参院選の真の焦点「憲法改正」は、光か闇か?
あなたの一票で様変わりする日本人の暮らしと価値観
改憲派と護憲派が改正阻止で共闘
今、なぜ「憲法論議」が熱いのか
「自民党の日本国憲法改正草案は、『憲法とは何か』ということが実は全くわかってない人々が好き勝手に書いた、恐ろしい代物です。これでは改正ではなく、改悪。国民に憲法改正の意義をきちんと知らせなくてはいけません」
雨のそぼ降る6月26日の夕刻、東京都千代田区の研修宿泊施設・アルカディア市ヶ谷の大会議室には、こんな喚声が響き渡った。東京3弁護士会の有志が主催する「いま、立憲主義について考える会」という憲法シンポジウムの1コマである。来る参院選の公約に憲法改正を盛り込んだ自民党の改正案に異を唱える識者が一堂に会し、憲法改正について議論を深めるという場だ。
檀上で憲法論議を交わしているのは、「改憲派」の代表的な論客である慶應義塾大学法学部の小林節教授と、「護憲派」の論客として知られる伊藤真弁護士の2人。これは、よくよく考えると少し不思議な光景である。改憲派と護憲派、本来であれば真っ向から意見が対立するはずの論者2人が、「自民党の憲法改正に立ち向かって阻止しよう」とエールを送りあっているのだから。
実は、小林教授の立場は「改憲派」と言っても「護憲的改憲派」。つまり、日本国憲法のよい部分は堅持し、一方で現状にそぐわなくなった部分は改正すべき、というスタンスである。小林教授によれば、「今回の自民党案の多くは、憲法学者の立場から見てリスクが大きい。だから改正を認めるわけにはいかない」というのである。これまでも小林教授は、数々の場で自民党が掲げる憲法改正案の課題について訴え続けてきた。護憲派の伊藤弁護士とも、「自民党案反対」というポリシーで意気投合したようだ。
シンポジウムには、他にも自民党案に異を唱える民主党の鈴木寛参議院議員(元文部科学副大臣)が遅れて参加。3人の熱い議論に相槌を打つファシリテータは、経営ストラテジストで作家の坂之上洋子氏だ。1時間30分に渡るシンポジウムには多くの聴衆が訪れ、壇上の識者が繰り広げる憲法論議に熱心に耳を傾けた。シンポジウムは、さながら大同団結による「憲法改正阻止の決起集会」といった様子だった。
国民に近いようで遠かった憲法論議が、今熱を帯びている。かねてより「日本国憲法改正」を持論として唱えてきた安倍晋三首相は、昨年末に第二次内閣を組閣後、憲法改正を声高に唱え始めた。こうしたなか、自民党が昨年4月に公表した『日本国憲法改正草案』を巡って、憲法学者や政治家から賛否両論が寄せられることとなった。
物議を醸したのは、安倍首相が憲法改正の要件を定めた第96条を先行的に改正しようと呼びかけたことだ。これは、「衆参両議員のそれぞれの総議員の3分の2以上の賛成」が必要とされている憲法改正の発議要件を、「過半数」に改めようとするものである。それに対して、「国民に憲法改正の意義が周知されないまま、先に改正のハードルだけを下げようとするのは、為政者の横暴ではないか」という批判が噴出。護憲派の憲法学者や政治学者が5月に「96条の会」を立ち上げ、日本弁護士連合会が正式に反対表明を行うなど、論議が一気に盛り上がった。
参院選で大勝して「ねじれ」を解消し、盤石な政権基盤を確立したい安倍首相は、こうした情勢に鑑みてか、足もとでは「96条の改正について、参院選後に修正の余地がある」とコメント。選挙戦での街頭演説でも、憲法改正については多くを語らない状況が続いている。
「復興的改憲論」で蘇った自民党案
果たして、憲法改正は是か非か?
