2007-02-03 07:32:14

遅咲きの本狂い(パート2)

テーマ:BOOKS

さて、そんな私がなぜいきなり「本の虫」になっちゃったのか?

(ちなみに、「本の虫」は英語に直訳して bookworm と言っても通じます)


いろいろきっかけはあるのだが、


・高校に入って、まあこのS高校(公立)というのは学区で一番の進学校だったと

 いうこともあり、まわりに本をいっぱい読んでいる友達というのは、何人かいたわけ。

 それで、何となくそういう友達の方が、精神的に大人びていて「かっこよく」見えた

 せいで、私も(それまでの「お笑い系」?から脱皮して)

 「知性派」にイメチェンはかろうとしたということが一つ。


・もう一つには、高校2年の時に「倫社(倫理・社会)」を習ったK先生の授業という

 のに強烈な影響を受けた、ということがある。

 (K先生は当時H大学の哲学科を出たばかりの新人教師で、受験などとはまるで

 無縁なきわめてマニアックな授業をされたのがすごく新鮮だったし、その「ちょっと

 ハスに構えて世の中を見下したような」超俗的なところが、けっこうかっこよかった

 というわけだ。


そんないきさつのせいで、

私がはじめて自分から買って読み出した本というのは、

なんと 哲学書(岩波文庫とか新潮文庫で出ている西洋の哲学書の翻訳)

の類だったのである!!


カント・ヘーゲル・デカルト・プラトン・アリストテレス・ニーチェ・キルケゴール・・・

まあ新書本程度の西洋哲学史の知識もなにもないままにこういう哲学者の

本の日本語訳を片っ端から読んだのであるから、そもそも理解などできるわけ

はない(^^;)。

(ある程度わかったのはカントの『プロレゴメナ』と、デカルトの『方法序説』と

プラトンの対話篇のいくつか、ぐらいである。

まあ、ニーチェやキルケゴールは、時々ノートに写したくなるようなかっこいい

格言のような言葉が出てくるので、なんとなくわかったような気にはなった

のだが)


まあ、理解できようができようまいが、こういう「他の人が読んでいない本

(読もうともしないような本)」を読んでいると、それだけでなんか優越感を

感じるというか、ちょっぴり自分が「精神的な貴族」になったような気がした、

というのが実際のところだ。


哲学書の次によく読んだのは、同じように岩波文庫や新潮文庫で出ていた

ヨーロッパの古典小説。

最初に読んだのはカミュだったと思うが、フローベール、サルトル、ゲーテ、

ヘッセ、モーパッサンなどなど、別に特に何の傾向もなく、あたりかまわず

に読んだ(長すぎるからか、ドストエフスキーやトルストイのようなロシアもの

を読んだのは大学に入ってからのことだったが)。


まあ、そんなわけで、最初に本なるものを読み出してからものの一年も

しないうちに自分の意識の上では、いっぱしの哲学青年・文学青年

を気取っていたのである。



時刻表と競馬新聞ばかり読んでいた私が、いきなり西洋の古典哲学書や

文学書を読み出したのだから、親も最初は「シメシメ」と思ったに違いない。

(少なくとも、「本を買いに行く」と言えば、なにも言わずにおこづかいを

もらえた)


しかし、かのようなマニアックな少年が、その「執着対象」を変えたからと

言って、まともな人間に少しは近づいた(?)、などと考えたのだとしたら、

それは甘かった、といえる。


たとえば、高校3年生の時の母との対話はおおむねこんなふうであった。


母 「本ばっかり読んでんと、勉強しいや。大学行けへんで。」

私 「・・・・・・・・・・・(無視)」

母 「何読んでんねん?」

私 「もう~ウルサイなあ。。。これやがな!(題を見せる)」

母 「えっ、『死に至る病』??  ガンの本か?」

私 「もう・・・・これはキルケゴールやで! ガンのわけないやろ!

   絶望やがな、絶望!!

母 「・・・・・・・??  絶望して自殺する話か?」

私 「もう~~~~~~~・・・・

   それやから母さんはあかんねん。

   そういう、言葉の表面的な意味しかとられへんような人を

   絶望的 って言うんやがな」

母 「・・・・・・・・・・・・・・・・なんや、サッパリわからん(ブツブツ)・・・」


というような高校生になってしまったわけである。



もっぱら哲学書や文学書に熱中するようになってからは、将来の

進路についてのイメージも変わってきた。

最初は(数学が一番好きで得意だということもあって)理学部志望で、

素粒子論などの理論物理か宇宙物理の方に行きたいなと思っていた

のだが、3年になって志望変更。

別に理科系か文科系かは問題ではなかったが、やはり直接人間

(の精神)に関わる学問がしてみたくなったのである。


それで、医学部に行って精神科医になるか、文学部に行って哲学者に

なるか迷ったが、前者は二つ大きな問題があり、結局後者になった。

(一つは、近隣にここなら行ってもいいなと自分が思える大学で、かつ

私に現役で入れそうな医学部がなかったということ、もう一つはいくら

精神科志望でも解剖とかをやらないといけないし、他の科の実習も

しなければならないと聞いたので、それがイヤだったのである・・・)


