美保海軍航空隊歴史年表

  (注)
1.この年表は、予科練当時に練習生が書いた敢闘録(日記)から、所定の事項を抜き出してまとめたものである。したがって、完全なものではないが、美保海軍航空隊一年九か月のおよその動きはご理解いただけると思う。
2.十五期についても、特攻要員や本土防衛要員として、各地に配置された。例えば、十五期(二次)の一部は、「伏龍」要員として訓練を受けている。しかし、蒐集した日記の中に、その記述が見られなかったので、表に示すことができなかった。
3.十六期については、日記が一冊しか得られなかったので、期全体の動きをとらえることができなかった。



年  表    
年月日美保海軍航空隊の動き年月日太平洋戦争戦況
(1943)昭和18.10.1美保海軍航空隊開隊初代司令 高橋俊策中佐(注)高橋司令は戦時歌謡「月月火水木金金」の作詞者 副長 弥永常人少佐 甲十三期生入隊(注)「甲」は甲種飛行予科練習生の略昭和18.10.2ソロモン群島中部のコロンバンガラ島の日本軍撤退
10.5十三期入隊式 任海軍二等飛行兵、第一学年開始10.6ベララベラ島の日本軍撤退
10.26第十九連合航空隊司令官朝融王少佐査閲10.27米軍モノ島に上陸
11.1十三期 海軍一等飛行兵に進級11.5第一次ブーゲンビル島沖航空戦
--11.8第二次ブーゲンビル島沖航空戦
--11.11第三次ブーゲンビル島沖航空戦
--11.23マキン島の日本軍玉砕
--11.25タラワ島の日本軍全員戦死
12.1形態適性検査開始12.1マーシャル群島沖航空戦
12.7知能操演検査開始--
12.30十三期 第一学年終了--
12.31操縦・偵察別分隊編成替え--
(1944)昭和19.1.1十三期 海軍上等飛行兵に進級--
1.4十三期 第二学年開始--
1.14道場完成 道場開き--
1.15第二美保海軍航空隊(中練教程練習航空隊)開隊--
2.10第十九連合航空隊司令官査閲昭和19.2.6マーシャル群島のクエゼリン、ルオット両島の日本軍玉砕
--2.7米軍機動部隊トラック島を空襲、艦船四〇隻、航空機二七〇機、兵員約七〇〇人損失
3.1舞鶴鎮守府司令長官巡視3.31連合艦隊司令長官古賀峯一大将、飛行艇で移動中に行方不明(戦死)
4.1十三期 海軍飛行兵長に進級 甲十四期生入隊(美保海軍航空隊新兵舎)--
4.6十四期入隊式 任海軍二等飛行兵、第一学年開始--
4.7十三期、第二美保空から新兵舎へ移転--
5.1十三期休暇帰郷 高橋司令大佐に進級 十四期 一等飛行兵に進級--
5.6十四期 形態適性検査開始--
5.8十三期休暇終了帰隊 十四期 知能操演検査開始--
5.25十三期 大山野外演習に出発--
5.28同大山野外演習終了帰隊--
6.3舞鶴鎮守府参謀長巡視6.15米軍サイパン島に上陸
--6.16B29が中国の基地から北九州を初めて空襲
6.21高橋司令退隊、後任の釜田勇司令着任6.19マリアナ沖海戦、日本海軍が空母三、航空機三九五の大半を失う
6.28十四期 第一学年終了--
6.30十四期 操縦・偵察別分隊編成替え--
7.1十四期 海軍上等飛行兵に進級、第二学年開始--
7.6練習生休憩室落成7.6サイパン島玉砕
7.23十三期 第二学年終了7.21米軍グアム島に上陸
7.25十三期 卒業退隊 操縦専修者は、築城、峯山、谷田部、博多、福山の各航空隊へ、偵察専修者は鈴鹿、徳島航空隊へ--
8.1十四期 海軍上等飛行兵に進級8.3テニアン島の日本軍玉砕
--8.10グアム島の日本軍玉砕
--8.20中国基地の米空軍約八〇機が九州および中国地方西部へ来襲
9.8十四期の四個分隊小松海軍航空隊へ転隊--
9.15甲十五期生(一次)入隊9.15米軍パラオ群島のペリリュー島およびニューギニア西方のモロタイ島に上陸
9.20十五期(一次)入隊式 任海軍二等飛行兵、第一学年開始--
10.1十四期 海軍飛行兵長に進級--
10.4十四期大山野外演習開始10.10米機動部隊沖縄を空襲
10.13十四期大山野外演習終了10.12台湾沖航空戦
