秘密組織「祖国統一戦線」の正体と犯罪

.スターリンが平壤に設置した祖国統一戦線(1945年~1953年)

 秘密組織の祖国統一戦線は、いったい誰が設置したのであろうか?
 極秘裏に祖国統一戦線を構成して設置したのは極東アジア(日朝)共産化を目論んでいた共産圏の盟主スターリンであった。スターリンは日本の北方領土と朝鮮以北半部に侵攻し占領支配した。だが敗戦国ではない朝鮮以北を統治するためには朝鮮人の政権を擁立する必要があった。
 
 だからスターリンは真っ先に平壤に設置したのが祖国統一民主主義戦線(祖国統一戦線)という在朝鮮建立統一戦線・極東アジア統一戦線である。また祖国統一戦線を統括していたのはスターリンの密命を受けたソ連特別宣伝部長グレゴリー・メクレルであった。若く忠実なソ連軍人の金成柱(金日成)を育て朝鮮の傀儡指導者に据えたのはスターリンとメクレルであった。

 メクレルは96歳で亡くなったが死の直前に「朝鮮にいなかった金日成(金成柱)は朝鮮のことをよく知っていた。私は満足した。私は金日成とあらゆる分野、あらゆる問題で行動を共にしました。政治や党関連の重要な仕事を一緒に行いました。取るに足らないようなことでも私たちは常に一緒に行動しました。私はあらゆる場面で金日成を助け、金日成を育てたのです」とNHKのインタビューに応え明確に証言していた。

 ともあれソ連極東軍第八十八旅団の朝鮮系ソ連軍人金成柱を金日成将軍に仕立て育て守り祭り上げたのはメクレルであった。その目的は朝鮮人の傀儡指導者を擁立してソ連軍の最前線基地国(衛星国)司令部の北軍政(祖国統一戦線)をコントロールすることであった。

 ちなみに北朝鮮の「党中央」とは労働党中央委員会を指すのではなかった。現実の「党中央」とは表むきは金日成と世襲独裁者を指していたが、実際は極秘裏に北の国策を立案・審議・策定する秘密組織の「祖国統一戦線」を指していた。ソ連軍の最前線司令部(前衛組織)の祖国統一戦線は第1に日韓の共産化、第2に金日成世襲独裁者の個人崇拝の政策だけを極秘裏に策定して後裔組織の朝鮮労働党統一戦線(北朝鮮政府と日韓の共産主義組織)に極秘指令していた。

 1945年当時、ソ連軍の強大な武力の後押しを背にした金成柱(金日成)はソ連の信託統治に反対した朝鮮民主党の曺晩植党首を始め北の有力者を秘密裏にマグチャビ(根こそぎ)粛清していた。この非常事態を収集するためにスターリンが画策したモスクワ協定が1945年1227日に締結されていた。この日から米ソの朝鮮信託統治が開始され、朝鮮以北半部の悲劇の歴史が始まったのである。北朝鮮全土に吹き荒れた血の嵐といわれる連座制のマグチャビ(根こそぎ)粛清によって金日成個人崇拝体制が築かれた事実、そして在日の悲劇を知らなかったでは済まされない。

 朝鮮以北半部の有力者は全員、ソ連の朝鮮統治に反対していたから仕方なく1945年当時33歳であった金成柱(金日成)を伝説英雄金日成将軍に仕立て祭り上げ、朝鮮の指導者に据えたスターリンの目的はソ連の占領統治に猛反発する以北の朝鮮人を抑え服従させること、そして抗日の在日朝鮮人を共産主義者に取り込むことであったのである。
 
 またメクレルが極秘統括していた当時の祖国統一戦線中央常務委員会書記局(秘書局)は北朝鮮政府を樹立して朝鮮労働党(表舞台の北朝鮮政府)の人事、組織など日常業務を実行し、労働党中央委員会の専門部署の組織指導部、統一戦線部、宣伝扇動部、対外連絡部、総務部、国際部、軍事部などを極秘指揮していたと思われる。中でも組織指導部は、その他の部署全ての事業を統制する強権を持っていたという。

 ところで朝鮮の人々が神格化していた伝説英雄の金日成将軍を朝鮮共産党北朝鮮分局の責任秘書という秘書扱いにするとは言語道断である。だが金日成将軍になりすました33歳(1945年当時)の若く忠実なソ連軍人の金成柱(金日成)がメクレルの秘書であったなら納得できる。

