靖国神社に参拝する朝鮮皇族の写真…韓国初公開
テーマ:韓流 朝鮮皇族らが1941年10月に日本の皇族とともに靖国神社を参拝する様子を写した写真が韓国で初めて公開された。
写真収集家の鄭成吉(チョン・ソンギル)氏(大邱・東山病院博物館名誉館長)は13日、日本の皇族らの靖国神社参拝風景を収めた写真が掲載された『靖国神社臨時大祭記念写真帖』を本紙に公開した。
1853年の開港以後、日本が行った11の戦争における戦没者、計246万人を祀っているのが靖国神社だ。1978年に東条英機など太平洋戦争のA級戦犯14人が合祀されたため、日本の首相らが靖国を参拝することに対して韓国と中国が強く反発している東アジア外交紛争の現場でもある。
この写真帖には昨年7月に亡くなった大韓帝国最後の皇世孫・李玖(イ・グ、高宗皇帝の孫であり、英親王の息子/右から3番目)をはじめ、イ・グン(一番右)、イ・チュン(右から2番目)ら朝鮮王族3人が日本の皇族らと並んで靖国神社を参拝する写真が含まれている。イ・グン、イ・チュンは義親王(高宗皇帝の次男)の孫だ。
のみならず、この写真帖には日本に人質として連れていかれた朝鮮最後の王族・英親王の妃である李方子女史(右から2番目)も登場する。李方子女史は天皇皇后両陛下のすぐ後ろ、2番目の列で靖国神社参拝の列に加わっている。また、王族らの後に続き、太平洋戦争のA級戦犯・東条英機が参拝する姿も写真の中に収められている。
この写真帖に掲載された写真は皇室専属の写真家が撮影したもので、皇族や祭礼に出席した人にのみ配られる非売品であることが判明している。
ソウル大国史学科の李泰鎮(イ・テジン)教授は「1941年は日本が太平洋戦争を目前に控えた時期であり、戦争を前にして朝鮮人の動員を引き出す目的で強制的に靖国神社に参拝させたようだ。これは朝鮮を植民地として服属させたということを意味するものであり、絶対に自発的な参拝ではないだろう」と説明した。
朴蘭姫(パク・ランヒ)記者
【ソース】朝鮮日報
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/14/20060814000037.html
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ァ ∧_∧ ァ,、
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自爆記事です。
朝鮮日報はこうでなきゃ。
>日本の皇族とともに靖国神社を参拝する様子を写した写真
分け隔てなく、というより一般の日本人よりよっぽど優遇されてますが
当時、皇族と一緒に参拝するのはごく限られた人間だけでしたよ。
>大韓帝国最後の皇世孫・李玖をはじめ、イ・グン、イ・チュンら朝鮮王族
>3人が日本の皇族らと並んで靖国神社を参拝する写真が含まれてい
>る。イ・グン、イ・チュンは義親王の孫だ。
>朝鮮最後の王族・英親王の妃である李方子女史も登場する。
>李方子女史は天皇皇后両陛下のすぐ後ろ、2番目の列で靖国神社参拝
>の列に加わっている。
写真が残っててよかったじゃんw
なんかいいべべも着てるし。
>写真は皇室専属の写真家が撮影したもので、
>皇族や祭礼に出席した人にのみ配られる非売品である
値打ちものじゃない。
こんな光栄な事はないよ
>強制的に靖国神社に参拝させたようだ
『~ようだ』
今度は『強制参拝』ですかw
>絶対に自発的な参拝ではないだろう
絶対に~ないだろう・・・
おいおい、あなたの想像ですか > 李泰鎮
そういえば、『李泰鎮』ってどこかで見たような・・・どこだっけ
この記事はつまり、日本の皇室と朝鮮の皇室と分け隔てなく扱われていたという証拠で、日本に感謝しますと言う事が行間に書かれているわけですねw
ちなみに・・・
外国人靖国神社参拝名簿
昭和27年 | 4月28日 | サンフランシスコ講和条約の発効 |
昭和28年 | 遺族援護法成立、即日施行 | |
