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ポルポトはカンボジア史上最大の脅威である。死後10年い以上経った今もその悪い影響を
与え続けている。理由は政権掌握当時に広く埋設した地雷、内戦中の空爆の不発弾が今も
なお人々の手足、指、命を奪い続けているからだ。
ポルポトは1925年農家に生まれフランスに留学するなど裕福な環境で育ったが、留学中に
社会主義へ目覚め革命思想を抱き帰国後人民革命党に入党。第一次インドシナ戦争の裏で
訓練を積んだ。やがてポルポトはカンボジア共産党ナンバーワンの書記の座を獲得し、政
府の弾圧に抵抗しながら、ベトナム戦争に巻き込まれていく事に不満を持つ国民を多数味
方につけ勢力を拡大し、1975年に全権掌握すると地方で大粛清を始め徹底的な国家の改造
を行った。ポル・ポトが目指したのは中国の毛沢東主義を基盤にした「原始共産主義社会」
であり、資本主義の要素を全て否定することであった。カンボジアの人々は2つの階級に
分けられ内戦でも農村に残った人々を「旧人民」として国民の扱いをし、都市部の人々や
逃げた人々を「新人民」として古い習慣を持った危険な連中として弾圧対象となり、一切
の権利を剥奪し奴隷として扱った。地方の農村に移動された人々は厳格な規律の中で統率
を受け強制労働を服された。生活のために人間が必要なものは「旧習慣」として破壊され
学校・病院・宗教も禁止されて、僧侶達は殺さ寺院も破壊されアンコールの遺跡群も銃撃
を受けたりハンマーで砕かれて見捨てられたものもあった。カンボジア人の拠り所を破壊
して、さらに人の心の拠り所である家族や結婚も廃止されて、恋愛の自由も認められず無
理矢理に党が決定した相手と結婚させ強制的に出産をさせた。子ども達は国の施設に親か
ら引き離されて入れられ「国家の子ども」として教育を受けた。多くの家族が離散してバ
ラバラになり互いの安否も分からない人々が続出した。抗議でもすれば殺された。また、
貨幣も廃止された。知識人、すなわち「考える事が出来る人」や「物事を知る人」はポル
・ポトの統治に異論を唱える危険分子であると考えのもと、医師・学者・芸術家・教師・
技術者を虐殺した。スパイとされた人は次々と捕まりS21という収容所に連れて行かれ拷問
を受けスパイであるという供述をさせられ、処刑場へ連れて行かれ殺された。こうした
政策のもと全国民の三分の一が命を落としたとされる。
このHPではポルポト時代の大虐殺の象徴であるS21収容所と、処刑場であるキリングフィー
ルド、内戦時代の兵器と現在まで続く被害を克明に伝える地雷博物館についての写真を多数
掲載する。今から30年前にカンボジアで起こった事実を知り戦争や内戦、独裁者による静粛
がもたらす悲劇について考え、被害者に対し何が出来るのかを考えるきっかけとなって欲し
いと願っている。
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