人生は夕方から楽しくなる:食堂のおばちゃんで作家 山口恵以子さん
毎日新聞 2013年07月19日 東京夕刊
◇清張賞シンデレラ「賞金は全部飲む」
東京都千代田区内のJR有楽町・新橋駅間のガード下、のれんをくぐると魚を焼いたにおいがした。壁に貼られた献立表にはこの日のメニューの「焼き魚」が。官公庁や大手企業に新聞を配達する「丸の内新聞事業協同組合」の従業員食堂。そこで5人のスタッフを束ねる食堂主任の55歳のおばちゃんが今年の松本清張賞(日本文学振興会主催)を受賞し、世の中高年に希望を与えてくれた。
6月21日の授賞式には肩を丸出しにした青地に黒の横しまのロングドレスで登場。記者会見では「賞金500万円は全額飲んでやる。酒は永遠のライバル。飲むか飲まれるか」と豪語。新人作家はいつもの白い頭巾に調理服姿に戻ると、こう話した。「その道の収入でご飯を食べることができて初めてプロといえる。私の場合、小説は身銭を切って書いてきた。だから、まだ本業はあくまで食堂のおばちゃんです」
少女の頃から空想が好き。大学在学中は漫画家を志していた。独学で描いた作品を出版社に持ち込んだが「ストーリーは面白いが絵が下手」といわれ、あえなく断念。大学卒業後に就職した宝飾会社は3年で倒産した。物語を書くことはあきらめきれず、派遣の仕事を続けながら30代は脚本家を養成する松竹シナリオ研究所に通った。
「いつか脚本の仕事がくる」と信じ、テレビの2時間ドラマの構想を書くプロットの仕事を数多くこなした。でも原稿用紙500枚ほどで4万5000円。生活を支えるため月にドラマ4本のプロットの仕事を入れ、派遣の仕事を掛け持ちした。
44歳の時、新聞の求人広告で見つけたのが食堂のパートだ。料理は好き。派遣に比べ収入は安定する。立ち止まって周りを見る心の余裕が生まれた。
「それまではプロットの依頼を断れば次の仕事はこない、と常に焦りを感じていました。仕事をくれるテレビ局のプロデューサーは同年代か年下になっていた。年齢的に脚本家の芽はないと悟りました。食堂の仕事をしていなければあきらめられなかったでしょう」
小説家を目指した。毎日午前3時半に起床。食堂の仕事が終わった後の時間と休日を利用して書いたのが受賞作「月下上海」である。