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岐路 憲法を歩く(上)生活保護狭める国 生きたい。人間らしく

2日間何も食べられなかった男性(手前)の相談に応じる藤田孝典さん(大平樹撮影)=さいたま市で

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 「飢え死にしてしまうかと思った…」

 七月中旬、さいたま市の雑居ビルにある生活困窮者を支援するNPO法人「ほっとプラス」の事務所。二日間、何も食べていなかったというTシャツ姿の男性(46)が代表理事の藤田孝典さん(30)が出したレトルトのおかゆをかき込んでいた。

 男性は三十代の終わりまでアルバイトで生計を立てていたが、適応障害となったことをきっかけに職を失い、生活保護を受け始めた。袋小路の生活の中で、ギャンブル依存に陥り、所持金も使い果たす。ネットでNPOを知り、駆け込んだ。

 「自立のためには、まず心の病やギャンブル依存の治療から始めましょう」。藤田さんは、障害者手帳の申請を男性に勧めた。

 この数年、NPOには、失業し借家を追い出された三十代、四十代からの相談が増えている。公園で寝泊まりしていても身なりはきちんとしているといい、新たな形の貧困は目に見えにくい。

 二〇〇六年、藤田さんは市内の公園で三十歳前後の男性に出会う。見た目は「こざっぱりしたイケメン」だったが、靴が汚く、苦境が察せられた。男性は初めのうち、支援の申し出を拒んでいたが、説得に応じ、生活保護を受けてアパートの入居にもこぎ着けた。

 しかし、四年後、男性は部屋で首をつって自殺する。直前「ケースワーカーから『仕事は見つからないのか』と繰り返し聞かれるのがつらい」と漏らしていた。アパートの保証人となっていた藤田さんが遺品の整理に訪れると、机の上には数十枚の求人票があった。三十四歳だった。

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 同じさいたま市で昨年二月、六十代の夫婦と三十代の息子の三人が凍死しているのが見つかった。料金が支払えずにアパートの電気やガスを止められていた。父子が一時勤務していた建材会社の関係者によると、多額の借金を抱え、十年ほど前に秋田県から転居してきたという。

 アパート周辺で話を聞くと、近所付き合いはほとんどなかった。昔から住む男性(65)は「以前だったら考えられないような話」と嘆く。一帯は一九六〇年代ごろまで、ほとんどが農家。農作業で困れば、助け合うのが当たり前だったが、遺産相続で土地が細切れにされて一部がアパートや住宅となった。

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 雇用が厳しさを増し、地域の絆も薄れ、貧困と死の距離が縮まる。そんな中で、政府は生活保護費の抑制策を次々と打ち出す。八月から生活保護費は切り下げ。窓口で申請を拒む「水際作戦」の強化につながるとも批判される生活保護法改正案は、参院審議の空転で廃案となったものの、再提出される見通しだ。

 藤田さんたちは役所の窓口で、生活保護申請の受理を渋る担当者に「憲法を読んでくれ」と訴える。憲法一三条は「生命、自由及び幸福追求に対する権利」を、憲法二五条は「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を、それぞれ保障する。やりとりの中で、受給が認められることもある。「当たり前のようだけど、どんな人にも人間らしく生きる権利がある。行き着く先は憲法なんです」 (大平樹)

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 参院選で岐路に立つ憲法。選挙戦のさなか、憲法が支える現場を歩いた。



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