遅咲きの本狂い(パート1)
テーマ:BOOKS私はいっぱい本を持っている。
引っ越しとかの時には一苦労だ。
今回、アメリカに来るときも
仕事関係の本だけで、厳選に厳選を重ねても段ボール12箱、
送料は30万近くかかった。
(大学の校費を使わせていただいたので助かったが・・・)
まあ、人によるだろうが、一般に
私のような人文・社会科学系の研究者は本をたくさん持っている人が多い。
もちろん専門書など研究に直接必要な本も多いが、基本的に人間や社会のこと
(特に現代のこと)を研究しようと思ったら、専門分野以外の雑多な本もけっこう読んで
いないと、いろんな意味で幅が狭くなる。
出身は文学部。
大学生のころから、部屋には本があふれ、電車の中であろうが喫茶店であろうが、
トイレの中であろうが、他人としゃべっていない時のほとんどは本を読んでいた、
といっても言い過ぎではない。
そういうわけだから、
学生時代、家庭教師のアルバイト先の小中学生のお母さんなどからはよく、
「センセイって、小さいころから本がお好きだったんでしょうねえ」
とか、
「うちの子は全然本を読まなくて困ってるんですよ。
なにか本が好きになる秘訣ってないんでしょうか?」
と言われたのを思い出す。
(ちなみに、まだテレビゲームなどない時代のことである。いくら本を読まない
子どもといっても、漫画ぐらいは読んでいたのであろう)
しかし、実は、こう言われても(まじめに答えようとすればするほど)
私には 返す言葉がない のである。
そもそも、
私が本を読み出した(本に目覚めた)のはずいぶん遅くて、
高校2年生になってからである。
それまでは(学校の読書感想文のために強制的に読まされる本とか以外は)
ほとんど本など読んだことがなかったのだ!
実は、漫画もまったく読んだことがない。
TVのアニメはある程度観ているが、漫画は朝日新聞に連載されていた
4コマ漫画「フジ三太郎」以外は、ほとんどゼロに近い。
で、何も読んでいなかったのか、というとそうではなく、
子どものころから熱心に読んでいた活字出版物が二つある。
時刻表 と 競馬新聞 である。
私は4~5歳ぐらいから電車が大好きだったので、「鉄道少年」になるのは
まあ時間の問題だった。鉄道少年もいろんなタイプがあり、「模型」にはしる
少年もいれば、「図鑑」にはしる少年もいれば、「写真」や「旅行」の方にいく
場合もあるのだが、私の場合は「時刻表」オンリーだった。
あまりに時刻表ばっかり読んでいるので、「そんな細かい字ばかり読んで
ると目が悪くなる」と親に時刻表を取り上げられたこともしばしばだったが、
その度ごとに粘り強く交渉(?)して、「日に1時間しか読まないから」などと
約束して返してもらった。(そんな約束は一週間もしないうちに破られたこと
はいうまでもない)
で、それと平行して、一時期「天文図鑑」にはまり、「天文少年」になりかけ
た(小学校3年ぐらいの時)のであるが、これは長続きしなかった。
その1年後、時刻表を読む時間がグンと減るぐらい面白いもの、
つまり、「競馬新聞」に出会ったからである。
競馬との出会いを書き出すと、本1冊ぐらい書けそうなのであるが(^^;)、
私に競馬新聞の読み方の手ほどきをしてくれたのは、当時いつも一緒に
遊んでいた友人のT君のお父さんである。
(小学校4年の子どもにわざわざ競馬新聞のことなど教える大人はいない
だろうから、どうせ私が、向こうがが根負けするぐらいしつこくせがんだに
違いない)
で、これがなんともいえず 面白い!!
競馬のレースそのもの(TVの中継)ももちろん面白いのであるが、
そんなのは土日にしかやっていない。(今みたいにビデオなどはない)
しかし、競馬新聞は捨てさえしなければ昔のものも見られるし、
いつだって読めるのである!
最初、T君の家でしか競馬新聞を読んでいなかったので、
うちの親は、息子が競馬新聞にはまっている、などということは
知らなかったようであるが、ちょうどそのころ、私の父が競馬を
始め、家にも競馬新聞が存在するようになった。
それで、父親の買ってきた競馬新聞を熱心に読み出したところ、
彼に「そんなもんはお前の読むもんと違う」と取り上げられた。
しかし、すぐに私の持っている競馬の知識が自分よりもすでに上
であるということが父にもわかったようで、それからはいっしょに
TVで競馬を見たり、予想をするようになった。
(今から考えれば、エライ父親だったと思う)
自宅は大阪の京阪沿線にあったので、淀にある京都競馬場にも
連れて行ってもらい、はじめて生で見る競走馬の美しさに心底
感動した。
もう、それからは競馬少年一筋である。
えっ、ピアノは? という声がどこからか聞こえてきそうだが、
ピアノはたしかに習っていたのだが、仕方なく教室に行っていた
というぐらいで、この時はまだ「音楽」に目覚めてはいなかった。
(目覚めたのは、これも高校生になってからである)
というわけで、
高校2年生になるまで、私は「本」という世界にはまるで無縁な、
とは言え奇妙な「活字文書」をこよなく愛するという、
ヘンテコな趣味人生(?)を送っていたのであった。
ここまででずいぶん長くなったので、この続きは明日。
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1 ■競馬新聞
って記者の予想欄ではなく、出走場の前走までの成績や追い切りの欄ですよね?小学生の頃から熟読ってすごいですねー。
私は一時期やっていなかったら馬の名前が全然分からなくなってしまい、最近は気が向いたときにG1レースを買う位だったので、安いという理由で競馬新聞ではなく東スポを愛用してました。お恥ずかしい限りです(///∇//)