The last of 4th days.



「半径三メートル以上、俺に近付くな」

目覚めた俺は、申し訳なさそうに近寄ってきたタカシを睨み付けながらそう言うのが精一杯だった。
昨晩は殆ど眠れなかった…恐怖感と高調感から。
あんな事があってから自分の身体に触れた事は一度も無かった、触れる気にさえなれなかったし。
誰かに触れられるなんて最早論外、祖父母からの接触以外は極力避けて生きてきた。
それがいとも簡単に触れられたんだ…驚きを通り過ぎて何も出来なかった。

「そんな警戒しなくても、もうしないから」
「…っ、例えそうだとしても、もう近付くなっ」

怖いって、嫌だって思っているのにも関わらず…タカシの言う通り身体は反応して刺激を求めていた。
あの時とは違い性感帯に触れられて、初めて感じる感覚にどうしていいのか分からなくなって。
一瞬でも流されそうになってしまった自分に激しく自己嫌悪したんだ。
タカシの言う事が本当だとしたらもう死ぬのに、俺は後四日で死んでしまうのに…。
どうして今になっとこんな事で頭を悩ませなければならないのか…全部はこの死神の所為。
タカシさえ現れなければ俺の人生は静かに幕を閉じていたはずだった、誰に看取られる訳でもなくひっそりと。
悲しい最期かもしれないが俺にはそれがお似合いだったんだ、元は母親のお陰で永らえた生命なのに。
生きて、と最期に言われたけれどあの時俺が死んでいれば良かったんだ…そうすればこんな苦悩はせずに済んだのに。
こんな言い方をすれば親不孝だと怒られるかもしれないが、別に生きていたって何一つ良い事なんてなかった。
優しくしては貰えたが、心をきちんと開くことは結局出来ない終いで。
何一つ本当の親にも仮の親にも親孝行なんて出来なかった俺が最後に出来るのが、墓前で手を合わせる事。
そのためにわざわざこんな所にやってきた、決して死神と交流を深めるためではない。
折れたら終わり、だから必死に唇を噛み締めて威嚇した。

「‥わかった」

するとそれ以上距離を詰める事なく、タカシは冷めた声でそれだけ言うと窓から外へと出て行ってしまった。
わざわざ姿を消さなくても良かったのに、不用意に近付く事さえされなければそれで。
止める事も出来たんだろうが声を掛けるタイミングを見失ってしまって、一人静かな部屋に取り残された。
それから部屋で用意された朝食を一人で済ませて、代金を支払い玄関先へと行くと樹木の枝にタカシは腰掛けていた。
ここまで来たからにはきちんと目的を果たしたい…そう願っていたから少しだけ安心して。
でもそれからは終始無言だった、タカシは口を開かないし俺も言いかけては止めてしまって。
実際全部覗かれているのではないかとも思った、それだったら相手から話し掛けてくれたっていいはず。
ふわふわと宙を浮いているタカシは一度も俺の方を振り返ろうとはしなかった、頑なに拒んでいるかの様に。
拒絶したのは俺の方、それなのにタカシはまるで自分が被害者みたいな顔をして俺を見ていた。
一体何を考えているのか…どうしてあんな事をしたのか。
聞きたいけれど、どうせ良い回答が返ってくるとは思えないし…何よりどれが正解なのかも分からない。
行為をするに値する動機なんて、碌なものじゃない。
あの行為自体がトラウマになっている俺にとっては、未だにその考えを払拭する事が出来ないでいた。
そんな折宿から1時間余り歩いたでに、タカシの動きが止まった。
その先には荒地と呼ぶに相応しい所に墓石が疎らに立てられていて、酷い有様と言うに他ならない場所で。
まさかとは思ったものの、恐る恐る視線を向けてみると一度だけ首を縦に振られた。

「ここに、母さんが‥」
「此処は無縁仏が眠ってる場所なんだ。お前の母親も、引き取り手がいなかったからさ…」
「‥そっか、」

通りで母親の親に聞いても答えて貰えないはずだ、きっとあの人達も知らなかったのだろうに。
母さんは、正当防衛なのにも関わらずアイツを殺したというレッテルを張られた。
それは殺した後に自ら生命を絶った所為だろうが…祖父母は自分たちの墓に入れる事を拒んだらしい。
自分の子供なのにも関わらず、だ。
俺は必死に証言したが子供だからと相手にして貰えず、それから人を信じる事も止めてしまった。
俺がもっと大人だったら、母親が手を下す前に自分で始末していただろう。
最も最初に凶器を持ち出したのは俺自身で、逆にアイツに俺は殺されそうになった。
それを止めようとして母さんはアイツを刺して、その後追う様に自らの生命を絶ったんだ。

「遅くなって、ごめん…」

流石のタカシも、どれかまでは分かってしなかったらしく俺は一つずつ見て母親のものを探した。
そして寂びれた石に手を掛けて、枯れないようにと持ってきておいた造花を捧げて手を合わせた。
俺を守って、そして全ての罪を被って死んでいった母さん。
本当はもっと早くに来るべきだったのに…現実から目を背けていた俺は今まで来れなかった。
頭の片隅では気に掛けていたのに、その先に進む勇気がずっと出なかった。
もう自分に残された生命が僅かだと分かった時に初めて、行かなきゃ…そう思ったんだ。

「ごめ…ご、めん…かぁさん…」

幾ら謝ったって足りない、思えば母さんも俺にこうやって謝ってばかりいた気がする。
守って上げられなくて、ごめんって。
最後の最後まで俺に謝っていた、母さんは何も悪くないのに…俺が弱いばかりに。
図体はデカくなっても精神面は弱いまま、一体この八年を俺は何のために生きてきたのだろうか。
だから神にも見離されてしまったんだろう、もうお前はこの世に生きている価値なんてないと云わんばかりに。
そう思われたって仕方ない、だったらせめて残された僅かな日くらい全うに生きればいいのだろうが。
最早そんな気力も残ってはいなかった、もし俺にまだこの世にいる間にしなければならない事があるとしたら。
タカシに泣いて縋っていたはずだから…死にたくない、と。

「気、済んだかよ」
「…ぅん、」

墓前を離れて死神と別れた場所まで戻ってくると、何処かへ行っていたらしい相手は上から降りてきた。
他の墓も見たけれど人が来た形跡は全く無かった、勿論身よりのないものが埋まっているのだから当然だが。
自分も此処の葬られるのかと思うと少し虚しい気持ちになったが、きっと俺にはそれがお似合いだから。
一瞬タカシの顔が歪んだ様な気がして、もう考える事を止めた。
俺の思う事は全部タカシに聞かれる、タカシの思う事も分かればいいのに…なんて馬鹿みたいだ。
死神の胸の内なんて知ったって自分にメリットなんて何もない、寧ろ知らなくていい事まで知って後悔しそうだし。

「タカシ」
「‥あ?」
「連れて来てくれて、ありがとう」
「…あぁ」

それでも感謝していた、此処に連れてきてくれた事だけは。
もう生きてくる事はないけれど…ずっと胸の奥底にあった蟠りが無くなった気がする、気がするだけかもしれないけれど。
一応お礼を言う時くらいはきちんと顔を合わせた方がいいと思って顔を上げたのだが。
タカシは俺の方を見る事なく、ぶっきら棒に返事をしてそのまま背を向けて行ってしまった。

「もう俺にはないから、思い残す事なんて」

その背中に向かって言い放ったけれど、返事は無かった。







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