 また北朝鮮政府樹立(194899日)後の1949625から28日まで祖国統一戦線の公式会議が平壌で開催されていた。ちなみに6.25南侵(朝鮮)戦争決行一年前の625に「祖国統一戦線」の公式会議が開催されていたことは祖国統一戦線の目的が極東アジア共産化であった事実、そしてソ連軍の操り人形であった金成柱の正体も垣間見ることができる。

 この祖国統一戦線の会議には北朝鮮のすべての政治団体の代表者が参加していた。いわゆる祖国統一戦線が目指す究極目的の日韓共産化を実行する国内派・ソ連派・中国派・パルチザン派の代表者、そして非公開の知られざる日本派の韓徳銖(朝総連終身議長)も参加していたと思われる。この会議で「後衛組織」の朝鮮労働党統一戦線を統括指揮するのは前衛組織の「祖国統一戦線」であることが初めて言及されたという。但し、この秘密を隠すために「祖国統一戦線」の実態も責務も結成日も、今日まで完全隠蔽されてきた。約30年も過ぎた後の1974年になって祖国統一戦線の結成日を北朝鮮民主主義民族統一戦線の結成日の1946722日だと北軍政は突然発表したが、これも大嘘であった。

 また当初の「祖国統一戦線」の構成員は北朝鮮政府樹立宣布後の最高人民会議の代議員(国会議員)及び政府高官の資格を有していたというが秘密組織の祖国統一戦線の結成日も構成員も任務も実態なども内外に一切漏らせなかった。

 その理由はソ連軍の最前線司令部であった祖国統一戦線の最初の任務が金日成将軍になりすました金成柱を祭り上げることだったなど北軍政の最高機密を断じて内外に漏らさないためだった。

 だが、どんな秘密もバレルことがある。19506月初旬、ソ連軍事顧問団と朝鮮労働党は北朝鮮政府ではなく祖国統一戦線の名前で「南北平和統一議案」を韓国政府に提案していた。

 北朝鮮政府の全権は祖国統一戦線が担っていた事実を見逃してはならない。北朝鮮政府(祖国統一戦線)の偽りの南北平和統一議案提案直後の625日に北軍政(祖国統一戦線)は南侵(朝鮮)戦争を決行した。正に嘘を平気で吐く北軍政の祖国統一戦線に騙された韓国は「北の南侵はない」と完全に油断して成す術もなく退却せざるを得なかった。もし米国を始め連合国の仁川上陸作戦がなければ、先に韓国、後に日本も占領されていた。ちなみに南侵(朝鮮)戦争特需で大儲けした日本の特権者は第二次南侵(朝鮮)戦争の勃発を目論み北軍政と朝総連を支援していた。在日と日本人の北送拉致事件に加担し、ヒトとカネとモノを北送献上していた。さらに韓国との国交断絶も論及していた事実も付記する。

 日韓の常識は北朝鮮には通用しないと溜め息をつく方がいる。
 北朝鮮の住民も高官も本音は云えないと溜め息をついている。
 北朝鮮政府の議会は国策を議論することも意見を具申することも反対することも絶対禁止の表舞台のプロパガンダ機関だった。実際に国策を審議策定してきたのは裏舞台で暗躍してきた秘密組織の祖国統一戦線だった。だから金成柱(金日成)は「北朝鮮は世界に類がない独自の体制だ。この体制の秘密は誰も絶対に暴けない。だから北朝鮮は絶対に破壊されない」と側近に自画自賛していた。
 
 現実に北朝鮮政府の党代表者会と党大会は議題を審議することも、意見を具申することも、まして反対意見を具申することも一切禁止され、無条件で満場一致の拍手で採決して実行するだけ機関だった。日韓の常識では理解できない未知の機関であった。現実に労働党代表者会は19583月、196610月、20109月、20124月のたった4回しか開催されていない。しかも労働党大会は、原則として5年に1度開催されることになっているが、1980年10月の第6回大会以降は開催されていない。北朝鮮政府の党代表者会も党大会も国策を議論する議会ではなかったのである。

 では何のための党代表者会・党大会であったのか?党代表者会も党大会も金日成独裁世襲帝国の偽りの団結を内外に宣揚するプロパガンダ宣伝ショーだった。北軍政が崩壊の危機に瀕した時代にのみ開催されていた党代表者会・党大会で意見を具申する者はいない。党と軍の高官、代議員たちは不満を漏らすだけでも問答無用で連座制マグチャビ(根こそぎ)粛清される犠牲者になっていた。頻繁に北朝鮮高官が粛清される事実を無視してはならない。冤罪で粛清される者もいる。例えばミサイル発射に失敗した折には高官が必ず粛清される。独裁者の失敗の罪を被る生贄の粛清であった。