10.15十五期(一次)海軍一等飛行兵に進級10.18大本営捷一号作戦(フィリッピン方面に陸海軍の主力を集中させる作戦)発動を命令
10.20甲十五期生(二次)入隊 全員、朝鮮・満州からの志願者 10.20米軍フィリッピンのレイテ島に上陸
--10.24レイテ沖海戦、戦艦武蔵をはじめ戦艦三,空母四、重巡六、輕巡四、駆逐艦一二隻沈没、巡洋艦四隻大破、連合艦隊は壊滅状態となる
10.27第十九連合航空隊司令巡視10.25海軍神風特別攻撃隊がレイテ沖で初めて米艦を攻撃 中国基地のB29約一〇〇機が北九州を空襲
10.30十五期(二次)入隊式 任海軍二等飛行兵、第一学年開始--
10.31十四期 卒業延期発表--
11.2十五期(一次)知能操演検査開始11.1マリアナ基地のB29が東京を初空襲
--11.11B29八〇機九州西部および済州島に来襲/TD>
11.19練習航空総隊司令官松永貞市中将巡視11.12陸軍特別攻撃隊がレイテ湾の米艦を攻撃
11.20一五期(二次) 海軍一等飛行兵に進級11.27マリアナ基地のB29約四〇機が東京・東海・近畿南部を空襲/TD>
--11.29空母「信濃」が熊野灘で米潜水艦に雷撃され沈没
--11.30B29約二〇機が数次にわたって東京・駿東地区を空襲
12.2十五期(一次)四部 小松海軍航空隊へ転隊12.3B29約七〇機東京付近に来襲
12.15十五期(一次) 海軍上等飛行兵に進級12.13名古屋発空襲
12.22十五期(二次)知能操演検査開始12.18大阪発空襲、名古屋付近にB29約七〇機来襲
12.23美保空の隊歌「美保の若鷲」発表12.22B29約一〇〇機名古屋付近に来襲
12.31弥永副長退隊--
(1945)昭和20.1.6後任副長本田照久中佐着任--
1.13第十九連合航空隊司令官服部勝二少将巡視--
1.20十四期 偵察専修者から操縦専修希望者を募る 十五期(二次)海軍上等飛行兵に進級--
2.5十四期 知能操演検査開始--
2.11第二美保海軍航空隊解隊--
2.14釜田司令退隊、後任山崎義大佐着任昭和20.2.16関東各地にB29および艦載機延一千機来襲
2.21十五期(一次) 形態適性検査開始2.19 米軍硫黄島に上陸
2.26十五期(二次)形態適性検査開始--
3.1第十九連合航空隊解隊、美保空は舞鶴鎮守府管下の第二十三連合航空隊所属となる3.1硫黄島の日本軍全滅
3.3十四期 美保基地拡張作業開始--
3.11十五期(一次)美保基地拡張作業開始--
3.12十五期(二次)新川基地建設のため転出--
3.13十五期(一次)第一学年終了--
3.14十五期(一次)操縦・偵察別分隊編成替え--
3.15十五期(一次)海軍飛行兵長に進級 第二十三連合航空隊司令官別府明朋少将巡視--
3.27十五期(一次) 新川基地建設のため転出--
4.1甲十六期生入隊4.1米軍沖縄に上陸
4.5十六期入隊式 任海軍二等飛行兵--
4.13十四期四部 米子市加茂国民学校に転出--
4.19舞鶴鎮守府司令長官田結襄中将、美保基地建設状況を巡視--
4.20十五期(二次)海軍飛行兵長に進級--
5.1十六期 海軍一等飛行兵に進級--
5.11十六期 知能操演検査開始--
5.15十五期(一次)残留者新川へ転出--
5018十四期三部 天津国民学校へ転出--
5.22十四期 特攻要員休暇帰郷--
4.20十五期(二次)海軍飛行兵長に進級5.22B29 東京大空襲
5.27十六期一〇一分隊大山へ十四期 特攻要員休暇終了帰隊--
5.29十四期第一次特攻隊員退隊、柳井潜水学校へ(蛟龍要員)--
6.6第二十三連合航空隊司令官巡視6.6最高戦争会議、本土決戦断行を決定
6.13十四期第二次特攻要員退隊、三重空から野辺山へ(秋水および桜花要員)--
6.14十六期帰隊、美保空退隊式--
6.20十四期第三次・四次特攻要員(佐伯防備隊)発表 十六期一部 第二次移動者、舞鶴海兵団着、高浜陸戦隊を命じられる--
6.23十四期三部.四部 特攻要員退隊、倉敷空へ(海龍および震洋予備要員)6.23沖縄守備隊全滅
6.30美保海軍航空隊解隊--

