憲法と、
岐路に立つ憲法。その60年余を見つめ直します
【社会】一人一人が支えた 66万票山本さん「プロ政治家ならぬ」
頼るべき政党や資金もなく、あるのは俳優としての知名度とやる気だけ。それでも激戦の参院選東京選挙区で「脱原発」を訴える無所属の山本太郎さん(38)が初当選した。「命のために」という情熱と、選挙での利用が解禁されたインターネットの技術が組み合わさった太郎流選挙戦。「一人じゃない」「政治の原点を感じた」という十七日間の選挙戦を振り返った。 (竹島勇) 「もう一人じゃない、もう一人じゃない」。投開票日の二十一日夜、当確が伝えられた直後、山本さんのリードでボランティアが笑顔で腕を突き上げ連呼した。山本さんが昨年十二月の衆院選に初めて出馬した際、作った政治団体が「新党今はひとり」。「脱原発の運動を始めて本当に自分一人だけのような気持ちだった。やっと仲間がいると実感できた」と話す。 二〇一一年三月十一日の東京電力福島第一原発事故を機に、脱原発を訴える活動を展開。俳優の仕事は激減した。「信念は曲げたくないが、仲間に迷惑がかかる」と所属事務所を退社した。 衆院選では、東京8区(杉並区)から出馬し、七万票余りを集めたが次点。それが今回の参院選では、六十六万票を超えた。「数の広がりを感じた。低い投票率の中ですごい数字だ。原発に危機感を持っている人がそれだけいるということ」と分析する。 選挙期間中、山本さんは街頭などでの演説を終えると、時間の許す限り聴衆と言葉を交わした。福島県の中通り地方から都内に避難してきた女性は「私の一票にはたくさんの人の思いがこもっている」と振りしぼるように話した。 介護の仕事をしている女性は「待遇が悪く、患者のご飯を容器に詰めて持ち帰る人もいる」。体を震わせながら話し掛けてくる人も。多くの切実な声に接した。 山本さんは「皆さんの実情や内面の思いを受けとめる。この選挙運動こそが政治の原点だと感じた。プロの政治家にはならない」と誓う。 選挙戦では、常に山本さんに寄り添い、スマートフォンを向ける男性がいた。「ツイキャス」と呼ばれるサービスを利用して無料で動画をネットで配信するためだ。山本さんの一挙手一投足を流し続けた。 「脱被ばく。低レベル放射性物質。僕がしゃべることは過激だとされ、テレビが放送しづらい。ネット上で露出を増やすことができたのは大きかった」と振り返る。 陣営にはブログの専門家も参加。その一人、座間宮(ざまみや)さん(36)は「ネット選挙は金を払って業者任せにすれば成功するというものではない。候補者の個性をいかす工夫が必要だ」と指摘する。 ネットで集まったボランティアも選挙運動を支えた。山本さんは「うちのボランティアは多様性があり、意識が高い」と胸を張る。上は九十代から十代までさまざまな人が加わった。 青梅市の女性(32)はネットで演説を聞いて共感し、ネットで登録して参加した。「政治に関心はなかった。周囲のボランティアもそんな人が多い。太郎さんが選挙のあり方を変えた」と話す。 PR情報
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