松井孝治
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【2012年8月12日 読売新聞朝刊掲載】



語る 民主党参院議員 松井孝治氏


民主 政治主導言う資格ない






鳩山政権がきちんと続いていたら、民主党はこんなことになっていなかったと僕は信じています。どうしても悔いが残るのは、普天間問題の収束について、自分が何の貢献もできなかったことです。


 3年前に政権交代を果たした民主党の最初のつまずきは、鳩山内閣がわずか1年足らずで退陣したことだ。特に米軍普天間飛行場移設問題では、鳩山首相がオバマ米大統領に「トラスト・ミー」と言いながら、「最低でも県外」などと軽率な発言を繰り返し、日米関係を極度に悪化させた。内閣官房副長官だった松井氏は鳩山氏の「スピーチライター」を務めるなど、鳩山官邸の中心的存在の一人だった。


■普天間迷走 悔い残る短命政権


普天間問題で最後まで鳩山さんと相談していたのは、平野(博文)官房長官ら一握りのスタッフだけで、内政担当の私はもちろん、外交担当の松野(頼久官房副長官)さんすら、実質的に中身の相談を受けていなかった。外務省や防衛省の役人も完全に退けられてお手上げの状態だったと聞いています。誰がほかの人たちを遮断したのか、という話は勘弁してください。
自己反省を言えば、内政外交の担当の枠を超え、泥をかぶることを含めてもっと前面に出ればよかった。
内政では、政治主導が大きなテーマでした。それを具体化する両輪となるはずだった国家戦略局と内閣人事局の創設は、政権最初の臨時国会を大幅に延長してでも実現させるべきでした。思い返せば、全部タラレバの話なんですけど。
施政方針演説など国会の演説は、わりと思い通りに書けました。中央官僚時代に村山、橋本両内閣に仕え、総理の演説が各省のエゴで作られる実情を知っていたので、鳩山内閣では各省から(個別政策を記した)「短冊」は集めず、鳩山さんと直接相談して骨格を決めました。指導者には理想を語る言葉が不可欠だし、理想を軽々と語れる鳩山さんだからこそ、ああいう演説ができた面はあります。
ただ、鳩山さんの日々の発信を現実的にサポートし、チェックする態勢が不十分で、「言葉が軽い」という批判も招きました。これは鳩山さんに限りません。政治家は、言葉で生き、言葉で滅びるのです。


■閣僚すぐ交代 実戦感覚養えない


民主党が政権を担う準備が不足していたかどうかという議論は、例えば野球のピッチャーは、ブルペンピッチングも必要だし、投げ込みも走り込みも必要だけど、やっぱり実践で投げてはじめて成長する。民主党の場合、ピッチャーがフォアボールを出したらすぐ交代、ショートがエラーしたらすぐ交代。これではいつまでたっても実践感覚を養えませんよ。
僕が改めて驚いたのは、この4月に輿石(幹事長)さんが声をかけて閣僚経験者懇談会を開いたところ、現役閣僚を除いて40人近くも対象者がいたこと。ちょっと愕然とする数字ですよね。政治主導の根源は政治の安定なのに、人事権者が1年に何人も代わる。これでは、政治主導を言う資格はありません。ベンチの人間を全部出すことが全員野球じゃない。その意識が党として足りなかったことが一番の問題ですね。

 松井氏は、来年夏の参院選に出馬せず、議員を引退する。

国会議員を引退するのは初出馬の時に「2期まで」と決めていたからで、党を見放したわけではありません。だけど、議員を辞めたら党とは一線を画し、党派を超えて、次世代のリーダーやその卵に自分の経験を伝えることで、政治や行政にかかわりを持ちたいと思っています。

(聞き手・小坂一悟)



読売新聞 朝刊 2012年08月12日
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