラが見える人はけっこういるけれども、後光が見える人はめったにいないはずだと思っています。それで本当にHさんに後光が見えているのか、千さんに聞いてみました。すると感じているという答えでした。はっきりとした形までは見えてないけれども、Hさんは後光をそれなりに見えているという答えでした。これはHさんを疑って悪いことをしました(Hさん、すみません・・・)。
 それと21日という期間もちゃんと意味があったそうです。21日を越えてワークを続けたとしても、特に輝きが増すということはないそうです。輝きを増すのは、次のステージが来たときだそうです。

 第三の目ですが、相変わらず疼いているのですが、これといった体験がありません。
 前回のセッションで、第三の目が空洞になったような感覚を味わうと言われていました。でもそんな感覚がありませんと言うと、冷たい風を感じることはないかと言われました。これはたしかにありました。私の寝床は頭側に窓があるのですが、寝ていて風がびゅうびゅう吹き込んでいるんじゃないかという日があったのです。その時は、思わず窓を閉めたか調べたぐらいです。なんで今日だけ、すきま風が来るのだろうと思ったのですが、実はそれが体験だったそうです。しかしそれは第三の目が空洞になった体験とは違うそうです。近いうちに味わうと言われたので、楽しみに待ちたいと思っています。

 ATIHリトリートで、マカバフィールドが回っているか、ダウジングで調べるということをやりました。
 ダウジング用の棒を両手に持って、心の中で「私のマカバフィールドの回転を教えて下さい」と念じると、もしその人のマカバフィールドが回っていると、ダウジングの棒が回りだすというのです。
 私がやってみると、ちょこっと回って止まってしまいました。何回かトライしたのですが、少し回っては止まるという状態でした。
 前回のセッションのとき千さんに私のマカバフィールドが回っているか聞いたところ、回ったり回らなかったりしているという答えでした。どうやらダウジングの結果は、けっこう正確だったようです。今回は21日間の後光(ヘイロー)のワークをした後なので、少しは回ってきたかもしれないと思って、再度私のマカバフィールドが回っているか聞いみました(後光とマカバフィールドが回ることは密接な関係があるようなのです)。すると安定的に回っているという答えでした。私は、マカバフィールドが回りはじめたことに感慨深いものがあります。初めて『フラワーオブライフ』を読んでから苦節10年、やっと念願かなってマカバフィールドが回りはじめた・・・(ちょっとオーバーですが)というところです。でも回ったといっても、回転は遅いそうです。
 今は、止まらなければいいが、という思いです。



妖精たち

 私はいつも箸を台所の特定のコップに入れています。このコップには箸以外は入れないようにしています。ところがある日、ふと見るとこのコップにスプーンが入っていたのです。その話を千さんにしたら、千さんは「アハハハッ・・・」と笑っていました。
 私は、間違いなく妖精の仕業だと思い、「妖精君! 君達やるねえ〜」とつぶやいていました。
 妖精の仕業には違いないのですが、私は千さんにその意味を尋ねました。妖精のやることには、意味があることが多いからです。するとこの場合は、単純な好奇心からだったそうです。いつも箸しか入れていないコップに、スプーンを入れたらどうなるだろうと思ってやったそうです。そして私がそれを妖精の仕業だと気づいたのが、嬉しかったそうです。
 先月のATIHリトリートで、こうした妖精達の様子を参加した人たちに話したのですが、先日ある女性から、ATIHでその女性の手袋がなくなったのは、私が連れていった妖精の仕業だというメールが来たのです。なんでも手袋を持って外に出たはずなのに、外に出て探したが、手袋が見つからなかったそうです。それで部屋に帰ってみると、タンスの中にきれいに並べて手袋が置いてあったそうです。その女性は私が連れていった妖精の仕業に違いないと言うのです。でも私は、これは濡れ衣だろうと思いました。
 なぜかと言いますと、妖精は好奇心旺盛でイタズラばかりすると多くの人は考えていますが、ある意味とても慎み深いのです。
 ATIHリトリートでは、私の隣に座った人を窺ったりしたようですが、その人に近づきすぎないようにします。私の肩に乗ったり、ポケットに出入りしたりは盛んにしますが、隣の人にはあまりしません。私が出した電子メールに乗って相手先に行ったりしますが、その家に長居しません。それゆえ、初対面の女性にいきなり手袋を隠すイタズラをするとは思えなかったのです。
 それで千さんに確認しました。するとやはり我が家の妖精達の仕業ではありませんでした。
 なんでもその女性の母方の先祖のスピリットの所業で、その女性に「身近に起こることに、もっと着目してほしい」という意味でやったそうです。やっぱり・・・です。

 最近の妖精達の様子を聞くと、元気いっぱいという答えが返ってきました。
 けっこうなことだと思います。私が元気ないと、確実に妖精達に伝染してしまいます。
 先週の月曜日に、東京では大雪が降りました。妖精たちは大喜びだったそうです。千さんは、「結露ができるはずがない場所にあると、それは妖精ちゃんが運んでいった証拠ですよ」と言っていました。結露で喜んで遊ぶというのが、いかにも妖精らしいです。
 千さんに、妖精達に何か要望がないか聞いてもらいました。
 すると妖精が乗って遊べるようなハンモックがほしいと言っているそうです。人間サイズだと困りますが、妖精サイズだと簡単です。
 以下は、マスクを使った妖精用ハンモックです。





