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第2章 騎士の都アッパータウン
第9話 聖家族
「ナオミ、ものすごく嫌なヤツだったよな・・・」
 テルが少年に聞こえるようにいった。すぐさま分厚い本がテルの頭を直撃した。犯人はマルコ・パパティーノだ。彼は遠くからあっかんべえをしている。なんと本当に嫌な少年のことか。

 二人と一匹のあとをついてまわる、ピックル・タナカにナオミは先ほどの件を尋ねた。
「従騎士というのは騎士候補生って意味だよ。始まりの従騎士というのは新人ルーキー)という意味だ。よく上級生がつかう言葉さ」
「ふーん。やっぱり嫌なヤツ!」
 テルの言葉に一人と一匹はそろって頷いた。

 タナカは騎士の礼儀、とりわけ騎士に任命されるまでの一連の流れをナオミたちに説明した。まず騎士になるには親方騎士(マスターナイツ)の従騎士になり、社交界の礼儀とやらを数年間みっちりと学ばねばならない。

「・・・親方騎士って?」
 ナオミは耳に飛び込んできた、新しいその単語に首をかしげた。

「アッパータウンでの君たちの後見人だ、親方とともにいろんな冒険をするのさ。騎士になるまではその親方の家に寝泊まりし、騎士の儀礼を学ぶことがブルトンの習慣だ」

 タナカの説明によると、まず騎士として認められるには従騎士、すなわち騎士候補生として、他の騎士や諸侯のもとに仕えなければならない。これは古ゲルマン人の習慣とやらで従士制度といわれるものだとか。この制度は自由民の子どもたちが名士のもとで、衣食や武器、仕事を与えられて教養と保護を受けながら、一人前の騎士に育てあげてもらうというものだ。

 親方は後継人として騎士候補生の行動に責任をもち、騎士としての儀礼などを伝授する義務がある。また騎士として認められるには領主の推薦を必要とする。それを成しえたとき初めて、二年に一度に行われる叙勲式にて、ブルターニュ歴代公爵アーサー・ブルトン自らが叙勲者の肩を聖剣で軽く叩くことによって、騎士に叙勲されるそうだ。

「その聖剣だが、複製レプリカという話もあります。迷いの森の辺境伯の戦いのおりに行方不明になったって専らの噂。まあ、本当に偽物だったらどえらい話ですが。聖剣は騎士の王である何よりの証、王冠よりも大切なものですからね」
「だけどそれが偽物だったらおもしろいよな」とテル。
「そういう者にかぎって、なぜか無惨な死にかたをしています」 
 タナカの真面目な言葉にテルはピクッと顔をひきつらせた。無惨な死にかた、暗殺や任務中による不自然な事故死だ。聖剣を偽物と疑う輩にはこういう罰があたる。

「私たち優しい親方に出会えたらいいのにね、テル」とナオミ。
「残念なことに君たちは、どの親方の従士になるかは選ぶことはできません。親方も君たちを選べなくてね。すべては先輩から後輩へと『引き継ぎ』儀式で、住みこむ地区も親方も決められてしまう。そうそう地区というのは縄張り、元領地のことです」

 タナカのおかげでブルトンの社交界に無知なナオミは、それなりの予備知識を得たことは感謝しつつも、やはりマルコ・パパティーノという少年のことが気になる。何が気になるのかといえば、あの少年の最後の言葉だ。

 カンペールの友人という言葉だ。自分たち以外にアッパータウンに学びにいく子どもたちなんていただろうか。まったく見覚えがない。いやきっと聞き間違いに違いない。今はそんなことより旅支度を楽しむべきだろう。ナオミははぐれないようにテルの服をギュッと握りしめながら、図書館の外にでた。

 次に二人がむかったのは『ヨハネス・ハウルの薬局』だ。
 薬局はみるからに腐っていた。建物も腐ることがあるのか、といかにナオミが世間知らずとはいえ、今までそんな言葉なぞ一度も聞いたことはない。だが実際に目の前の薬局は腐っていた。どのように腐っているのかといえば、腐りかけのリンゴのような賞味期限切れの建物なのだ。