 北軍政(祖国統一戦線)が築いた金日成世襲独裁帝国の掟は金日成個人崇拝体制を否定する高官も住民も問答無用で肉親三代の連座制マグチャビ(根こそぎ)粛清の犠牲者になることであった。日韓のみか今の中国やロシアの体制とも全く異なっていた。正に北朝鮮は「世界に類がない独自の金日成世襲独裁者個人崇拝のプロパガンダ独裁体制」であった真実を見逃してはならない。

 労働党の最高意思決定機関の政治局常務委員は1980年の第6回党大会時に5名だけであった。19941月の段階では金日成(総書記・主席)、金正日(書記)、呉振宇(人民武力相)の3名だけになっていた。
 同年7月には金日成が死去し、その後呉振宇も病死したため政治局常務委員は金正日1人だけであった。政治局常務委員も有名無実であった。しかし労働党が有名無実ではないと偽装するために2010928日に金正日と金永南(最高人民会議常任委員長)、崔永林(首相)、趙明禄(国防委員会第一副委員長)、李英鎬(朝鮮人民軍総参謀長)の4名が政治局常務委員になっていた。彼ら表舞台の高官らは粛清の恐怖に怯えて生き延びるだけの操り人形であった。

 ところで過去の在日は極左テロリストだったのか?という質問があった。
 痛恨の痛みだが「そうです」と答えるしかない。1945年1015日、在日朝鮮人(約二百万人)の唯一の統合組織の在日本朝鮮人連盟(朝連)が結成された。この朝連組織を乗っ取った在日の共産主義者は「抗日の伝説英雄金日成将軍様が朝鮮の指導者になられた」という朝連の宣伝を聴いただけで感激に震え、瞬く間に北軍政に盲目服従してしまった。
 
 恐るべき策士スターリンと詐欺師金成柱(金日成)の大嘘甘言の罠に嵌り、在日は最初の北朝鮮公民になっていたのである。抗日闘争を共産主義革命闘争に変貌させたスターリンの思惑は見事に成功した。抗日の伝説英雄金日成将軍に成りすました金成柱(金日成)の正体と犯罪もスターリンの思惑も知らず、ソ連軍が北朝鮮民衆を大量粛清していた惨劇と慟哭も全く知る術がなかった朝連・民戦の在日の殆どが洗脳され、抗日武装ゲリラ闘争を展開していた。共産主義思想も知らない在日までも共産主義者にした朝連のあやまちが北朝鮮住民拉致犠牲者の粛清と洗脳の悲劇を拡大させた原因になってしまった

 南侵(朝鮮)戦争決行2か月前の1950年4月、解散を免れた在日朝鮮解放救援会、在日朝鮮民主女性同盟などが朝鮮人団体中央協議会を結成した。そして6月16日には朝連幹部60余名が集結して在日本朝鮮民主民族戦線準備委員会(民戦準備委)を結成した。さらに1951年1月、東京都江戸川区小岩で在日朝鮮人共産主義者約80人が集い在日本朝鮮統一民主戦線(民戦)の結成大会を開催した。朝総連の前身である民戦は日本地域の朝鮮人民軍ゲリラ部隊の性格を帯びていた。

 この結成大会で民戦結成準備委員会の金薫会長は「祖国解放戦争は、新しい段階に入り完全解放の日はもう遠くはない。米帝の敗退は最早時間の問題である。…諸君は勇気をもって日本人民を奮い立たせ、その先鋒に立って祖国解放戦争に続かねばならない」と激を飛ばしていた。そして大会宣言と綱領、規約、活動方針を決定した。
 
 「在日本朝鮮統一民主戦線」(民戦)の名称は「祖国統一民主主義戦線」の下部組織であることを示唆していた。民戦の活動方針には「アメリカ帝国主義者の南侵動乱干渉に反対すると共に祖国の人民を援助するため、あらゆる手段によって南朝鮮向けの武器の製造・輸送を阻止する」と謳われいた。現実に北の南侵(朝鮮)戦争決行に歩調を合わせ武装ゲリラテロ闘争を開始したのである。

