Home まとめ記事 押井守が語る「風立ちぬ」感想


押井守が見た『風立ちぬ』

実写版パトレイバーの制作も発表された押井守監督

押井守監督の『風立ちぬ』評が、TVブロス
ニコ生の押井守メールマガジンにて公開されているようです。

毎回ジブリに対して、歯に衣着せぬ辛辣な批評を繰り返している押井氏ですが、
今回の『風立ちぬ』に関しては、どこか肯定的な見方もあるようです。

いつもの毒のある押井節をどうぞ!

※ネタバレも若干含まれていますので、未見の方は注意。

 

“矛盾” がこの映画のひとつのテーマになっている

http://news.ameba.jp/20130717-707

「飛行機を作るのが夢なのに、それは戦争の道具であるという矛盾。仕事に本腰を入れたい、だから結婚するという矛盾。飛行機の設計士は信じられないくらいに忙しいはずで、家に帰る時間さえないくらい。にもかかわらず結婚するわけだから矛盾だよ。堀越二郎が抱えるそんな矛盾は、そのまま宮さん(宮崎駿)に当てはまる。宮さん自身、もう矛盾のカタマリ」

 

「あれが君のゼロかい?」

宮崎駿『風立ちぬ』

「ゼロ」とは、もちろん零式艦上戦闘機のことです。
年末には「永遠のゼロ」も公開されるし、
本物の零戦も里帰りしたことだし、
なんとなく今年は零戦の年のようです。

ジブリの悪口を掲載できる、
日本で唯一の雑誌『TV Bros.』の依頼で、
東宝本社の試写室に行ってきました。

そういえば前回の『アリエッティ』も
『ポニョ』も、同誌の依頼で見た記憶があります。
何を喋ったかは思い出せませんが。
試写室のポスターを見て一驚しました。
主役が人間です。

「ヒロインの少女を除いて
登場人物は全員豚」方式だと思い込んでいたのですが、
なんと登場人物全員が人間でした。

舞台は戦前の日本だし、実機も出てくるので、
さすがに登場人物が豚では世界観が破綻すると考えたのか、
遺族の心境を慮って堀越二郎を豚にするわけにはいかない、
と判断したのか、あるいはその両方なのか、
よく判りませんが、とにかく人間です。

それがどうした、と思われる方もいるでしょうが、
少年や豚や(中年男)を主役として描き続けてきた監督が、
青年を主人公に据えるということは、

これは実は大変な決断を要することであって、

僕もまた「戦う女」と
「オヤジ」のみを主役にしてきましたが、
「青年」を主役に据える度胸は未だにありません。
青年を主役に据えるということは、

つまり否応なくそこに自分の中のある部分――
理想化された自分を描くことに直結する可能性が高く、
きわめてキケンな香りがするからです。

豚や少年と違って、「人間の青年」には逃げ道がありません。
宮さん、大丈夫かしら――と他人事ながら心配しつつ、幕が開きました。

宮さん、ついに色気づきました。
おそらく日本のアニメ史上、もっともキスシーンの多い作品でしょう。
新婚初夜のドキドキまで描かれています。

カプロニもユンカースも、九試単戦も吹っ飛びます。
零戦の映画だと思って見に行くと、古典的な恋愛映画でビックリ。

いつものジブリ映画だと思って子供連れで出かけたお母さんたちは、子どもたちの目を塞ぐべきかどうかで、悩むことになるでしょう。
まあ、そのかわりにタップリ泣けるかもしれませんが。
いったい何があったのでしょう。

ド近眼で、ヘヴィスモーカーで、仕事から離れられない堀越二郎青年はもちろん、宮崎駿その人です。
婚約者の自宅の庭から忍び込んだり、駆け落ち同然で上司の家へ逃げ込んで結婚したりの大活躍です。

斯くありたかったであろう青春の日々を臆面もなく描いていて、見ているこちらが赤面しそうです。
だから「青年」はキケンなのです。
いつもの「少年」というカムフラージュも「豚の仮面」もないのですから。

