わたくしイケダハヤト、けっこう叩かれている方なので、個人批判のあり方についてはよく思いを巡らせます。ぼくが考える「ネット上の個人批判作法」をまとめてみました。
よほどの理由がなければ、誰かを名指しで批判しない
そもそもの話として、よほどの理由がなければ、他人を名指しで批判するという行為自体をすべきではありません。よく逡巡して、それでもその必要性を感じるのなら、覚悟をもって行う類のものです。
嫉妬心が強く、けれど内省するほどの心の強さもなく、頭がいい人は、嫉妬を別の方法に変えて社会に向ける。正義や倫理感が強い人で自分の人生に幸福感が薄い人は、本当の意味では正義感が強いのではなく、嫉妬心をこじらせている。自分で気づけないから悪を裁きながら幸福も追いやっている。
— 為末 大 (@daijapan) July 3, 2013
為末さんが嫉妬にまつわるツイートをしていましたが、恐ろしいのは、実はその個人批判が、内面的な嫉妬に根ざしている可能性があることです。あなたは誰かの言っていることをおかしいと思う。こいつの考え方、振る舞いはおかしい!と叫びたくなる。さて、そう叫ぶあなたの内面に「嫉妬」の炎は燃え盛ってはいませんか。
嫉妬をエネルギーにする他者批判は、個人的におすすめしません。あなたの人格を毀損しますし、巡り巡って、結局自分の人生を生きることから外れていきます。今日死ぬかもしれないのに、「あいつはずるい!おかしい!」と叫ぶなんて、不毛ですから。
自分の中に嫉妬の炎がなく、その上で、なお個人の考えや振る舞いを追及すべきだと考えるのなら、堂々と批判を展開するとよいでしょう。ちなみに、ぼくはそういったケースはほとんど直面してきませんでした。
ユーモアに逃げない、罵詈雑言を用いない
まず大切なのは、個人批判をする際に、ユーモアに逃げないことです。たとえば「イケダハヤトちゃんはバカのフルコースだwww」的な。切込み隊長のあれも、個人批判としてはまさに「お話しにならない」やり方でしょう。
「批判のあり方よりも内容を見ろよ」という批判的意見もわかりますが、現実的に、それは非常な困難を伴う作業となるでしょう。
たとえば、あなた自身が会議の場で、あなたのことを批判する人が「お前は馬鹿だなぁwそんな提案じゃ通らないだろwww」という批判のあり方を取ったとき、まぁ、まともに相手の主張と向き合うことはできないでしょう。相手の冷笑や罵詈雑言から、相手の真意や主張を的確に抜き出すのは、本当に難しいことです。「言いたいことはわからんでもないが、そのふざけた態度を何とかしろ!」と叫びたくなるはず。
また、相手を批判する際に「死ね」「消えろ」といった類の罵詈雑言を使うことも、どう考えても望ましくないでしょう。それは批判というよりは、もはや誹謗中傷です。
これも会議の場などを想像していただければわかりますが、相手が「は?死ねよお前。言ってることおかしいぞ」と言ってくる時点で、まともな話にならないことは、容易に想像できます。
本質的に、相手の言動や振る舞いを批判する際は、ユーモアや罵詈雑言を絡める必要などないのですから、それらを使うのは避けるべきです。
特にユーモアに関しては、そうした手段を使うこと自体が「逃げ」とぼくは捉えます。「嗤い」を誘うことは「え、こっちはおふざけでやってるんだけど、なに本気になっちゃってるの??」という逃げ道を用意し、かつ「嗤い」に同調する人々を動員することで、攻撃性を高めることができるからです。これは弱者の戦法です。
実在性の高い状態で批判を行う
この点は匿名アカウントの人々から異論をいただいていますが、ぼくは基本的に「実名」で個人批判をすべきだと考えます。
その理由はシンプル、実名を用いれば「逃げ道」がなくなるからです。逃げ道がなくなれば、より対等な立場で議論を交わすことができます。
逆にいうと、逃げ道を用意する人は、その批判がどれだけ正当であっても相手にされない可能性があります。
たとえばぼくも匿名の人々に粘着されつづけているのですが、ほとんどの場合、彼らを対等に見ることはできません。
だって、彼らは自分が不利な立場に立ったとしても、アカウント消去してしまえば、それで話が終わってしまうじゃないですか。こちらは実名でやっているので、そうはいきません。アカウントを消したって、悪い評判は残りつづけます。安全地帯から石を投げられている気分に陥ります。
で、そういう状況に立たされると、ぼくは「あれ?なんでこの人たちと対話しなきゃならないんだろ?」という疑問に駆られます。匿名ゆえ、相手が何者かもわかりませんし、何の目的で絡んできているかもわかりません。相手はぼくを嫉妬しており、ぼくを没落させようとしているだけにも思えます。
さらに、一人ならまだしも、ぼくの場合は5〜6名に絡まれています。ツイートを見ると、彼らは半端に連帯して、ぼくの話題でねちねち盛り上がっています。誰だあんたら、何が目的だ。
そんなわけで、彼らの意見がどれほど正当であっても、ぼくは相手にする気を失ってしまいます。
その点、彼らが実名で、リスクを取って批判をしてくるのなら、相手にする気持ちはまだ高まります(内容、態度によってはスルーしますが)。彼らが何者であるか、またその目的と覚悟の有無についても、幾分の理解ができるからです。
ここではわかりやすく「実名」と言いましたが、より厳密には「実在性が高い状態」と表現したほうがいいでしょう。
もっといえば、「アカウントを消して逃げないことがわかる状態」ですかね。ペンネームを用いていても、「この人はアカウントを消して逃げるような人間ではないな」と思ってもらえれば、実名の話者との議論は十分成立すると思います。
相手、ないし周囲の人々に「こいつ、安全地帯から攻撃しているだけじゃん」と思われたら、せっかくの批判ももったいないことになるのです。本気で異議申し立てをしたいのなら、対等な立場で行うべきでしょう。
というわけで、この3つを抑えるのが、ネット上で個人批判を行う際の作法です。
・よほどの理由がなければ、誰かを名指しで批判しない
・ユーモアに逃げない、罵詈雑言を用いない
・実在性の高い状態で批判を行う
逆にいえば、これらに則っていない批判は基本的にスルーすべきです。
もっとも、不躾な批判にも応えることが「自分の利益になる」、またはそれが「強者の義務である」と考えるのなら、受け答えに励むのもいいと思います。ぼくは余力がある範囲で、最近反応を返すようにしています(やっぱり時間がもったいないので、優先順位は低いですが…)。
あと、経験上、ホントに言いたいことがある人はメールや対面で伝えてくれるので、スルーすることに罪悪感を抱く必要はありません。良くも悪くも、本気の人は「聞いてもらう」努力を最大限してくれるものですから。
というわけで、何か言いたいことがある人は、お気軽にメールでもください。返事するかは確約でいませんが、迷惑メールに自動で振り分けられない限り、目は通すはず。
nubonba@gmail.com