松藤民輔氏の人生訓...2013年1月16日

 投資の世界にユニークな人物がいます。
 松藤民輔(まつふじたみすけ)という人物で、当HPで以前に紹介したことがあります。投資会社で年収2億円を稼いでいた敏腕トレーダーだったのですが、これから金(キン)の時代が来ると直感で感じ、2億円の年収を捨てて金鉱山の経営者となった人物です。
 その松藤氏の最新刊の『恐慌前夜』(朝日新聞出版)の中に、松藤民輔氏の投資人生から学んできたものや教訓などが書いてあり、それがなかなか面白いので紹介したいと思います。
 とはいえ私は松藤氏の投資予測に同調しているわけではありません。
 松藤氏はずっと以前から恐慌が来ると言っていました。私は基本的には賛成なのですが、これも当HPで以前紹介した元外務官僚だった原田武夫氏の予測の方に信憑性を感じます。原田氏の予測は、これから欧州のデフォルト危機と中東大戦争が勃発して、金融メルトダウンが起き、マーケットは総崩れとなる。そして日本に注目が集まり、強烈な円高となり日本株のバブルが起こる。それが2014年半ばまで続くというものです。私は、恐慌という状態になるのは、その後ではないかと考えています。
 また松藤氏は日本国債は健全で、今後も暴落する心配は全くないと言っていますが、私は違う考えです。10年物国債の金利が1%を切るというのは、まさに国債バブルであり、今後もずっとこの状態が続くというのは幻想だと思っています。
 今後の予測は違うのですが、松藤氏の人生訓には大いに惹かれるものがありました。
 まず松藤氏の初めての投資体験から紹介します。
 年収2億円を稼ぐ敏腕トレーダーだったのですから、さぞかし華々しいデビューをしたと思いがちですが、真反対だったようです。


 ・・・<『恐慌前夜』、p178〜p183から抜粋開始>・・・

 すってんてんから始まったボクの人生

 「ここが資本主義の心臓だ。 ここに世界の投資家が集まるんだ!」
 1982年5月、 ニューヨークの証券取引所に立ったときの感動をボクは一生忘れません。いまも鮮明にあのときの感動を覚えていますし、こればかりは全身の細胞のひとつひとつに染みこんで永遠にとれないと思います。
 投資をゲームと考えるなら、このゲームには学歴も家柄もなんら関係なければ、年齢制限も国籍も関係ありません。ときには資金すら無関係です。
 では、なにが大切かといえば、それは「先を読む」という一点にあるのです。この先見力に絞って競い合うゲームなんですね。割安で買って割高で売る、 割高で売って割安で買い戻す。シンプルなゲームです。投資で勝つ鉄則はこれに尽きます。
 では、ボクはこの投資の法則通りにやって勝てたのでしょうか? とんでもない。ボクの記念すべき初投資は「ビギナーズ・アンラッキー」のひと言です。みごとに失敗してしまいました。下落とか暴落どころの話ではありません。すってんてん、になりました。
 メリルリンチに動務していた頃、相場にめつぽう強いと自称(評判ではなく)する友人が、「この株は絶対だ!」と自信満々の推奨銘柄を紹介してくれたのです。彼の言うがままに500万円分購入したのが金曜日。その3日後の月曜朝にさっそく電話がかかってきました。
 「3000万株の売り気配です……」
 受話器を握ったまま、「そうですか」と返事をするのがやっと。なめくじに塩をかけたように株価は100円から13円へと溶けてしまったのです。結局、この銘柄は会社更生法が適用され、 ボクの初投資は3日で紙くずとなってしまいました。
 新しい発見がありました。人間というヤツは、ショックがひどいと怒ることすら忘れてしまうものなんだなあ、と気づきました。
 同時に紙くずを抱えてこうも思ったのです。もしかすると運がよかったのではないかと。 先見性とはなにか? いろんな回答があると思います。ボクは「捨てた人の予感」ではないかと考えています。
 たとえば、ボクは右を見たら左の風景はわかりません。これがボクの基本的な考え方です。右を見たら左は見えません、見えない左を考える必要もありません。見えないものは見えなくていいんだ、 と思います。
 必要のない行動、配慮のない予見が先見性を生むんですね。なにかを捨てた人、世捨て人。欲を捨てた瞬間に、いままで見えなかったものが見えることがあります。他人との競争を忘れた瞬間、自分との戦い、戯れが始まります。この戯れに染まるときが予見なのです。
 「戦場に出ること50回、刀傷は体に刻まれ、死にそうなこともあった。だが不思議に死なずに来た。いつも死ぬ気、死んだつもりで相手を切った」と時代小説の一節にありました。
 死をつねに覚悟し、 死んでこその武士と心得ています。先見性とはこの武士の心得なのかもしれません。

 見えない世界を見るために見える世界を極める!

