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【芸能・社会】俳優、ファンら千人が見送り 三国さんお別れの会2013年7月20日 紙面から 4月14日に急性呼吸不全により90歳で死去した俳優三国連太郎さんのお別れの会が19日、東京・六本木のグランドハイアット東京で開かれ、西田敏行(65)ら生前親交のあった映画関係者、ファンなど約1000人が訪れた。喪主を務めた長男で俳優の佐藤浩市(52)は、三国さんの出演映画が流れる会場で「皆さまには三国連太郎を目に焼き付けて送っていただきたい」と語った。 祭壇には眼鏡をかけ、帽子をかぶり右手にたばこを持った三国さんの遺影が飾られていた。2000年に静岡県沼津市の魚市場で撮影された写真で、遺族が選んだという。 会の名称は「三國連太郎 海峡を渡る日〜お別れの会〜」。佐藤は三国さん主演映画「飢餓海峡」(1965年)を念頭に「現世から来世に向かうとき、三国自身が渡っていく海峡(のイメージ)なのかなと。ただのお別れ会では寂しいと思ってましたから」と名称に込めた思いを吐露した。祭壇は「飢餓海峡」をモチーフに、コチョウランや菊、カスミソウなど計5000本で荒波の海が表現された。また佐藤の発案で、参列者が白のカーネーションを献花する間、三国さんの出演映画を上映した。 また隣の会場では、三国さんが出演した映画183作品の中からデビュー作「善魔」(51年)など26作品のカットと、三国さんの書など11点が展示され、献花を終えた人たちが見入っていた。 佐藤は「こういう演出をしゃらくせーと思うのか、はにかんで向こうに行くのか分からない」としながらも「役者らしい送り方ができたと思う」と満足そうに振り返った。 さらに「あの人が僕に残してくれたものが大きい。いま僕がスクリーンに出させていただけているのは、三国連太郎という人がいたからこそ。父親として受け止める人生より数倍濃厚なものを残してくれた。伝承という言葉は嫌だけど守っていきたい」と感謝した。 三国さんは生前散骨してほしいとの意向を持っていたというが、基本的には納骨にするという。佐藤は、三国さんの印象的な言葉や表情を問われると「ないなぁ。その方が“らしい”でしょう」と笑った。 ◆西田「まねできない一本道」映画「釣りバカ日誌」シリーズで22年コンビを組んだ西田は遺影を前に「お別れを申し上げる現実が信じられない。映画のワンシーンであれば」と“相棒”を失った無念を語った。三国さんは「なれ合うから」との理由で撮影以外での付き合いをしなかったという。それでも西田は“三国連太郎”を貫いた生き様に感銘を受け「あなたが歩んだ役者道は誰一人まねできない、あなただけの一本道です」とたたえた。同シリーズで共演した女優浅田美代子(57)は「怖いイメージがあったけど、現場に自分の犬を連れてきたり、お孫さんへの笑顔を見ていると、ただのおじいちゃんだった」と人柄を語った。 PR情報
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