昭和31年 | 遺族援護法改正、A級戦犯無罪放免 釈放完了(国会全会一致) | |
昭和33年 | 遺族援護法成立、BC級戦犯無罪放免 釈放完了 | |
2月 4日 | パナマ共和國駐日大使 リカルド・マルティニェラ氏 | |
昭和34年 | 4月 5日 | トルコ共和國国防大臣(=副首相) エテム・メンデレス氏 |
昭和35年 | 3月23日 | ビルマ(現ミャンマー) ウー・ヌー前首相 |
昭和36年 | 12月15日 | アルゼンチン フロンディシ大統領ご夫妻 (戦後初の元首参拝) |
昭和38年 | 6月 3日 | タイ プミポン国王ご夫妻 |
昭和39年 | 6月 3日 | インドネシア大使館付武官 イマム・サルジョノ海軍中佐 |
9月20日 | ビルマ連邦共和国(現ミャンマー) タイセン労働大臣 | |
10月 7日 | イタリア陸海空三軍士官候補生90人とジュリオ・アンドレオッティ国防相 | |
17日 | パキスタン陸軍最高司令官 モハメット・ムザ大将 | |
昭和40年 | 3月26日 | 旧西ドイツ練習艦ドイッチェランド号の士官候補生50人 |
4月16日 | タイ国練習艦隊司令官のパントム海軍少将一行 | |
6月22日 | 日韓基本条約 両締約国は,両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。(個別請求権の問題は解決したものとみなす。) |
|
7月10日 | アルゼンチン海軍練習艦リベルタッド号の艦長オスカルモヘ海軍中佐以下海軍士官候補生 | |
9月28日 | 旧南ベトナム駐日大使 クエンドウイ・クワン氏 | |
昭和41年 | 1月31日 | フランス練習艦隊ヘリ空母ジャンヌ・ダルク号と護衛艦ヴィクトール・シェルシェ号の士官候補生と乗組員 |
2月17日 | ペルー國練習艦隊 艦長エンリケ・ヴェリア海軍大佐以下 ペルー大使 ホセ・カルロス・フェイレイドス氏 |
|
5月30日 | チリ國練習艦隊エスメラルダ号艦長 ロベルト・ケリー中佐以下 チリ大使 モランビオ氏 |
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10月29日 | 米國・沖縄民政府政治顧問 ジェームス・マーチン夫妻 | |
昭和43年 | 6月25日 | ブラジル練習艦隊クストディオ・デ・メーロ号のエディノ・ビアナ・シャモンテ艦長以下士官候補生と乗員120人 |
9月 6日 | ブラジル・カトリック ドンジャイネ司教 | |
12月 2日 | ドイツ連邦(西ドイツのこと)軍総監 ウイリッヒ・メズィエール陸軍大将以下 | |
昭和44年 | 4月 9日 | 米国 在日海軍司令官ダニエル・T・スミス海軍少将以下幹部25人 |
昭和45年 | 1月12日 | ドイツ空軍総監ヨハネス・シュタインホフ中将 |
2月 3日 | フランス練習艦ヴェクトール・シェルシェ号 艦長 ピエール・トウベ海軍中佐以下 | |
5月12日 | オーストラリア メリーア・アッシュバーナー夫人 (旧海軍軍人から「海軍おばさん」と親しまれていた) | |
昭和46年 | 3月26日 | ニューギニアの国会議員M・T・ソマレ氏 ハニアウル・ヘトラス・サンオン村村長(日本人戦没者の遺骨収集に協力) |
7月 8日 | 西ドイツ海軍総監 ゲルト・イエシヨネック中将 | |
昭和47年 | 3月15日 | イスラエル國情報副部長 ギルボア准将 |
21日 | スペイン海軍練習艦隊ファン・セバスチャン・エル・カー号の艦長リカルド・バリエスピン・ラウレル海軍中佐以下50人 | |
4月 1日 | チリ海軍練習艦エスメラルダ号のシルバ大佐以下士官候補生と駐日大使 | |
9月29日 | 日中友好条約 以後、中国は戦後賠償を永久に破棄 |
|
10月19日 | 駐日武官参拝 イタリア(R・ドルランディ空軍准将) ドイツ(クウス・ボルツェ陸軍少佐武官補佐官) ブラジル(J・B・フアリア海軍大佐) アルゼンチン(T・N・オリーヴァ海軍大佐) |
