[GOWの部屋][今日の一言]


 

4667.合コン泥酔キス事件について(2013/07/16

話のついでにこの件についても『一言』しておきましょう。SKE48の鬼頭桃菜がとある合コンに参加して泥酔し、同じく参加していたジャニーズの男性アイドルとキスしたという話を「あの」低俗週刊誌が掲載したという一件です。その処分に注目が集まっていたのですが、今回SKE48運営はスルー。もっとも鬼頭さん自身「私じゃない」「合コンになど行ってない」と主張しているため、運営的にもそれ以上は追及できなかったのかも知れませんけど。

 

鬼頭さんはまだ未成年だったため「飲酒」という点でアウトであり、しかも彼女は過去に既に黄札を1枚?もらっていたため、合わせで今回は赤札一発退場=解雇あるいは活動辞退になるのではないか?と考えられていたのです。しかし運営は華麗なほどにスルー(笑)。この点を小林よしのりは批判しており、48グループは今や何をやっても許される自堕落な集団に成り果ててしまったと嘆いているんですね。

 

確かに「飲酒」が事実なら、それは「公法」に違反しますから厳重に処罰されるべきでしょう。この点で今回の一件は指原や柏木さん、峯岸さんのスキャンダルとはちょっと異質なワケです。しかし一方では成人年齢を18才に引き下げるという議論もあり、大学の新歓コンパでは18才の新1年生が平然と飲酒しているという現実もあり(アタシもそのひとりでした!)、必ずしも「厳罰」に処さなければならないという状況ではないとは思うんですが。

 

一方「キス」については酒宴での不埒であって、それを以て直ちに「恋愛」というワケでもありませんから、ほぼスルー出来る案件なのかなと。だからもし記事が事実であっても、アタシは鬼頭さんを解雇とか活動辞退とかに処する必要は全く無いと考えました。本人が辞めたいと言えば送り出し、本人が続けたいと言うならどうすればそれが可能になるかを考える。昔から運営はそうやってこの手の問題に一貫して対処してきたように思うんですけどね。かしこ。

 

 

 

4666.スキャンダルは武器になるのか?について(2013/07/15

小林よしのりがまた的外れなことを言っているようです。最近SKE48の子が合コンで泥酔キスをしたという記事が「あの」低俗週刊誌に載ったのですが、運営は完全スルーしました。『第2次指原スキャンダル』以降、運営は黙殺する方針に転じたようなのですが、小林さんは先ずこの点を批判。曰く「スキャンダル報道を無視してメンバーを罰しない方針に改めたため、もはや48グループは恋愛し放題状態になってしまった」と。

 

ここまではまぁその通りなのですが(笑)、ここからがおかしいのです。小林さんは誰がとは言わないまま「スキャンダルで人気が上がることが分かった今、誰もがスキャンダルを起こすようになるだろう」と言っていました。「スキャンダルで人気が上がった」というのはおそらく指原のことだと思うんですけど、指原が総選挙で1位になったのは彼女がスキャンダルを起こしたからではないんですけどね。

 

今も昔もスキャンダルはアイドルにとって、特に人気の面で致命的です。今年の総選挙でも「合コン報道」の柏木由紀や、「お泊り報道」の峯岸みなみは順当に?昨年よりも順位を落としていたはず。つまり「スキャンダルは武器になる」という発想は根本的に間違っているんですよ。にもかかわらず指原だけが昨年よりも順位を上げられたのは、スキャンダル発覚後の頑張りが正当に評価されたためなのです。

 

以前にも『一言』したように、小林さんは「反省」や「やり直し」を認めません(彼は戦後日本を認めない保守右翼なのだ)。だから指原は「スキャンダル後の頑張り」ではなく「スキャンダル」によってセンターの座を掴んだのだと的外れな批判をするんですね。そしてそうした状況を頭のおかしい指原推しが作り出したと嘆くのです。こいつらがワシのAKB48を壊してしまったのだ!と(笑)。指原や指原推しは「反省」や「やり直し」の価値をAKB48の中に正しく取り戻しただけなんですけどね。かしこ。

 

 

 

4665.生歌(6)について(2013/07/14

これまで「生歌」についてあれこれ『一言』して来ましたけど、アタシのような考えはちょっと特殊かもしれません(笑)。フツーはやっぱり「下手でも生歌が一番!」なのかもしれませんね。ただアタシはその「下手でも」の部分にやっぱり抵抗感を覚えるんですよ。仮にもそれでお金を貰っているプロが「下手でも」なんておかしいと思う。だったらCD音源を流してその間「口パク」する方が遥かに真っ当なのではないか?と。

 