 仕事でも人生でもどんな分野でも一人前と評価されるためには少なくとも1 万時間の勉強時間が必修ではないでしょうか?
 これはボク自身のフィールドワークですが、「すごい!」「よく勉強している!」というレベルで2000時間。プロフェッショナルと認められるにはざっと5000〜1万時間は勉強しなければなりません。史上最高のゴルファーと称されるジャック・ニクラウスがアマチュアで優勝してから、 プロの世界でチャンピオンになるまでざっと5000時間(=約13年)かかっています。
 この「1万時間」という数字はマジックナンバーだと思います。
 ボクはいままで3人のプロから聞いたことがあります。うち2人は棋士。1人は経営のプロでした。
 棋士の米長邦雄さん(本将棋連盟会長)は中学から高校までの6年間、毎日5時間、将棋の勉強を続けました。時間にして1万時間です。勉強は自宅でしている暇がないから授業中に集中してやった。それでもトップだった。「兄2人は頭が悪いので東京大学に行った」という言葉は有名ですね。
 同じく棋士の谷川浩司さん(17世名人)も兄弟ゲンカをやめさせるために父親が将棋を指南したことがきっかけで、5歳で指し方を覚えると、瞬く間に上達。中学2年生でプロになるまで9年間、毎日3時間、将棋盤とにらめっこの日々。これも1万時間です。
 もう1人は松下幸之助さん。彼の場合は1万時間ではなく1万日です。どんなざる碁でも1万回打てば初段レベルになれると聞くと、「素直な心(明鏡止水の心境)で仕事ができたかどうか、1万回、発意と反省をする」と決めた。決断に私心が入ると必ず失敗するから清新な気持ちでことに臨もうというわけですね。朝、素直な経営をしようと決める。 タべに今日は素直な心で経営ができたかどうか反省する。これを毎日繰り返しました。1万回とはざっと30年という時間です。途方もないことに執念を燃やして集中する。 それがプロの条件なのかもしれません。
 1つのテーマに1万時間投入すれば、どんなことでも達成できます。ジャック・ニクラウス自身、「やり続けているうちに才能は出てくるものだ」と語っています。続けるということは立派な才能なんですね。
 ボクは証券会社で投資と顔をつきあわせて1万時間。地下2000メートルの金鉱山に潜り、世界100ヵ所の金鉱山を視察して1万時間。やはりいずれの分野でもプロを極めることができたと思います。もちろん勉強の質は大切ですが、質は量を追う中で磨かれるたものです。少しの工夫を愚直に続ける。1万時間経つ頃には、周囲は、プロと認識しているはずです。
 投資の世界は透視がポイントです。透視とは直感のこと。直感を磨くには見える世界で1万時間どっぷり集中できるかどうかで決まります。目に見えない世界の力を養う。直感力はその典型です。氷山の下に大きな氷がありますね。これが目に見える世界で積み上げてきた情報量です。そして氷山の頭頂部こそが直感です。目に見えない世界で勝負するには、目に見える世界を突き詰めなければ、なかなか勝てるものではありません。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 次に、視座を変えるのが大事という話です。
 文中に出てくるコントラリアンとは、あまのじゃくという意味です。つまり人と違うやり方をするということです。


 ・・・<『恐慌前夜』、p183〜p189から抜粋開始>・・・

 あえてのコントラリアン流生き方

 メリルリンチ、ソロモン・ブラザーズの前に、ボクが働いていたのは日興証券(現SM BC日興証券)です。
 大学を卒業したばかりで、支店を全店トップに押し上げたやり手支店長を上司に迎えたのですから、ついています。
 ボクは彼のやり方をすべてコピーしました。 どんな本を読み、 どんな食事をしているか、歩き方までコピーしていたのではないでしょうか。
 ある日大暴落した市場を見て、 その支店長はこう言うのです。
 「民輔、暴落せずに反発している銘柄が次のスターになる。よく研究しろ!」
 逆相関銘柄ということですね。 これが次の時代を物語っているのです。投資より次のトレンドを示す市場の個別銘柄です。この教えは役に立ちました。
 ほんとうに成功をものにするのは、いつの時代も「コントラリアン(あまのじゃく)」だけのようです。これはボクの周囲を見ても断言できます。コントラリアン、平たくいえば、みなと同じことをしない、堂々とわが道を行く、投資の世界でいえば「逆張り」ですね。
 大多数の人びとと同じことをしていれば失敗しても弁解できます。 しかし成功したところでリターンは少ないでしょう。だから、あえてのへそ曲がり、逆張り、コントラリアンが重要になるんです。
 先日、銀座のカフェに行くと長蛇の列でした。20メートルは並んでいたと思います。すごい人気店だなと思うと、隣の立ち食いそばの行列でした。よく見ると並んでいるのはすべて男性客でした。そしてカフェには数人の女性の列。ワンコイン500円の昼食に並ぶ男性、高級カフェに並ぶ女性。なにかいまの時代をイメージさせるような、トレンドを示すようなメッセージにボクには見えたのです。
 渋谷に新名所が出現しています。ランチ時はすべての店が行列になります。 マカロンの今川焼き風の店には30メートルもの列ができていました。フロアすべての店が行列です。女性が列をつくっているのです。父親は立ち食いそばで、母親は有名高級カフェに並ぶ、30代から70代までの女性に支えられる店とグルメ。某ホテルの最上階はランチ時はいつも女性客で賑わっています。
 金とともに去るのが男、風とともに去るのは女優。不況下で男は死にたがり、女性は笑いたがる。仕事やお金が原因の自殺は男だけ。女性はありえません。女性は勘で答え、男は理屈で答えます。理屈が壊れて説明できないとき、男は鬱(うつ)になり、女性は躁(そう)になります。FX(外国為替証拠金取引)の世界で大活躍のミセス・ワタナべは勘で投資し、ミスター・ ワタナべは理論で動きます。
 視座を変えるには、あなたが男性であればランチはできるだけ女性とする。若い方ならできるだけ人生の先輩と仲良くなる。年配の方なら若い従業員の中に入ってコミュニケーションをとる。つまり、自分とできるだけ異質の人から学ぶことです。なんのためかといえば視座を変えるためです。
 大脳生理学の先生に聞くと、人間というのは一日に97パーセントは同じことを考えてしまうそうです。だからどうしても発想が似通ってしまうのです。昨日も明日も来年も同じ脳で仕事をしたり考えたりしなければなりません。97パーセントも脳の中身が変わらないおかげで、奥さんやご主人をまちがえなくてすみます。酪酊しても自分の家にたどり着くことができるのです。
 しかし視座を変える、発想を変えようと思うなら、3パーセントの脳を意識して使わなければなりません。そのために手っ取り早いのはいつも同じ人と食事しない、話さない、ということです。視座を変えるといつもと風景が変わります。 自然に目から鱗が何枚も落ちてくるのです。