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昭和48年 | 1月28日 | 西ドイツ陸軍総監 エルネスト・フェルバー陸軍中将 |
2月14日 | 南ベトナム バオ・ダイ殿下 | |
3月 3日 | ペルー海軍練習艦隊のアレハンドロ・ペレス・ルイス艦長以下乗員60人 | |
5月14日 | チリ國空軍士官學校研修団 団長 フアン・シューエン空軍少将以下 | |
6月 4日 | ソビエト連邦プラウダ論説委員 ビクトル・V・マエフスキー | |
11月 7日 | トンガ王国 タウファハウ・ツボー4世国王 | |
昭和49年 | 2月19日 | フランス海軍ヘリ空母ジャンヌ・ダーク号ベリエール艦長以下 フランス海軍駆逐艦フォーバン エドワード艦長以下 |
4月 8日 | アメリカ合衆国大使館付武官 リチャード・ネルソン・スタンダード大佐以下 | |
10月28日 | インド G・Sデロン大佐以下 | |
昭和50年 | 11月 8日 | ビルマ國農業大臣 ウー・ボー・レーサ氏 |
昭和52年 | 3月 7日 | フランス練習艦ジャンヌ・ダルク号艦長ステファーノ・ボーサン海軍大佐 フォルバン号艦長ジョンノエル・プーリカン氏 駐日フランス大使館付武官アンドレ・ルメール海軍大佐 |
3月26日 | 英国精神科医 W・H・オールチン博士 | |
9月 4日 | タイ國国軍副司令官 クリアン・サック大将以下 | |
19日 | ドイツ(西ドイツ)大使館付新任武官カール・ハインリッヒタルス氏 退任武官ペーター・フシュミット氏 |
|
11月22日 | アルゼンチン共和國空軍士官學校 ヘスス・C・カペリーニ氏以下 | |
昭和53年 | 7月28日 | 泰緬鉄道建設に従事した旧日本軍人と旧オーストラリア軍人が大鳥居の下で恩讐を超えた友情の再開を果たす |
昭和54年 | 10月28日 | インド・カルカッタ市チャンドラボース・リザーチィン・スティテュード館長 シシール・クマール・ボース夫妻 |
昭和55年 | 11月 1日 | チベット佛教(ラマ教) 法王ダライ・ラマ14世 |
昭和56年 | 1月26日 | アメリカ空軍横田基地司令官ドゥエイン・C・オーベルグ大佐夫妻以下 |
4月26日 | 在日アメリカンスクール教育長リチャード・T・オスナー氏 | |
5月12日 | ウイーン大学宗教学 フリッツ・フィンガー・ライダー教授夫妻一行 | |
6月 2日 | 同上 | |
22日 | インドネシア アラムシャ・R・プラウィネガラ宗教相 | |
昭和57年 | 11月25日 | エジプト 前世界イスラム審議会事務総長 モハメッド・トゥフィック・オーエイダ博士 |
昭和58年 | 8月 4日 | 米国・国立公園アリゾナ記念館 ゲーリー・カミンズ館長 |
11月 9日 | インド マガタ大学歴史学教授 アングッシュマン・ラビ博士 シンジャ・アワンマドゥ・クレジ博士 |
|
12月13日 | 旧インド国民軍 シャーザダ・ブランデイーン・カーン陸軍大佐 | |
昭和60年 | 6月10日 | 駐日エジプト大使モハメッド・サミー・サーベット氏 公使アニース・ネマタラー氏 |
7月23日 | 米軍横田基地空軍司令官ウォル・ファイル大佐 | |
10月18日 | ドイツ連邦共和国大使館国防武官マウル大佐 | |
昭和61年 | 6月 6日 | 米軍横田基地空軍副司令官エドワード・フライ大佐 |
昭和62年 | 10月19日 | 元ドイツ連邦共和国大使館付武官クルグ海軍大佐夫妻 |
昭和63年 | 8月13日 | パキスタン大使館付陸軍准将ブリカディー・ムハマド・ネイブ・テナ氏 |
平成 元年 | 10月27日 | 米軍横須賀基地司令官スティーブン・H・ハウエル海軍大佐 |
6月20日 | 同上 | |
