第2章 騎士の都アッパータウン
第8話 始まりの従騎士
酒場の外は人という人でにぎわっていた。
ブルトン語で『小さな海』を意味する、モルビアン湾の付け根に建設された都市ヴァンヌの歴史はこうだ。一世紀にローマ帝国支配下にあった頃、ブルトン人たちは湾に面した都市ロクマリアケールを滅ぼし、このフランス西部に壮大なる都を築いた。それが古都ヴァンヌの始まりである。そうこの地はブルトン人の国「ブルターニュ王国」発祥の地であり、白の公国ブルターニュ滅びの地にして、由緒あるブルトンの聖地といってもよい。
潮の香りににわかに漂うヴァンヌの旧市街、そこはブルトン人しかはいれない地区だ。この歴史地区には武器屋や防具屋、地図屋や紋章屋、それから錠前屋や宝石店、五百年も続いている魔女の宅急便屋や乾燥薬草の老舗などナオミがみたことも聞いたこともないお店がたくさんあった。
さらに横丁に目をやれば、不死鳥の羽根、一角獣の角などを売っている怪しげなお店や木の実の専門店がある。その店隣には「只今都合により使用不可」のかけ札がかけてある、なぜかこんなところにもある考古学者ダ・カーポの開かずの扉がナオミたちをびっくりさせる。
「あった、ここだ!」
テルは「一級星占い師ウォーレン、エルフ館」の看板をあごでさした。
蔦の葉でびっしりと覆われ、いかにもヴァンヌの歴史とともに生きてきたような古い館だ。そっと目をやれば数匹の青い小鳥たちが蔦の葉と戯れている。
ヴァンヌの古びた歴史に一歩足を踏み入れてみれば、館内はどことなく薄暗い感じがした。埃くさいといってもよく、神聖な感じがただよってくる。ナオミは妙なことにまるで規律の厳しい図書館にきているような感じがした。それもそのはず、ここはブルトン人の古代図書館なのだから。
「・・・あの、誰もいないのですか?」
ナオミの不安そうな声が館内に響いた。
天井まである大きな本棚、あそこをみても本棚、こちらをみても本棚。まるで本棚の迷路みたいだ。円卓の机には赤や黒の羊皮紙の本がどっさりと積まれている。
ここは古い物語や知識がたくさん眠っている素敵な部屋だ。この建物のなかはまるで時計が止まっているかのようだ。少女は瞳を輝かしてまわりをみてまわった。不思議なことに通路にはプラネタリウムみたいにいくつもの星座が浮かんでいた。数秒前までナオミの目の前をさそり座がゆったりと通りすぎていった。
あそこには獅子座流星群といった流れ星、さらに奥深くにはアンドロメダ星雲もみえる。この館には銀河系のあらゆるもの、青くて美しい地球、そして白くて小さな月。宇宙の聖なるものが凝縮されているようだ。もしかしてこの館には人類の究極の謎である、生命生誕の秘密が解き明かされているかもしれない。
数分後、とても神秘的な回廊の端っこに司書らしい、耳がとがったお爺さんが白いソファーに腰かけて、本をゆったり読んでいるのを二人はみかけた。本のそばには青い鳥が老人の本をめくる手伝いをしていた。老人は耳が自分たちより幾分か長い。
「・・・ほらっ、エルフだよ・・・」
ナオミの心の声をテルが小声で代弁した。
肘掛け長椅子の近くには大きな鏡があった。自分たちの姿がくっきりと映っているのがわかる。二人の存在に気づいた老人は老眼鏡をはずして「こんにちわ」とにっこり顔をあげ、二人に笑いかけた。
「これは鏡なのだよ。じゃがただの鏡ではない。この鏡はね、地上世界で最も残酷な生き物を映すことができる『魔法の鏡』。はたしてお嬢さんたちには何が見えたかね?」
「僕は『迷いの森の辺境伯』が見えました!」
大きな声でテルは自信満々でいった。少年の言葉に老人はニコッと微笑むと「なるほど、ではお嬢さんは?」とナオミにそっと視線をなげかけた。
「・・私は」とナオミは戸惑う。
やはり自分にはブルトン人としての才能がないのかもしれない。鏡には自分の姿しかみえない。場を丸くおさめるためにも、ここはテルの言葉を真似して自分も同じことをいうべきだろうか。いやだめだ、嘘はやっぱりいけない。
「あ、あの・・。その、私は自分の姿が見えました」
ナオミはガクッと肩を落とし、蚊の鳴くような小さな声で呟いた。
「なるほど、見えるものはしかたあるまい」
老人は静かに頷いた。
何ともいえない空気の悪さ、いや呼吸の悪さがナオミを苦しめる。
ここが宇宙空間を再現した間だからだけではない。理由はわかりきっているじゃないか。ナオミが自問自答から答えをようやく見つけだしたとき、ビッグバンが少女の後ろで花火のように大きくはじけた。
「ヒトの子よ、わしがいったことは間違ってはいないはずじゃ。しかし自分の姿を見たと正直にいったのは君だけじゃ、大抵ヒトは嘘をつく」
一級星占い師ウォーレンは少女の瞳をじっと見つめた。
「あの男のおかげで君の運命は変わったようじゃな、めでたい」
小説に登場するエルフと同じく、予言と魔法の種族だけあって、意味深な呟きだ。