 視座を変えると見えてくること

 視座を変えると同じものを見てもちがう結論にいたることが少なくありません。
 ピンチ? チャンスじゃないか! チャンス? 気をつけなくちゃ! 視座を変えたおかげで少しは幅が広くなったかもしれません。
 いま気にかかるのは教育と医療です。視座を変えて日本の現状をブレークスルー(突破)しなければ、と思っています。
 30年前、ケンブリッジ大学で先進5ヵ国の子どもの共通知能テストをしたことがありました。
 結果は日本人が111でそのほかの国の100を凌駕しました。 日本が知能指数でトップ。理由は漢字教育という結論になりました。漢字が知能を開花させる、というわけです。 たとえば、「東京」「とうきょう」「TOKYO」と3種類の文字で書くと、漢字の認識スピードはローマ字の10倍速い。漢字自体に意味がありますから認識時間は0.06秒。それに対しローマ字は1.5秒、ひらがなは0.7秒と遅いんですね。見たら即、意味がわかる漢字世界に住む日本人の子どもが世界スピードよりも速い。書くことができなくとも読める。これが知能の差をつくる、とのこと。
 指数11の大きなちがいはイギリスの科学雑誌「ネイチャー」に紹介され、各界にインパクトを与えました。先進5ヵ国で漢字教育が進みました。ところが、やがてネットの時代となります。漢字は右脳で読むけれども、ネットは左脳でコミュニケーションします。感性を支配する右脳の情報処理は左脳を大きく凌駕するのに残念なことです。
 右脳人間のボクにはドル指数のチャートの意味が瞬時に見て取れます。しかし教育の優れたアナリストは左脳に走ります。勘という処理法は理論より早く、しかも純粋です。理論家はえてして独りよがりで自分の損得勘定に支配されてしまう。情報が開放され、自由な選択ができる社会で情報選択に偏りが出ているのです。
 ケンブリッジ大学のリチャード・リン教授は16歳で数学科を首席で卒業した娘を事例に解説しています。「学校教育は天才をつくらない、 この娘の父親は主夫となって教育した」と。たしかに定番の教育には天才はつくれません。行き過ぎた偏差値教育は同じ顔の子どもしかつくりません。
 左脳対右脳の時代です。左脳教育の進化は目前の危機を「想定外」と読んでしまいます。 よく考えてみれば、人生は想定外の連続です。一本道などだれも経験していません。人生には上り坂、下り坂、そして「まさか」という坂があります。まさかが当たり前。だから人生はおもしろい。まさかは読めます。歴史パターンで読めば怖くありません。
 知識の積み上げにはない神秘の世界を、 左脳人間にプレゼントしてくれるにちがいありません。
 天才民俗学者、人類学者として名高い南方熊楠(みなかたくまぐす)は読経によって天才になったといいます。 父母の日々の読経が脳にエネルギーを送り込んだわけです。『天才がいっぱい』(太陽企画出版)の著者、加藤栄一氏はソニーの井深大(いぶかまさる)氏と対談し、「素読が日本人の脳をつくった」「湯川秀樹の天才をつくった」と書いています。能力とは脳力にほかなりません。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 次に紹介するのは、病(やまい)は気からという話です。


 ・・・<『恐慌前夜』、p189〜p191から抜粋開始>・・・

 病気は気持ちが病むことから生まれる

 なんとなく感じていたこと、それとなく持論にしていた。こういうことが科学的に、統計的に証明されると、百万の味方を得たようで楽しくなります。
 ボクがなんとなく感じていたこと。それは医療、病気、ガンのことです。『幸せはガンがくれた』(創元社)という本を川竹文夫先生が書かれています。やはりそうでしたか。
 実はボクも大学受験の直前、誤診で「幸せ」をもらった人間です。偉い先生の診断は若い何人もの先生と同じ結論でした。病気扱いの10年間、薬を捨て、先生の言いつけを破っていましたが、アメリカ遊学から帰国すると、ボクの病気は誤診で、薬の副作用だったというお詫びがありました。
 「ご安心ください。 薬は10年以上飲んでいませんから」
 あれから医者の言うこと、権威は信じていません。この本は末期ガンを宣告された人の本です。
 余命2週間と宣告されたライト氏。その日にガン特効薬が発表されました。運よく翌日、注射をすると2週間で全部消えていました。2ヵ月後、その薬は効かないと報道がありました。2週間で元に戻ってしまいました。医者が報道はウソで新薬は効くと説明すると、なんと2週間で再びガン細胞は消えてしまったのです。
 運命の2ヵ月後。ニューヨーク・タイムズは、あの薬は効かない、投与した大半の人が死亡している、と掲載しました。 ライト氏はその記事を読んだ2日後に亡くなっています。
 余命1ヵ月という宣告、 数週間と言われた人のガンが消えた物語はライト氏の話通り、自分の希望が出ると消え、希望が失せると出現する。 12人の感動的な物語はボクの体験にも重なり合います。病気は自分でつくり、自分で治す。感謝と自分賛歌が病気との戦い方だ、と読みました。
 イメージ療法、生姜湿布、食事療法など、現代医学を無視する方法で実際にガン細胞は消えています。日本人の2人に1人がガンとなり、3人に1人がガンで亡くなる現在、日本の外、保険の外に特効薬はありました。たかがガンです。権威なるもの、科学にのみ生き、理論強要、それに染まった現代のお粗末が見えてきます。日本ではガンで入院すると、患者が希望を失うことを冷酷に医者は宣告します。
 権威という名の無知と、科学という名の教義に怯(おび)える人びとの哀れさに、常識を疑うことが21世紀的な歩き方ではないか、と思います。権威、理論、科学、さらには国家というまやかしの産物が資本主義を掃除します。
 権威を疑う、常識から逃げる、群れから外れる。少し行儀悪い歩き方かもしれませんが、夢と希望と勇気の中を歩くことが大切なのではないでしょうか。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 本山です。
 私はこの癌を患ったライト氏の話に惹かれます。
 話を時系列に整理すると、まずライト氏は余命2週間と宣告されます。そして、

