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第1章 騎士候補生ナオミ・ニト
第18話 アッパータウンへの招待状
「君をアッパータウンに連れていきたい」
 男の言葉に胸がドクンッとナオミの胸が高鳴った。
「我らがブルトンの騎士道に誓い、君をアッパータウンに招待したい」
 ジェラールは少女にそっと跪いた。

「ア、アッパータウン?」とナオミの声はにわかに震えた。

「ああ。君をアッパータウン、俺たちのブルトン人の社交界に招待したいと思っている。君は騎士候補生となって、ブルトンの歴史を学びにいくんだ」 黒ずくめの男はさらに興奮しながら、この田舎町カンペールに来た目的を、つまりブルターニュ地方株式会社の理を少女に教えてやった。話が進むにつれて、この黒ずくめの男も、かつてアッパータウンで騎士道とやらを学んだことがわかった。

 騎士候補生。俗にいう騎士見習いは母なる白き公国ブルターニュ地方株式会社の『円卓の騎士団』のなかで、騎士や騎士候補生たちと団体生活とともにブルトン人の社交界を学ぶ。
 少女の場合は爵位の関係でその社交界がアッパータウンだという。ナオミは困惑して音楽家ジェラールに尋ねた。
「私、騎士にはなれないと思う。だって女の子ですもの」
 男はそんなものは下らない愚痴のように聞き流した。
「はじめに言葉ありきほどあてにならん。ブルトンの社交界に性別などまったく関係ない。はじめに行動ありきかどうかだ」と男は吠えた。

 そもそも騎士とはなんであるのか。従者として領主に仕え、心身ともに通過儀礼を受ける者たちのことだ。中世末にはその軍事的意義は低下し、騎士の称号は重要な功績をあげた人々に栄誉として与えられるようになった。

 現代の英国では騎士の称号は男女を問わず、卓越した業績をあげた者に君主が与え、騎士に叙任された者は姓ではなく名前の前に男性はサー、女性はデイムという敬称をつけて呼ばれる。同じくブルターニュ地方株式会社も社会秩序、ブルトン人の成人教育にすぎない。こんなつまらない話にダックスフンドはうたた寝をしていた。

 ボーン、ボーンと一階の晩餐会の広間の柱時計の音が響く。あれから半刻がすぎただろうか。少女は男の話に夢中になり、時間を忘れていた。「私はブルトン人だったの?」
 ナオミは自分がブルトン人であることを知り、動揺を隠せないようだ。「君はブルトン騎士の由緒ある家柄の娘だ。ブルトン人は十三歳になれば、一人立ちをしなくちゃいけない。騎士への学びは誰人も邪魔はできない。君が望むのであれば連中もそうせざるえない」――連中、あのヤドリギ親子のことだ。

 音楽家の話によると、騎士道を拒む者は正当理由を書類に認める必要があるとか。
「なにも難しいことじゃない。『円卓の騎士団』は君たちブルトンの子どもたちのためにある」
 ルレスエロ・ジェラールのいう円卓の騎士団の意味は分からないが、確かに今の生活を続けていても先は知れている。「それに君は騎士の証をたてることを忘れてはいけない」

 騎士の証をたてること、これも円卓の騎士団同様にいまいち意味は分からない。でも唯一分かっていることは騎士になれば、ヤドリギ親子から解放されるということ、新しい未来が拓けるかもしれないということだ。この不遇の虐待生活から抜けだす糸口が見つかったとあって少女の頬は火照り、瞳はキラキラと輝き出した。「やめときなってば!」とジョジョはナオミに冷静になれと声をかける。

 うまい話には必ず裏がある――そうかもしれない。

「なぜおじさんは私を連れていこうとするの?」
 ナオミは高鳴る胸のドキドキをおさえながらいった。
「なぜ? 知れたことだ。運命の女神が私にそうしろと命令するからだ! 俺はずっと長い間、君を探し続けていたんだ!」と男は熱く語る。

――この人は運命の何なんだ? もしかして運命の使者か? ただの音楽家のように見えるけど。

「それに君にはアッパータウンに行かねばならない理由がある」
 音楽家は厳粛になり少女を説得した。

 キミニハ、アッパータウンニイカネバナラナイ、セイトウナリユウガアル。

 男は「君は騎士となり、ご両親の爵位を受け継ぐ必要がある」と少女に使命を自覚するように話した。

 ご両親の爵位? 爵位ってどういう意味なんだろう――にしてもこの人は両親のことを知っているようだ。誰かが両親のことを語るとき、いつも少女の声は小刻みに震える。興味深い、じつに興味深い。もっと話がしたい。

 コノヒトハ、ワタシノリョウシンヲシッテイル。

 胸が高鳴り、ドックンと鼓動が激しく脈打つのがわかった。
「君のご両親とはアッパータウンでともに学んだ仲だ。私とは白馬の友だった」

 竹馬の友の間違いじゃないのか? でも今は言い間違えなどどうでもいい。
「君はご両親のことも――両親がなぜいないのかも知らない」
 いや何も知らなすぎる、知らないというのは恥ずかしいことではないが、知ろうとしないことは恥ずかしいことだ。また知らないということは恐怖でもある。無知は臆病であり腰抜けだ。だから人は恐怖を払いのけるために知らねばならない。それが自分にとってどんな災いをもたらせようとも。

 男はナオミに自分のこと、両親のことをどこまで知っているのか問いかけた。少女は何も答えることができなかった。当然だ、だって何も知らないのだから。
「アッパータウンに君の歴史と、これからの未来がある」
 黒ずくめの男の言葉が胸奥深く、ズサッと剣が突きささった。