「さて君たち、従騎士の借り教科書はまがって右の棚のところ。返却日は一年半後。素晴らしい本に出会えることを願っておる。ゲーテのファウストは必須書籍じゃよ」
ナオミはエーデルから手渡された羊皮紙、買い物目録に目をやりながら、教科書を選びにいく。それにしても何もか見透れているような老人の緑色の瞳、この老人には嘘がつけないと瞬時に少女は思った。テルは平気で嘘をついたが。
(きっと根性がまがっているんだよ)
と、ジョジョ・ダックスフンドは犬らしくぼやいた。
図書館のなかはたくさんの人で、静かながらにぎわっていた。
本だらけの館内は天井までぎっしりと本の山だ。図書館のなかに本があるのか、本のなかに図書館があるのかわからないぐらい本だらけ。皮製本の古文書から新聞紙のような薄い雑誌本などいろいろある。確かなことは一生かかっても読みきれそうにない、大量の本がここにはあるということだ。
「君たちは『始まりの従騎士』かい?」
テルの横で本を選んでいる男の子は、ナオミに話しかけてきた。男の子は無理やりナオミのなかに割り込もうとしたので、テルは彼の足をどさくさにまぎれて踏みつけた。
「イタッ!」
男の子がうめいた。
「石ころかと思った、ごめんよ」
テルは心がこもっていない声で謝った。
「今回だけは特別に許してやる。僕はアッパータウン在籍一年の従騎士だ」
いやはや男の子はなんとも人を見下したような話し方をする。
男の子の隣にいる女の子に目をやれば、彼女は男の子によく似ていて、とても意地悪そうでそばかすだらけの女の子だ。男の子の隣にいることから、少年のガールフレンドか何かだろうか。男の子はナオミの視線に気づいたようだ。
「僕はマルコ・パパティーノ、この子は妹のリサだ」
パパティーノ、ナオミはこの名前にちょこっと用心した。
なんたってこの一族は迷いの森の辺境伯と関係があるとかないとか、エンガチョにいわれたからだ。冗談半分にテルが「へえ、スパゲティみたいな変てこな名前だな」といったのがよほど気にくわなかったらしい。このいかすかない少年マルコ・パパティーノは眉毛をピクリッと動かした。
「ほう。世間知らずの田舎ブルトン、君の名は?」
「僕はテル・ウォ・アボカドだ」
テルの冷たいあしらいにパパティーノは声を張り上げた。
「ふん、ウォ・アスパラガス。姓の由来はアスパラガスの農家ってところだろう。そんな五流一族が身のほどもわきまえず、よくまあ、偉大なるパパティーノ家の名を侮辱できたもんだ。アッパータウンで後悔させてやる」
「お兄様、違いますわ。ウォ・アスパラですわ」
リサは誰もが知っている常識という感じで言った。
「ウォ・アボカドだ!」
テルは拳をギュッと固めて言った。
「これは失礼、ウォ・アボカド家。君がパパと一緒にタッグを組んで、いつも冒険のたびにパパの足を引っぱってたというエロール・ウォ・アボカドの息子ぐらい、この僕がわからないと思っているのかい?」
マルコは劣等生を相手にするかのような反応だ。いやそれよりも悪い。ゴミが犬の糞にみえるかのような目つきだ。むしろ犬の糞だ、泥と思って踏んでしまった犬の糞を、地面になすりつけるような卑下したような目だった。
「君たち絶対に驚くぜ」
アッパータウンには百階建ての家がわんさかあって、それにものすごい広いから誰かが特別いそぐ場合は、郵便局にいってすぐに箱につめてもらう。それを大砲に入れてぶっぱなせば、その人が行きたいと思うところにいけるらしい。
質屋では脳みそを質にいれておけば学歴にもよるがミスリル金貨百枚は貸してくれる。最近のブルトン人は二十四時間だけ、脳みそとプリンを入れかえるだけで生きられるから――とマルコは、こんなごたくを並べる。
「そんなたわけた話をする、君の脳みそはプリンなんだな」とテル。
マルコは犬の糞を無視して、ナオミに握手を求めてきた。
「ねえ、君の名は?」
少年の人を軽蔑する視線にナオミは頑張って無視した。ジョジョも同じように頑張って無視した。
噂というのは口と尊と書いて噂と書くのだが、今では相反して大半は悪意や恐ろしさ、嫉妬による尾ひれがついている。噂が評判どおりの〝ウワサ〟である確率は歩いている人がバナナですべって転んで死ぬ確率とどっこいどっこいだ。
「この子はナオミ・ニトだ、彼女に何かようかい?」
自己紹介をかってでたのはピックル・タナカ、ナオミの護衛だ。
「へえ、こりゃ、たまげた」
マルコは興味深く、じっとナオミを見つめた。
少年が何か言おうとしたときだった。遠くでマルコ! リサ! と彼らを叫ぶ声が聞こえてきた。
「あっ! 父さんと執事のカトニグレが僕らを呼んでいる、もういかなくちゃ! 僕たちは忙しいんだ。アホどもの相手はしていられない。だって今日はカンペールの友人と落ち合うことになっているからね」
パパティーノ兄妹は呼び声のところへ駆けていった。
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