テレビなどで終活やエンディングノートが取り上げられると「そんなの必要ない」「くだらない」などと反発する人が、一定数います。
その理由は何なのか、改めて考えてみます。私に言わせれば多くは誤解や偏見に基づくものなのですが、そう感じる人が少なくないのだということは、現実として認めないわけにはいきませんからね。
「終活」「エンディングノート」といった呼び名への反発
細部にとらわれがちな日本人にありがちな傾向です。その中身がどうこう言う前に、呼び名が気に食わないので全部を否定してしまう、と。特に「終活」については「就活」のもじりだけに、若い人を中心にかなり強い反発・嫌悪感がありますね。
商業主義への反発
関連する業界やメディアが、大して流行ってもいないのに「ブーム」だなどと煽るのが気に食わない。こういう人も割といるようです。これも上の呼び名と同じで、本質や中身において意味のあることなのだとしたら、そうした表面上のことにとらわれるのはもったいないと思うんですが。
「家族に任せるから準備は必要ない」という思い
男性に多いですね。どうせ妻より自分の方が先に死ぬから、あとのことはアイツが適当にやってくれるだろう、と。家族といえど何から何まで知っているわけでもなく、せめて最小限のことを伝えておいてあげるというのが愛の証だと思うんですが。
「エゴの発露だ」という反発
これは正直、私には分からない感覚です。またたぶん、日本人に特有な感覚なのではないでしょうか。「自分」を表現したり何か意思表示することに対して、はしたないと感じるような感覚です。そうなり得る可能性はあるでしょうが、それよりも家族などが助けられる点、気持ち的に救われる点も大いにあるんですけどね。ここで述べる中では、説得の難しい、一番厄介な「生前準備をしない理由」かもしれません。
死はまだ先のことだと思っているので、実感・真実みがない
若い人はそうでしょうね。これは仕方のない面もあります。でもさすがに中年期以降で本気でこう思っている人がいたとしたら、問題なのではないでしょうか。仮にすぐ死ぬことはないとしても、病気や体力・気力の衰え、そして認知症などによって生前準備を始めようとしても「手遅れ」になることは、大いにあり得るわけですから。
死について考えるより今を生きるのが大事
これは他の項目と違い、一理あると思わせるところがあります。別の記事で改めてじっくり考えてみるつもりです。
自分の死を意識するのが怖い
表立って表明されることはまれです。でも案外、多くの人の潜在意識にあるのはこれなのではないでしょうか。上記のような理由付けはいわば「口実」で、本当はただ怖いから、ということなのかもしれません。
これまでの当ブログの記事の中では、下記の二つがこのエントリーに深く関連しています。
【アンケート】終活・エンディングノートに関する調査で、49%がエンディングノートを「書いてみたい」と回答(2012-03-01)
【教えて!goo】エンディングノートを書きたいと思いますか(2012-11-27)
生前準備を100%の人がする社会、というのは未来永劫訪れないかもしれません。でもせめて、中年以降であれば過半数の人が当然のこととして行うようにはなってほしいものです。何をやるか、どんな風にやるかは、人それぞれであるにしても。
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