2013-07-16
憲法学者は自民党改憲案をどう読んだか(追記あり)
自民党の「憲法改正草案」に対する批判はこれまで断片的に述べてきたが(注)、その感想を一言で表すならば、(憲法に対する無知とその復古主義思想に対する)“驚愕”の二文字に尽きる。では、憲法の専門家である憲法学者たちは自民党改憲案をどのように読み、どのように感じたのであろうか。極めて断片的ではあるが、以下に最近、私が読んだなかから憲法学者の感想を抜粋してみよう。
◆高見勝利・上智大学教授:
(自民党の96条)<改正案に接したときの衝撃はいまでも鮮明に記憶しているが、唖然としたというか「まさかそれはないだろう」という思いであった。>
――「憲法改正」『法学教室』2013年6月号
◆青井未帆・学習院大学教授:
<今、憲法を変えようとしている政治家たちの言葉は、あまりにも軽い。憲法改正を提唱しているのに、憲法(学)を真剣に考えているとは、到底思われない。
(「立憲主義」という言葉を聞いたことがないと暴露した磯崎陽輔や、憲法13条も芦部信喜も知らないことを暴露した安倍晋三を例に挙げ)<改憲に臨む態度としてあまりにも真摯さに欠ける。驚きを通り越して、すっかり悲しくなる。>
――「憲法は何のためにあるのか」『世界』2013年6月号
◆奥平康弘・東京大学名誉教授:
<自民党の憲法改正にかかわる人びとは相当に小児病的であり、現代立憲主義に余りにも無知であると思う。>
――「「自主憲法制定=全面改正」論批判」『世界』2013年3月号
<ぼくは、「草案」のなかに国旗・国歌をこんなふうに具体的な名称をつけて押し出してきているのを見て、相当にショックであった。改正論者たちがかくも強気なのだと思い知らされた。>
――『改憲の何が問題か』岩波書店、2013年
◆愛敬浩二・名古屋大学教授:
<(『世界』2013年3月号の奥平氏の発言に)同感である。この「不真面目さ」から読み取るべき事柄は、このレベルの改憲案でも党内で合意が出来てしまうという自民党の「変容=劣化」である。>
――『改憲の何が問題か』
◆小林節・慶応大学教授:
<96条改憲の本質は、権力者が自分を縛っている憲法のハードルを下げようとしている点にあります。
憲法の拘束から権力者たちが自由になろうとすることは、権力者たちが憲法を自ら管理しようとしていることを意味します。さらに言えば、自らの管理下にある憲法を国民に押し付けようとしていると言っていい。その姿勢が自民党改憲案の全体ににじみ出ています。>
<前提として無知と無教養があることは否めません。立憲主義の上で何をしてはいけないのかという境界線が見えていない。>
<改憲条件のハードルを下げる改憲をした国は、国会図書館の調査能力をもっても見当たりません。>
<国民が権力者を縛るためのものだという憲法への観点が欠落しているため、たとえば「家族は、互いに助け合わなければならない」という条文が第24条に加えられています。道徳は法に盛り込まないという大原則を踏み外すもので、書いた人の法的素養を疑わせます。>
<そもそも、国民を憲法で躾けようとする発想がおかしい。こういう世襲貴族の目線だから、国民を縛る道徳を憲法に盛り込んだうえで、「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」などと規定する(第102条)。これは憲法を知らない人が書いた改憲案だと言うしかない。>
――水島朝穂×小林節「権力者の改憲論を警戒せよ」『世界』2013年7月号
◆水島朝穂・早稲田大学教授:
<最近の権力者は自己抑制しなければいけないという自覚にあまりに欠けています。
自己抑制の自覚以前の問題として、彼らが本当に何もわかっていない点こそ警戒しなければいけないでしょう。安倍首相がその典型です。彼らが憲法の意味を理解したうえで、意図的に専制政治やファシズムを作り出そうとしているのであれば、民主主義を壊す者として可視化することは容易です。権力者の自己抑制と言うことが概念としてだけでも認識されていれば、96条の先行改憲などは言い出すとしても多少は恥じらいを伴うはずのものですが、安倍首相にはその認識が一切ありません。権力の意味を理解できていない権力者が堂々と自分への制約を取り払うために改憲しようとしているわけで、これは危機的状況です。>
――水島朝穂×小林節「権力者の改憲論を警戒せよ」『世界』2013年7月号
<条文の設計が、既存の法律を無批判に、ときに大雑把、乱暴に転写したものになっている点も、憲法と法律の根本的な差異に無自覚な、「改正草案」の危うさを示している。それは、憲法は権力を制限する規範であるという近代の(そして近時では国際的な共通理解としての)立憲主義の大前提を無視したまま(あるいは、知らないまま!)、日本国憲法を、国民が「尊重」しなければならない規範、権力の発動要件を定めたルールへと変質させようとする、「改正草案」全体に通底する問題性とも重なってくる。
憲法の緊急事態条項に、改めて人権の「最大限の尊重」を求める規定を挿入するという「愚挙」を目にしたとき、この一事をもってしても、「改正草案」において想定されている「憲法」が単なる重要な法律に類するものに過ぎないという壮大な勘違いに気づかない人々が権力を担い、憲法を改正しようとしていることに慄然たる思いがする。>
――『改憲の何が問題か』
◆川岸令和・早稲田大学教授:
<(自民党改憲案がその前文に「日本国民は(……)基本的人権を尊重する」という表現を挿入したことについて)基本的人権を尊重すべきはまず何よりも国家権力を行使する者であることを忘れてしまっている。>(引用者注:「忘れてしまった」のか、それとも「そもそも知らない」のか?)