@その日に癌の特効薬が発表され、翌日注射をする     ... 2週間で癌は完治
A2ヵ月後、ライト氏が注射した薬は効かないとの報道   ... 2週間で元の癌に戻る
Bその後、医者が報道はウソで新薬は効くとライト氏に説明 ... 2週間で再び癌細胞は消える
C再び2ヵ月後、ニューヨーク・タイムズ誌が、あの薬は効かない。投与した大半の人が死亡していると掲載
                            ... ライト氏は2日後に死亡

 これをプラシーボ効果の典型例だと言って片づけてしまうこともできます。しかし私が驚くのは、ライト氏の気持ちが、身体に作用する驚異的な力です。これほど報道や医者のいう事を、完璧に信じる人も珍しいと思いますが、信じたことが身体に短い時間に完璧に現れるということに本当に驚きます。これは人間というものが、どういう生き物であるかということを如実に示しているのではないかと考えます。
 私たち人間は、自分たちが思っている以上に大変な力を持っているということではないでしょうか。

 最後に、人のやらないことこそ意味があるという話です。
 相場で使い古された格言ですが、「人の行く裏に道あり花の山」というのがあります。大勢の人と同じことをするのではなく、その方向の裏に宝の山があるという話です。


 ・・・<『恐慌前夜』、p197〜p199から抜粋開始>・・・

 人のやらないことをやれ!

 時代のトレンドをつかむのはコントラリアンです。だれもが行く道だからあえて通らない。
 ボクの前に道はない。ボクの後ろに道はできるんです。
 全米でだれもが熱狂したブームがありました。ゴールドラッシュもそうでした。
 ところが、ラッシュに突入する直前、金を採掘するより、金を採掘する人たちの欲しいものはなんだろう、と考える若者がいました。彼はスコップやテントを買い占めて並べて一財産つくりました。
 採掘現場で働く男たちのズボンがいつも破れていたので、 そこらへんにあったテントを利用して、 キャンバス地のズボンをつくってひと儲けした若者もいました。
 この若者が才気にあふれていたのは、それだけで満足しなかったことです。テント生地があまりにも堅く、膝のほうだけ破れてしまう、と聞きつけると、丈夫で柔らかい素材を探し回り、フランスのニーム地方でつくられるサージで好評を博しました。だから、このズボンのことを「デ・ニーム」と呼ぶのです。
 「リベットで打てば丈夫なポケットもできるしお洒落でもっと売れるかも」とひらめくと、早速、特許を取りました。金鉱山どころか全米から世界中で売れまくりました。これが「ブルー・ジーンズ」の走りです。若者の名前はリーバイ・ストラウスといいました。
 トロイの遺跡を発掘した考古学好きの商売人ハインリッヒ・シュリーマンもラッシュに間に合った人間です。ドイツの田舎町で牧師の子として生まれ、持ち前の勤勉と根性で儲けた資金で子どもの頃からの夢だったホメロスの詩に登場するトロイの都を探そうとしたのです。だれもがおとぎ話として信じなかった都をほんとうに発掘してしまいました。
 エーゲ海を見渡す丘に広がるトロイ遺跡はいまではトルコの世界遺産となっています。
 シュリーマンは弟がチフスで死んだと知るや、きちんと埋葬されたかどうかをチェックするためアメリカにやってきました。共同経営者から弟の遺産を取り戻して大理石の墓石をつくらせ、サクラメントで金粉取引を始めます。数ヵ月で40万ドル儲けたというのですから一流の商売人でした。
 われらがジョン万次郎は日本人でただ1人、ゴールドラッシュに参加した人物です。ペリー来航時に英語を話せる日本人は彼1人。通訳として対米交渉に臨みました。実質的に日本を開国させたのはジョン万次郎です。
 もともとは土佐の漁師。それが14歳のときに遭難します。標流中にアメリカの補鯨船に救助されると、機敏で飲み込みも早く、なにより動勉で誠実な性格を船長が愛し、マサチューセッツで教育を受け、オックスフォード校(初級)と名門バートレッド校(上級)を首席で卒業します。
 副船長として活躍していたのに、日本が外国船を受け入れないと聞いて帰国を決意。途中、サンフランシスコで砂金採りに出かけるのです。目的は1つ。日本に帰る資金捻出のためです。目標額の600ドルを2ヵ月で達成し、清国行き商船に乗り、琉球に上陸します。ゴールドラツシュのおかげで帰国できたのです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