 いつ倒壊してもおかしくもないし、ゴミ屋敷のように悪臭もする。店のなかに勇気を振りしぼって入ってみれば、想像していたとおりのにおいだ。

 ラクダの唾液と二週間ぐらい洗濯していない、靴下のようなにおいに二人は鼻をおさえた。だが鼻呼吸から口呼吸へと呼吸方法をかえても、それでもまったく苦にならないほど面白いものが、腐りかけの建物のなかには陳列してあった。
(ねえ、僕、なんだか腐りそうだよ・・・)
(シッ、聞こえるじゃないの、ジョジョ)
(・・・あと五分もいたら、たぶん耳から腐りだすよ、きっと)
 木の棚に置いてある小瓶には紫色の液体に漬けこんであるトカゲやイモリ、なかには人間の手みたいなものさえある。

 天井には毒消し草や乾燥薬草、干し肉や人の耳のような乾物などが糸に通してぶらさがっていた。壁からは松の木が生えていたり、見たことのない動物の剥製がたくさんあった。そのほかに人のかたちをした植物マンドレイク、しかもその近くにはからからに干物ミイラ化したドーベルマンがあった。
「うわあ。あれ、犬だよ」とジョジョ。
「きっと餌をもらえなかったのよ」
 ナオミは息苦しそうにぼやいた。
「しかも干乾びちゃっているじゃないか」

 二人の会話に割ってはいるかのように、薬剤師のヨハネス・ハウルがチッ、チッ、チッと人差し指をたてて怪しそうにやってきた。

「いいえ、お客様。これはナス科の多年草マンドレイク、どうやってできるのかといいますとモン・サン・ミッシェルの死刑囚の血や体液から生まれるのです。こいつから抽出されるアルカロイドは即効性の痺れ薬でして暗殺専用です、フフフ。
 うまく使えば貴重な薬となりまして、根を乾燥させてブドウ酒で煮詰めたり、根の外皮を潰して汁をとり、はちみつ水に混ぜれば睡眠薬、麻酔や麻薬になります。そのほかに目薬や鎮痛薬などその効果は幅広い。鎮痛薬の使用量の三倍の量にて、切開のときの全身麻酔にも使えます。また黒魔術の材料としても使われたりと万能薬なんです」

 ハウルの説明によれば、万能薬ゆえマンドレイクの採取には危険が伴うとか。この植物の表面には猛毒があり、触れればたちどころに死んでしまう。さらに引きぬくときは恐ろしい悲鳴をあげるらしい。そしてこれを聞いた者は死んでしまうか、あるいは発狂してしまうとか。

「そのため魔術師ヴィザードのあいだでは自分は耳栓をつけて、犬にこの植物を抜かせるという方法が取られたのです。もちろん犬は知らずに引き抜いたあと、死んでしまいます。ですから死んだ犬がついたマンドレイク、これは本物を意味するのです、フフフ」

 有名な話ではギリシャ神話の怪物スキュラは、魔女キケロがマンドレイクを材料に作った魔法の液体によって、美しい姿から醜い怪物になった。それゆえ魔女薬草キルカエアと呼ばれ、マンドレイクを持っていることは魔女の証拠として、所持者は処刑された。かの聖処女ジャンヌ・ダルクもマンドレイクを使用して、人民を惑わしたというのが直接の処刑理由になっているとか。

「死んじゃうって、何秒で死んじゃうの?」
 さすが好奇心旺盛なテルだ。ハウルごときゴミ臭い男に動じない。

「・・・フフフ、およそ三秒です。どうでしょう、お客様。私にそのわんちゃんを火トカゲと交換してくれませんかね? もうあれ一つだけになっちゃって、困っているところなんですよ」
 ハウルはニヤリッ、と無気味な目つきでジョジョを見つめた。

「ごめんなさい。私、イモリ大っ嫌いなの」
「フフフ。トカゲですよ、しかも珍しい襟巻き・・」
「なんなら黒ヤギでもいいですが・・・」
 ピックル・タナカは冗談も休みやすみいえ、とぼやく。