 彼女にとってこの九年は空白の九年といってもいい。
 ナオミの空白の歴史、両親の歴史を知る鍵はアッパータウンにある。もはやアッパータウンにいくことは、ナオミにとって自分の生い立ちを知ることに他ならない。

「あ、あの…、ジェラールさんは、その…えっと」
 少女は今まで感じたことのない、胸のときめきを感じていた。

「ジェラールは偽名だ。俺の本当の名は…いずれわかる」と男は言葉を濁し、思っていたことをすべてを言い切った面持ちだ。この謎めいた男には素性をすべて話せない理由があるのだろう、と瞬時に少女は理解した。
「今は急がねばならない、今すぐ私と一緒にきてほしい!」
 男は少女の手を握った。

「今すぐ?」
「自分はわけあって追われている身。窓の外に自分を追いかけているヤツの姿をみた。そうだ、君がみた同じフロックコートの男だ。事情ならおいおい説明する。とにかく今は急がねば!」
「で、でもヤドリギおじさんが――許してくれない!」
 扉越しにゴトッという物音が聞こえた。

 ジョジョは「僕じゃないよ」という目つきだ。明らかに誰かが聞き耳をたてていた? いや犯人はなんとなくわかる。きっとあの守銭奴に違いない。

――やはりだめだ、あの大人たちが許してくれるものか。

 こんな下女のような生活が嫌で逃げだしても、口ではでていけと口汚く罵られても、何度もなんども連れ戻されているではないか。運命を変えることなど、そう容易くはない。悲壮感、いや悲観という名の魔女が彼女の心を覆った。
「だから何だ?」
 ナオミの瞳の輝きから、彼女の思考を読みとったジェラールは苛立っていた。

――ナオミは音楽家に短期は損気だ、と言いたい。

 十二歳のナオミにだってそんぐらいのことは分かる。どうしても人には突破できない壁があることぐらい。わかっていても諦めざるえない現実もあるんだ。現実は理想のように甘くはない。むしろ人生というものは茨の道だ。思っているよりも遥かに険しい道のりなのだ。

「ヤドリギおじさんが――」とナオミが同じことを言おうとしたときだった。 男は興奮するブタのような鼻息を感じたらしい。素早く立ち上がり、つかつかとドアのほうへ歩いていく。身のこなしはさすがだ。

 男がドンッと勢いよくドアを開ければ、階段を慌てふためいて下りていくジジ亭の亭主の丸いでっぷりした無様なブタの背中が見えた。ナオミが財布のことをジェラールに密告しないか確認していたのだろう。
「相変わらず姑息なヤツだ」

 アイカワラズ? この男はヤドリギと知り合いなのか?

 ナオミの疑問とは裏腹にジェラール・ルレスエロは自分の会話を洗いざらい盗み聞きされたことに、明らかに不快と怒りを感じていた。いやむしろ不安を抱いていた。おそらく自分を追いかけているフロックコートの男に密告されないかどうか、そういった不安なのかもしれない。

「ナオミ・ニト、運命に挑むことを決して忘れるな。運命に挑むことを恐れれば、やがて過酷な運命のあまり、君は人を怨み生きることになる」
 ナオミはジェラールの顔をみて、驚愕した。思わずギョッとし、後退りした。

 男の髪の毛が蛇になり、顔も険しくなっていく。
 顔から膿がで、黒い刺青がうごめく。刺青と思っていたものはミミズのような生き物になり息を吹き返す。まるで伝説に謳われる蛇女のようだ。その姿はおぞましく、とてつもなく恐ろしい。男は顔に奔る激しい痛みを堪えながら「蛇女ゴルゴンの呪いだ。俺は運命を呪い、人を怨んだからこうなった」と喘ぐ。

 とても苦しそうだ。運命を呪うということは、そういうことなのかもしれない。

 蛇女ゴルゴン、伝説では黒い牡牛、黄金の羽、真鍮の爪、イノシシのような牙を持つ者とされる化け物だ。ギリシャ神話によれば顔を見たものを何でも石に変えてしまう怪物であるが、この怪物を攻略する方法は目を瞑ると同時に鏡で蛇女の顔を映し出させることで、逆に蛇女を石化させることができるとされている。そもそも彼女は自分の美貌を女神アテナに自慢したあまり、その怒りに触れて醜い姿にされたそうだ。

 ジェラールの怒りがおさまれば、刺青の蛇が肌へと変わっていく。どうやら蛇女の呪いとやらは、怒りと連動しているようだ。
「いいか、ナオミ・ニト。君の人生は君のものだ、ヤドリギのもんじゃない。君の運命は君のものだ、もちろん君の運命を拓くのもヤドリギじゃない」と呪われた男は、ナオミを睨んだ。

――じゃあ、誰が拓くの?

「君だ、ナオミ・ニト!」と男にいわれ、ナオミは目の裏が痛くなってきた。
 運命を拓くのは痛みが伴うのかもしれない。少女は運命の針がさらに七分進んだ、そんな気がした。かわりに目がゴリゴリと痛くなってきた。

――きっと脳が活性化しているんだ。

「ナオミ・ニト、運命の傍観者になるな。いつも運命の挑戦者でいろ! 運命は中立だ。その中立に傍観するか、挑戦してみるかの差で君の人生は大きく変わる」
 耳を澄ませば時計の音が微かに聞こえてきた。酔っ払いを部屋に運んで行ってから、ちょうど一時間が過ぎた。そして不思議な現象が起きていた。そう一時間前と後では少女の心は大きく変わっていた。









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