そんななか、いよいよ参院選の投票日が迫っている。紙媒体かネット媒体かで差があるが、大手メディアが発表する有権者を対象にした世論調査の結果を見ると、参院選の争点として「憲法」「改憲」を挙げる人はそう多くないことがわかる。アベノミクスなどの景気・経済対策や原発政策のように、生活に直結しないテーマであることが理由だろう。
とはいえ、冒頭で紹介したシンポジウムの白熱ぶりを見てもわかる通り、憲法論議はかつてない盛り上がりを見せつつある。一般国民も、自国の最高法規である日本国憲法の在り方を、この機にいま一度よく考えてみる必要があるのではないだろうか。
果たして、憲法改正は是か非か。「シリーズ日本のアジェンダ」第2弾では、憲法改正の意義や課題について、様々な立場の識者の意見を紹介していく。彼らの詳しい主張は次回以降に譲るとして、今回は憲法改正論議の経緯と現状、そして基本的な論点を総括しておこう。
そもそも、日本における憲法改正論議は、これまでどのような経緯を辿ってきたのか。ご存知のように、「硬性憲法」である日本国憲法は、1947年に施行されて以来、現在に至るまで一度も改正されたことがない。憲法改正がすでに何度も行われている米国やドイツと比べれば、日本人は憲法改正という考え方自体に疎かった。
しかし、政党、政治家、憲法学者、大手新聞社などからは、半世紀にわたって草の根的に、いくつもの憲法改正案が発表されてきた。そのベースには、米国による「押し付け憲法」への反骨精神や、「憲法の条文が変化する日本の実情にそぐわなくなって来た」という物理的な問題意識もあった。特に議論されることが多かったのが、「9条の改正」である。
自民党も、もともとは1955年に保守合同で発足した改憲政党であり、「自主憲法の制定」を党の使命の1つとしていたが、改正発議が単独で可能となる議員数を確保できなかったこともあり、歴代内閣はあえて憲法改正を前面に打ち出すことはなかった。だが、党の憲法調査会や改憲派有志による勉強会などでは、時には党を超えて脈々と議論が続けられてきた。
近年、憲法改正論議が活発化したのは、2000年代半ば頃から。自民党では小泉内閣が2005年に『新憲法草案』を発表し、安倍内閣が2007年に国民投票法(日本国憲法の改正手続に関する法律)を成立させた。憲法改正に対する国民の認知度も上がり始め、大手新聞社などが行う世論調査では、条件付きも含めて憲法改正を容認する意見が過半数を上回ることも珍しくなくなった。
自民党内の混乱や民主党への政権交代を経て、再び世論は低調になったものの、野党時代の自民党はかつての『新憲法草案』を、復古的改憲論の性格を強めた『日本国憲法改正草案』へとリニューアル。憲法改正を悲願とする安倍氏が政権に返り咲いた昨年末以降、再び議論が活発化したというわけである。
明確な改憲派は自民、維新など少数
慎重な表現に止まる民主、公明
今回の参院選で各党が主張する憲法改正は、こうして続けられてきた議論の中で生まれた論点の集大成と言える。彼らは憲法改正についてどんなスタンスをとっているのか、またどんな内容の改正案(あるいは反対)を掲げているのか。公表された草案や参院選の公約から、読み取れることを比較してみよう。
まず、憲法改正そのものに対する賛否については、自民党、日本維新の会、みんなの党、生活の党などが賛成派。民主党と公明党は、それぞれ「国民主権、基本的人権、平和主義を守り、未来志向の憲法を国民とともに構想」「新たな人権を付け加える『加憲』については賛成」など、改正を肯定しながらも遠回しな言い方になっている。社民党や共産党は、主に「憲法9条を守る」というポリシーにより、改正反対を貫いている(ただし社民党は、1990年代の連立政権時代に「自衛隊は合憲」という解釈を表明したことはある)。
