原発の新規制基準は、こう言い換えもできる。正しく運用すれば、物理的にも経済的にも、原発維持は難しくなる、と。日本に廃炉の時代が訪れる。
新しい規制基準は、福島第一原発の重い教訓の上に立つ。
柱は二本。電力会社に過酷事故への対策を義務付けたこと、地震や津波に対する多重の備えを求めたことである。
3・11以前、原発の過酷事故対策は、法律上の義務ではなく、電力会社の自主的な努力に任されてきた。
◆免震棟がなかったら…
なぜか。この国では過酷事故など起きず、従って、義務など必要ない−。全国五十基の原発は、まさに“原子力ムラ”という神話の世界で増え続けていた。
新基準は、フィルター付きベントの設置を義務付けた。放射能を取り除くフィルターが付いた排気設備だ。福島の事故では、排気装置はあってもフィルターがなかったために実行がためらわれ、結局は大量の放射能を大気中に拡散させてしまった。
有事の司令塔になる緊急時対策所の設置も初めて盛り込んだ。
二〇〇七年の新潟県中越沖地震の際、東京電力柏崎刈羽原発では、原発建屋内にあった緊急時対策所の扉が地震の衝撃で開かなくなり、肝心なときに使えなかった。
その経験から福島にも免震重要棟を整備した。東日本大震災のわずか八カ月前のことだった。
このほか、停電に備える電源車や移動式ポンプ車の配備、燃えにくい電気ケーブルを採用することなどが必要になった。
運用面では、活断層の影響を重視する。重要施設の真下に活断層がある場合、運転を認めないという方針を明確にした。
安倍晋三首相は「日本の原発は世界一安全です」と胸を張り、原発を世界に売り歩く。
◆安全最優先という魂を
ところが、例えばフィンランドの場合、一九九〇年代の初めにはもう、フィルター付きベントが整備されていた。チェルノブイリ事故から三年ほど後のことだった。
規制機関の放射線・原子力安全センター(STUK)は半世紀以上の歴史があり、国民から警察以上に信頼されているという。
世界一安全というよりは、これでようやく世界水準に並ぶことができたと考えるべきだろう。
だが、厳正な規制ほど不合格は出るものだ。正しく適用すれば、増設の坂を上り詰めた原発が、減少へ向かうということもできる。
しかも、原子力規制委員会の田中俊一委員長が言うように、まだメニューがそろっただけだ。
基準が直ちに安全を保証するわけではない。大切なのは、その基準にどのような魂を入れるかだ。
電力会社が審査の効率化、迅速化を強く要求するのは、ある意味当然だ。しかし、そこで安全文化、安全最優先を貫く意思があってこそ、新基準の魂となるはずだ。
新基準がもたらすものを挙げれば、以下のようになる。
・過酷事故対策にしろ、津波や地震への備えにしろ、膨大な費用がかかる。
・事故の補償は事業者だけで負いきれるものではない。
・安全最優先に徹すれば、政府の支援がない限り、経済的にも自然に淘汰(とうた)されていく。
・不経済な原発から持続可能な再生可能エネルギーへと、日本は切り替えるべき岐路に立つ。
安倍内閣は「規制基準に適合すると認められた原発の再稼働」を成長戦略に明記した。しかし、共同通信が五月半ばに実施した世論調査では、安全が確認された原発を再稼働することに「反対」と答えた人が54%を占めている。
規制委の判断は、もちろん科学に基づくべきだ。だが、再稼働の是非は、国民や地元の意見に十分耳を傾けながら進めるべきである。各地域にはそれぞれの事情がある。原発に代わる経済対策がないままに再稼働へ進むとすれば、住民の不安は募るばかりだろう。
放射能の被害は広く拡散するが、自治体には十分な退避計画もできていない。できるかどうかも分からない。
日本のエネルギー政策に最も必要なのは、未来の安全と安心だ。
◆次は再生可能エネルギー
安全と安心の砦(とりで)としての信頼を勝ち取るには、関西電力大飯原発3、4号機のように、電力需要に配慮して、新基準に適合しない恐れがある原発の再稼働を認めるような例外を重ねるべきではない。
新しい基準の施行を、神話時代から廃炉時代への転換点にすべきである。
その先には再生可能エネルギーの普及、そして進化という新しいゴールが待っている。
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