前に書いたように、高校に入って「音楽」にも目覚めたので、

音楽の道に進むことも、まったく考えないわけではなかったが、

「他の道に進んでも音楽は趣味で続けることができる。音楽を仕事に

してしまうと、他のことを勉強するのはむずかしい」と思ったので、

それはヤメにした。


音楽を専門にしつつ、他のことにも深い造詣をもっておられる人が

少なくないということは知っているものの、

自分の場合には少なくとも、これが正解だった と思っている。

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コメント

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1 ■♪音楽♪

早く音楽に目覚める辺りのストーリーに移行しないっかなあ、、、、読みたいです。

2 ■懐かしい

 私は、公民の授業でカントとフィヒテの弁証法の話をずっと聞いてました。英語なんて、1年中で起きていた時間のほうが少なかったくらいなのに、哲学の話は寝ずに聞いていたもんなあ。
 おかげで、ニーチェなんぞ、何冊も読む羽目になった。
 今でも、数年に1冊くらいのスローペースですが、哲学やら精神やらの本を読むのは、K先生の影響だと思っています。

3 ■pipiさんへ

コメントありがとうございます。

音楽の話をすると、またこれがヘンテコな初期
人生を語らないといけなくなるわけで(笑)。

でも、ご要望にお答えして近いうちに書いてみます。
いくつか予定している題が残っているので、もうちょっと先になりますが、待っててくださいね~♪

4 ■おおー、懐かしいなあ

>山北君へ

元同級生もこのブログを読んでるの、忘れてた(笑)。
3年の時は君と一緒のクラスだったから、K先生の公民は私も受けてますよ(だから私は2年続けて彼に習ったわけだ)。
英語(N先生)の授業で君が一番前の席でグーグー寝てたのはよく覚えてる。でも、N先生のリーダーは、どちらかが朝の1時間目にあったので、そもそもぼくは4分の1ぐらいはさぼって出ていかなかったんだけどね(笑)。

5 ■音楽か学問か

私も大学時代にオケにはまって人生を誤りかけたので思うのですが、指揮者のI氏が言っていたように

「音楽は最高の趣味、最低の職業」

というのは自分にはある程度あたっているような気がして、やはり趣味でおいておいてよかったなぁ、と思う今日この頃です。

それにしてもuvaさんは、広がりのある豊かな人生で素晴らしいですね!

6 ■Re:音楽か学問か

少し前に亡くなった指揮者のA氏のように、
音楽の方に行った人もいらっしゃいますよね。

私の場合、音楽ははっきり言って「人の縁」に
恵まれなかったと思います。「プロになるには」
という意味ですが(音楽を専門としてやっていく
には一番重要な時期と思える10代前半に音楽
に興味持てなかったということです)。
それに比べて学問の方は、ほんとうに不思議な
ぐらいいろんな人が次から次へと道を開いて
くれた、という感じです。

7 ■人の縁

私も確かに10代前半にいい先生とめぐり合わず(というかむしろ悪い先生にあたってしまい、あっという間に楽器を弾かなくなった時期があり)、中断してしまったのが響きました。

研究のほうは、本来アカデミックに帰ってこれる経歴ではなかったのですが、会社の研究所でのいくつかの素晴らしい出会いがあって、また研究を生業にできるようになりました。こういうことってあるんですね・・・。

8 ■Re:人の縁

ああ、やはり「縁」というのはある種自分の「運命」ですよね。自分で引き寄せるわけではなくて引き寄せられてしまうわけで。

私の場合、10代前半で音楽に興味持てなかったのは、よい先生に巡り会わなかったこともありますが、(いやな言い方をすると)両親や小学校の教師などの「大人」が私の音楽の才能を使って、私が「好きでない」ことをやらせたということが大きいです。それで、音楽をすることは喜びどころか、苦痛になったのです。レベルは違いますが、ちょっと「のだめ」に似ています(なので、あののだめのトラウマについては、他人事と思えませんでした・・・)このことは、今まで誰にも話したことがなく、書き出すとたまらなくつらいので、これ以上のことはたぶん(近いうちに書くであろう)「音楽との出会い」篇でも書けないと思いますが。

9 ■のだめ

実は私も「のだめ」が佐賀の先生にぶん殴られるシーン、他人事ではなかったです。殴られこそしなかったですが、オールドミスのファナティックな先生に散々言葉でいびられました。辞めるきっかけになったのは、母がその攻撃に耐え切れず父が付き添いになった日にあからさまに相手の態度が軟化したことで、それを見て相手の人格を見切って(率直にいえば9歳の子供でありながら、相手であるオトナを心底軽蔑して)、それで辞めました。

実は大学オケでも腕は最高・性格は最悪という同期と人間と折り合いが悪く演奏会も出たり出なかったりの不良団員だったのです。自分としては美しいものの具象である音楽に向かい合うときに、なんでこうも人間の醜さに直面しないといけないのか、というやるせなさがありました(今もあります)。

なんかまとまらない話ですみません。

10 ■いろいろありますよね

私は宗教的信仰をもたない宗教学者ですが、音楽は何かしら「神」のようなものを直接に感じさせてくれます。
でも、その世界に参入するための手法を学んだり、社会の中で何らかの活動をしようと思えば、一方でほんとに人間のドロドロした世界というのも引き受けなければいけないわけで、難しいところですよね。。。
ただ、一旦中断したり、コースからはずれることはあっても、やはり音楽がほんとうに好きな人というのは、音楽から逃れられないで、いつか音楽に帰ってくることが多いように思います。

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