 ジョジョは「僕、アイツ嫌いだな」と呟き、ナオミもヨハネス・ハウルという人はあまり好きになれない、たぶん友だちにはなれないだろうと思った。ナオミたちはミスリル銀貨一枚分の乾燥薬草を買うと、早々とこの店から立ち去った。

 ポリー・スミスのお洒落な防具屋では色白の肌、鼻がすらっと高く、髪を女の子のように伸ばした、黒毛の男の子が大きな鏡のまえに立っていた。黒い毛虫が少年の腕や腰のまわりを動きまわっていた。

 その子はナオミと比べると、首もとには彫刻が美しい純銀の指輪のような首飾りをしており、どことなく上品な感じがして大人びていた。この少年は確か『路地裏』のカウンター席に座っていた男の子だ。

 一瞬、少年と目があえばドキッ! と胸をときめかせたことは否定できない。いやはやテルと比べれば天地雲泥の差、少年と青年の差、いやむしろハムとウィンナーの差だといえる。

 ジョジョは「テルをハムに例えるなんてハムに失礼だろ」とぼやくけれど、透きとおる男らしい声が、さらに男前を際立たせていよう。なぜか胸が痛い、どうしてだろう? まるで恋の女神に心を鷲づかみにされているかのようだ。

「制帽とブーツ、肩掛けベルトはあそこにあるから好きなデザインのものを選んでちょうだいね。シャツブラウス、ネクタイ、ハイソックスはあそこね。さてとまずは丈を測らせてもらうわ、驚かないでちょうだいね」

 レディ・ポリー・スミスはナオミとテルをそろって大きな鏡のまえに立たせると、内ポケットから黒い毛虫を取りだした。黒い毛虫はウニョウニョと身体をまげながら胸やら腰やら、三人の身体を動きまわっている。

 ナオミはもうすぐで悲鳴をあげそうになったそのとき、「もしかして君も騎士候補生かい?」と突然、例の少年がナオミに声をかけてきた。
「え、ええ。でも今年から入団するの」
 ナオミは少しづつ声を小さくしていった。

「じゃあ、君とは同期の仲ってことだな。よろしく」
 男の子の顔が幾分か和らぎ、初めて同士は自分たちの名前をお互いに交わしあった。この子とはパパティーノ兄妹とは違って、仲良くなれそうだ。

「俺はロミオ・ロートレック。皆からは『ロロ』と呼ばれている」
「僕はテル・ウォ・アボカド。ナオミの友だちだ」とテルが自分をのけ者にするなとばかりに二人の会話に割り込んできた。
「そうか。じゃあ、三人そろって聖家族なかまの握手をしよう」
 テルもこの感じのいい少年がどうやら気に入ったらしい。しばらくいろんな話をしていくうちに三人はすぐさま親友のように仲良くなった。子どもは誰とでも仲良くなる才能を秘めている。これが子どもというもので、おそらくこれこそ子どもの特権というものだろう。そもそも古今東西より、友情に人種や言語の垣根は存在しない。

 胸襟を開いていくうちに、話題はアッパータウンへと流れていく。
「ロロはどうしてアッパータウンにいくの? 私は自分探しの旅にいくの」
「俺は・・・」ロロは口ごもってその先をいおうとしない。
 人は誰しも心の闇というものを胸に抱いているものだ。
「ご、ごめん。いいたくないことだった?」
「人探しをしているんだ」
「人探し?」
「うん、俺は孤児なんだ」

 話によれば、男の子はこの町のロートレック孤児院出身だとか。約二週間前ぐらいに自分宛に一通の手紙が届いたそうだ。その手紙には自分がブルトン人であり、アッパータウン行きの手続きはすでに済ませたということが記されていた。ロロは羊皮紙の手紙を大切そうに内ポケットから取りだすと、ナオミに嬉しそうに例の手紙をみせた。

 手紙にはこう書いてあった。
「・・・ブルトンの伝統に則り、君をアッパータウンへと招待する・・・」

 さて看板には『ポリー・スミスのお洒落な防具屋』とあるが、実際のところ彼女の店は防具屋というより、ちょっとした高級ブティックといったほうが素敵かもしれない。ヨーロッパのファッションリーダーの一人、ナポレオン三世の影響はもちろんのこと、騎士といえども、昔のように全身に鎧をまとうわけではなく、現在のフランス共和国親衛隊、国家憲兵隊のような軍服が主流だ。
「さあ、終わりましたよ。お疲れさまでした」

