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先日、ネット上で話題となった、安倍首相の「左翼と右翼を間違えちゃった」騒動。
ご存じない方に説明すると、先月9日、安倍首相が渋谷で演説を行った際、Facebookに「渋谷には本当に沢山の皆さんが集まって頂き感激しました。聴衆の中に左翼の人達が入って来ていて、マイクと太鼓で憎しみ込めて(笑)がなって一生懸命演説妨害してましたが、かえってみんなファイトが湧いて盛り上がりました。ありがとう」と投稿。
いかにも左翼嫌いの安倍首相らしく、「彼らは恥ずかしい大人の代表」とまで続けた。が、しかし、実はこのとき“がなって”いた人たちは、左翼ではなく、こともあろうかTPPに反対する“右翼”だと当のデモ隊がコメントした、……というのが騒動のあらましだ。
安倍首相は「TPP反対=左翼」だと思い込んでいたのかもしれないが、実際はTPPに反対している右翼も数多い。権力に反対する人が左翼、とは限らないのだ。では、右翼と左翼の違いとは一体何なのだろうか。元は右翼団体に所属し“ミニスカ右翼”として脚光を浴び、いまは若者の貧困問題に取り組むなど“左翼”寄りに見える活動を行っている雨宮処凛の著書『右翼と左翼はどうちがう?』(河出書房新社)から紐解いてみよう。
まず、雨宮は“イメージ”として、右翼は「日本の伝統を守り、国を愛する体育会系の人たち」、左翼は「権力が嫌いで、自由と平等を唱えるインテリ」と書いている。具体的には、両者を大きく分けるのは「天皇制に対する意見」。天皇を中心にした日本を大切に思うのが右翼で、平等主義の考えから天皇制そのものに反対するのが左翼としている。さらに、過去の戦争についても「右翼は被害者的、左翼は加害者的な見かた」で、憲法第9条に対しても、憲法を改正して軍隊を持とうと主張するのが右翼で、反戦平和を訴えるのが左翼……と分けている。
だが、右翼と左翼はそんなにきっぱりと境界線を引けることばかりではない。金沢大学教授の仲正昌樹は、『ポストモダンの正義論「右翼/左翼」の衰退とこれから』のなかで、“左”と“右”の「基本的なロール・プレイが少し崩れている」と指摘している。顕著なのは、近年日本でも大きな関心事となっている格差問題だ。たとえば、「大資本や国家権力、あるいはそのバックにいるアメリカなどの“悪しき思惑”」を非難し、犠牲となっている弱者のために闘うのが、これまでの左翼の役回りだった。だが、『ゴーマニズム宣言』(幻冬舎)の小林よしのりや『国家の品格』(新潮社)の藤原正彦といった“右”側の論客たちは、格差の背後にアメリカ主導の新自由主義があること、それが「日本国民の文化的アイデンティティを侵食し、愛国心の基盤を奪っている」として批判を展開。左翼とは考え方は違うものの、敵を“アメリカ流の資本主義”と捉えている意味では一致しているのだ。これはTPPの問題も同様だし、原発についても同じことがいえる。脱原発を謳うとネット上では「ブサヨ」と罵る「ネトウヨ」が多いが、こうした態度に対して小林よしのりは「保守派はすぐに、サヨクは“脱原発=反核”で、保守は“原発推進=核保有”だと色分けするが、思考停止している証拠だ」と非難している。
前出の『右翼と左翼は~』も、右翼・左翼と安直に分けて考えることには懐疑的である。とくに印象的なエピソードは、靖国神社をめぐって雨宮が感じた心の変化だ。右翼団体に所属していたころ、靖国神社に反対する左翼に対して「戦争で死んだ人を冒涜している」と感じていたという雨宮。しかし、左翼の人に話をじっくり聞いて、彼らが真剣に戦争で死んだ人たちのことを考えていることを知り、驚いたそうだ。そしてその姿を「愛国的」だと思ったという。
「愛国ということは、日の丸を掲げたり、君が代を歌ったり、そんなことなんかで量られるものではないと思うのだ」「右翼も左翼も、結局、めざしていることはシンプルだ。どちらもめざしているのは、誰もが幸せに生きられる社会だろう」。雨宮のこの言葉によく表れているように、“○○だから右”“ ○○だから左”とは簡単に分けられないし、安易にレッテルを貼ることで本質から外れてしまうことになってしまう。「自分に反対する者はすべて左翼」と考えてしまう安倍首相も、今回紹介した2冊を読んで勉強してみてはいかがだろうか。