「○○屋は○○だけやってろ」という危険思想

スタジオ・ジブリ – 小冊子『熱風』7月号 憲法改正特集 緊急PDF配信のお知らせ(リンク先原文は必読)
痛いニュース(ノ∀`) : 宮崎駿監督 「慰安婦問題、謝罪賠償すべき」「領土は他国と半分にして解決」「国防軍はやめろ攻められた方がマシ」 – ライブドアブログ
 「うわぁ こんな人だったんだ・・・ 」「こういう人だとは思わなかった」「晩節を汚すなよ」等々の反応に対しては、昔から首尾一貫してこんな人じゃねーか今更何言ってんだとしか言いようがないのだが、まあ誰もが宮崎駿の政治的主張に通暁しているわけでもないので、致し方ない部分はある。
 むしろ問題視したいのは、「アニメ屋はアニメだけ作っとれや」「おとなしくアニメだけ作っとけよ そんなんだから継承者ができないんだよ」「あんたはアニメ作っていればよし。泥臭い政治に足を入れるな。」「大人しくアニメだけ作っておればええのに… 勘違いしとったら承知せんぞ!」「いやそんなことどうでも良いから、もっとマシな映画を作れよ。自分の足下も覚束ない人間がなにペラい天下国家語ってるんだ?」「たかが子供相手のアニメ作家ごときが政治に口出すことほどくだらないことはない。いい年こいてそんなこともわからんとは。だまって自分の仕事をこなせよクソオヤジ。」「映画だけ作っとけ」「ただのアニメの監督でいればよかったのに、なんでこういうことを言うのかね。ジブリ作品見る気なくなったわ。」という類の反応である(後半ははてなブックマークより)。これ、書きこんだ人が政治家でない限りブーメランとなって跳ね返ってくることに気づいているのだろうか? 彼らがSEや八百屋だったとして、政治的発言に対して「SEはシステムだけ作っとれや」「八百屋はおとなしく野菜だけ売っとけよ」と言われたらどうするのだろう。最終的に、政治の話をする資格があるのは政治家だけということになる。言うまでもなく前近代的・反民主主義的な考え方だ。
 大雑把な物言いだが、市民革命とはそういう体制を打破するためのものだったはずである。そうしてもたらされたのが、アニメ屋でも、SEでも八百屋でも政治家でも政治的主張を行える現在の世の中だ。もちろん、その道のプロが尊重されるべき分野はいくらでもあるのだが(歴史学とか――この手の人々は逆に軽視しそうだが)、少なくとも本邦においては、20歳以上の誰もが政治の担い手。まさに明日は、アニメ屋がアニメだけ作らず、SEがシステムだけ作らず、八百屋が野菜だけ売らずに政治参加する日である。我々は決して、どこかのヒゲに全権委任したわけでも、党の指導に従っているわけでもない。してみると、こういう反応を返す人々は第三帝国やソ連、中共のほうが生きやすいのだろうか?
 まあ、ぼくの経験上、この手の物言いは「お前は気に食わない、黙れ」の言い換えでしかない。それもまたひとつの意見だろうが、この言い方はあまりに筋が悪い。自分自身も何も言えなくしてしまう諸刃の剣だ。

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