ハードコア・グロ画像
〜パート1〜
・・・余計なことは言いません。
気分の悪くなられた方は、すぐにエスケープして下さい。
これら、いわゆる「グロ画像」を載せた理由は、ただひとつ。
「歴史的価値」があると考えたからです。
・・・お嫌になった方は、↓ここから出られます。
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では、「マジで見たい方」のみ、下にスクロールして見て下さい・・・。
(『霊障』なんかはありませんから、大丈夫ですヨ。)
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江藤新平(1834〜1874)。
「初代司法卿」として、明治新政府で
活躍し、文明開化に大きく貢献した偉人
ですが、いわゆる「征韓論」で大久保利通
らに破れ、故郷の佐賀で、「佐賀の乱」を
起こしました。
「佐賀の乱」は、明治維新によって職をなくした
江戸時代の「士族(武士)」が起こした、
日本で最初の「士族反乱」でした。
・・・征韓論(朝鮮出兵により、元武士の職を確保すべき
だ、という論議)に敗れた官僚は、他にあの「西郷隆盛」がいました。
・・・彼も、「西南戦争」により、
明治新政府に葬られました。
・・・「佐賀の乱」は、明治新政府によって鎮圧され、
江藤新平氏は、乱の「首謀者」として、見せしめのために
「獄門の刑」に処せられました。
・・・1874(明治7)年のことです。
これが、「獄門(さらし首)」の刑に
処せられた、江藤氏の首です。
(1874年。)
・・・上の写真の正面アップです。
1888年秋にロンドンの「ホワイトチャペル街」で起こった、
「切り裂きジャック事件」の最後の犠牲者となった、
「メアリー・ジェーン・ケリー」の遺体です。
ドーセット・ストリート脇の「ミラーズコート13号」という
小さな部屋での犯行でした。
・・・腹、腕、脚は大きく切り裂かれ、特に右脚は、
写真でも分かりますが、骨が出ています。
・・・顔は、元の面容が分からないほど、
あらゆる方向にメチャメチャに切り刻まれていました。
犯人の「切り裂きジャック」は、100年の時の彼方に
何の手がかりも残さぬまま消えていきました・・・。
アマゾンの大蛇、「アナコンダ」に呑みこまれた子供の遺体です。
・・・発見時、すでに頭が消化されかかっていました。
アナコンダの性質は非常に凶暴で、時には、自分よりも
大きいメガネカイマン(アマゾンのワニ)を襲うこともあります。
1981年に、フランスのパリで起きた
あの有名な「パリ人肉事件」の犯人と
して逮捕された「佐川一政」氏です。
・・・フランスでの裁判の結果、「精神異常」
と見なされ、日本に送還後、いったん精神病院に入院。
「治癒した」と判断され、無罪の身となりましました。
・・・これは、パリでの逮捕時の画像・・・。
(この事件の独白『霧の中』をはじめ、
いろいろな著書を執筆しています。)
佐川氏の犠牲者、ルネ・ハルテヴェルトさんです。
・・・佐川氏に肉体関係を迫られ、断った結果、
銃で殺害され、遺体はあちこちを切り取られて
佐川氏に少しずつ「食されて」しまいました。
・・・これが、検死時のルネさんです。
乳房、右肩、腹などがザックリ切り取られています。
・・・上の写真の全体図。
脚も、大きく切り取られています。