原告意見陳述書
原告 梅尾 朱美
私は、全盲の視覚障害者です。一度しかない人生を障害者として生きなければならないのは、不幸なことですが、そんな中で幸せがあったとすれば、それは私が「戦争をしない国」に生まれ、育ったことだと思っています。ところが、今その幸せが崩されようとしており、居ても立ってもいられない気持ちです。そうなってしまったら、私たちはどれほど多くのものを失うかしれません。一日も早く、イラクへの自衛隊派兵が中止されることを切望するものの一人として、その理由を次のとおり陳述いたします。
1 日本人の手で、他国の人に障害を負わせないために、イラクへの自衛隊派兵中止を求めます。
戦争が、新たな障害者を大量に作り出すものであることは、これまでの歴史的事実が示すとおりです。厚労省の発表でも、前の15年戦争が終わって60年近くが経とうとしているのに、昨年の4月時点での傷痍軍人の数が、6万1750人に上ることが明らかになりました。これに民間人を加えるとどれほどになるのか。その数さえ明らかではありませんが、当時、戦傷病者は800万人とも、900万人ともいわれましたので、そのうちの何割かの人が、その後の人生を障害者として送ったことは確かです。
また私は、私自身の障害も、戦争と無関係だとは思っていません。
私は、結核性髄膜炎の高熱によって、生後10カ月で失明しました。当時同居していた祖父の結核に感染したのだろうと、のちに祖母や両親から聞かされました。
私の母方の祖父は、戦争中を軍属として「満州鉄道」で働き、1947年に帰ってきましたが、その時はすでに全身が結核に侵されており、4年後に亡くなりました。47歳でした。私の発病は、その直後だったそうですが、初孫の私をこよなく愛してくれたという祖父が、私の失明を知らずに済んだことは、祖母や両親にとっても、私にとっても、せめてもの救いだったと思っています。私の失明の原因が、祖母や両親が言うように、祖父からの感染によるものだったとしても、1950年生まれの私が、戦争被害者に数えられることはありません。けれど私自身は、自分の障害が、戦争と無関係だとは思えないのです。あの時もし、障害を負うことがなければ、私の人生も、もう少し苦労が少なく、可能性の多いものだったのではないかと思うと、無念でなりません。
2 日本が戦争への道を進むことを阻むために、イラクへの自衛隊派兵中止を求めます。
多くの国民の反対をよそに、イラクへ自衛隊を派兵して半年にもならない6月17日に、小泉首相は早くも、自衛隊を多国籍軍に参加させることを、決定しました。私は、この決定に強い衝撃を受けましたが、考えてみればこれも「自衛隊派兵」という前提があったからこそのものだったのではないでしょうか。このように、今回の自衛隊派兵が、日本を戦争への道に駆り立てる大きなきっかけになるのではないかと、不安でなりません。なぜなら、戦争はいつの場合も、障害者の人権を著しく脅かすものだからです。この件について、私は二人の先輩障害者の体験を、述べたいと思います。二人ともすでに故人となり、自身で語ることができないからです。
その一人は、1925年生まれで、強度弱視の男性です。彼は15年戦争末期を、按磨鍼灸師として働きながら過ごしました。その彼が、事ある毎に周りから「戦争の役に立たない障害者は非国民だから、せめて防空壕の蓋になれ」と罵られたそうです。後年、戦争の話題が出るたびに、彼はその話をするのですが、そのとき必ずつけ加える言葉がありました。
「今、あのころを振り返って、僕が一番情けなく思うのは、当時の僕自身が『役立たず』と言われてもしかたがないと思っていたことなんだよね」
と言うのです。私の知る限り、彼はそんなプライドのない人ではありませんでし た。その彼を、それほど卑屈にさせた戦争を、私は憎みます。
そして二人目は、今年6月に亡くなった、1933年生まれで、全盲の男性です。彼は豊川で生まれ、育ちました。豊川は、ご承知のとおり空襲の激しかった所です。空襲のたびに母や兄が彼の手を引いて逃げてくれました。そんなとき彼は、いつも思ったそうです。自分が足手まといになって、母や兄が傷を負ったり、命を落とすようなことがあったらどうしようと。そう思うと、日常の些細なことでも自分の思いを主張することは、できなかったと言います。事実彼は非常に有能な人だったのに、その能力に比して自己主張が少なく、そのための苦労やストレスが多かったのではないかと思います。そう思うとき、戦争が一人の人間のうえに落とす影の大きさを、痛感せずにはいられません。
この二人をはじめ、多くの障害者がなめた戦争の辛酸を、このさき再び私や、私の仲間が味わうことになるかもしれないと思うと、本当に恐ろしいのです
3 戦争が福祉を押しつぶすことのないように、イラクへの自衛隊派兵中止を求めます。
このところ、国や地方自治体は財政難を理由に、福祉予算を削減し続けています。
具体的な事例をいくつか述べます。
一般の人に比べ医療を受けることの多い障害者のために、医療費を助成する、私たちにとっては命綱のような制度がありますが、この助成金が削減されました。
外出することが困難な障害者のために、タクシー代を助成する制度があり、私たちはこれを使って通院などをしているのですが、この助成金も削減されました。
そんな中での自衛隊派兵や、多国籍軍への参加が、私たちに新たな不安をもたらしているのです。軍事費やその関連予算が大幅に増やされ、その分だけ福祉予算が削られるのではないかと思うからです。このうえ、さらに福祉が後退したら、私たちの生活はどうなってしまうのかと、不安でなりません。
4 障害者の「幸福の追求権」を守るために、イラクへの自衛隊派兵中止を求めます。
世界各地で多くの戦争が引き起こされていますが、それらの報道に接するたびに私は胸が痛んでなりません。どの国にも障害者はいるだろうに、その人たちは戦火の中をどうやって過ごしていることかと思うからです。障害者が安心して生きていくために、平和は不可欠です。なぜなら、障害者は人の優しさや善意を信頼しなければ、一日も生きていけない存在だからです。そして、多くの人が常に優しく、いい人であり続けるためには、平和ほど必要なものはありません。自分の明日の命さえ保障されない中で、どうして人が優しくいい人でなど、いられるでしょうか。
私は、自分自身が負った障害については、あきらめることができても「安心して生きていきたい」という願いを、あきらめることはできません。
5 子どもたちを戦争の被、加害者にさせないために、イラクへの自衛隊派兵中止を求めます。
私は、私と同じく全盲の夫とともに、一人息子を育ててきました。現在19歳です。この子を戦争の被害者にも、加害者にもさせたくない。これが私の母としての何よりの願いです。かつて先人が、
徴兵は命かけても阻むべし母祖母おみな牢に満つるとも
と詠みました。詠み人知らずの歌だそうですが、今私が、最も強い共感を覚える1首です。そのうえわが子は、障害者である私たち夫婦が、心をこめて育てた子です。この子が、たとえどんなに間接的であろうとも、新たな障害者を生み出す戦争に加担させられることを、私たちは断じて拒否いたします。
裁判官におかれましては、どうか、私や私の仲間たちが、これからの人生を、安心と希望を持って生きていけるように、日本の平和が守れる判決を出していただけますよう、心を込めて訴えるものです。 前のページへ戻る
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