 テルの丈を測っていた毛虫がぶるぶるとふるえ、銀色の糸をお尻からぷるぷるだして小さなまゆになった。ポリー・スミスはまゆを手に取り、ナオミたちも終わったとあって三人の名前を改めて聞くと、各々のまゆに名前を書き記していていた。何とも不思議な光景なのだが、ナオミはもう慣れっこだ。
「あと一時間もするとまゆから『服の職人虫』がでてくるのよ」
「服の職人虫?」
 ナオミとテル、ロロは声をそろえていった。

「人のかたちをした、とってもかわいらしい虫の妖精でね、お嬢ちゃんたちにそれは素晴らしい白いマントを作ってくれるのよ。白いマントをつくったあとは毛虫にもどっちゃうけど」とおばさんはいった。ともあれ出来上がったマントは後日もらいにいくことにして、三人は金のバックルつきの黒靴を買った。

 お店をでたナオミたちは、もときた道へと歩きはじめた。
 帰り道は全員なぜか無言だった。新しき友人ロロことロミオ・ロートレックは今夜、泊まる場所は『路地裏』に予約してあるとのことだ。ロロとジョジョは買い物疲れのために黙っていたが、ナオミとテルは旅立ちへの期待と不安が胸を苦しめていた。タナカはそんな彼らを後ろから、黒ヤギとともに静かに見守っていた。

 あのあたりの街角だっただろうか。

 まるでこの世の者とは思えない絶世の美女にナオミは声をかけられた。銀髪に耳元から顎、首筋にかけて美しいシャープな線がくっきりわかる。青い瞳に透きとおる肌、銀髪が優雅にたれて、どことなく聖なる品格、威厳に満ちている。本当に美しい人だ。

 ジョジョは警戒の態勢をとるが、こんな美しい人が暗殺者ヒットマン?のわけがない。

「あ、あの・・・・私になにかようですか?」
 ナオミはドギマギして女の人に尋ねた。

「・・・希望に満ちた瞳、あなたなら私が科した苦難を乗り越えれそうです。信じてみましょう、あなたを。自ら『開かずの扉』を開けたあなたの勇気を・・・」
 意味深な女の人の言葉にナオミは何も言い返せない。
「一言だけいっておきます。私は一切手加減はしません。覚えておきなさい」
 その言葉にナオミはブルッと鳥肌がたった。もしかしてこんな美しい人が・・・、この人が。

――この人が私の命を狙っている暗殺者ヒットマン?

「ナオミ! なに、ぼーっとしてんだよ。おいていっちまうぞ!」
 テルの声がナオミを現実にもどした。少年に今さっき、あそこに女の人がいたといえば、テルは「最初から誰もいなかったよ、きっと疲れてんだよ」と声を荒げた。ロロもタナカもテルの言葉に頷く。どうやら彼らのいうとおりらしい。自分が見たのは錯覚のようだ。

 きっと頭が混乱しているんだ。非現実な現実シュールを体験して――。
「ふーん、でもあの女の人、綺麗だったね」とジョジョのぼやきが少し気になるが。

 すでに路地裏は人気がなくて静まり返っている。
 そんななかエーデルは眠たいところを我慢して、自分たちの帰りをわざわざ待っていてくれた。冷めているとはいえ、食事も用意してくれていたことにナオミはつい目頭が熱くなってしまった。

「あら、あなたは・・・えっと」
「ロミオ・ロートレックです、宿泊の予約をしていた者です」
「そうだったわね。あなたたち、さっそくお友だちになったのね」
 エーデルはロミオ・ロートレックを歓迎した。
「四人とも、お疲れ様でしたわね。さあ、食事の準備ができていますよ」
 食事を食べ終わった四人は、彼女のあとについて奥部屋から二階への階段をあがっていった。彼女のランプを先頭にせまい通路をナオミたちは一列に進み、やがて小部屋にたどりついた。エーデルが部屋にはいるやいなや、暖炉の火がボッと勢いよく燃えあがった。









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