AKB48だけをディスってるワケではなく(笑)、これはあらゆるミュージシャンに言えることなんですよ。繰り返しになりますが、誰しもCD音源を超える完璧さで「生歌」を披露できるはずがないんです。そのことをAKB48が自覚しているのかどうかは分かりませんが、もし自覚しているとすれば、その分、他の無自覚なミュージシャンよりも遥かにマシだと思うんですよね。

 

おそらくそこを理解している佐野元春は、だからライブではCD音源と全く違うアレンジを施して曲を演奏します。時にアレンジが勝ちすぎて全く別の曲にしか聴こえないことも(笑)。でも「生歌はCD音源を絶対に超えられない」状況下では、佐野さんのこの対応はひとつの解答だと思うんですよ。超えられないなら全く別の曲に仕立てればいい。全く同じアレンジで全く同じように演奏する方向で「完璧」を目指すなら、CD音源で「口パク」するしか無いとも言えるワケで。

 

そして「生歌はCD音源を絶対に超えられない」からこそ、アタシはライブやコンサートに全く興味が無いんですよ。「だったら家でCDを聴いていた方がいい」と思ってしまう。ジャズやクラシックでも少なからず「ライブ録音盤」なるものが存在しますが、アタシにとってはやはり「スタジオ録音盤>ライブ録音盤」です。楽曲も一要素にすぎないと割り切ればライブやコンサートも楽しめるとは思うんですけどね。かしこ。

 

 

 

4664.生歌(5)について(2013/07/13

AKB48が歌番組などで「口パク」するのは、おそらくそのコンセプトからして当然の帰結だろう。アタシはそのように思っています。そのコンセプトの違いを無視して「他のアイドルのように生で歌え!」と批判するのは暴論だと思うんですね。それはAKB48のコンセプトをちゃんと理解していないということの表明でしかないと思う。いわば「私は馬鹿です」と公言しているようなものだろうと(笑)。

 

AKB48のコンセプトとは「常に完璧であること」に他なりません。そもそもAKB48は秋葉原の劇場からその活動をスタートさせました。最初はお客が7人しかいなかったという伝説も残っていますが、その7人は無料で招待されたワケではありません。最初から有料であり、ゆえにAKB48はその対価としてのパフォーマンスを披露せねばならないのです。ですから放送事故、ミスやハプニングは出来るだけ回避されなければなりません。

 

一方、例えばももクロは元々路上ライブからその活動をスタートさせました。つまり最初から無料なんですね(たぶん)。だからももクロのパフォーマンスは対価としてのそれではありません。極論すれば料金に見合っただけのパフォーマンスをしなければならないという責任からももクロは解放されているのです。彼女たちが必要とするのは完璧さではなく、衝撃や驚愕。どうすれば立ち止まってもらえるか?見てもらえるか?それを求めているからこそ、ももクロでは放送事故もミスもハプニングもオールオッケーになるワケで。

 

AKB48にとって、お客を満足させること=金返せと言われないことこそが先ずもって重要なのです(笑)。だから歌番組で拙い生歌を披露することなどできません。そう言うとAKB48をディスってるように思われるかも知れませんが、そうではなく、逆にもの凄いプロ根性だと感嘆するのですよ。フツーのミュージシャンは当たり前のように生歌を披露します。大前提としてCD音源には遠く及ばない程度の生歌を披露して料金を得ているんですね。アタシは生歌至上主義自体が間違っていると思っています。拙い生歌を披露して金を取るなんて嘘だろ?と思うんですよ。かしこ。

 

 

 

4663.生歌(4)について(2013/07/12

バンドなどを中心にしてテレビでも「生歌」で歌う「歌手」は多いですけど(だからそれが「当たり前」だと見なされてしまうワケだが)、アタシに言わせれば、彼らはCD音源に満たない、極論すればそれよりも拙い歌を歌っているだけに過ぎません。中には「俺たちの歌は生が一番だぜ!」などと強がる人もいるでしょうが、だったら彼らはそれ以下の品質であるCDを売っている時点でもはや詐欺とかインチキだと思うんですよ(笑)。最高の状態だと胸を張れないような商品を売ってんじゃねーよ!と。

 

ただそういう人たちがいても良いのです。別にアタシは不快に感じたりはしないし、それはそれで彼らのコンセプトなのだろうから。それと同じように、なぜ世人は口パクで歌う人に寛容でいられないのでしょうか?「生歌」であることが当たり前だと考え、そこから逸脱する、例えばAKB48を叩くのでしょう?CDこそ最高の状態なんだから、TVでそれを聴いてもらうというのもひとつのコンセプトとしてアリだと思うのに。

 