11月14日 | ドイツ・ハンブルク市国防軍指揮幕僚學校教官エーベルバルト・メシェル空軍大佐 | |
平成 2年 | 10月27日 | ドイツ・シュトゥットガルト放送交響楽団団長 ルッツ・リューデンマン博士 |
平成 3年 | 10月30日 | チリ國・通産大臣 ルネ・アベリウク氏 |
平成 4年 | 3月 1日 | 在日スリランカ大使 C・マヘンドラン氏 |
7月10日 | フィンランド特命大使 カリ・ベリホルム氏 | |
平成 5年 | 9月21日 | リトアニア共和国 アドルファス・スレジェべシス首相 |
11月 7日 | タイ王国空軍司令官補佐サマート・ソサティット空軍大将 | |
平成 6年 | 6月15日 | 駐日英国大使館付武官M・スミス海軍大佐 |
平成 7年 | 5月30日 | チベット前主席大臣(首相)テイジン・テトン |
8月 2日 | ミャンマー國(旧ビルマ)文化大臣ウ・アエ氏 | |
14日 | パラオ共和國政府顧問イナボ・イナボ氏 | |
11月 1日 | ドイツ駐日武官ロベルト・ウェルナー夫妻 | |
平成 8年 | 6月15日 | 英国大使館付武官ロバートソン大佐・エドワーズ大佐 |
17日 | パラオ・ぺリリュ-戦の旧日米両軍関係者53人 | |
8月13日 | イランイスラム共和国一等書記官M・シャケリ氏 ドイツ連邦共和国大使館国防武官ロベルト・ウェルナー陸軍大佐 |
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20日 | スロベニア国連大使ダニーロ・チュルク氏 | |
10月18日 | トルコ大使館駐日武官ネディム・アンバル海軍大佐 | |
11月 1日 | 旧朝鮮王朝李玖王子 | |
平成 9年 | 4月 5日 | トルコ大使館付武官ネディム・ランバー海軍大佐 ルーマニア大使館付武官ダン空軍大佐 インド大使館付武官カトチ陸軍大佐 マレーシア大使館付武官ハミド海軍大佐 イスラエル大使館付武官ドルファン准将 ロシア連邦大使館付プロコペンコ事務官 同大使館付武官エヴストラホフ陸軍少将 タイ大使館付武官シーラカムクライ氏 |
13日 | タイ王国プーン・サック海軍中将 | |
22日 | ルーマニア・ダン空軍大佐 スイス共和国ドルガー防衛軍大佐 タイ王国ポンプン陸軍大佐 |
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平成10年 | 4月 4日 | ルーマニア大使館付武官ラルジュアーヌ陸軍大佐 イスラエル大使館付武官ドルファン准将 インド大使館付武官ヴォドガオン・カール海軍大佐 ブラジル大使館付武官キーゼル海軍大佐 ポーランド大使館付武官スタルシコ陸軍大佐 ロシア大使館付武官エフストラフコ陸軍少将 ロシア大使館付武官ボカチョンコフ海軍大佐 スイス大使館付武官マイヤ陸軍大佐 トルコ大使館付武官アンバル海軍大佐 |
22日 | イスラエル大使館付武官ドルファン准将 ブラジル大使館付武官キーゼル海軍大佐 トルコ大使館付武官アンバル海軍大佐 ポーランド大使館付武官スタルシコ陸軍大佐 |
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6月27日 | 米国海軍第七艦隊ミカエル・ローランド・オリバー海軍大佐 | |
10月18日 | トルコ共和国セミー・イエシブルサ海軍大佐 ポーランド共和国スタルシコ陸軍大佐 |
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平成11年 | 1月17日 | ブラジル・サンパウロ市 松柏学園 |
3月19日 | カナダ・ビクトリア市 セントマイケルズ・ユニバーシティ・スクール | |
