こうのブログ

日常の何気ない変化に対して、その時その時の気持ちを率直に書いています


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狩野家は仏教の信徒ですが、父は浄土真宗で母は曹洞宗とチョット複雑である。

啓二郎は時々は仏壇に手を合わせるものの、お参りしているのは父の両親と狩野家のご先祖様と思っていた。以前は3人家族なのに、お土産はいつも四個だった。その時はあまり気にはしなかったものの、朱美子さんが現れてからは五つとなっていた。父はお土産を欲張りするような人ではなかったので、啓二郎は不思議に思っていた。

ある水曜日の晩、父は仕事で遅くなると連絡があった。啓二郎は午後からの授業がなかったので、2時過ぎには家に帰っていた。その日は母もアルバイトは休みの日だった。3時頃になって母がおやつに何か食べようとか言ってドーナツを作ってくれた。いわゆるオールドファッションドーナツである。

母はドーナツを作りながら、そのままつまみ食いをしてしまう。そのため一緒に食べる時はもう既に満腹の状態であることが多かった。啓二郎のお皿には3つ、お母さんのお皿には1個しか乗っかっていなかった。しかし仏壇にはいつの間にかドーナツが1個供えられていた。

狩野家ではおやつの時間はほとんどが紅茶だった。朝昼晩の食事の後はコーヒーだったからである。紅茶は啓二郎の好きなアールグレイの時が多かった。父も母も紅茶の銘柄には関心がなかった。しかし啓二郎はやはりアールグレイが一番のようである。それ以外の紅茶の時は残すことが多かったのです。

「お母さん、ちょっと尋ねてもいい」「なーに・・・」
「お父さん、いつもお土産を買ってくる時、一つ多いでしょう。この前の茶巾寿司だって五個あったでしょう」「なんだ、気づいていたの・・・そうね、もうそろそろお話しておいた方がいいのかもしれないね」と母はやや神妙な表情を見せていた。

「啓ちゃんが生まれる前に、2年ほど前だったかしら、女の子が生まれたのよ」「えっ、・・」啓二郎は初めて聞く姉の話しに驚いていた。
「小さくて可愛かったのよ、美人だったわ・・・生まれて7カ月過ぎてから、体調を崩し、突然の熱に病院につれて行ったのだけど、結局大きな病院に救急車では運ばれたものの、間に合わなかったの・・・急性肺炎だったみたいなの」
「お父さんはとてもガッカリしていたわ。毎日のようにだっこして可愛がっていたからね・・・」

啓二郎は少し動揺していたが、冷静さを装っていた。「僕にお姉さんがいたんだ」と思った。
「お母さん、名前はついていたのでしょう」「うん、みちこという名前だったの・・・」
「どんな字なの」「未来の未に、知ると字の知と、後は子で未知子よ。いい名前でしょう」「うん・・」

「それからなの、お父さんはお土産を必ず四個買って来て、仏壇に供えるようになったの。お父さんの気持ちはよく分かるわ・・・、お母さんもショックが大きかったけど、私はそんなにくよくよするような性格ではなかったので早めに立ち直ったわ。それにあなたも生まれたし、勿論、未知子のことは忘れたことはないのよ。可愛かったのよ、・・・ほんとうに・・・」

啓二郎は本当は母の方がショックは大きかったのではと思った。母は芯がしっかりした人といつも思っていた。どんな状況になっても落ち着いて行動していたのは母だったからである。父はそんな時、うろうろしていて落ち着きがなかったような記憶がある。

「啓ちゃん、このことはお父さんには尋ねないでね。思い出させるとかわいそうだから・・・」
「はい、分かっています。でも・・お父さん、昔からこんなに優しかったの・・」と啓二郎は聞いた。
「とんでもない、結婚前は神経質でイライラしていることが多かったわ・・・でもね、結婚して未知子が生まれてからはまるっきり反対に優しくなったのよ。私にもよ・・・信じられないでしょう・・」

おやつの時間が終わり、啓二郎は二階の自分の部屋に戻ることにした。母はソファーで雑誌を読み始めていた。母はどちらかというと読者が好きだったように思う。啓二郎は幼い時、よく母に童話を読んでもらった記憶がある。啓二郎も読書は嫌いではなかった。どちらかと言うと、暇な時は本を読んでいた。

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自分の部屋に戻った啓二郎はいつものようにベッドにあおむけに寝て天井を眺めた。
「僕にはお姉さんが居たんだ。未知子姉さん・・・知らなかったなー・・・」
啓二郎はあることに気づいた。
「僕にはお姉さんが三人もいるんだ。未知子姉さんと、朱美子姉さん、それに恵子さん・・・」
「三人もお姉さんが居るんだ。それに三人とも美人だし、それに気持ちの優しい人ばかり・・・」

そして、啓二郎はふと思った。それにしては未知子姉さんの写真が仏壇にはない。・・・どうしてなのだろうと思った。そして啓二郎はあることを思い出した。いなかのおじいさんと話しだった。
確か、終戦前や終戦後しばらくの間、子供が生まれても出生届けをしないことが多かったことを思い出した。生後1年以内に亡くなってしまう子供が多かったからという理由であることをおじいさんから聞いた。だから未知子姉さんも仏壇にないのかもと思った。