 かくして在日の「民戦」・「祖防委」・「祖防隊」の三位(さんみ)一体(いったい)の武装テロ組織が結成され、いよいよ日本民主革命達成を前面に押し出し、北軍政の南侵に共闘する暴力テロ闘争を決行した。日共の臨時中央指導部も「在日朝鮮人運動について」という指令を発して「武器の生産と輸送を阻止するための在日朝鮮人の闘争は日本から帝国主義を一掃し、その傀儡国内反動勢力を打倒する日本人民の闘争と一致する」と追認した。民戦は日本の共産主義革命と南朝鮮の赤化統一を方針に掲げ、武装闘争を展開していた。しかも民戦は次のような「民族綱領」の大要打ち出した。「民戦は全朝鮮人民の民族的課題のために『祖国統一民主主義戦線』に呼応して闘う。金日成将軍の周囲に結集し、日本共産党の指導を受けて民族解放統一戦線に参加し、共同の敵米帝とその手先、吉田・李政権打倒のために闘う」(坪井豊吉「在日朝鮮人運動の概況」)と。

 日共の武力撹乱戦闘争指令部は、非公開の地下指導部組織の「党中央ビューローと軍事委員会Y」であった。この秘密組織は文字通りの地下組織であったことから一般には知られていない。大規模な共産主義地下組織であり、下部組織は「地方、府県、地区ビューロー」、「地方、府県、地区軍事委員会Y」が形成されていた。日共の武装闘争実行部隊である「中核自衛隊」は日本全国に約五百隊の大凡八千人から一万人で組織されていたという。もし南侵が成功していたら日共の中核自衛隊は恐るべき日本共産主義革命軍になっていた。

 また日共は戦闘的な共産党員を選抜して「独立遊撃隊」を結成し、学生党員が参加する日共の「山村工作隊」も組織していた。「中核自衛隊」や「山村工作隊」や「独立遊撃隊」などは日本人で構成された武装戦闘組織であったが、民戦の「祖防委」「祖防隊」は在日の武装闘争組織という位置付けであった。

 まさしく朝連と民戦と当時の日共は共産圏の盟主スターリンが平壤に設置した前衛組織の「祖国統一戦線」の極秘指令により対日・対南破壊工作実行する後裔組織の責務を担っていた。ソ連軍の最前線司令部(前衛組織)の祖国統一戦線の指令に盲従した日本の朝連・民戦は抗日共産主義革命達成の実行部隊であった。
  
2.金成柱が平壤に設置した祖国統一戦線の誕生(1953年~現在)

 1953年にスターリンが死去した以後に西側との共存を模索し始めたソ連のフルシチョフがスターリンの個人崇拝を非難し、さらに金日成の個人崇拝も止めるよう諭していた。この時から金成柱はソ連と距離を置き中国の毛沢東をボスに崇めるようになった。スターリンが平壤に設置した秘密組織の祖国統一戦線の構成員が人知れず粛清され、金成柱と日本派の韓徳銖らで極秘構成した祖国統一戦線が超極秘裏に誕生し、そして金日成世襲独裁帝国を築くため日本派の韓徳銖と共に金成柱は独自路線を歩み始めたのである。

 金成柱の秘密を知っていた祖国統一戦線の構成員を含む北朝鮮政府の国内派・ソ連派・中国派・パルチザン派の李英(最高人民会議議長)、金奉(最高人民委員会委員長)、金昌満(党副委員長)、朱寧河(党副委員長)、朴昌玉(党副委員長)、朴憲永(副首相兼外相)、許可諠(党副委員長兼副首相)、南日(軍総参謀長兼副首相)、朴一禹(内務相)、李承燁(司法相兼党秘書)張時雨(商業相)呉基燮(労働局長)、権五稷(中国大使)を始めとする要人約2500名は1953年から1970年までに順次、極秘裏に全員粛清されていたことは知られている。

 だが、この連座制のマグチャビ(根こそぎ)粛清の目的はスターリンと離別した金成柱(金日成)が新たに金日成独裁世襲帝国を築く独自路線を歩むための極秘クーデターであったことは北軍政(祖国統一戦線)の最高機密になった。そして闇に葬られた。同時に金成柱(金日成)の正体と犯罪を知る者は北朝鮮には一人もいなくなった。知っていたのは祖国統一戦線中央委員の生き残りであった韓徳銖だけであった。そして日本派の韓徳銖が選任した在日朝鮮人一世エリートが新たな秘密組織「祖国統一戦線」の構成員になっていたのである。

