■同じ車両でも「暑い」「寒い」が混在 適温には個人差
路線によっては車掌が集まる事務所が地下にあり、外の天気がわかりにくいことがある。そのため時々地上に出て、外の天気を確かめているという。
それでも今も苦情の多くは空調関係。「同じ車両に乗っていても、暑いと訴える人もいれば、寒いと感じる人もいます。個人差がかなり大きいのが現実です」。担当者は空調管理の難しさを痛感している。
他社にも尋ねたところ、ほとんどの鉄道会社が天候などに応じた管理を行っていた。最新車両では、状況に応じて冷房と送風、除湿を自動で切り替える空調システムを備えたものもある。ただ、完全自動化された車両はまだ少なく、車掌がこまめに切り替えることが多い。熱を車内に入れない「熱線吸収ガラス」を採用するなど、冷房効率を高める工夫も広がっている。
直通運転で他の路線から乗り入れてきた車両の場合はどうか。何社か聞いてみたところ、完全自動化された車両の場合は、車両を所有する鉄道会社の設定に従うという。ただし自動化されていない車両だとやはり車掌が管理するようだ。
■日本初の冷房車は南海 「涼しい車両」は関西が先行
今でこそ当たり前になっている電車の冷房だが、すべての車両に導入されたのはそれほど昔のことではない。
日本で初めて鉄道車両に冷房が入ったのは1936年(昭和11年)。南海鉄道(現・南海電気鉄道)が1両だけ設置した。南海の社史「南海電気鉄道100年史」によると、車掌室に空気冷却装置を取り付け、ダクトを通って車内に冷風が流れる仕組みだったという。開発したのはダイキン工業で、同社はその後、空調事業を拡大していく。
冷房車は大好評で、「乗客が殺到してかえって暑くなった」と社史は記す。同社はさらに冷房車両を増やしていったものの、戦時色が日増しに強まる折、「ゼイタク」「資源の無駄遣い」と当局から指弾されてしまう。1938年(昭和13年)、南海は冷房車を取りやめ、冷房車の歴史はいったん途絶えた。
戦後、本格的に冷房車を導入したのは名古屋鉄道で、1959年(昭和34年)のことだ。1968年(昭和43年)には京王帝都電鉄(現・京王電鉄)が通勤電車に取り入れ、急ピッチで冷房化率を高めていく。関東では京王がフロントランナーだった。
ただし全国を見渡すと、関西の私鉄の方がその後の冷房の導入スピードが速かった。国内で最初に全車両の冷房化を達成したのは阪神電鉄で、1986年(昭和61年)だった。
一方で、車両の冷房への取り組みが極めて遅かったのが東京の地下鉄だ。
1988年(昭和63年)時点の冷房化率は関東私鉄各社が90%前後となっているのに対して、営団地下鉄(現・東京メトロ)は11%と大きな開きがあった。なぜここまで違ったのか。東京メトロに事情を聞いた。
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