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【関西の議論】伝説の踊り子「一条さゆり」とは何だったのか…消えゆくストリップ業界に「光」を 8月に釜ケ崎で十七回忌イベント
かつて全共闘世代やウーマンリブ活動家らに「反権力の象徴」としてかつがれた“伝説のストリッパー”一条さゆり(本名・池田和子さん)が、晩年に住んだ大阪・西成の「釜ケ崎」で平成9年にひっそりと生涯を終えてから16年。十七回忌の節目となる8月3日の命日に合わせ、一条とゆかりのある関係者らが釜ケ崎の居酒屋「難波屋」に集まり、「偲ぶ会」を開く。一条さゆりとは何だったのかを改めて考えるイベント。呼びかけ人の写真家、川上譲治さんは「こんな踊り子がいた、という思い出話に終始するのではなく、消えゆくストリップ業界の今後についても考えたい」と話す。(古野英明)
時代にかつがれた
川上さんは東京・新宿にあったストリップ劇場の元興行師で、ここ何年かは故郷の島根・浜田から定期的に釜ケ崎に通い、簡易宿泊所に泊まり込んで「釜ケ崎」を撮り続けている。
昭和47(1972)年に一条が引退興行をしたのと入れ替わりにストリップ業界に入り、直接、一条と接したことはないが、「業界の大先輩ということもありますが、自分の生き方と共通する部分があるような気がして。それで、一条さんゆかりの人々と交流し、ライフワークとしてストリップ業界や釜ケ崎を見守ってきたんです」という。
川上さんの中にある「一条像」は-。
一条は昭和12(1937)年、埼玉県生まれとされるが定かではない。ホステスなどを経て、30年代にストリッパーとしてデビュー。駒田信二の小説「一条さゆりの性」で世に知られ、よみうりテレビ制作の「11PM」のレギュラーを務めたことで人気が加速。自身の半生を描いた映画「一条さゆり 濡れた欲情」も作られた。
47年、大阪・吉野ミュージックでの引退興行中に公然わいせつ容疑で現行犯逮捕される。「当時、大阪の劇場でしか見られなかった“特出しショー”をやっていたんです」と川上さん。
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