<結局、「改正草案」は近代的な意味の憲法が何たるかを理解せず、道徳と混交するものである。>
<そもそも「改正草案」は天賦人権説を否定しており、「改正草案」が作り出したものということになる。ということは、憲法という制度の枠の中だけで権利を取り扱えばよいという思考が強くなっても不思議ではない。>
<さらに「改正草案」が「和」の精神にわざわざ言及している点で、人権保障にとっては極めて深刻な影響をもたらしかねないと思われる。(中略)「改正草案」はここでも近代的な憲法が必然的に有する普遍的性格を十分に斟酌していない。>
<人権の主張が他人に迷惑をかけないという道徳の問題に置き換えられてしまっているのである。>
――『改憲の何が問題か』
◆奥平康弘(東大名誉教授)・愛敬浩二(名大教授)・青井未帆(学習院大教授):
<(改憲動向の)第二の特徴として挙げられるのは、安倍首相をはじめとして改憲論者の議論にみられる、改憲論議の不真面目さと、(そのような態度の知的背景であろう)近代憲法の諸原則(=立憲主義)への無理解(あるいはニヒリズム)である。現在の改憲派が目論んでいるのは、日本国憲法という一国の憲法の部分的な改定にとどまらず、その実質において、諸個人の自由・権利の保障を目的として国家権力を法的に制約するという、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言以来の人類史的なプロジェクト、すなわち、立憲主義という構想そのものへの挑戦(と、その廃棄)である。改憲派の人々が外国憲法の経験に言及するとき、憲法改正の回数のみに注目し、人権保障と民主主義の向上のための新たな取り組みに対しては相当に無関心であるのも、そのためであると私たちは考える。>
――『改憲の何が問題か』
【2013年7月19日追記】
上記引用中に現役の東大教授の感想が含まれていないことにご不満の向きもあるようなので、以下にお二人の東大教授の感想も追加します。
◆長谷部恭男・東大教授:
<改憲要件を緩和して特定時点の政治的多数派が推し進めようとする内容を憲法に盛り込んだ上で、再び改憲要件を厳格化し、それを簡単には変えられないようにすれば、特定の価値観・世界観を抱く人々だけにとって好ましい枠組みが作られるよう、日本社会の基本的な方向性が決定されてしまう。それは、立憲主義とはおよそ相容れない事態である。(中略)
同じように、憲法を憲法らしく扱わない態度は、憲法9条に関する有権解釈を議員提案の法律を制定することで変更しようという議論にもあらわれている。法律で憲法のあるべき解釈が決まるというのであれば、国会の多数派−少数派が国政選挙で変化するたびに憲法の意味内容が変化することになる。それで憲法といえるのだろうか。>
<もっとも、憲法について真面目に考えることを現在の国会議員の先生方に期待すること自体が間違っているという反論を受けるかも知れない。投票価値の較差を生み出す仕組み(一人別枠方式)を最初から組み込んでいるために、最高裁によって違憲状態にあると指摘された選挙制度を2年以上も放置する人々である。(中略)
およそ憲法をいかに変えるかを議論する以前の状況にあると言わざるを得ない。>
――北海道新聞2013年4月6日
http://www.96jo.com/reprint_hasebe.html
◆石川健治・東大教授:
<硬性憲法であることの本質は、国会に課せられたハードルの高さにこそある。(中略)ところが、現在の日本政治は、こうした当たり前の論理の筋道を追おうとはせず、いかなる立場の政治家にも要求されるはずの「政治の矩(のり)」を、踏み外そうとしている。96条を改正して、国会のハードルを通常の立法と同様の単純多数決に下げてしまおう、という議論が、時の内閣総理大臣によって公言され、政権与党や有力政党がそれを公約として参院選を戦おうとしているのである。
これは真に戦慄(せんりつ)すべき事態だといわなくてはならない。その主張の背後に見え隠れする、将来の憲法9条改正論に対して、ではない。議論の筋道を追うことを軽視する、その反知性主義に対して、である。>
――朝日新聞2013年5月3日朝刊15面 オピニオン欄
http://www.96jo.com/reprint_ishikawa.html
(注)
例えば、以下の記事を参照されたい。
立憲主義とは何か――憲法記念日に寄せて(2)
http://d.hatena.ne.jp/asobitarian/20120503/1336019767
改憲の本音を吐露した自民改憲草案前文
http://d.hatena.ne.jp/asobitarian/20130511/1368250007
普遍的価値に背を向ける自民改憲案
http://d.hatena.ne.jp/asobitarian/20130610/1370852687
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