96条の先行改正については、明確な賛成は自民と維新だけだ。みんなは改正自体には賛成だが、与党との距離を保ちたいためか、足もとでは具体的に言及していない。一方の与党である公明は、先行改正での連携を表明している自民と維新に対して慎重姿勢を崩さず、彼らを牽制している。
そして、憲法改正に直接的、あるいは間接的に関わる具体的なポリシーや政策としては、自民が「天皇を国家元首と明記」「国歌・国旗の尊重」「家族の尊重」「公益及び公の秩序に関する条文の設置」「自衛権の明記と国防軍の設置」「緊急事態条項の設置」などを掲げている(これらについては、後ほど詳しく検証する)。
公明は加憲の対象として、「環境権などの新しい人権の設置」「地方自治の拡充」「自衛のための必要最小限度の実力組織としての自衛隊の存在の明記を慎重に検討」とした。維新が掲げるのは、「衆参合併による一院制の確立」「首相公選制の導入」「道州制の導入」。みんなは「地域主権型道州制の導入」である。
こうして見ると、憲法改正の中身についてストレートかつ具体的に踏み込んだ提案をしているのは、自民や維新など、一部の政党に限られていることがわかる。特に、かつて二大政党の一方だった民主のスタンスは、足もとではかなりブレている感がある。自民は必要に応じて国民の権利を制限し、国家の役割を明確にする「復古的改憲論」の印象が強まっているのに対し、民主は「真の立憲主義を確立すべく、国民とともに憲法対話を進める」という表現を用いて、具体的な主張をあえて避けているようだ。
自党内における改憲派と護憲派のバランス、世論の風向き、ライバル政党との差別化などを考慮しながら、各党のポリシーは日和見になっているようだ。有権者にとっては、わかりづらい展開と言える。
自民党案が事実上日本の改正案に
今から知っておくべき「6つの課題」
それでは国民は、政党が掲げる憲法改正のどんなポリシーや政策を重点的に吟味すればいいのか。ここでは、主張がはっきりしている自民党の改正案の中から、国民にとって身近に感じられそうなものを選び、冒頭で紹介したシンポジウムの参加者が指摘した「課題」を参照しながら、論点を整理しよう。
参院選での大勝を疑う余地がない自民党の憲法改正案が、「日本の正式な憲法改正案」になる可能性は高い。識者が指摘するように多くの課題が考えられるとすれば、それを今から知っておくことも必要だ。
ただし本稿の目的は、自民党の憲法改正案を一方的に批判することではない。国の最高法規である憲法の改正には実に様々な解釈が生じることを、これから述べる事例を通じて読者諸氏に実感してほしいのが本旨だ。日本人にとって未知の経験であるがゆえに、憲法改正に不安がつきまとうのは当然だ。それが杞憂なのか、それとも本当に不都合が起きるのかは、実際に憲法が改正されてみないとわからない。
自民党が憲法の条文を改正、あるいは新設したもののうち、識者が指摘する目ぼしい論点として、(1)立憲主義が後退し、国民の義務が増加する恐れ、(2)国歌・国旗の尊重、(3)家族の尊重、(4)表現の自由の規制、(5)憲法96条の改正、(6)自衛権の明記と国防軍の設置といった、6つのポイントが挙げられる。順に見ていこう。
汝、国家、国旗、そして家族を愛せ
立憲主義が後退し国民の義務が増加?