ATIH体験記...2013年1月9日

はじめに

 ATIHとは Awakening The Illuminated Heart の頭文字を取ったもので、神秘家ドランヴァロ・メルキゼデクさんがプロデュースする(ドランヴァロさん自身がWSを行うのではなく、ファシリテーターが行います)最新のWSの呼び名です。
 私は2012年12月12日〜16日の5日間、山梨県の小淵沢で行われたこのATIHに参加してきました。
 2007年にドランヴァロさん自身が東京の四谷で行ったWSにも参加したことがあります。このときはドランヴァロさんの著書『ハートの聖なる空間へ』が発売された直後であり、WS名もそうした名前にちなんだものだったと記憶しています。
 小淵沢でのATIHですが、2日目までは私が2007年で受講したWSとほぼ同じ内容であり、私は同じWSを2度受けてしまったと後悔しました。でも3日目からそうではないとわかりました。それは後述します。



ドランヴァロさんの提示するもの

 まずドランヴァロさんのことを全くご存じでない方のために、ドランヴァロさんの主張を簡単に紹介したいと思います。
 以下の記述はナチュラルスピリット社の季刊誌『StarPeople』(Vol.43 Winter 2013)p58のドランヴァロさんのインタジュー記事を参考にしたものです。

 ドランヴァロさんは人間が4次元に行く方法として以下の3つを提示しています。

 @一般的な(無意識の)死

 Aレザレクション(復活)

 Bアセンション

 @はこれまで人類の多くが一般的に経験している死です。
 その場合、無意識に死を迎えてしまいます。その状態だと4次元に行ったとき、何をすればよいか意識に残っていないので、4次元にとどまることができません。それゆえ3次元に戻ってまた新しい転生を繰り返すことになります。
 Aのレザレクション(復活)の典型的な例はイエス・キリストです。4次元に行ったとき、(3次元の)身体はただのイメージで、身体が固体だという概念はマインドとハートが造り出したものだと気づくことができれば、4次元で自分の身体を再建することができるといいます(実はこれが神秘家ゲリー・ボーネルさんが言うアセンションです)。こうして4次元で生きる自分の身体を得て、そこで暮らすことができます。
 Bのアセンションは、自分の身体を4次元に持っていく方法です。レザレクションと似ていますが、自分の身体を4次元へと持っていく点が異なります。この方法だと4次元の身体は純粋な光のみとなります。

 @の一般的な死を迎えた場合は、3次元の輪廻を繰り返すことになります。
 しかし人間の身体を囲むマカバフィールドを活性化することによって、この輪廻から脱することができるといいます。ATIHの目的は、マカバを活性化することにより、死を迎えても意識を失わないまま4次元に移行できるようにすることです。4次元に移行した際は、自分の3次元の身体が4次元で赤ん坊となり、成長して4次元で暮らすことができるようになるといいます。ただしATIHで、その手法をすべて伝授しているわけではなく、3次元から4次元へのファイナルステップがあり、これはまだドランヴァロさんに公開してもよいという許可が下りないんだそうです。
 これまでが『StarPeople』(Vol.43 Winter 2013)の情報ですが、ATIH小淵沢で聞いたところによると、その許可が下りて、来年早々にもATIH受講者を対象としたファイナルステップを伝授するWSを行えるかもしれないとのことでした。その意味では、私が今回のATIHを受けたのは意味があったのかもしれません。
 またドランヴァロさんの最新刊が2012年11月にアメリカで発売されたそうです。この本は現在ナチュラルスピリット社が、日本語訳を2013年の2月ころに発売しようと準備を進めているとのことでした。

 (注)
 ドランヴァロさんのこうした説明に対し、神秘化ゲリー・ボーネルさんが言うシフトとどういう関係があるのかというのは興味が尽きないところです。これに対する私の考え方があるのですが、それはスピリチュアル会で発表するか、または新たな記事を書きたいと思います。



男性ガイドからのメッセージと贈り物

 2007年のドランヴァロさんのWSのとき、男性のガイトと女性のガイドに出てきてもらい、メッセージと贈り物をもらうという誘導瞑想がありました。今回も同じ誘導瞑想があり、面白い体験をしたので紹介したいと思います。風邪をひいて咳が止まらない状況で、瞑想に集中できないところがあり、映像は鮮明ではありませんでしたが、それなりの体験はありました。
 最初は男性のガイドからメッセージと贈り物をもらうという誘導瞑想でした。
 出てきたガイドは僧侶の格好をした小柄な人物でした。私はこの僧侶を見て、ピンと来るものがありました。なぜならゲリースクールに通っていた頃に、瞑想でよく出てきた僧侶と同一人物だと直感でわかったからです。
 まずメッセージですが、

 「人を導け」

 でした。
 私への贈り物ですが、細長い棒状のものが見えて、最初は(折りたたんだ)センスかなと思いました。しかしよく見ると、細長い箱状の物の中に筆が見えたのです。「人を導け」というメッセージと筆ですから、私はこの意味を瞬時に理解することができました。
 千さんのお爺ちゃんセッションを受ける際に、私は必ず私のガイドからのメッセージをもらうようにしています。最近のガイドのメッセージは、「本を書け」というものでした。この僧侶のメッセージは、まさにそれと同じものです。筆が入った箱には文字が書いてあったのですが、またしても私にとって理解不能で解読できない文字でした(日本語でも英語でもありません。おそらくあちらの世界の文字なのでしょう)。
 後に千さんにこのときの様子を確認してみました。
 まず登場した僧侶ですが、弘法大師(空海)ではないかと聞きてみました。千さんはその通りだといいます。
 弘法大師と会話するということで、たいしたものだと勘違いする人がいたら困るので、少し説明が必要です。何故私が弘法大師と思ったかというと、ゲリースクールで、(自分の霊的な指導者という意味で)アバターを決めるという授業があったのです。私は直感で、弘法大師を選びました。その後その僧侶は、スクールでの瞑想のときに度々登場してくるようになったのです(それゆえ訪問者の方々で、同じことを試されたら、同じことが起こる可能性は高いと思います)。
 私は、さらに千さんに僧侶からの贈り物の意味を聞いてみました。すると「正直な心から、言葉を伝える者となれ」という意味だといいます。箱に書いてあった文字は、「真髄を求めよ」という意味だったそうです。



