(湯浅誠さんのfacebookへの投稿を転載させていただきました)

死に物狂いで一票を奪い合うのが選挙というものだと言えば、そうなんだろうと思う。

だから、複数の候補が当落線上で競っているとなれば、いかに相手がひどいヤツかというネガティブキャンペーンが展開されても、それに一々うんざりしていては、「選挙というものがわかっていない、ナイーブなヤツ」と一蹴されるのかもしれない。

しかし、やれあいつは情報を隠蔽しただの、あいつは中核派だのと、相手を貶めるための情報が錯綜し、
...
あげくの果てに、おまえはどっちの味方なんだという非難がましいメッセージが来るに及んでは、

正直、何やってんだよ、その外から見たら、どう見えるか、考えてみようよ、と思わざるをえない。

鈴木寛が、文科行政において、他の議員ではできない業績を残したことは尊敬すべきだし、
山本太郎が、原発事故以降、それまでのキャリアをなげうってやっている姿も尊敬すべきだと思う。

私が東京選挙区で5人を選べるなら、この2人は入れるだろう。
ただ、埼玉県民である私に東京選挙区の選挙権はない。
だから、オススメすることしかできない。
そして、鈴木寛からは依頼があり、山本太郎からは依頼がなかった

その2人が当落線上で競っていると伝えられている。
双方の支持者は、支持する者をなんとか受からせたいと思い、それがゆえに他方に国会議員の資格はないと喧伝する。

それは選挙戦術上は、正しい戦術なんだと思う。
すでに固まった票はあきらめる。迷っている票を取り込みたい。そのためには、相手がダメなヤツだと証明したい。
なんとかこの人に国会に行って欲しいと思えば思うほど、その行動は「正義」だ。

しかし他方、私たちはそういう足の引っ張り合いみたいな政治にうんざりして、「別の政治」を求めているのではなかったか。
その「別の政治」を実現するために、同じようなことを選挙戦で繰り広げる。
それは「別の政治」を実現することになるんだろうか?
うんざりしている当の者に、自分がなってしまってはいないか。

有為な人材が、これだから選挙になんか出たくない、と思うようになればなるほど、日本の政治は劣化していく。
その責任は誰がとるんだろう?
また、「それはおれのせいじゃない。あいつのせいだ」と、また犯人探しをするんだろうか。
いつまでそれを続けるんだろう?

いま、野球で言えば、右中間から左中間までが広く空いている。
そこを占める政治勢力が、それを求める人々の「受け皿」として希求されている。
そのためには、幅広い人材が必要だ。
先の衆院選でも、今回の参院選でも、同じような問題意識が語られ、そして実現しなかった。
それが誰を利するのか、結果はもうあらゆる世論調査で示唆されている。

それは、私も含め、願いながら実現できなかったすべての人間の責任だ。

せめて、結果が出た後は、しこりを残さず、より大きな文脈を見据えてもらいたい。
せめて、せめて、と願う。