 スターリンの粛清を遥かに凌ぐ人類最悪の同族大量殺戮の大粛清により、朝鮮以北の曺晩植氏を始め有力者と民衆を粛清し、旧祖国統一戦線の構成員であった国内派・ソ連派・中国派・パルチザン派の幹部も全員粛清した金成柱の正体も野望も一切知る術が無い日本で生活していた哀れな最初の洗脳犠牲者の在日は金成柱(金日成)を伝説英雄金日成将軍だと信じて盲目服従していた。今も続く北朝鮮の悲劇を拡大させた元凶は、スターリンとメクレルが平壤に設置した祖国統一戦線を極秘裏に乗っ取った金成柱(金日成)と韓徳銖の強欲な盗人コンビであった。金成柱と韓徳銖が企てた金日成世襲独裁帝国建設に邁進したのは日本派で構成された祖国統一戦線であった

 この北朝鮮体制の秘密は北軍政の最高機密になり、今日まで北の党と軍にも国際社会にも知られることはなかった。そしてソ連も世界も驚愕した驚くべき速さで金日成個人崇拝が急速に進展したのである。

 ところで北京機関には当時、約2000人もの日共党員(日本人と在日朝鮮人)がいたという。彼らは「人民艦隊」の工作船で日本と中国・北朝鮮間を極秘往来していた。この時代に北朝鮮に密航する在日の航路も、後に日本人を拉致した北送航路も実在していたのである。この人民艦隊の工作船で北朝鮮に渡った在日朝鮮人一世の中に元朝鮮労働党書記の黄長燁氏もいたと思われる。

 黄長燁氏は日本の中央大学で学んだ日本語が堪能な在日朝鮮人一世であったが北朝鮮政策の根幹を成す①政治における自主、②経済における自立、③国防における自衛という金日成独裁世襲帝国を築く主体思想を考案した本人であった。北朝鮮の政策を立案する朝鮮労働党の書記に在日朝鮮人一世の黄長燁氏が就任していた事実が在日朝鮮人一世が北朝鮮の政策を立案していたことを証明している。

 また金日成独裁世襲帝国を築く主体思想は金日成民族の根幹をなしていた事実も忘れてはならない。金正日の妻の高英姫も在日であり、金正恩の母親も在日朝鮮人であったことも忘れてはならない。在日朝鮮人一世エリートが金日成独裁世襲帝国の中枢に歴然と君臨していた実態は今も一切秘められている。

 過去、在日が北送拉致された当時、哀れな北朝鮮住民に石を投げつけられ差別された理由を在日は知らない。在日が北朝鮮住民に嫌われ蔑まされた理由は、金日成世襲独裁帝国の中枢が在日だったからである。この秘密を知る北朝鮮住民も今ではいなくなった。だが今でも在日北送拉致犠牲者は最も低い身分であることは事実である。

 ちなみに祖国統一戦線中央常務委員会の書記局(正式名称は「秘書局」)が発行した「祖国統一民主主義戦線結成大会の文献集」が1949年8月15日に平壌の朝鮮民報社で印刷されていた。この文献集には祖国統一戦線中央委員99人が序列順に記載され序列81番目には在日朝鮮人の韓徳銖、そして82番目に北朝鮮政府副首相の洪命熹が明示されていた。 この事実から日本派の在日朝鮮人一世の韓徳銖は北朝鮮の副首相より上級の高位級幹部だったことも確認できると思う。

 祖国統一戦線の中央委員であり、北朝鮮政府の核心高位級幹部であった韓徳銖の任務は日本の抗日共産主義革命達成のために対日・対民団の工作、そして在日と日本人の北送拉致と洗脳包摂の工作、さらに捏造したデマ・中傷・誹謗の悪辣な粛清工作なども画策して実行した。

 後に朝連と民戦を糾合した朝総連の終身議長になり、在日朝鮮人のカリスマ指導者になっていた祖国統一戦線中央委員の韓徳銖は、遂に在日の表舞台のトップになったのである。

 ちなみに朝連のトップは金天海であったが韓徳銖は金天海を北送して、のちに粛清させたという。また朝総連副議長であった金炳植を始め多くの朝鮮連の幹部や活動家や若者たちが訪朝後、行方不明者になっている。彼らも残酷な手法で粛清されたという。金成柱と韓徳銖は秘密を知った北朝鮮公民の在日のを問答無用で粛清した。だから今も北軍政と朝総連に逆らう在日はいなくなったばかりか真実を知る在日もいなくなった。