女性ガイドからのメッセージと贈り物

 次に女性のガイドからメッセージと贈り物をもらう誘導瞑想です。
 出てきた女性は古代のローマとかギリシャの人々が着ていたような服を着ていました。メッセージは、「愛」でした。このとき私は、こういう高次の存在と会話すると、「愛」というふうに単語一つで来るから困るんだよなあ、などと不埒なことを考えていました(要するに、もっと私にわかりやすいように説明してくれないかなあ、ということです)。
 贈り物は、大変興味をそそられるものでした。
 手の平より一回りもサイズの大きい黄金の鍵のようなものだったのです。おおっ!、と思ってその鍵をしげしげと眺めていると、表面に細かい彫刻がびっしりと施されていることに気づきました。なんだかえらいお宝をもらってしまった感がありました。私は、この鍵はなんの意味ですかと女性に聞きました。すると「契約の証」という答えが返ってきて、正直かなりびびることになりました。
 内心「やばい! 私は又なんか約束していたらしいぞ・・・」と心の中で思いました。そして女性のガイドの姿を見ていると、全身が黄金に輝き出したのです。私は、すげーなこの人・・・、と感心して見ていました。

 後に千さんのお爺ちゃんセッションで聞いたところによると、この女性の名はシャラファンだそうです。私が生まれる前に、シャングリーゼの空間というところで知り合ったそうです。そのシャングリーゼの空間というのは、なんと第14次元にあるそうです。
 どんな契約をしたか聞いてみると、どんな人でも安心できる場を作るという契約をだったといいます。私は千さんに、その場とはシステムですか、それとも場所ですかと聞いてみました。するとシステムだといいます。私は内心、本を書けと言われている矢先なのに、さらに仕事が増えてしまったという思いがしました。私は去年の暮れからセミナーを開くようになったので、シャラファンがいう場とは、そのセミナーと関係があるか聞いてみたのですが、やはり関係があるそうです(ただし今のところ、どんな展開をしていけばいいのかよくわかりません)。

 第14次元というと、いかにも高次元そうで偉そうな話に聞こえるので、またしても説明が必要です。
 魂(トライヤード)は、元々多次元の存在なので、誰でも高次元の自分がいます。それをある人はハイヤーセルフと呼んだりしています。今回は私のハイヤーセルフが私が生まれる前に、シャラファンという存在と私の今生での体験で、ある約束をしていたという話です。ただシャラファンのような高次の存在と(3次元に住んでいながら)直接対面して会話するという体験をあまり普通の人はしないと思うので、私はそうした体験をとても有難いと思っています。



タイニィスペースへ

 冒頭で書いたように私は2007年にドランヴァロさんのWSを受けていました。
 今回のATIHリトリートでは、2日目までは2007年のときと同じ内容でしたが、3日目以降はちょっと違うものであると理解するようになりました。
 2007年のときのWSは、ハートの聖なる空間に入るというのが目的でした。それゆえWSの最終日に、120名ほどの参加者の中で、ハートの聖なる空間に入れたと思う人は手を挙げてくださいとドランヴァロさんが言って、直接数えたことを憶えています。その数は70名台だったと記憶しています。ちなみに私は手を挙げませんでした。ハートの聖なる空間に入ったという直接的な感触がなかったからです。でも後の千さんのセッションで聞いたら、私はこのとき、ハートの聖なる空間に入っていたそうです。
 今回のATIHリトリートの目的は、ハートの聖なる空間に入って、さらにその中の小さな(タイニィ)空間に入るというものです。ここでようやく私は、このATIHに自分が参加した意味がわかりました。この小さな空間をタイニィスペースと呼んでいますが、このタイニィスペースは、アニメのドラえもんのどこでもドアだといいます。つまりこのタイニィスペースからは、いかなる空間にもアクセス可能だというわけです。もちろんアカシャにも入れるそうです。

 私はこのタイニィスペースに入ったと思います。その体験を紹介します。
 野外での誘導瞑想でしたが、私はこのとき咳も治まり、ある程度集中できる状態にありました。誘導瞑想の声で、ハートの聖なる空間は真っ暗な空間なので、「灯りを下さい」とお願いするように指示がきました。私が灯りを下さいと心の中で言うと、暗い洞窟のような空間の壁に、うっすらと赤い光が灯りました。それでも相当に暗い空間です。私はその中を散策していましたが、時々床が光っているのが見えました。映画『アバター』で、夜の森を歩いていると地面が光るシーンがありましたが、あんな感じです(ちなみにハートの聖なる空間は影がない空間だといいます。それゆえハートの聖なる空間に入ったら、自分の足元を見て影がないか確認するとよいそうです)。
 このとき誘導瞑想の声で、タイニィスペースに入るようにという指示があったか憶えていないのですが、洞窟の中を散策していて、遠くの暗闇の中にぽっと小さな光が見えました。それでそこに行ってみることにしました。
 するとそこはやや明るい小さな空間で、最初は白い霧に包まれていました。天井を見上げると天井全体が淡く白く輝いていました。霧で周りが見えないので、周りを見えるように意思すると、そこは小さな円形の空間で、白い壁が見えました。その壁は、ちょうど白い漆喰の壁のような感じで、縦に何本か線の模様が入っているのが見えました。私はこの時点でタイニィスペースという意識がなく、なんか面白い空間に出たぞと思っていました。
 誘導瞑想が終わった後に、タイニィスペースの説明があったとき、私はあの白い空間こそ私のタイニィスペースだと確信したのです。もちろん千さんに確認したのですが、これこそ私のタイニィスペースでした。