第一に、識者が最も危惧するのが「立憲主義の後退と国民の義務の増加」である。言うまでもなく憲法は、「国の最高法規」と位置付けられている。しかし、実は国民の生活を規定する条文はあまりない。憲法で述べられている国民の義務と言われて、教育、勤労、納税の義務くらいしか思い浮かばないのが、その証拠である。
というのも、そもそも立憲主義国家において、憲法は「為政者を縛って権力の濫用を防ぎ、自由権をはじめ国民の権利を保証することを目的とするもの」(小林教授)という位置づけでつくられているからだ。しかるに自民党案では10に近い「国民の義務」が新たに増やされているという。確かに、近代立憲主義としては逆コースの状況にも見える。
では、国が国民に課す義務には、どんなものが増えるのか。その1つが第二の「国歌・国旗の尊重」である。自民党案には、憲法第1章第3条に2として「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」という条文が新設されている。
国家の「君が代」や国旗の「日の丸」は、五輪やサッカーW杯などのスポーツの祭典で、日本人の心を1つにするための強力な求心力を持つアイテムだ。しかし、これは「法は道徳に踏み込まず」という憲法の根本理念を逸脱し、国家が国民の思想に介入しかねないリスクを孕んでいるという。「君が代や日の丸をどう思うかは、個人に委ねられるべき問題。憲法でそれを定めてしまうと、国家や国旗を敬いたくない人たちを差別する風潮ができ、むしろ国民の気持ちをバラバラにしてしまうのではないか」(伊藤弁護士)
同じ理由で疑問視されるのが、第三の「家族の尊重」。憲法には、第3章第24条として「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」という条文が新設された。
家庭の絆の崩壊が叫ばれるなか、家族を尊重することは一見よいことのように思えるが、これも難点があるようだ。「今や、結婚したカップルは3~4割の確率で離婚している。冗談のような話ではあるが、憲法で家族の尊重を義務化すると、その理念の下で離婚の自由を制限する法律がつくられる恐れもある」と小林教授。確かに、結婚や離婚に関する取り決めは民法で公平に扱われるべき問題であって、最高法規で定義すべき事項とも思えない。
国民が政府を批判できなくなる?
やけに厳しい「表現の自由」の規制
第四に、こちらも大問題とされているのが「表現の自由の規制」である。自民党案では、第3章第21条で定められている「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由の保障」の後に、「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という条文が新設された。
小林教授によると、「表現の自由は近代民主主義国家の憲法において、最も優先されるべき事項。公序良俗に反するという名目で表現の自由に制約がかけられれば、政府に対して国民が自由に意見することができなくなり、権力の濫用を誘う恐れもある」という。
そもそも、「国民の権利及び義務」を定めた第3章の第12条、第13条にも、国民は自由と権利を保持する代わりに、「常に公益及び公の秩序に反してはならない」という一文が付け加えられている。それは、後に続く「表現の自由」など、人権に関する具体的な条文にも影響を及ぼす。にもかかわらず、同じことを各論の1つである「表現の自由」だけにもう一度付け加えていることは、政府に言論統制の強い意思があると見られても仕方がないというわけだ。
次に、政治家の間でも喧々諤々の議論を呼んだ第五の「憲法96条の改正」。前述のように、「憲法改正の発議」を定義する第10章第96条において、「衆参両議院のそれぞれの総議員の3分の2以上の賛成」が必要とされている発議要件を、「過半数」に緩和するというものである。確かに、硬性憲法である日本国憲法は、長らく「実情に即した内容に改正することが難しい」という問題点が指摘されてきた。その発議要件の緩和については、賛成する向きも多い。
ただ、識者が問題視するのは、なぜ自民党が性急にこの条文を先行改正しようとしているかだ。「本来であれば、憲法改正の国民的な論議がなされた後で、改正を考えるべき条文。権力者を縛る最高法規である憲法を、為政者自身が焦って改正しようとするのは、責任逃れに見える」(小林教授)。また、「多数の横暴」を危惧する声もある。「発議のハードルが低くなれば、その時々の与党の強行採決によって簡単に憲法改正発議が出され、何となくムードだけで国民投票に持ち込まれ、改正が実現する恐れもある」(鈴木議員)。