 また在日の北朝鮮への帰国運動を、なぜ北送拉致事件と云うのか?という質問もあった。ちなみに金成柱は韓徳銖に「在日からカネを集めることができないか」と相談をもちかけたという。韓徳銖は「そんな、まだるっこい方法よりも在日を北朝鮮に帰国させ、彼らの全財産を全て没収するほうが良い」と金成柱に伝えたという。酒の席で酔っぱらった韓徳銖が「あれは、オレが教えてやったのだ。どうだオレの名案は」と、いつも口にしていた自慢話だというが、まさに在日の北送拉致事件は祖祖国統一戦線中央委員の韓徳銖が立案して実行したことを裏付ける噂話だと言えるだろう。組織の乗っ取りと人々を騙して食い物にするのは金成柱と韓徳銖が得意とする常套手段であった。

 在日を食い物にした極悪非道な在日のドンの韓徳銖は「北朝鮮は千里馬の勢いで目覚ましい発展を遂げている。北朝鮮は地上の楽園。人民は豊かな生活を満喫している」などの大嘘を捏造し、在日朝鮮人を騙して北送し、北朝鮮で拉致させ、人質にした。その目的は在日のヒトとカネとモノを北送献上して金成柱(金日成)の個人崇拝を成功させ、金日成世襲王朝を築き延命させることであった。この韓徳銖の悪行を「知らなかった」では済まされない。韓徳銖を崇拝する在日は気付かぬうちに北朝鮮を地上の地獄にした極悪大罪を犯したことを悔い改め償って頂きたい。北朝鮮・韓国・日本・諸外国・在日の拉致犠牲者を救出して頂きたい。

 在日を北送拉致した韓徳銖は新宿区中落合の都心一等地にソナム(松の木)御殿と呼ばれる時価15億円は下らないと言われた超豪邸に住み10億を超える個人資産を蓄えていたことは有名である。強欲な金成柱(金日成主席)は勿論、韓徳銖も富豪生活を満喫していた。人々を拉致して北朝鮮の悲劇を発生させ、在日のヒトとカネとモノを食い漁った極悪人金成柱(金日成主席)と韓徳銖の大罪を黙認した在日朝鮮人と日韓両国政府のあやまちは今も問われていない。朝鮮戦争特需で大儲けした日本の特権者は、第二次朝鮮戦争の勃発と南北朝鮮の完全壊滅を密かに願い在日のみか日本人まで北送拉致する朝総連を支援していた。

 平壤は祖国統一戦線の拠点であるが金日成個人崇拝のプロパガンダ宣伝都市でもあった。北朝鮮で報道される新聞・テレビ・ラジオ、また歌やドラマ、映画やアニメ・芸術などの全てが独裁者個人崇拝宣伝一色である。街では金日成を神格化する巨大な金日成の銅像、職場や家庭では世襲独裁者の写真などが強制的に飾られている。いつの間にか北朝鮮は金日成民族の王朝国家になっていた。このプロパガンダ宣伝演技者だけが住むことが赦される金日成民族の宣伝都市平壤を訪問した朝連・民戦・朝総連の幹部や活動家、朝鮮学校の教師や生徒たち、そして日韓の政治家・有名人が洗脳されてしまった。

 だが訪朝した朝鮮学校の子供たちが洗脳されるのを黙認している愚かな両親や教師がいる。北軍政と朝総連を支援して在日と日本人を北送拉致し、そして政治家・有名人が訪朝して洗脳されるのを黙認してきた日本政府は今も朝総連を放置している。米国GHQはテロ組織の朝連・民戦を解散させたことを忘れてはならないと思う。日韓占領を目論む北軍政を支援する朝総連らを放置する日本政府の過ちに気づく日本人はいるのであろうか?

 南北統一を阻んだ金成柱(金日成)と韓徳銖に騙された朝連・民戦・朝総連らの在日と過去の日本政府の大罪に気づく在日と日本人は今も殆どいない。北軍政独裁世襲体制の不満を漏らすこともできない北朝鮮住民拉致犠牲者の「声なき声」を無視する在日と日本人が速やかに洗脳の呪縛から覚醒しなければ最悪の結末の洗礼が待っている。
 在日の大罪を償うために私は事実究明に勤しんでいる。いつか日か、在日の大罪を償う同志が出現することを信じて…。 
                鄭龍男(ていたつお)
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