   付(用語説明)

  蛟 龍
 開戦へき頭、真珠湾に潜入した特殊潜航艇「甲標的」がその前身であり、これを改造して、昭和二十年初頭に出来上がったのが「蛟龍」である。蛟龍は、自己充電能力と水中航行性能を強化した五人乗りの小型潜水艦だが、実戦に参加することなく終わった。

  海 龍
 魚雷発射筒二基を装備した水中有翼の小型潜水艇(乗員二名)で、最初SS金物と呼ばれていた。「海龍」は、蛟龍に比べると動作が敏捷で、潜水浮上は補助翼によった。 昭和二十年六月上旬以降、関東を中心に配備されたが、これも実戦に使用されずに終戦を迎えた。

  震 洋
 日本海軍で、唯一実用化された水上特攻兵器(爆装モーターボート)で、昭和十九年に登場した「震洋」には、一人乗りの一型改と二人乗りの五型とがあった。主にフィリピン、沖縄方面に出撃し、また、本土決戦に備えて、全国各地に配備された。

  伏 龍
 簡易潜水服を装備して、海底に潜み、上陸してくる敵舟艇が頭上を通過するとき、海底から棒地雷で舟艇の底を突き上げて爆破するという、極めて原始的な特攻戦法である。

  桜 花
 「桜花」は、頭部に一,二トンの爆薬をつめ、ロケット噴射で敵艦隊に突入する超高速単座滑空爆撃機(人間爆弾といえるもの)である。これは、一式陸攻の胴体に吊して基地を発進し、敵艦船から数一〇キロ離れた上空で、母機から離弾発進させる。沖縄戦で登場するが、実際には、母機が、途中で敵戦闘機の邀撃に遭って全滅した。

  秋 水
 陸海軍協同で研究試作された高々度局地戦闘機で、化学ロケット推進特殊乙戦として着手された。機体は、無尾翼中翼単葉、主翼は先細、大後退翼、補助翼は昇降舵を兼ね、主翼後縁にフラップ、前縁に固定スロット、胴体内に過酸化水素タンク、翼内に水化ヒドラジンタンクをゆうしていた。B29への緊急対策として、昭和二十年九月までに、一,二〇〇機の生産が予定されていたが、完成したのはわずか五機で、実用にはいたらなかった。
                                      以上
編者  板垣 龍(甲13期)
発行所 美保空資料収集委員会