だからアタシはAKB48がテレビで口パクしていても何も感じません。歌はどうせCDを買ってそっちで聴くので、極論すればどーでもいいのですよ(笑)。ただメンバーの子が歌詞間違えとか「上手く歌えるかしら?」という不安を感じることなくパフォーマンスに集中できるなら、それが一番だろうと。その結果、とびきりの笑顔と完璧な振り付けが見れればそれだけで大満足なんです。

 

それにそもそも論で言えば、歌番組はどの曲もイントロを大幅にカットし、間奏をカットし、アウトロをカットして、いわゆる「テレビサイズ」に改編して流すワケですけど、楽曲に対してその程度の扱いしか出来ないような歌番組で、なぜ出演者にだけ「生歌」が求められるのか?アタシにはそこからして疑問なんですね。楽曲に対するリスペクトも無いような歌番組なら、出演者もその程度のパフォーマンスで十分なんじゃないでしょうか?かしこ。

 

 

 

4662.生歌(3)について(2013/07/11

「仮にも歌手だったら、どんな時でも生歌で勝負するべきなんじゃないか?」そう考える人もいると思います。でもそれは「歌手」全てをひとまとめにし、それぞれの個性を完全に無視した暴論だと思うんですよ。「歌手」といってもそれぞれ違うワケで、完璧さよりも「生」でのパフォーマンスにこだわる人もいれば、生よりも「完璧さ」にこだわる人だっているのです。

 

私見ではももクロなどは前者ですね。だから彼女たちは歌番組で生歌を披露し、そしてネットで「放送事故」だと叩かれる(笑)。でも彼女たちは何よりもその「生」性にこだわっているのですから、それで良いのです。それゆえにももクロのCDは売れないんですけどね。録音されたCD音源よりも「生」で披露される生歌の方が良いなら、誰もCDなんか買いませんから。

 

一方AKB48はおそらく後者で、どんな場所や仕事であっても「完璧さ」をこそ求めています。だからそれに満たないレベルだとスタッフはダメ出しし、メンバーは泣くことになる(笑)。彼女たちにとってはCDに収録されたものがその楽曲の最高の状態なんですね。だからこそCDが売れる。番組やステージで口パクをするのは、その最高の状態にあるCD音源をこそ聴いてもらいたいから。別に手を抜いているワケでも番組を舐めてるワケでもないんですよ。

 

その違いを理解していない人、例えばマツコ・デラックスあたりが「生歌じゃない!」と見当違いな批判をしているワケです。最近ではフジテレビ『MUSIC FAIR』が「生歌ではない歌手は番組に出さない」などとトンチンカンなことを言い出しましたが(笑)、この番組スタッフも「歌手」をひとまとめにするマツコタイプなのでしょう。そしてこの番組の視聴者は所詮CD音源に満たない「生歌」を聴かされて満足できるという奇特な人たちなんでしょうね。かしこ。

 

 

 

4661.生歌(2)について(2013/07/10

マツコ・デラックスをはじめとして、AKB48の口パクを批判する人は少なくありません。でもアタシは逆に口パクの何が悪いのか理解できないんですよ。かつて中国やアメリカでも国家的行事における口パクが批判されていたけど、より完璧なステージ=パフォーマンスを求めるなら、口パクも当然アリだと思うんですけどね。そこではミスもハプニングも必要ないのだから。

 

これはもう「求めるもの」の違いなのかなと思うんですよ。アタシは常に「完璧」なステージ=パフォーマンスが見たいので、口パクは全然気になりません。商品として最終的に発売されたCD音源を超える完璧な「生歌」なんてあり得ないのですから。口パクの分、完璧な振り付け、完璧な笑顔で演じてくれるなら、それが最高なワケで。

 

でも世人の中にはマツコさんのような人もいるんですよ。彼らが求めているのは「完璧」ではなく「生」とそれゆえの「ミスやハプニング」。だから剛力彩芽やももクロがテレ朝『Mステ』でいわゆる「放送事故」を起こす、そういうのを彼らは欲しているのだと思う。でもそれって失礼な話でしょ?ご本人たちは決して「放送事故」を起こしたいワケでは決してないと思うのに。もっともももクロに限っては話題作りのためにわざとやってる可能性はありますけどね(笑)。

 

「完璧」と「ミスやハプニング」は対極の存在なので、その両方がひとつのステージ=番組で同時に起こることは先ずあり得ません。アタシは「見る側」がそのどちらを求めてもそれはその人の自由だと思うんですよ。でもおそらく「やってる側」のAKB48は「完璧」の方に少しでも近付こうとしていると思う。なのに一部の「見る側」は「もっとミスやハプニングが見たい!」と言う。結局マツコさんなどはAKB48が何たるかを分かっていないんだと思うんですよ。かしこ。

 

 

 


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