4月 3日 | インド大使館付武官ウェヘライ海軍大佐 ルーマニア大使館付武官イラン・ラアルジェアヌ空軍大佐 ロシア連邦大使館付武官ボカチョンコフ海軍大佐 タイ王国大使館付武官マイトリー空軍大佐 タイ王国大使館付武官スリヤン陸軍大佐 トルコ共和国大使館付武官イエシルブルサ海軍大佐 イラン大使館付武官サファリ海軍少将 ブラジル大使館付武官フェヘライ海軍大佐 マレーシア大使館付武官ハミド海軍大佐 |
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9月13日 | チベット佛教リクー・ブッダ・ダツ氏 | |
10月19日 | ポーランド大使館付武官ヴワデイスフク・スタルシコ陸軍大佐 トルコ共和国大使館付武官イエシルブルサ海軍大佐 |
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平成12年 | 1月12日 | 米国コルゲート大学学生 |
4月 5日 | 臺灣高砂族元義勇兵(台湾志願兵含む)・遺族 | |
8日 | トルコ大使館付武官セミー・イエシブルサ海軍大佐 ルーマニア大使館付武官イラン・ラアルジュアル空軍大佐 イスラエル大使館付武官ズイブ陸軍大佐 スイス大使館付武官マイヤ陸軍大佐 ミャンマー大使館付武官キン・モン・ウィン陸軍大佐 イタリー大使館付武官オファーノ・ルチアーノ海軍大佐 ポーランド大使館付武官キメク・トーマス陸軍大佐 ロシア大使館付武官ボカチョンコフ海軍大佐 インド大使館付武官ヴァドガオンカール陸軍大佐 インド空軍ビスワン空軍大尉 メキシコ大使館付武官セルジオ・ララ・モンテジャーノ海軍少将 |
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17日 | 臺灣高砂族元義勇兵(台湾志願兵含む)・遺族 | |
26日 | インド沿岸警備隊長官ジョン・コリンズ・デシルバ海軍中将 | |
10月18日 | イタリー大使館付武官オッタリオ・ルティグハーノ海軍大佐 トルコ大使館付武官クトイ・ジング氏 |
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平成13年 | 3月22日 | カナダ・ビクトリア市 セントマイケルズ・ユニバーシティ・ミドルスクール |
4月 7日 | スイス国防武官ハンズ・R・マイヤ陸軍大佐 インド大使館付武官ヴァドガオンカール陸軍大佐 イスラエル大使館付武官ズイブ陸軍大佐 ミャンマー大使館付武官キン・モン・ウィン陸軍大佐 ポーランド大使館付武官スタルシコ陸軍大佐 ルーマニア大使館付武官ラルジュアーヌ陸軍大佐 トルコ大使館付武官セミー・イエシブルサ海軍大佐 ドイツ大使館付武官ライムンド・ヴァルナー海軍大佐 ブラジル大使館付武官クラウジオ・ホジェリオ・デ・アンドラ・フロール海軍大佐 臺灣高座會(台湾臺灣出身元少年工員・家族) |
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22日 | ブラジル大使館付武官クラウジオ・ホジェリオ・デ・アンドラ・フロール海軍大佐 トルコ大使館付武官クタイ・ゲンチ陸軍大佐 |
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26日 | 米国海兵隊第三師団長ウォーレス・グレッグソン海兵隊少将 | |
6月27日 | インドヒンズー教徒カリアン・ババ氏 | |
10月18日 | トルコ大使館付武官クタイ・ゲンチ陸軍大佐 | |
30日 | アゼルバイジャン共和国元首相・人民戦線党最高評議会議長アリ・マシホフ氏 | |
平成14年 | 4月10日 | 前ペルー大統領アルベルト・フジモリ氏 |
5月31日 | 在日米軍空軍基地将校会ロニー・デート空軍少佐以下 |
【オレのおもちゃ箱様】より
http://homepage2.nifty.com/ef2000/ww2yasukuni2.html
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