啓二郎は何わ思ったのか階段を降りて居間に向かった。「お母さん、未知子姉さんの写真はあるの」と聞いた。母はビックリしたような表情を見せていた。「あるわよ・・・ちょっと待ってね」と言って日本間から何枚かの写真を持ってきた。

それは未知子姉さんをお父さんがだっこしている写真だった。お父さんが嬉しそうにしているのにも驚いた。未知子姉さんは小さく、まだ生まれて半年なのに顔立ちはしっかりしていた。そして可愛いと思った。将来は美人になると思った。もう一枚は母がだっこした写真だった。この写真の未知子姉さんは眠っていた。安堵したような表情だった。そしてもう一枚は一人だけの写真だった。

よく見ると、朱美子姉さんにも似ていたのである。それに景山恵子さんにも似ているのではと思った。不思議な気持ちだった。でもどうして未知子姉さんは景山恵子さんにも似ているのだろうと、率直な疑問だった。啓二郎は景山恵子さんが寝ているところを見たことがあった。この一人だけで写っている写真はよく見るとほんとうにそっりだった。

「お母さん、未知子姉さんって本当にかわいいんだね」と母に言った。「うん・・」とだけ母は応えた。母の目には涙の跡が分かった。啓二郎はやっと母の気持ちが分かったのである。啓二郎はしずかに二階の自分の部屋に戻った。お母さんがなんとなく愛おしくなった。こんな気持ちは初めてだったのである。滅多に涙を見せたことのない母親の涙だった。


啓二郎はお風呂にも入ってゆっくりとしていた。父の帰りは遅かった。午前様になることは滅多になかったが、今日は違っていた。それにご機嫌だった。玄関の所でいろいろと喋っている父の声は二階の啓二郎の部屋に居てる分かった。「啓ちゃん、手伝って・・」と母の声が聞こえた。啓二郎は急いで階段を降りて玄関に向かった。

父は玄関のところで寝ているようだった。母は靴紐を解いていた。そして脱がせると「啓ちゃん、お父さんを日本間のところまで運んで」と言うので、「お父さん、しっかりして・・・」と言って、啓二郎はお父さんの左手を啓二郎の右肩に乗せて引き起こした。そして日本間まで運んだ。父は啓二郎に抱えられながらもゆっくりと歩いた。足が宙に浮いているような歩き方だった。

啓二郎は父はもっと重たいと思っていたが、以外にそうではなかった。少し痩せているのかもと思った。日本間では母は直ぐにお布団を用意して父を寝かせた。 母は日本間に座っている父から上着を剥ぎ取り、ネクタイを外し、ワイシャツを脱がして、お布団に寝かせ、それからズモンも脱がせた。

「啓ちゃん、ありがとう、後はお母さんがやるからいいよ・・」と母は笑いながら啓二郎の顔を見た。その表情は笑っていた。お父さんがこんな風に酔っぱらうのは本当に久しぶりだった。啓二郎はトイレで用を済ませ、二階の自分の部屋に戻った。父が少し痩せていたのにチョットだけ気になっていました。

「僕はこのままでよいのだろうか」と啓二郎は考えた。父も母もいずれは亡くなってしまう。その前に、父は退職するだろうし、母も少しはゆっくりできる。二人が海外旅行に行ったのも、一回だけ韓国に、ほとんどが国内旅行である。それにせいぜい二泊三日や三泊四日である。啓二郎は親孝行と言うことばは知っていても、それをこれまで意識するようなことはなかったのである。

「今年は朱美子姉さんの結婚式もあるかもしれない。その後でもいいから両親を旅行に招待出来ないだろうか・・・」啓二郎がこんなことを考えるのは初めてだった。両親の旅行はあのお金ではなく、自分で働いたお金を使うべきだろうと思った。啓二郎はそろそろアルバイを始めようかなと思った。


そして啓二郎は眠くなってしまった。時刻は12時30分を過ぎていた。明日の午前中は休講で講義は昼から二時限ほどと少なかった。啓二郎は部屋の明かりを消した。そしてしばらくしてからだった。小さな声が聞こえた。「啓二郎君、ごめん、あの力を使わせてもらったよ。どうしても朱美子さんにお母さんを会わせたかったの。朱美子さん、結婚するでしょう。お母さんの声を聞いたら安心できると思ったの・・・でもそうして良かった。啓二郎君、ありがとう」

その声は本棚の方から聞こえている。啓二郎は起きようと思ったものの、なかなか起きあがれなかった。「啓二郎君、ありがとう」という言葉が木霊のように響いていた。啓二郎は必至なって起きようとしたが、それでもダメだった。とうとう、啓二郎は起き上がるのを止めた。この木霊は啓二郎の頭の中でまだ響いていたが、啓二郎の眠りと同時に消えて聞こえなくなった。

そこには静かで安堵したやわらかい空気の空間が漂っていた。啓二郎の寝顔は幼い頃の笑顔になっていた。そして微かにあの青い蛾が羽ばたくような音を聞いた。あの蛾は飛び立つ時は小さかったものの、外に飛び出した時にはかなりの大きさになっていた。そんな様子を感じて、啓二郎はあの標本箱の中がどのようになっているかを知りたかった。しかし眠さには勝てなかった。啓二郎は段々と深い眠りの中に入って行った。


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