もはや開き直ったとしか、考えられません。
誤解のないように言っておきますが、これは大変に結構なことです。

「子供たちのために作る」などという大義名分・建前を離れ、自らの欲望の赴くまま、リピドーに導かれて描くことは映画の基本です。
映画とはつまり、欲望の形式なのですから。
ただ問題なのは、その欲望の行き着く先が何処なのか――それだけです。

試写に同行した某VFXスーパーバイザーのS君(私の相棒)は、これはいつもの「老人の繰言」でなく
「老人の睦言」だと喝破しましたが、僕もその意見に全然同意いたします。
青年の姿を借りて演じられた、これは老人のエロスの世界です。
当然の如く「死の影」も見え隠れしています。

http://blog.livedoor.jp/qmanews/archives/52052188.html

押井守が語るジブリ

押井守の「勝つために見る映画」/「テーマがある人は、テーマなき人をどう使ってもいい」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20121031/238838/?rt=nocnt

 

押井:
そういえば、若いプロデューサーたちや制作たちで鬱病っぽくなってる人が増えているんだよね。この映画のサヴェージ准将みたいなもんだよ。出社拒否になっちゃって、会社に出てこないで家でDVD見てるんだって。揃いも揃ってみんな30過ぎてから。ローンで家を買って子供が産まれた途端に。

―何があったんですか?

押井:
たぶん、これから30年間ローンを返さないとって考えたときにやっと気付くんだよ、自分のスタジオはこれから30年存続するんだろうかって。

例えばジブリ(宮崎駿氏の所属するアニメスタジオ)。どう考えても宮さん(宮崎駿)があと30年生きるわけがないけど、宮さんが死んだ時点でジブリはおしまいだってことは誰でもわかってる。存続するにしても版権管理会社だよ。じゃあ今あそこで働いてる連中はどうなるのか。

―他のスタジオには移れないんですか?

押井:
ジブリのアニメーターには5年10年やってても人間を描いたことないアニメーターもいるんだよ。そうじゃなければ、あれだけクオリティの高い作品なんてできない。キャラクターを描かせてもらえる人間なんて一握りで、それ以外の人たちは延々と動画だったりするんです。

他のスタジオだったらアニメーターは忙しいんだよ。2年に1本なんて悠長なことを言ってられないから、バンバン描かせる。そういう人はそこそこ描けるから、どこへ行っても食えるんです。ジブリは、うまい人はめちゃくちゃうまいけど、下積みの連中はなかなか上に上がれない。

―でもその分、仕上げた枚数いくらじゃなくて会社で正規雇用して、高い給料を払っているわけですよね。

押井:
だけど宮さんが死んだら全員放り出されるって、あるときハタと気がつくわけ。それでもアニメーターは、ある意味手に職があるからまだましで、プロデューサーとか制作の連中は「30年のローンで家買っちゃった。子供産まれちゃった。大学出るまであと20年以上かかるんだ」ってさ。

―それに気がついてしまうと…。でもそれ、普通の会社だって同じじゃないですか?

押井:
そうだよね。愕然とする方がまともかもしれない。「自分たちの未来はどうなるんだろう?」ってさ。とはいえ、そうなる前にどうするかをなんで考えなかったのアンタ、って思うんだけどね。

―今からでもいいから考えて、行動すればいい。

押井:
そうやって飛び出したヤツも何人かはいる。今残ってる連中はジブリという組織、会社員一般で言えば会社の名前に守られてるだけ。外に出てやっていく自信はないんじゃないかな。

僕から見たジブリは、「宮さんの映画を作る」ということに特化したちょっといびつなスタジオだから、みんな守備範囲が狭いわけ。
外に出されたらあっと言う間に萎えちゃう。温室なんです。雑草みたいなヤツはほとんどいない。
宮さんひとりが獰猛な百獣の王で、その獰猛な百獣の王を飼うために人工的に作ったサバンナなんだよ。

 

 

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