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ドラゴンズ浅尾が、マイナス思考にふける理由

東洋経済オンライン 7月24日(水)8時0分配信

■ プロ入りまで、スポットライトと無縁

 ひとつの失敗が、キャリアの分岐点になることがある。ミスを反省して糧にできる人がいれば、腐って転落の一途をたどる者もいるだろう。失敗とは、人間の器をテストされているような局面だと思う。

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 右肩関節腱板損傷から7月中旬に復帰した浅尾拓也(中日)は、数々の失敗を乗り越えることで無名投手から日本屈指の“守護神”と評されるまでになった。

 「失敗を乗り越える」という表現は「不撓不屈」や「前向きな取り組み」などポジティブなイメージを想起させられるが、浅尾のメンタルはむしろ逆だ。そこにこそ、球界トップに登り詰めることができた理由が潜んでいる。

 2010年に歴代最多の47ホールドを記録して最優秀中継ぎ投手に輝き、翌年は同賞とシーズンMVPを獲得した浅尾だが、プロ入りまではスポットライトと無縁の日々を送った。小学生の頃はプロ野球選手を夢見ていたものの、中学生になると実力的に「プロにはなれない」と悟る。卒業後は捕手として愛知県立常滑北高校(現・常滑高校)に進学し、2年夏の大会後から本格的に投手として取り組んだ。高校3年夏の愛知県大会3回戦で敗れて「野球をやめよう」と思ったが、愛知大学野球連盟の下部リーグに所属していた日本福祉大学に推薦で合格した。「いつか絶対に野球をやめよう」と思う反面、「何となく続けていた」。

 今季開幕前に『スポーツ男子。』(ぴあMOOK)の取材で話を聞いた際、浅尾の思考法に随分驚かされたものだ。最速157kmのストレートと鋭く落ちるフォークで打者に向かっていく姿から、勝手に豪快なイメージを抱いていたものの、浅尾の発言にはネガティブな色が少なくなかった。彼の話を聞きながら、『エヴァンゲリオン』の碇シンジを思い浮かべたほどだ。

 「プロに入ってからも、つらくて逃げたいときもあります。高校や大学で、野球に大して情熱を注げなかった時期もあったので……。今でも打たれたときは毎回、『逃げたい』と思います。個人の成績やチームの成績……いろんなものを背負っている気がして。深く考えすぎるのはよくないんですけど、考えちゃいますよね」

 浅尾は自身を現実主義者と分析する。冷静に物事を考えすぎるあまり、少年時代には野球に没頭し切れない部分があった。そんな彼を変えたのは、大学時代に喫した敗戦だ。

 先輩の代の試合で登板し、自分が打たれたことでチームは敗れた。当時の浅尾は練習への熱が足りず、敗戦に申し訳ない気持ちになった。先輩の取り組みを見て「これだけ一生懸命やっているのだから、それで打たれたらしょうがない」と思っていた分、自らの甘さを情けなく感じたのだ。以降、浅尾は「こいつで打たれたらしょうがない」と周囲に認めてもらえるように努力を重ね、2006年、大学生・社会人ドラフト3巡目で中日に指名されるまでに成長した。

■ 「失敗を引きずる」のが原動力

 以前、当連載で高橋慶彦(元広島、ロッテコーチ)による「自信家より臆病者のほうが成功すると思う」という話を紹介したことがあるが、浅尾も後者の部類だ。

 セットアッパーやクローザーを任される浅尾は、僅差でリードをしている試合終盤に登板機会が訪れる。「抑えて当たり前、打たれたら周囲からいろいろ言われます」と話すように、投手として最も過酷なポジションだ。日々のストレスと向き合わなければいけない職務柄、リリーフで打たれた場合、「失敗はすぐに切り替えろ」と言われる。だが、浅尾は「失敗を引きずる」ことを原動力としている。

 「よく『日付が変わったら、切り替えろ』と言われますが、日付が変わった時点ではあまり変わりません(笑)。寝て、起きて、球場に行って、次に投げる瞬間まで打たれたことをずっと考えていますね。『次はやってやる』という気持ちに変わるのは、登板直前。すぐに切り替えてやれるタイプもいるでしょうけど、ミスから学ばなかったら意味がない。反省して、同じような失敗を繰り返さないように、ずっと記憶に残している部分はありますね」

 昨年、巨人の阿部慎之助の取った行動が話題を呼んだ。ある試合で2点リードの9回裏2死にキャッチャーフライを落としたことで、チームは引き分けに持ち込まれた。翌日、自身のロッカーにエラーの写真を張り付けた。悔しさを刻み込むための阿部の行動を、浅尾は共感できるという。

 「抑えたときのピッチングは、あまり覚えていないものなんです。打たれたときの記憶ばかりあるので、阿部さんの気持ちもわかりますね」

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最終更新:7月24日(水)13時15分

東洋経済オンライン

 

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