「災害弱者」守る政策を 屋内遊び場整備して 政治に支援充実求める
東日本大震災、東京電力福島第一原発事故の影響が今も続く県内では、「災害弱者」とされる母子やお年寄りらが健康を守るための支援の充実を政治に求めている。
福島市が市保健福祉センター内に設けている屋内遊び場「おもちゃ広場」は連日、多くの母子連れでにぎわう。同市の主婦西山美紀さん(30)は長男の魁乙(かいと)ちゃん(3つ)が走り回り、伸び伸びと遊ぶ姿を見て自然と笑顔になった。
原発事故が起きてから1年程度は放射性物質が心配で魁乙ちゃんをほとんど屋外に出さなかった。運動する機会がなく、ストレスがたまったように映り、不安が募った。夫を残し自主避難することも考えたが、小学生の長女を含め家族4人で一緒に暮らしたいととどまった。
昨年、行政などが設けた屋内遊び場に連れて行くと、魁乙ちゃんは元気を取り戻した。運動は子どもの成長に大切だと実感した。現在、週3~4日は市内外の施設に出掛けている。乳児期の運動不足を少しでも取り戻したいと思う。「施設が近ければ、もっと遊ばせられるのに」。施設の多くは福島市中心部にある。郊外の自宅からは車で30分程度かかり、子連れでは大変だ。「空間放射線量がすぐに元通りにならないのなら、地域ごとに子どもが思い切り走れる施設を整備してほしい」
参院選では各党が県版の公約などで放射線の影響に不安を抱える母子の支援や、子育てしやすい環境づくりを打ち出している。西山さんは政治の力に期待し、子どもの健やかな成長につながる政策を実践してくれる候補者を選びたいと考えている。
■避難生活で体力衰え
「避難生活の大変さを政治家はどれほど理解しているのか」。郡山市の仮設住宅に夫と避難している富岡町の橋本成子さん(81)は、各党が公約に震災復興を掲げながら、避難者支援の具体策が見えないと感じている。
原発事故前は、農業をしていた夫を手伝う毎日だった。庭の草むしりも日課で、いつも体を動かしていた。現在はほとんどの時間を自室で過ごす。仮設住宅の集会所で開かれた体操教室に参加した際、以前はできた片脚立ちができなくなり、体の衰えを実感した。避難時に痛めた腰もなかなか治らない。
避難後、町の保健師が自室を訪れた時は悩みを相談することで安心できた。しかし、訪問はいまだに一度だけだ。「もっと頻繁に来てもらえれば心強いのだが」と残念がる。
町は全町民対象に健康相談の戸別訪問を続けているが、最近ようやく一巡目が終わったばかり。震災後、保健師を4人から7人に増やし、看護師も1人確保したが、健康福祉課の安倍敬子健康づくり係長(50)は「今の人員で同じ世帯に何度も行くのは厳しい」と実情を説明する。
「町単独で無理だと言うのなら、政治力を発揮して国から派遣したり、町に財政支援したりすることもできるのでは」。橋本さんは、実態に即した支援の実現を望んでいる。
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