いつだったか、「ライトノベルの主人公に親がいない設定ばっかなのは何で?」というような話題を目にした。
検索したらいくつかそれらしいページが出てきたが、どうもよくある話題のようで、逆にどれがソースだったか思い出せない。
先に断っておくが、私はラノベについて大して詳しくないので、実際に親がいない設定の作品が多いのかどうか、正直よく分からない。聞いている範囲では多そうな気もするが、統計でも取らないと確言は出来ないだろう。
ただ、ラノベに限らず、たとえば一昔前の少年漫画なんかでは、主人公の両親、ないし片親がいない、または殆ど作品中で描写されない、というのはよくある設定だったように思う。最近のジャンプなんかは若干傾向が違うかも知れないが、それは一旦置く。
で、単純に、「ライトノベルの主人公に親がいない設定ばっかなのは何で?」という疑問だけについて、私が最初に思った理由は、「読者の日常との線引きをする為の手段として便利・有用だから」だった。
この記事では、「親がいないという設定」の話を起点に、創作における「読者の日常との線引き」というテーマについて、思いつくままに書いてみたいと思う。
・そもそも「日常との線引き」とはなんなのか。
小説でも、漫画でも、アニメでも何でもそうだと思うけれど、様々な創作において、「読者の日常、読者のリアルとの線引きをどう行うか」というのは、割と重要なテーマである。
多くの創作は、読者に何かしらの仮想体験を提供する。読者は、それによってフロイト的な意味でのカタルシスを得る。
この時、「その作品が読者の日常からどれくらい離れているか」というのは重要な要素だ。
例えば、歴史風漫画では、「時代設定」「技術設定」といった世界観についての設定によって、「現在の日本の日常生活」という、読者の日常からの線引きを行っている。
例えば、ハーレムもの漫画では、「やたらと女の子にモテる主人公」といったキャラクター設定や、「どういう訳か女子寮に住むことになる」といった突拍子もないシナリオ展開で、読者の日常からの線引きを行っている。
何故読者の日常、読者のリアルからの線引きが行われるかというと、勿論「日常そのまんまだと読んでいて気持ちよくなりにくいから」だろうと思う。創作中のキャラクターに感情移入して、そのキャラクターの描写を通して気持ちよくなるのが「創作を読む」という行為の重要な楽しみの一つだ。この時、余りに描写が「日常そのまんま」では、キャラクターの気分に成りきれない。
勿論、こういった線引きは一本だけのものではなく、様々な線引きが組み合わさって創作の設定が形づくられることになるだろう。この線引きが少なければ少ない程、その創作の「現実っぽさ」は上がっていき、全くそういった「現実との線引き」が行われない場合、それは例えばエッセイとか随筆といった創作形態になる、と思う。
そして、これも当然のことだが、「どんな線引き具合を好むか」というのは人によるし、作品による。徹底的に日常と離れた作品を好む人もいれば、ある程度は日常に近い作品を好む人もいる。これは、「その人がどんな作品を好むか」という分析において、一つの尺度になるかも知れない。
・「日常との線引き」にはどんなものがあるのか。
ざっと考えてみた感じ、色んな創作で使われている、「代表的な日常との線引き」というものは、割と明確に分類出来そうだ。
抜け漏れも色々あるだろうが、大きく分類するとしたら、「世界観設定による線引き」「キャラクター設定による線引き」「シナリオ展開による線引き」の三つくらいにまとめられるのではないだろうか。
それぞれの大分類の配下には、例えば以下のような中分類があるのではないか、と思う。細かく挙げるとそれだけで滅茶苦茶長くなりそうなのでざっくりと。
■世界観設定による線引き
・時代の設定。「近未来、遠未来」とか、「中世」とか「古代」とか。
・技術設定。「魔法が使える世界」とか「ロボットが普通に使われている世界」とか。
・文化設定、価値観設定。殺人が当たり前の世界だったり、たくさんの人に貴重とされる品物があったり。
・生態の設定。例えばモンスターがいたり、人間外の生き物がいたり、亜人がいたり。
・場所・作品内舞台の設定。例えば外国であったり、例えば宇宙であったり。
■キャラクター設定による線引き
・能力設定。凄く頭が良かったり、何かのスポーツの天才だったり、逆に何も出来ないダメ男だったり。
・家族設定、友人設定。
・性格設定。
・年齢設定。
・生い立ちなど、環境の設定。
■シナリオ展開による線引き
・ハーレムもの、戦争もの、格闘ものなど、ジャンルによって様々。世界観設定とも関連する。
真面目に分類しようとしたらもっと整理出来そうだが(特にシナリオ展開のところは)、それが本論ではないのでまあ適当なところで。
例えば「デスノート」は、時代や舞台はほぼ読者の日常に合致しているが、「死神やデスノートが存在している世界」という世界観設定で、「優秀な頭脳をもった天才」という能力設定を付与された月が主人公になっているという点で日常と線引きされている。
例えば「ヒストリエ」は、時代設定は古代、舞台はオリエントであり、頭が切れ、幼少期に奴隷時代を過ごしたというキャラクター設定であるエウメネスが主人公になっているという点で日常と線引きされている。
別段漫画に限らず、例えばドラクエのようなファンタジーRPGなら技術設定・舞台設定による線引きがあるだろうし、SF小説で推理小説でも似たような分類が出来るだろう。
・「親がいない」という設定の持つ有用性。
で、「親がいない」という設定についてなのだが。
特に若年の読者にとって、「親」というのは一種の日常の象徴である。一般的には、「親」と「家」によって、子供は日常に戻れるし、日常に引き戻される。
つまり、親というものは、親らしい描写をされればされる程、読者を日常側に引っ張りこんでしまうキャラクターなのだ。
この時、「親がいない/登場しない」という設定を行うことによって、創作者は次のようなメリットを享受できる。
・単純に、キャラクター一人を描写する手間・リソースが浮く。
・「親がいない」というだけで、読者・視聴者を手軽に日常から創作側に遷移させられる。
・(親をけむたく感じる年齢層の読者に対して)手軽にカタルシスを提供出来る。
・他の部分で日常との線引きを行わなくても、日常とのかい離ポイントを稼ぐことが出来る
最後のは作品にもよるだろうが、つまり、「現代日本・何の変哲もない世界観」という舞台でも、「親がいない/登場しない」という要素だけで、ある程度リアルとの線引きが出来るというメリットを利用している作品も、そこそこあるのではないかと思うのだ(完全な余談だが、エロ漫画にはこのパターンが多い気がする)
一言で言うと、
・「親がいない」という設定は、他への影響を抑えて日常との線引きが出来る、強力な設定である
という結論になるような気がする。
ということで、随分長くなったので今日はこの辺で。
2013年07月17日
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