 ここでこの文章を読まれている方で誤解が起きないように言っておかねばならないことがあります。ここで登場した白い空間は、あくまでも私個人のタイニィスペースだということです。タイニィスペースの見え方、感じ方は人によって千差万別だといいます。私と違う見え方をしたからといって、それがタイニィスペースではないということではありませんので、この点を強調したいと思います。



亡くなった母との対話

 わたしの母は2011年の5月に亡くなりました。
 母が亡くなった後、私はいつか母に会いにいこうと思っていました。ただ千さんのセッションのたびに母に出てきてもらって話を聞いていたので、間接的にはコミュニケーションが取れていました。それで私は、自ら会いに行こうとまでは思わなくなっていました。
 ところがハートの聖なる空間の中のタイニィスペースまで行ってしまえば、何処にも行けるし、会いたい人とも会えるといいます。タイニィスペースへの誘導瞑想で、会いたい人に会って下さいという指示が来たので、私は母に会うことにしました。
 そこに出てきた母は、着物姿でした。
 生前に見た着物のような気がしますが、普段着の洋服の母の記憶が強いので、最初はあれっと思いました。母の着物姿は冠婚葬祭ぐらいしか記憶にありません。母は久々に私に会うということで、正装してくれたのでしょうか。着物はオフホワイト(黄色がかった白)の下地に、紺の丸い柄の模様が入ったものでした。
 千さんのセッションに出てくる母は、千さんによると30代ぐらいに若返っているといいます。しかし私の前に出てきた母は、50〜60代に見えました(亡くなったときは83歳)。私にあまりに違和感が出てはいけないので、それほど若作りしないよう母が気遣ったということかもしれません。
 千さんを通して、かなり突っ込んだ話を母としていたので、特に話したいことはなかったので、私は何処か旅行に行きたいところはない? と聞きました(私が旅行すると、母は私の意識を通して同じ体験ができます)。すると奄美という答えが返ってきました。誘導瞑想の後、私は母の答えの記録がうろ覚えになって、「あれっ? 奄美だっけ、小笠原だっけ?」と悩むこととなりました。島だったことは間違いないのですが、どちらかわからなくなったのです。というのも以前の千さんのセッションでお勧め旅行先を聞いたときに、お爺ちゃんから小笠原を推薦されたのです。それで島というと小笠原という固定観念が出来てしまい、混乱してしまったようです。それで千さんに確認する必要が出てきました。すると、やはり奄美だったといいます。今は寒いので、奄美はいいかなと思います。そういえば日本で一番美しい海岸があると聞いたことがあります。チャンスがあったら行ってみようかと考えています。
 母と色々話したなかで、印象的だったことを一つ紹介します。
 母が亡くなる9年前に、父が亡くなっていました。私は、母にそちらの世界で父に会ったか聞いてみたのです。すると母は首を振ります。会っていないのです。私は、ふーん、夫婦ってそんなものなのかなと思いました。父と母が生前特に仲が悪かったわけではないのですが、今にして思えば、それほど良いとは言えなかった気もします。私の父と母のケースが一般的かどうか知りませんが、夫婦といえどもあちらの世界で会うこともないケースもあるということがわかりました。



おわりに

 仏像や仏画を見ると、頭の周りに黄金の丸い輪があるものがあります。
 後光と言ったりしますが、あれは英語でヘイローというらしいです。ATIHの中に、このヘイローを輝かせるワークがあります。1回10分もかからないワークですが、1日1回行い、それを21日間続ける必要があるとのことです。
 2007年のWSのときもこのワークがあったのですが、私は怠けてしまって1〜2週間で止めてしまいました。今回は真面目に21日間続けました。前回の千さんのセッションで、21日間続けたら私のヘイローは輝きだすか聞いてみました。すると輝くという答えです。こりゃあ、やらないわけにはいきません。今月のセッションのときに、本当に輝きだしたか聞くのが楽しみです(ちなみにマカバを活性化するためにはヘイローを輝かせる必要があるそうです)。

 我が家の妖精達ですが、しっかり6人ともATIHリトリートに付いてきたそうです。小淵沢の大自然の中を飛び回って楽しんでいるのだろうと思ったら、千さんによると部屋でずっと私の周りにいたそうです。そしてWSの最中は私の両隣に座った人の様子などを伺っていたそうです。やっぱり妖精達も冬は寒いみたいで、部屋の中で過ごすことが多いようです。

 神秘化ドランヴァロ・メルキゼデクさんがプロデュースするATIHですが、私は価値あるWSだと思います。
 どういうワークか私は体験したので、それをこと細かく書くこともできます。しかしそれは意味があることとは思いません。ATIHの最終目的はその人のマカバフィールドを活性化することにあります(前述したように、4次元に移行したときにマカバが活性化していると、4次元で生きる身体が手に入るといいます)。しかし理論を知ったところで、マカバが活性化するわけではありません。あくまでもATIHが提供するステップに則ってワークをする必要があります。ですから自ら体験するしかありません。興味のある方は、ATIHリトリートに参加されることをお勧めします。
 参考までにURLをお知らせします。

http://sedonaconnections.jp/


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