有権者ではなく有効投票の過半数
憲法改正の成立要件にまつわる盲点
実は、もう1つ見落としがちなポイントがある。憲法改正の成立要件である「国民投票における国民の過半数の賛成」とは、全国民(全有権者)の過半数と思われがちだが、法律では「有効投票の過半数」とされている。今回の自民党案でも、このことが明記された。
たとえば、投票率が低く、全有権者の半分しか参加しない国民投票でも、そこで過半数の賛成が得られれば、憲法改正は成立する。つまりこの場合は、全有権者の4分の1の意思で憲法が改正されてしまうことになる。最高法規である憲法の改正にもかかわらず、国民の意思をほとんど反映できないケースもあり得るというわけだ。こうした課題は改めて議論されるべきだろう。
そして第六に、「自衛権の明記と国防軍の設置」についてだ。自民党案では、戦争の放棄や武力の行使を認めないことが定められた第9条に、「前項の規定は自衛権の発動を妨げるものではない」「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」という文言が付け加えられた。
中国、韓国、ロシアなどとの領土問題がクローズアップされるなか、日本人の多くは「国防」の重要性を痛感し、最近では「日本は再軍備をすべきだ」といったナショナリズム的な物言いも散見される。もはや平和主義ばかりを謳っているご時世ではないことは、国民の誰もがわかっている。しかし一方で、「戦争を放棄した平和主義の国に自衛隊があるのは違憲だ」という批判も、長年続けられてきた。
専門家の間でも、9条改正については意見が分かれる。「そもそもこれまでの解釈が現実的でなく、改正をしなくても解釈次第で日本は国防軍を持てる」(小林教授)という見方もある。国際法では、独立主権国家が自衛戦争を行なうことは、当然の「自然権」として認められている。また、日本が9条で放棄している「国際紛争を解決する手段としての戦争」とは、国際社会ではあくまで侵略戦争を指しているため、日本は侵略戦争を放棄しても自衛戦争は放棄していない、と考えることもできるという。
その上で、自衛隊を憲法で認められていない(海外で戦争を起こすための)「戦力」とみなさなければ、日本は他国から攻められた場合に限り、自国のテリトリーで自衛戦争ができることになる。過去の為政者たちは、主にこのような解釈で自衛隊の合憲を唱えてきた。日米安保条約のネックとなっている「集団的自衛権」についても、政府は存在を否定しているが、こちらも国際法に照らせば、独立主権国家が当然持っている権利と解釈できる。
9条改正なら自衛戦争を明記すべき
あなたが明日の「国の形」を変える
小林教授は、「自民党が解釈の変更ではなく、9条の改正を考えるなら、いっそ『侵略戦争はしないが、独立主権国家である以上自衛戦争はする。そのために国防軍を持つ』とはっきり明記すべき。ただし、海外での軍の国際貢献活動についてはハードルを高くし、国連決議に加えて事前の国会決議を義務付けるべき」と指摘する。自国のスタンスをはっきりさせることで、日本はむしろアジア諸国をはじめとする諸外国に安心感を与えることができるのではないかという。
日本が世界に冠たる平和憲法を堅持すべきことは言うまでもないが、9条の解釈はあまりにも曖昧模糊としてきた。安倍首相が定義する「国防軍」がどんな姿の軍隊になるかによっても賛否が分かれるだろうが、政府はもっと論点を明確化する必要がありそうだ。
いかがだろうか。ことほどさように、国の最高法規である憲法の改正には、様々な解釈がつきまとう。自民党案について言えば、本来の目的は安倍首相の言うように、「強い日本を取り戻す」ための改正であるはずだ。それは、国民が望むことでもある。だが一方から見れば、「国家権力の増長」と受け取られかねない側面もあるというわけだ。憲法改正には、政府と国民との対話がもっと必要だろう。
これまで多くの日本人は、憲法教育を十分受けてきたとは言えない。戦前の大日本帝国憲法(明治憲法)は天皇から与えられたもの、そして現行の日本国憲法は戦後に米国(GHQ)から与えられたものだ。国民自らが憲法をつくったり、改正したりした経験がない日本では、憲法改正を自身の問題として受け止められない有権者も多いだろう。それでは、乱立する憲法改正案の真贋を見極めることは難しい。その意味でも、足もとで盛り上がる憲法論議は、我々日本人に「憲法とは何か」を考えさせるチャンスを、改めてもたらしたと言えるのではなかろうか。
憲法改正は、まさしく参院選の「真の焦点」と言える。来る参院選では、そのことも考えながら投票所に赴いてみてはいかがだろうか。あなたの一票は、明日の「国の形」を変えるかもしれない。
(ダイヤモンド・オンライン 小尾拓也)