跡形もなくなったウラジオストクの安重根記念碑

 「あっ、記念碑がなくなっている。ここにあったはずなのに」

 今月7日午後3時ごろ、ロシア・ウラジオストクの国立医科大学構内にある小さな空き地。安重根(アン・ジュングン)の抗日運動の足跡をたどり、ここを訪れた韓国の大学生27人は、何もないその場所を見て絶句した。大学生たちを引率した「安重根義士崇慕(尊び慕う)会」の関係者たちも当惑を隠せなかった。

 この場所には昨年まで、横1メートル、縦2メートルほどの大きさ(土台を含む)の「安重根義士記念碑」が立っていた。2002年にソウル保健神学研究院がウラジオストク国立医科大学と協定を締結した際、ウラジオストクで抗日運動に従事していた安重根をたたえるために建立したものだ。花こう岩でできた記念碑には「人類の幸福と未来 民族の英雄 安重根義士」という碑文が刻まれていた。

 だがこの日、大学生たちは2本の鉄筋が寂しげに立っているだけの記念碑の土台を目の当たりにした。記念碑がなくなったという事実は、海外での抗日運動について研究する一部の学者たちだけに知らされていたが、記念碑を誰がどこに、なぜ持ち去ったのかについては明らかになっていないという。

 大学生たちと一緒に現場を訪れた延世大学のオ・ヨンソプ教授(52)は「抗日運動を記念する施設を設置するにはロシア政府の許可を受けなければならず、毎日管理するだけの余裕もないため、記念碑が知らない間に撤去されたとしても、韓国人はそれをすぐに知ることができなかった」と残念そうに話した。

 大学生たちは、安重根が1907年にウラジオストクに渡って抗日運動に身を投じ、09年10月26日に中国・ハルビン駅で日本の韓国統監府初代統監だった伊藤博文を暗殺し、翌年3月に大連市の旅順監獄で処刑されるまでの足跡をたどり、今月5日に韓国を出発、8泊9日間の旅をしていた。

 安重根の記念碑が撤去されたことを確認した次の日、一行は独立軍が日本軍との戦いに初めて勝利した中国吉林省図們市の「鳳梧洞の戦い(1920年)」の戦跡を訪ねた。一行はここでも、記念碑が空き地の片隅に放置されているのを目の当たりにした。管理事務所側は「リニューアル工事を行っている最中のため、一時的に撤去した」と説明したが、ツアーに参加したチン・スリョンさん(20)=淑明女子大学経営学科2年=は「命を懸けて国を守るため戦った独立運動家たちの足跡が、こんなみすぼらしい状態になっていて、とても残念だ」とうなだれた。

 ツアーの8日目、一行は安重根が『東洋平和論』を執筆し、最後まで韓国独立への熱意を燃やし続けた旅順監獄を訪れた。安重根が最後の瞬間までいた独房や、処刑された場所などを見て回った。ところが、安重根の遺体が埋葬されたと推定され、発掘作業が行われた監獄近くの場所には、数年前からマンションなどの建設が始まった。多くの無名の人々が命を落とした場所で、学生代表のイ・ヨンジュンさん(33)=国民大学大学院=は「抗日運動の痕跡が忘れ去られていくのは心苦しい」と話した。

 一行を率いた成均館大学のイ・ヨンオク名誉教授(67)は「大学生たちは安重根の歩んだ道をそのままたどり、忘れ去られていく抗日運動の精神を呼びさましたようだ。安重根の行動を見習い、学生たちもそれぞれの立場で最善を尽くす、現代的な意味の『義士』になることを望む」と語った。

ウラジオストク、ハルビン、大連=チェ・ヨンジン記者
<記事、写真、画像の無断転載を禁じます。 Copyright (c) The Chosun Ilbo & Chosunonline.com>
関連フォト
1 / 1

left

  • ▲ロシア・ウラジオストク国立医科大学のキャンパス内に2002年に建立された「安重根義士記念碑」(上)は、土台だけを残して姿を消していた(下)。記念碑は昨年撤去されたとみられる。/写真提供=安重根義士崇慕会
  • 跡形もなくなったウラジオストクの安重根記念碑

right

関連ニュース