#37 フリーランスライター 畠山理仁さん

日本をよくする47のアイデアを聴く

投票に行かない人が4割もいる。「投票に行かない巨大なパワー」を政治に生かさないのは税金の無駄だ

#37 フリーランスライター 畠山理仁さん

アイデアマンからの提言!

政治を「まつりごと」にするために「マイナス投票制度」を導入せよ。

日本の選挙は暗い。日本の選挙は内向きだ。どうしても候補者の近くにいる一部の人たちだけが盛り上がっているような「寂しさ」が拭えない。世界の選挙を取材し始めた時、私はカルチャーショックを受けた。ロシアのようにほとんど選挙運動に出くわさない国もあれば、アメリカや台湾のように、みんなが選挙を本気で「まつり」にしているところもあった。そこでは日本よりも多くの人が選挙を楽しんでいるように見えた。日本も選挙を「まつり」にし、政治を「まつりごと」にすればいいのではないか。

カリフォルニア州では、当選者がたった一人しかいない州知事選挙に、約350人が名乗りを上げた。最終的に立候補したのは約130人だったが、それでも日本より多い。それは日本のように、国政選挙(選挙区)で300万円、比例で一人600万円というバカ高い供託金を積む必要がないからだ。世界には供託金なしで立候補できる国もある。

台湾では選挙事務所にフラリと立ち寄ったカップルが、ソファに座ってチューをしていた。各候補が抽選会つきの選挙集会を開き、冷蔵庫やスクーターをプレゼントしていた。信じられないかもしれないが本当だ。

集会の後には学校の校庭で大宴会。そこに参加する人は「料理は対立候補の方がうまい」と言いながらも見ず知らずの人たちと政治について熱い議論を戦わせていた。印象的だったのは、「誰に投票したかなんてわからないんだから、どっちのメシも食う」と言っていたことだ。

意外とみんな忘れているかもしれないが、日本の選挙は「秘密投票」である。自分が誰に投票したかなんてわからない。投票箱の前では誰もが「しがらみ」や「買収」からも自由でいられる。それが自由な選挙なのだ。

今、日本の国政選挙の投票率は60%を切っている。これは多くの有権者が投票行動に「メリットを感じていない」ことも理由の一つだろう。

「投票しても政治が変わるとは思えない」
「投票しなくても別にこのままでいい」

選挙で選ばれた政治家が決める政策は、投票に行かなかった人にも等しく影響する。それなのに政治への参加意識が希薄だ。一回の選挙に約500億円もの経費をかけているのに、これではもったいない。もっと投票率を上げるための仕組みを考えるべきではないか。

そのためにも「誰もが手軽に投票できる機会」を広く保障していくことが必要だろう。

今回の参議院議員通常選挙から、ようやくインターネットを使っての選挙運動が解禁された。それに先立ち、選挙公報は東日本大震災後の特例で各選挙管理委員会のホームページに掲載されるようになっている。ここはもう一歩進めて、政見放送も選管のホームページで視聴できるようにしてほしい。

スーパーやコンビニ、専門学校、大学などでも投票できるようにすればいい。投票所で投票後にもらえる「投票済証」に「くじ」をつけてもいい。技術革新はtotoのためではなく、民主主義のために使えばいい。

もうひとつ、私が以前からずっと残念に思っていたのは「投票に行かないパワー」が政治に生かされてこなかったことだ。今の日本の投票制度は「自分の当選させたい人に投票する」という「足し算」の論理である。

つまり、「ネガティブな思い」を積極的にすくい取る仕組みがない。あるとすれば、あからさまな選挙妨害や怪文書のバラマキ、事実に基づかない噂話の流布、ネットでの誹謗中傷などに「はけ口」が集中している。そしてその「負のパワー」は日々増幅している。この力を政治に利用しない手はない。

従来の選挙は、立候補者の中から「よりよい選択」をし、一人の候補者(もしくは政党)に投票するというものだった。二者択一であればそれもいい。しかし、政治家を目指す人たちの「意志」は絶対に尊重しなければならない。極端なことを言えば、1議席を争う選挙に1億人が立候補しても選挙は公正に行なわれなければならない。

その一方で、候補者が多数いる場合、「誰にも魅力を感じられない。誰に投票していいかわからないから投票に行かない」という声も聞く。

当たり前だ。立候補しているのは自分ではない。候補者と政策が100%一致することなど稀だ。あえて激しい言葉を使えば「自分が立候補しない限り、選挙は『よりましな地獄』の選択」でしかないのだ。

前回、前々回の参院選でも投票率は6割を切った。つまり10人に4人は投票に行っていない。これは投票に行かない有権者が悪いのではない。候補者が有権者に「往復30分の投票行動」さえも促す力がなかったからではないか。

もしそうであるならば、「投票すべき人がいない」という有権者に対する受け皿も用意すればいい。その一つの解決法として、私は「マイナス投票制度の創設」を提案する。選択肢が多すぎて選べないのであれば、「この人には任せられない」というマイナス票を投じる権利を認めればいい。つまり、「積極的な消極的選択肢」を用意するのだ。残念ながら、いまの棄権や白票にはそこまでの機能はない。

マイナス票を導入した結果、万が一、総得票数がマイナスになった候補者は「自分には何が足りなかったか」を猛省すればよい。勝利した候補者も「支持の裏にはマイナス票もこれだけあった」ということが一目瞭然になる。これまで隠れていた「批判」が、「明確な数の情報」として、表で力を持ち始めるということだ。

選挙は国民と政治家との対話の場だ。選挙をきっかけに、こんな「頭が愉快すぎるアイデア」も自由に話し合える社会になってほしいと思う。

プロフィール

はたけやまみちよし
1973年愛知県生まれ。早稲田大学第一文学部在学中の1993年から雑誌を中心に取材・執筆活動を開始。大学に4年間在学するも除籍。興味テーマは「政治家と選挙」。日本の選挙のみならず世界の選挙と幅広い候補者を取材した『日本インディーズ候補列伝』(大川豊著/扶桑社)では取材・構成を担当。『政党擬人化政党たん』『政党擬人化政党たん2』(水戸泉・にいにゃん著/リブレ出版)ではコラム・記事・監修を担当。著書に『記者会見ゲリラ戦記』(扶桑社新書)、『領土問題、私はこう考える』(集英社)などがある。