<今後どのような事態に陥るのか> 明白なことがいくつかある。第一は、ロシア、インド、中国では膨大な規模の人々がHIVに感染していることだ。UNAIDSの数字を額面通りに受け入れた場合でも、この三カ国におけるHIV感染者の合計はすでに五百五十万人を超えている。米情報機関の数字を受け入れるとすれば、感染者は千二百万人に達している。第二は、これら三カ国で今後HIV感染が急速に進んでいくのは間違いなく、一般大衆の間に感染が広まっていく直前のところまできているということだ。特に、ロシアと中国の場合には、社会の広い層をHIV危機に直面させると思われる中核集団がすでに存在する。ロシアの場合、それは国内各地の刑務所を経由した感染の広がりであり、一方中国の場合、HIVに汚染された輸血が行われていること、過疎地域の貧民が流民化して移動していることが感染を広げていくと考えられる。第三に、これら三カ国の政府のなかで、効果的な公衆衛生対策をとっている国が一つもないということだ。これらの事実から判断しても、ロシア、中国、インドでのHIV・AIDS危機はまだ始まったばかりとみなすべきだろう。こうした状態がどれだけ続き、その場合の経済的・政治的帰結はどのようなものになるだろうか。
HIV・AIDSの今後を予測する上で、われわれが理解していないことは数多くある。科学者たちはHIVウイルスの遺伝子構造についてかなりの研究をしているが、公衆衛生当局は、ウイルスの社会的蔓延状況、より具体的には、人口の移動、社会的行動面での要因がいかなる帰結を伴うかについての正確な知識を持っていない。今後ユーラシアで何が起きるかを考えるには、まずサハラ砂漠以南の地域がどのような事態に陥ったかを知る必要がある。大枠で言えば、(栄養失調、他の性感染症の蔓延などの)エコロジカルなリスクと(性交渉及び感染リスクの高い特定の性交渉などの)行動面でのリスクが重なり合ったことが大きな悲劇へとつながったことを認識すべきだろう。
一方で、豊かな欧米諸国でのHIV感染が相対的に抑え込まれた理由にも目を向ける必要がある。これは(栄養状態がよく、他の性感染症が抑え込まれていたために、この地域の人々の免疫システムが相対的に高かったという)エコロジカルな優位と(麻薬の使用や売春などの危険な行動が蔓延していなかったという)行動面での特質が幸いしたからだ。公衆衛生システムが充実していたことによって、致死的なリスクを最低限に抑え込めたということだろう。
ユーラシアでのエコロジカル及び行動面でのリスクを考えると、サハラ砂漠以南の地域に比べれば、はるかにましな状態にあるが、欧米諸国に比べれば、ロシア、インド、中国でのHIVのリスクに対する防護壁は非常に低い。ユーラシアがこの二つを結ぶ線上のどこに位置するのかはっきりとしたことはわからないが、専門家の意見は憂鬱な未来像を描き出している。
中国の張文康衛生相は二〇一〇年には国内の感染者が一千万人に達する危険があると警告を発しているし、UNAIDSの事務局長であるピーター・ピオットはその数を二千万人と推定している。前者の数字は、成人人口の一・三%の感染率、後者の場合は二・五%の感染率を意味する。インドの場合、アメリカの情報機関は二〇一〇年までにHIV感染者が二千万〜二千五百万に達すると試算しており、これは三〜四%の感染率ということになる。一方ロシアの場合、この国のHIV・AIDS問題の権威、バディム・プロクロスキーによれば、二〇〇五年までにHIV感染者は五千万人に達し、この場合、感染率は六%ということになる。だが、アメリカの情報当局は二〇一〇年までにロシアでは八千万人の感染者が出ると推定しており、この場合、サハラ砂漠以南の感染率と同じ一一%ということになる。
>>全文はSubsribers'
Onlyで公開 >>2011年12月号
「ロシアの「死にゆく社会」 ― 想定外の人口減少はロシアをどう変えるか」(ニコラス・エバースタット)
Nicholas Eberstadt
アメリカン・エンタープライズ研究所の政治経済学者
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